347手目 暗礁
図書館の一室で、私たちは緊急ミーティング。
リモート会議用のアプリで、磐くんたちと連絡をとった。
磐くんの第一声は、
《全然ダメだった》
という敗戦報告。
太宰くんは、
《人力で確認はしてないんだよね? じつは正解が出てるって可能性は?》
とたずねた。
《そりゃなくはないが、よっぽど変な答えだと思うぜ。俺と松平で作ったフィルタリングに、問題があるとは思えない。もしかすると、部外者が読んでも理解できない文章かもしれない》
そうか、と太宰くんは嘆息した。
《この方面が行き詰まると、かなり厳しいんだけど……ほかのひとの意見は?》
しばらくは、だれも発言しなかった。
私はちょっと気になってることがあって、手を挙げた。
「太宰くんの考えを、根本から否定しちゃうことになるんだけど……この件、もう手を引かない?」
太宰くんは、とくに驚いたようすもなかった。
だれか言い出すかな、と予期していたようだ。
とはいえ、理由は訊いてきた。
《どうして?》
「宗像さんたちが聖生Jrじゃないっていうのは、私と火村さんが言い出したことなんだけど……最近、やっぱり聖生Jrな気がしてきたの。お金は宗像さんたちが相続してるんじゃないかな……と……」
《裏見さんたちの推理は、すごく説得力があったよ》
あのときは、私も自信があった。
本物の聖生は、海外でなにかを調達する役。
宗像さんたちのお父さんは、国内で資金を調達する役。
だから別人のはずだった。
けど、暗号解読がうまくいってないあたりから、私の意見は変わり始めていた。
「ここまでの推理って、憶測に憶測を重ねてない? 説得力うんぬんなら、磐くんの暗号解読の話も、すごく説得力があったわ。でも、それがうまくいってない。つまり、合理的に考えるだけじゃ、真相にたどりつけないのかも」
ここで、磐くんがわりこんだ。
《俺も、全体を見直す必要があると思うな。例えば、のえるがチーム名だったら、どうする? 3人とものえるってことになる。だったら宗像も、のえるJrだよな。あと、これは俺が以前から言ってることだが、聖生をのえるって読んでいいのかどうか、確定してない。セイントバースとかホーリーバースだったら、どうする?》
太宰くんは、1分ほど沈黙した。
じぶんのプロジェクトが否定されて困っている──というよりも、この先どうすればいいのか、ほんとうに迷っているように見えた。
《……松平と大谷さんの意見は?》
ふたりの回答は、私と同じだった。
最後に火村さんだけが残った。
火村さんは腕組みをして、カメラの向こうで真剣に考え込んでいた。
《火村さん、どう?》
火村さんは、さらに10秒ほど黙った。
《……あたしは、最初の推理が正しいと思ってる。聖生は手紙の送り主で、宗像のパパは聖生じゃない。証明はできないけど、全体として一番しっくりくるから》
《具体的な根拠はある? それとも直感?》
《このまえのフレッシュ将棋で、宗像に会ったの。周囲に詮索されてイライラしてる、っていう気配はなかった。これだけ騒ぎになってるんだし、宗像本人も、まわりが疑惑の目を向けてきてることに、気付いてると思うのよね。怯えたりイラだったりしてないなら、無実だと思う》
《肝がすわってるだけの可能性は?》
《あいつはどっちかっていうと繊細よ》
火村さんのプロファイリングに、私は内心同意した。
お姉さんにビンタされて号泣した件とか、けっこう精神的にもろい感じはする。
いずれにせよ、探偵団の内部で意見がばらけてしまった。
そのあとのディスカッションでも、歩み寄りはなし。
私と松平と大谷さんは、もうプロジェクト自体中止、という立場。3人の推理は一周して、宗像姉弟が聖生Jr。N資金は相続されちゃってるわけだから、これ以上の調査はプライバシー侵害、と。
磐くんは、見直しは必要だけど、調査自体は続ける、という立場。
火村さんは、宗像姉弟は聖生Jrじゃない、という意見にこだわった。この探偵ごっこは危ないんじゃないか、という点で、私たちに近くはあるんだけど、中止しろとまでは言わなかった。
問題は、太宰くんの判断になった。
太宰くんが中止を宣言すれば、そのまま解散になるだろう。
だけど──
《僕の意見としては、まだ調べてみる価値があると思う》
