327手目 真似できない
これは……手渡し?
だとすれば、志邨さんの手腕が問われる展開だ。
先手もバランスを考えないと、包囲される可能性が高い。
志邨さんは10秒ほど目を閉じて、後ろ髪をなでた。
そのまま3八銀。これまた手堅い。
沖田くんは中指一本で、8六歩と突き出した。
後手も攻めるの? 9一飛は、もしかしてタイミングを計っただけ?
同歩、9八角、2五銀、8九角成、6三歩、同金、7二銀。
よくわからなくなってきた。
9一飛は9三銀を嫌っただけ?
それとも、飛車の横利きを通したかっただけ?
両方の含みもありえる。
一方、志邨さんの攻めも意外性があった。
6二金に2四銀。
銀をいきなり見捨てた。
沖田くんは、
「そうくるか……」
と言って、しばらく手が止まった。
8三銀成としなかったのは、おそらく間に合わないからだ。
後手は次に7八馬がある。こちらのほうが速い。
沖田くんは残り2分を切るところまで考えて、7二金。
志邨さんはノータイムで6四桂。
6三金、2三銀成、6四金、3二成銀。
う、うまい。2枚捨てて、飛車先を突破した。
左をいじった効果で、同玉は詰みになってしまう。
さらに9一飛も逆用していた。5一玉なら2一龍で王手飛車だ。
先手に傾いたように感じる。
ピッ
沖田くん、1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
5二玉。
志邨さんは、残り1分のうち30秒を投入して、8八金と打った。
一転して守備固め。
9九馬、4二成銀、6三玉、4三成銀。
後手は9筋方面へ脱出を試みた。
広いと言えば広い。
ただ、入玉できる感じはしないのよね。
4二成銀に同玉は、2二飛成、3二桂、2三とで支えきれない。
4一飛、4四成銀、同飛、2二飛成、7五歩。
ハッチは開いた──けど、開いた位置が微妙。
8六に拠点があって、簡単に止められそうだ。
7八と8八にいる金のスクラムも強い。
ここで志邨さんも1分将棋に。
ピッ……ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
8二龍、2七歩。
沖田くんは、両サイドからの詰めろを目指した。
でも2八歩成だけじゃ、詰めろにならない。
4八に角がいなければ、2六桂が詰めろ。
角をどかせられる? 先手から飛び出しにくくなった感はある。
志邨さん、やや前傾姿勢に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「7二銀」
6五歩か8三龍かな、とも思ったけど、露骨に王手した。
5四玉、7三龍、2八歩成、6五歩。
なるほど、ここで打てば6四龍まであるのか。
沖田くんは目を閉じて、右のこめかみに指をあてた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
同玉。顔面受け。
志邨さんは左手を頭にあてて、うなだれるかっこう。
読んでいた手と違ったっぽい。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
6三銀成、3七桂、同桂、3八と。
沖田くん、先手玉を寄せにかかった。
同玉、2六桂(ここに打てるのが3七桂の効果)、2七玉、3八銀。
志邨さんは駒音高く、2六玉と上がった。
ダメ……っぽいわね。
後手は8八馬、同金で金を補充できる。
その次に2四銀か3五歩で詰めろだけど、後手が詰んでしまう。
ここから受けも利かない。
沖田くんは8八馬、同金、2四銀まで進めて、6四成銀に頭を下げた。
「負けました」
「ありがとうございました」
投了後、しばらく静寂が続いた。
沖田くんは、
「4八の角が、最後まで邪魔だったね」
とつぶやいた。
「まあまあ利いてたかな。2六桂を防いでたし」
「最後の詰みにも利いてるよね。8九角成に7九歩で、互角だと思ったんだけど、6三歩の手順がうますぎた。あそこから先はもうダメ」
「どうだろ。いろいろ難しかったと思うけど」
志邨さんは、具体的にどう難しかったのかについて、説明しなかった。
沖田くんは、中禅寺くんのほうへ顔を向けた。
「後手にチャンスあった?」
中禅寺くんはすこし考えて、
「2七歩と垂らすんじゃなくて、6一銀で受けたほうがよかったんじゃないかな」
と答えた。
【検討図】
対局者と立会人は、この局面をめいめい考えた。
第一声は志邨さんで、
「こっちのほうがめんどい」
という評価だった。
沖田くんは、
「先手は8三龍?」
とたずねた。
志邨さんによれば、
「8三龍、7二銀打、9四龍で、いったん撤退」
とのこと。
「とはいっても、僕から攻める手もないか……」
