340手目 見えない本性
昼食は、それぞれ別室でとることになった。
じゃんけんをして、こんどは私たちが応接室を勝ち取った。
部屋のすみに片付けられていたテーブルを、みんなで引っ張り出す。
お弁当が運ばれてきた。
一ノ瀬さんは再開時間を告げて、また部屋を出て行った。
お弁当は、幕の内弁当だった。
おかずはシャケの切り身にチキン南蛮、卵焼き、筑前煮、マッシュポテト。
いただきまーす──あれ?
志邨さんは、お茶の差し入れだけ受け取って、お弁当に手をつけなかった。
私は、
「なにか食べられないものがあった? 良かったらコンビニで買って来ましょうか?」
とたずねた。
「いえ、対局直前は食べないので……ちょっと気分転換してきます」
志邨さんはお茶のペットボトルだけ持って、席を立った。
ボトルでポンポンとお手玉して、部屋を出て行った。
私と火村さんは、おたがいに顔を見合わせた。
私は、
「緊張してるのかしら?」
と首をかしげた。
火村さんは、
「んー、そういう匂いはしなかったけど」
と答えて、トマトジュースをチューチューした。
なんか匂いに喩えることが多いのよね、火村さん。
朽木先輩のとき*もそうだったし。
とはいえ、緊張していないとなると、志邨さんの行動はますます謎。
対局中はあんまり食べないプロもいるみたいだし、体調管理の問題かしら。
そう思った瞬間、正面に座っていた来栖さんが、口を挟んできた。
「つばめさんは、ああ見えて謎なところが多いんですよ」
私は、どういう意味かたずねた。
「それを説明すること自体が、ちょっと難しいんですが……性格が読めないんです。私は小学生の頃から知り合いですが、未だによくわからないです」
これには沖田くんが、くすりと笑った。
「小学生の頃からと言っても、ほとんど大会じゃない?」
来栖さんはちょっとひよりつつ、
「ま、まあそうですが、さすがに友だちだと言っても、いいと思います」
と反論した。
「ごめん、茶化したわけじゃないよ。だけど、東京出身の平賀さんと伊能さんのほうが、彼女のことはよく知ってるんじゃないかな。男子だと愛智とか生河とか」
「そのあたりの仲良しグループは、まあ……あ、私が言いたかったのはですね、志邨さんは自分の性格を隠してるんじゃないか、ってことです」
え、ちょっと待って、けっこう深刻な話でびっくりする。
ところが、火村さんも、
「あたしもそんな気がするのよね」
と便乗し始めた。
こらこら、ひとの性格を根掘り葉掘りするのは、よくないでしょ。
私はこの会話を中断させて、べつの話題に変えた。
最近見たDuTubeの動画で、ちょっと盛り上がった。
そのあとは橋爪くんが、じぶんの棋譜の話をし始めた。
みんなで検討していると、終盤に詰み逃しがあったんじゃないか、という結論に。
【参考図】
橋爪くんは「あ~」と悔しそうな顔をして、
「詰んでたか」
と嘆息した。
ま、いいんじゃないですかね。全部数えたら27手詰みだったし。4三金、同玉、4二金、同飛、同と、同玉、3四桂、5三玉、3三飛、4三金、6二銀、5二玉、5一金、6三玉、4三飛成、7四玉、7三銀成、同銀、7五金、8四玉、7三角成、同銀、7四銀、8二玉、7三龍、8一玉、7二銀まで。持ち駒の数の暴力。
ムリして詰ませる必要もない。本譜のほうが安全だった。
みんなが食べ終わったころ、志邨さんももどってきた。
関西勢も入室し、最後に一ノ瀬さんが登場。
私たちは弁当ガラを片付けて、テーブルをもとにもどした。
東からは志邨さんが、西からは温田さんが登場。
振り駒の結果、温田さんの先手に。
一ノ瀬さんは、腕時計を確認した。
「……では、始めてください」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いしますなの~」
志邨さんがチェスクロを押して、対局開始。
7六歩、8四歩、1六歩、1四歩、7八飛。
【先手:温田みかん(古都) 後手:志邨つばめ(晩稲田)】
三間飛車だ。温田さんは振り飛車党だから、どこに振るかは注目だった。
後手の志邨さんは、当然に居飛車。
8五歩、7七角、3四歩、6六歩、7四歩、4八玉、4二玉。
両者、準備してきたかのように、パタパタと進んだ。
6八銀、3二玉、3八玉、6二銀、2八玉、6四歩、5八金左。
志邨さんは、颯爽と桂馬を跳ねた。
「7三桂」
積極的な攻めの姿勢。
火村さんは、
「ビビってるわけじゃなかったみたいね」
と、対局開始前の自説を確認した。
温田さんは30秒ほど考えて、3八金。
志邨さんの5二金右に、温田さんの8八飛で、先手は警戒態勢へ。
来栖さんは、
「後手から攻めそうですね」
と、攻守の関係が決まったことを示唆した。
5四歩、5六歩、9四歩、3六歩、5三銀、5七銀。
志邨さんは、6筋に手をかけた。
「6五歩」
うわ、すっごい速攻。
火村さんは、
「同歩、同桂、2二角成、同銀、6六銀までは必然ね」
と読んだ。
たしかに、6五歩は放置しにくい。例えば、4八銀、6六歩、同銀、6四銀みたいなのも、なくはない。けど、これは先手がすでに悪そう。どこかで6七金と支えないといけなくなる。
だから6五同歩なわけだけど、同桂が両取り。2二角成とするしかない。
本譜もその通りに進んだ。
6五同歩、同桂、2二角成、同銀、6六銀、6四歩。
火村さんは脚を組んで、
「難しいわね。7五歩、同歩、5五歩とするか、単に5五歩とするか」
と2択を示した。
私は、
「7五歩、同歩、7四歩もあるんじゃない?」
と指摘した。
「ふむふむ、ってことは3択か。でも、7五歩、同歩、7四歩、8六歩で、強く反発されたときが気になるわ」
【参考図】
むむむ、同歩、8七歩で、同飛なら6九角が飛車金両取りだ。
6八へ逃げるのは、8六飛で完全に突破される。
7四歩に意味がないとなれば、7五歩、同歩、5五歩のほうがいい。
だったらやっぱり2択?