そうよね、お父さんの因縁もあるし、太宰くんひとりでも調べそう。
その深刻さは、この場のみんなが理解しているつもりではあった。
同情とか憐憫とかじゃなくて、純粋にひとの気持ちとして、そうだと思う。
磐くんは、
《ま、俺は手伝うぜ。暗号が解けないのは癪だしな》
と言った。
うーん、バラバラになりそう。
重苦しい雰囲気が流れる。
それを破ったのは、火村さんだった。
《だけど、ヒントがもうないでしょ》
太宰くんは、だいぶためらうような調子で、あいまいな動作をした。
《なにかあるの?》
《切り札のようなもの……はある》
火村さんは、眉をひそめた。
《切り札?》
《だけどこれはジョーカーだ》
ジョーカー。その言い回しに、不穏な空気がただよった。
松平は、
《違法なことか?》
とたずねた。
《いや、違法じゃない……でも、このカードはほんとうにどう動くかわからない》
磐くんは、しびれを切らしたのか、
《もったいぶらずに言えよ。あるいは、言いたくないなら撤回しろ》
とうながした。
太宰くんは、ちょっと考えさせて欲しいと言って、たっぷり3分も考えた。
そして、こうつぶやいた。
《ジョーカーは……氷室だ》
私たちは視線をかわした。
磐くんは、
《なんだ、それなら蕎麦屋で話しただろ》
と、大したことがないかのような反応。
ところが、火村さんは持ち前の察しのよさから、
《まさか、あのとき話さなかった情報があるんじゃないでしょうね?》
と指摘した。
《ある……もうしわけないと思ってるけど、あそこでは話せなかった》
《いったいなに? けっきょく氷室が聖生だってオチ?》
《いや、そうじゃない……氷室は、聖生の暗号を、独自に調べていると思う》
あまりにも唐突な推理。
火村さんは、ロジックをたずねた。
《じつはね、みんなよりも先に、何人か声をかけてあった》
火村さんは、
《ハァ~、そんなことだろうと思ったわ。もうちょっと選びようがありそうだもの》
と愚痴った。
うーん、都ノに偏ってるあたりとか、私もうすうす変な感じはしていた。
とはいえ、余り物だと言われると、なんだか釈然としない。
案の定、磐くんは、
《チェッ、俺は氷室の補欠ってわけか》
と、おもしろくなさそうだった。
《一軍二軍を設けたつもりはない。僕にそんな人望や能力はないし。ただ……真実にたどりつける可能性を考慮したかった》
《ようするにスキルだろ》
ふてくされた磐くんの言葉を、太宰くんは強く打ち消した。
《聖生との距離感だ》
距離感? 私たちは、その言葉の意味を計りかねた。
火村さんは、
《距離感ってなに? 聖生がだれかわかんない以上、だれが近いのか遠いのかも、わかんないでしょ?》
とつっこみを入れた。
太宰くんは弁明を始めた。
《ひとつは、今回の聖生の再登場を、マジメにとらえているかどうか。僕が一番信頼している又吉は、残念だけど、これが薄かった。こういう事件に興味がないみたいだ。もうひとつは、聖生に関して事前情報を持っていそうかどうか》
火村さんは、
《なるほどね、今のこのメンバーは、聖生と関わりがそこそこあったメンツだわ。でも、都ノより先に声をかけるあいてなんて、いたの? それとも、風切に声かけして、断られたとか?》
と、カマをかけた。
《情報を持っていると思われる人物は、3人いた》
《だれ?》
《前会長と、速水先輩と、氷室》
3人の名前があがって、さっきと話がつながった。
氷室くんに声をかけた理由が、わかったからだ。
でも、この3人が聖生とどう関わっているのか、それはわからなかった。
火村さんも当然に、
《それぞれどう関係しているか、言える?》
と、深入りした。
《暗礁に乗り上げた以上、話すしかないね。僕の初手がおかしかったのか、みんなに判断して欲しいし……まず、前会長は、大学将棋連合に伝わっている裏話を、知っている気配があった》
大谷さんが口をひらく。
「現会長を選ぶとき、不審な行動がありました」
太宰くんはうなずいた。
《あの茶番は、聖生のあぶりだしだったと思ってる。だけど、遠回しにこの話を持ち掛けてみて、全部かわされた。共闘はムリと判断して、すぐに速水先輩と氷室に移った。そのとき……》
太宰くんは、一瞬間をおいた。
そして、次に発せられた言葉は、私たちを驚愕させた。
《ふたりは、聖生の正体を知っている……そう感じた》