332手目 公私混同
「ふたりは、聖生って知ってるか?」
私と松平は言葉に詰まった。
予想以上にマズい質問だ。
そう思った瞬間、先に口をひらいたのは歩美先輩だった。
「またその話?」
宗像くんは、歩美先輩のほうを見た。
「またってほど、してないだろ」
「もう10回は聞いた気がするけど、その名前」
宗像くんはこの指摘を無視して、私たちにたずねなおした。
「知ってるか?」
んー、判断に迷う──でもなあ、知らないって答えるのは、不自然な気がする。
御手くんともこの件で話したし、そっち経由で伝わっているような。
松平もそう考えたのか、
「名前は聞いたことがある」
と、定番のごまかしかたをした。
「会ったことは?」
「いや」
これは事実──のはず。
目のまえの宗像くんが聖生でなければ、ね。
宗像くんは腕組みをして、椅子に深く座った。
私たちが黙っていると、歩美先輩は、
「彼、春になってから急にこの話をし始めたのよね」
とつぶやいた。
私はカマかけで、
「歩美先輩は、聖生を知ってるんですか?」
とたずねた。
「ぜんぜん」
でしょうね。知ってたらおどろきだ。
とはいえ、歩美先輩の彼氏が聖生Jrの可能性濃厚。
なんとも奇妙な状況になってしまった。
歩美先輩はコーヒーをひとくち飲んで、
「正体不明の相場師らしいわ。御手もそう言ってたし」
と言った。
あ、やっぱり御手くん、堂々と調査してるんだ。
うーん、マズい、私たちが御手くんに会ったの、バレてるのでは。
また緊張してきた。
でも、その話題は出なくて、歩美先輩は、
「恭二は、なんでそいつが気になるの?」
とたずねた。
宗像くんは、一瞬間をおいたあと、
「先に突き止めて、御手の鼻を明かしてやる」
と答えた。
これはウソっぽく響いた。本音はべつのところにありそう。
歩美先輩は、
「お金が欲しいから、じゃないでしょうね?」
とたずねた。
宗像くんは、ちょっとくちびるをむすんだ。
「なんだ、歩美も興味あるのか?」
「ぜんぜん。危ないことしないほうがいいわよ」
宗像くんは数秒ほど沈黙したあと、
「仮に、歩美が聖生の財産を手に入れたら、どうする?」
とたずねた。
「だから興味ないってば」
「仮に、だ」
「恭二はなにをしたい?」
「俺の話じゃない」
「パートナーに相談しないのは、変だと思うけど」
この回答に、宗像くんは困惑した。
「……ラーメンにトッピング乗せるか」
リ、リアル。
その話は、ここで打ち切りになった。
気まずくなっていると、松平は突然話題を変えた。
「ふたりは、日帰りで東京まで来たのか?」
あ、それは気になってた。
一応、K都から日帰りデゼニーはできるはず。
新幹線を使えば、2時間くらいで東京駅に着く。
東京駅からデゼニーまでは、在来線で一本。
そして、この読みは半分当たっていた。
歩美先輩は、始発の新幹線で来たと、そう答えたのだ。
ところが、それに付け加えて、
「けど、日帰りじゃないわね」
と言った。
私は、
「どういうことですか?」
とたずねた。
「このまま泊まって、日曜に帰るわ」
2泊3日デートッ!?
私がびっくりしていると、宗像くんは、
「勘違いするなよ。俺たちは仕事で来てるんだからな」
と言った。
松平はけげんそうな顔をした。
「仕事?」
宗像くんは後頭部に手を回して、ふんぞり返った。
「関西将棋連合の仕事さ。フレッシュ大学将棋の引率だ」
え……今年もあるの?