私たちが見守る中、温田さんは長考した。
雰囲気的に、攻めなのは確実。受けに利きそうな手もないし──あ、動く。
パシリ
そっちか。7筋は入れなかった。
志邨さんは頭を掻いた。
右足首を左のふとももに乗せて、姿勢を崩した。
じっと盤をにらんだあと、6三金と上がった。
来栖さんは、
「同歩としないのは当然としても、金上がりですか。私なら2四角で脅してます」
とつぶやいた。
2四角も、ふつうにあったと思う。2四角、7三角、7九角成、6八飛、6二飛の展開は、後手も悪くない。6三金は、この7三角を警戒した手よね。
先手は手を渡されたかっこう。ここも悩ましい。
温田さんは、いつものカワイイ雰囲気を消して、真剣に読んでいた。
「……7五歩ぅ」
「同歩」
「7八飛ぃ」
これは……なるほど、7二飛と寄りにくいわけか。8一角がある。
6三金を逆用した手だ。主導権は、わずかに先手へ移った。
志邨さんは3三銀で、迎え撃つ意志を表示した。
7四歩、4二銀右、7五飛、7二歩。
押し込まれた。
これは評価が分かれる局面だ。
火村さんは、
「先手イケるでしょ。6五銀と食いちぎって、同歩、同飛で続くわ」
と、先手持ちになった。
来栖さんは、
「いえいえ、そこで6四銀とがっつり受けちゃえばいいんですよ」
と、後手を擁護した。
火村さんは、私にも形勢判断を訊いてきた。
私は10秒ほど考えて、
「……持つなら後手かしら」
と答えた。
「理由は?」
「3三銀~4二銀右が、けっこういい手だったと思うのよね。来栖さんの手順を進めていくと、6四銀に6八飛、7九角、7八飛でしょ。そこで2四角成と引いた手が、かなり固いんじゃない?」
【参考図】
火村さんは納得した。
「なるほどね、でも先手は6五歩、5五銀、5六歩で追撃できるわ」
「そこで8六歩が速いかどうか……」
私がそこまで言いかけたとき、温田さんは6五銀と切った。
同歩、同飛、6四銀、6八飛、7九角、7八飛、2四角成。
ギャラリーの読み通りに。
温田さんは30秒ほど確認して、5六桂と打った。
これは私たちが読んでいない手だ。
来栖さんは、
「一目、8六歩ですが……」
と言ったものの、自信なさげ。
私も8六歩だと思う。同歩、同飛は桂馬の両取りになるから、これはありえない。先手は6四桂と突っ込んで、8七歩成との速度競争だ。
火村さんは、
「やっぱり先手イケそうじゃない? 6四桂は放置できないでしょ」
と言った。
「そう? 8七歩成のあと、なにか手がある?」
「7二桂成があるわ」
【参考図】
むッ、同飛なら7六飛で、後手の成り込みは頓挫する。
ただ、後手が悪いというわけでも、ないような?
7二同飛、7六飛に4四桂くらいで、迫れないかしら。
先手のかたちは、3六が急所なのよね。
私は対局者のほうを、ちらりと見た。
志邨さんは猫背でうつむいて、髪を垂らしていた。
目を閉じているようにみえる。
あたかも眠っているようでいて、すさまじい集中力を感じた。
「……」
志邨さんはまぶたを上げた。
右手で前髪を流し、例のけだるそうな表情をみせた。
「8六歩」
*232手目 相思相愛
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