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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第54章 デゼニーランド(2017年6月16日金曜)
352/488

342手目 真剣勝負

「負けましたなの~」

「ありがとうございました」

 しばらくのあいだ、対局後の緊迫感が続いた。

 志邨しむらさんはお茶を飲み、温田おんださんは不満げに盤を見つめた。

 感想戦の第一声は、

「だんだん悪くなった感じがするの~終盤、8五飛以外に受けはあったの~?」

 だった。


【検討図】

挿絵(By みてみん)


 温田さんは、3七銀も考えていた、と付け加えた。

 志邨さんは、

「3七銀は4七香、4八歩、同桂成、同銀引、同香成、同金、同金、同銀とバラして、3八金と打つんじゃないかな。5九玉に4八金で王様を裸にして、同玉、4七銀、5九玉、5七銀の圧殺コース」

 と答えた。

 温田さんは読み筋を追ったあと、

「つばめちゃんの王様は、もう寄らないからダメなの~」

 と、負けなことを伝えた。

 温田さんはもうひとつ、終盤の入り口も確認した。

 4一金と打った場面だ。


【検討図】

挿絵(By みてみん)


「これ手拍子で打っちゃったけど、2五銀もあったと思うの~よく考えたら、5一香ってそこまで致命傷にならないの~」

 志邨さんは頭をかきながら、

「んー、4一金が最善な気はするけど……2五銀、5一香に同馬?」

 と確認を入れた。

「同馬、同銀、2四銀、同歩、5一龍、3五桂で、先手耐えてな~い?」

「3五桂、3六玉……2七角、同金、3九龍があるっしょ」

「3七金で、次に後手は受けないといけないの~」

「たしかに、先手寄りまではいかないか……じゃあ、こっちは4二銀打くらいで……だけど、やっぱり本譜が最善じゃない? 個人的にあるかな、と思ったのは、3七歩」


【検討図】

挿絵(By みてみん)


「5一香に4二馬と切るんだろうけど、同銀、3六歩で桂馬を取り切っちゃって、先手もがんばれると思うんだよね」

「う~ん、これは考えなかったの~」

 ほかの局面も検討していると、一ノ瀬いちのせさんのストップが入った。

 両者、一礼して終わり。

 席にもどってきた志邨さんは、来栖くるすさんの左どなりに座った。

 私からみると、左の左。

 来栖さんは、

「おつかれさまです。大将までつながりましたね」

 とねぎらった。

 志邨さんはブレスレットの位置をなおして、

「ん、まあ、あとは予測がつかないっしょ」

 と返した。

 そう、次は最終戦、これはもう予測がつかない。

 東からは生河いがわくんが、西からは吉良きらくんが登場。

 どちらの実力も、私は直接見たことがある。折り紙つきだ。

 生河くんは、ちょっと緊張してる感じかなあ。どうしてだろ。

 不思議に感じていると、志邨さんは、

「生河は、団体戦に不慣れなんですよね」

 とつぶやいた。

 私はおどろいた。

「不慣れ? ……慣れてないってことは、ないんじゃない?」

「生河の通ってた学校は、将棋部が弱かったんです。団体戦で上に行ったことがありませんし、体調を気遣って、出してないときもありました。ここまで大舞台の団体戦、しかも2-2の大将席なんて、初めてのはずです。春の団体戦でも、生河の席が決勝になったことは、ありませんでした」

 うーん、そうなのか。どうりで大将に難色を示したわけだ。

 火村ほむらさんは、

「あの吉良っていうのは、強いの?」

 とたずねてきた。

 私は、

「めちゃくちゃ強いわよ。四国限定なら最強だと思う」

 と答えた。

「え、そうなの?」

 火村さんは、楽観していたところがあるっぽい。

 ちょっと厳しそうな表情に変わった。

「だったら、ほんとにわからないわね。生河ならイケるかな、と思ったんだけど」

 そうこうするうちに、駒が並べ終えられた。

 振り駒は吉良くん。表が3枚で、先手を引いた。

 2-2になったから、両陣営の緊張感はマックス。

 一ノ瀬さんも、厳粛な面持ちで腕時計を見ていた。

「……では、始めてください」

「よろしくお願いします」

 ふたりは深く一礼して、生河くんはチェスクロを押した。

 7六歩、3四歩、2六歩、4四歩。


【先手:吉良きら義伸よしのぶ申命館しんめいかん) 後手:生河ノア(慶長けいちょう)】

挿絵(By みてみん)


 4四歩? ……振り飛車にするつもり?

 東日本陣営、若干動揺。

 吉良くんも一瞬手が止まった。

 事前情報と違っていたからだろう。

 でもすぐに2五歩を決めた。

 3三角、4八銀、3二銀、3六歩。

 生河くんは8筋に指を伸ばした。

 飛車を動かすの?