知らなかった。だれもそんなこと言ってなかったし。
松平も初耳らしく、
「今年は関東でやるのか? もしかして明日、明後日?」
とたずねた。
「そうさ。都ノからは出ないのか?」
私は、出ない、と答えた。
上級生にないしょで出ている、ということはないと思う。それに、うちの1年生の大会結果だと、ちょっとムリなんじゃないかしら。個人戦で上位だった子はいない。新人戦の上位者だけでも、5枠は埋まってしまう。去年私が出られたのは、フレッシュのほうが新人戦よりも先にあったからだ。順番が逆なら、私じゃなくて大谷さんが出場したはず。
私は、関東のメンバーを知っているか、とたずねた。
宗像くんの答えは、
「知らね」
だった。
「じゃあ関西は?」
宗像くんは指折り数えた。
「申命館からは吉良だろ、あと古都の温田、堺の難波、六甲の三木、学志社の牧野」
最初の3人は知っている。あとの2人は知らない。
っていうか、吉良くんが来てるのね。
私は、
「1年生は別行動? それともデゼニーにいるの?」
と確認を入れた。
「まだ東京へ来てないぜ。夕方の新幹線だ」
「えッ、宗像くんたちだけ、先に来たの?」
宗像くんはちょっと顔を赤くして、そっぽを向いた。
「歩美がデゼニー行きたいって言うから……」
「ちょっと待って、デゼニーを提案したのは恭二でしょ」
はいはい、ストップ、ストップ。
松平も夫婦げんかがエスカレートしないうちに、
「なんで宗像たちが引率なんだ? 連合の役員なのか?」
とたずねた。
「俺が去年の大将だったから、連れてけって言われた」
「駒込は?」
「私はお目付け役」
そういうことか、ようやく納得がいった。
ようするに、公用で東京に来る機会ができて、こっそりデートしてるわけだ。1年生が指してるあいだにデゼニー、とはいかないから、じぶんたちだけ日程を早めたわけね。公私混同のような気が、しないでもない。まあ、つっこまないけど。
私たちはそのあとカフェを出て、すこしばかりいっしょに遊んだ。お昼のパレードを観て、まだ乗っていないアトラクションに乗った。海賊が出てくるやつ。
4時になったところで、また分かれることになった。
歩美先輩は、
「じゃ、また会いましょ。地元か王座戦で」
と言った。
私も、
「引率、がんばってください」
と返した。
ふたりの姿が見えなくなったあと、松平は、
「たまげるとは、このことだな」
とつぶやいた。
「そうね……でも、なんだかお似合いじゃなかった?」
ふたりとも、はしゃいだりはっちゃけたりするタイプじゃない。
さっきのアトラクションとパレードも、黙っていることが多かった。
けど、どこかしっくりしている。
松平もうなずいた。
「ああ……ちょっと気になる点はあったけどな」
なんのこと、と私はたずねた。
「まず、宗像が金の話をしたことだ」
「使い道の話?」
「あれは、じぶんの資産についてじゃないか?」
私はハッとなった。
「じゃあ、N資金はほんとに……ある?」
「確証はない。ただ、宗像が駒込の金の使い方を気にしたのは、なんとなくわかる。パートナーの金銭感覚は、重要だからな」
私はうっすらと理解した。
具体的な金額を言わなかったのも、かえってあやしい。
仮定の話なら、1億とか2億とか、てきとうに設定すればいいからだ。
「じゃあ、なんで歩美先輩におごってもらってるの? さっきのカフェ代、先輩が払ってなかった?」
「金持ちなのを勘繰られたくないから……というのも考えられるが、やっぱり年齢じゃないか?」
「年齢?」
「たしか日本だと、20歳*までは法律上の制限があるだろ」
あ、そうだ、高額な買い物は、保護者の同意を求められる。
「つまり、銀行から引き出せない?」
「名義は宗像恭二でも、管理してるのは別人かもしれない」
管理者──心当たりがあった。
「宗像くんのお姉さん?」
「ありうるな。生活費だけ送ってもらってるとか……まあ、宗像の誕生日は知らないから、これは勘だ」
松平は、それともうひとつ、と言って、
「宗像は、じぶんの父親が聖生だって、気づいてるんじゃないか?」
と、なかなか物騒な推理を告げた。
「どうしてそう思うの?」
「有縁坂の佐田さんは、宗像が小学生のときに会ったんだよな。すくなくとも、小学生に見える年齢のとき、だ。その年齢で、宗像は父親といっしょだった。だとすると、父親が相場師だってことも、知ってる可能性がある」
私は納得した。
あたりを見回す──歩美先輩と宗像くんの姿はなかった。
ほかのカップルが、お城を背景に写真を撮っていた。
私は、
「宗像姉弟が相続人なら、もう他人がごちゃごちゃ言うことじゃないわよね」
と言った。
「ああ……ちょっとかわいそうだよな、あれこれ詮索されて」
私たちも、あの暗号について調べている。
その点については、うしろめたいところがあった。
松平はフゥとタメ息をついた。
「ま、とりあえず今日は楽しむか。次はどうする?」
そのあと私たちは、アトラクションを回って、夜のパレードを観た。
音楽とイルミネーションが、とても幻想的だった。
最後の乗り物が見えなくなったところで、私たちは出口へ向かった。
薄い夜空を見上げると、下弦の半月がかかっていた。
「今日は楽しかったわね」
「ああ、来れてよかった」
橘先輩に触発されて、ある意味良かったかも。
一生の思い出になりそう。
私は松平と腕を組んで、帰路についた。
*民法の成人年齢が18歳になったのは2022年4月1日から。