 パシリ


挿絵(By みてみん)


 居飛車だ。

 陽動振り飛車でない限り、居飛車。

 火村さんは腕組みをして、

「トチ狂って振ろうとしたのかと思ったわ」

 と、安堵のタメ息を漏らした。

 私もちょっと焦った。

 7七角、5二金右、6八玉、4三銀、3七銀。

 後手は雁木だ。先手がどうするか。

 3二金、5八金右、5四歩、4六銀、8五歩。

 吉良くんは、ここで長考した。

 来栖さんは、

「なんか先手、舟囲いなんですけど」

 と指摘した。

 そう、しかも右銀急戦のかたちなのよね、これ。

 まさかそのまま突っ込む気?

 吉良くんは親指でくちびるに触れたあと、次の手を指した。


 パシリ


 7八銀。

 さすがにそんなことはなかった。

 生河くんは6二銀。

 吉良くんは、即座に次の手を指した。


 パシリ


挿絵(By みてみん)


 ~~~ッ、いきなり攻めたッ!

 動揺する私をよそに、志邨さんは、

「今の時間の使い方、めちゃくちゃうまかったですね」

 と褒めた。

「どういうこと?」

「長考して7八銀なら、囲い方に困ってたんだな、って思うじゃないですか。実際には3五歩を読んでたわけです。あいてに警戒させないトリックですね」

 むむむ、吉良くん、憎たらしいテクニックを。

 生河くん、長考タイム。

 火村さんは、

「対抗形なら4五歩のかたちでしょ。これでもイケるんじゃない?」

 と、手筋を披露した。

 志邨さんは、

「ありえます。ただ、4五歩、3四歩にはならないですよね。7七角成、同銀、4六歩のあとが、ムリゲー過ぎるので。おそらく、4五歩、同銀、3五歩、2四歩です」

 とコメントした。

 だけど、これは外れた。

 生河くんは4二金右。

 吉良くんは30秒ほど考えて、7九玉と入った。

 7四歩、2六飛、4五歩。


挿絵(By みてみん)


 あ、ここで反撃か。

 思い切りはいい。怯んでいる感じはしない。

 生河くんの表情からも、弱気なオーラは消えていた。

 将棋指しの顔をしている。

 同銀、8六歩、同歩、3五歩、6六歩。

 むずかしい手が続いた。3五歩のところでは、7七角成もあったと思う。

 8六歩を入れるかどうかも、微妙だった。

 吉良くんの6六歩は、交換しないなら封鎖する、という手だ。

 後手は角交換を拒否されたかっこう。

 ここから第二次の駒組みが始まった。

 4一玉、6七金、3一玉、4六歩、7三桂。

 火村さんは、

「むずかしいわね。3四歩は見えるんだけど、そのあとが続かないっぽくない?」

 と言った。

 私もそう思う。

 3四歩は2二角と引かれたあと、明確な手がない。

 2四歩、同歩、同飛、2三歩、2六飛はなにも起こらないし、3七桂と跳ねるのも、1四歩、2四歩、同歩、2五歩、同歩、同桂、2四歩、3三桂成、同桂、同歩成に同金左と強く取って、そのあとが続かない。


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 吉良くんも、じぶんがいいとは思っていないようだった。

 接客用の豪華な椅子に手をついて、やや前傾姿勢で考えていた。

 1分が経ち、ようやく着手。3四歩。

 2二角に1六歩で、手待ちのような手が出た。

 生河くんも小考。6四歩。

 以下、9六歩、9四歩のあと、吉良くんは5六銀と下がった。


挿絵(By みてみん)


 生河くんは、すこしばかり首をかしげた。

 ちょっと態度に出過ぎかな、という気もしたけど、私も首をかしげたくなる手だ。

 火村さんも同感だったらしく、

「2四歩と攻めるか、3七桂と溜めるところじゃなかった?」

 と訊いてきた。

「私も2四歩か3七桂かな、と思った」

「そうよね。ここで銀が撤退するようじゃ、ダメでしょ」

 吉良くん、ひよった?

 生河くんは5五歩で、押し返し始めた。

 4七銀、6三銀。

 吉良くんは、オールバックの髪を撫でつけてから、華麗に腕を伸ばした。

「4五歩」


挿絵(By みてみん)


 4筋を突き越した?

 志邨さんは足を組んで、前傾姿勢になった。

「これが吉良の本気ですか。5六銀~4七銀は、むしろ攻めの布石でしたね」

 あ、そういうことか。

 ここから2四歩だ。4五に銀がいるよりも、歩のほうが厳しい。

 次に3四銀と払っても、2四歩、同歩、同飛、2三金、2八飛、2四歩に、3六歩と継ぐか、あるいは4六銀と上がる手が成立してしまう。

 吉良くんはテーブルのお茶を手に取って、ひとくち飲んだ。

 生河くんは微動だにしない。

 椅子にもたれかかって、ポケットに手を突っ込んでいる。

 視線は盤に固定され、呼吸さえしていないかのような集中力。

 室内は、異様な空気に包まれた。

 これまでの対局も、みんな本気で指していたと思う。

 でも、これじゃあまるで真剣勝負だ。

 火村さんの顔からも、さっきまでの陽気なところは消えていた。

 長い犬歯を見せ、そっとつぶやく。

「気軽に引き受けた引率だけど……東西最強決定戦の見届けなんて、聞いてないわよ」

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