たしかに、後手が良くなってるわけじゃないと思う。
まだ先手有利。
沖田くんは、
「裏見先輩のご意見は?」
と話を振ってきた。
「そうね……後手がいい局面もあったと思う。とくに6四香のあたり」
「僕もそう思います。6九香成には、手ごたえを感じました」
ここで志邨さんが割り込んだ。
「6九香成のところは、ソフトにかけたら、後手に振れるんじゃないの」
沖田くんは、
「それは事後感想? それとも対局中の実感?」
とたずねた。
志邨さんは後者だと答えた。
「そっか……だとしたら、どこで間違えたんだろ」
沖田くんの自問に、志邨さんはこう答えた。
「6九香成」
その場にいた面子は、狐につままれたような顔をした。
矛盾している。そう思ったからだ。
沖田くんは、
「さっき、6九香成の時点で後手持ち、って言わなかった?」
と確認を入れた。
「ソフトで解析したら、ね。まあ、かけてみないとわかんないけど。でもさ、6九香成は人間向きじゃないよ。成香のプレッシャーを残しつつ、右で細かい攻めをつながないといけないじゃん。沖田から見たら左か。8二香で、ごちゃごちゃやったほうがよかった」
【検討図】
沖田くんは、
「6一馬に6九香成は、7二歩で困る……香車を見捨てろ、ってこと?」
と、質問した。
志邨さんは黙ってうなずいた。
この成否については、その場のだれもコメントしなかった。
ざっくばらんな口調だけど、言っていることが難解すぎた。
「僕としては、評価値が後手寄りのほうを指したいけどね」
そのひとことに、志邨さんは前髪をなおしながら、
「沖田はソフトに頼り過ぎだよ。真似できない手順に意味ないっしょ」
と、ちょっとヒヤッとする発言をした。
沖田くんはウェーブがかかった髪をかき上げ、ひとつうなずいた。
「アドバイスとして受け取っておく」
ちょうどそのとき、部屋のふすまがひらいた。
風切先輩が顔を出した。
盤面を見て、
「終わってるか?」
とたずねた。私は、
「はい、終局してます」
と答えた。
「どっちが勝った?」
「志邨さんです」
「了解。あっちは生河が勝った。決勝と3位決定戦は、3時からだ」
部屋割りは、決勝が洋室、3位決定戦が和室になった。
対局者は最後に一礼して、解散した。
私が対局室を出ると、松平が待っていた。
「おつかれ、そっちはどうだった?」
「志邨さんの勝ち」
あんまり大声では言えないけど、最後は完封だったように思う。
「松平は生河vs橋爪戦を観てた?」
「ああ、けっこういい勝負だったが、最後は生河が押し切った」
松平の話だと、生河くんの棋力は1年でも群を抜いている、とのこと。
うーん、愛智くんとの対局だと、そこまでかなあ、という印象なんだけど。
そうこうしているうちに、対局時間が近づいてきた。
私たちは洋室へ移動した。
引き続き立会人制みたいで、風切先輩は和室へ行ってしまった。
観戦者でごった返す中、対局者は席についた。
志邨さんは壁を背に、生河くんは窓を背に座った。
駒が並べられるあいだ、ひそひそ話が聞こえてくる。
「今年は東京対決か」
「しかも晩慶戦だぞ」
その声もだんだんと小さくなり、生河くんが最後の香車を並べ終えた。
振り駒はゆずり合いになって、志邨さんが振ることに。
「歩が4枚、私の先手」
チェスクロの位置をなおす。
準備はととのった。
私は部屋の時計とにらめっこして、3時を待った。
「……それでは、始めてください」
「よろしくお願いします」
両者、深々と一礼。生河くんはチェスクロを押した。
7六歩、8四歩、6八銀、3四歩、7七銀。
【先手:志邨つばめ(晩稲田) 後手:生河ノア(慶長)】
矢倉かあ。
伝統的に組むのか、それとも奇策が見られるのか。
観戦者視点でもおもしろくなった。
3二銀、5六歩、3三銀、2六歩、6二銀、7九角、3二金。
いわゆる24手組じゃない。お互いに我を通しそう。
4八銀、5四歩、3六歩、7四歩、7八金、4一玉、2五歩。
ここで、もうひとりの立会人、愛智くんは、
「後手急戦じゃないですね」
と小声で言った。
「ええ、そうみたい」
「ところで、立会人のうち3人が都ノなんですが、これっていいんですか?」
んー、どうかなあ。
指名制にした時点で、公平性に疑問があるような。
まあ、立会人ってそもそも必要ないし、権限があるわけでもない。
まったり観戦しましょ。
1四歩、5八金、3一角、6九玉、5二金、4六角、6四角。
脇システムっぽい感じに。
後手は銀の出が遅かったから、ある意味で必然だ。
とはいえ、脇システムそのものじゃない。
志邨さんも生河くんも、その場で手を作っている感じがあった。
私は愛智くんに、
「生河くんって、攻め将棋なのよね?」
とたずねた。
「攻め将棋というか、腕力将棋ですね」
「後手から攻めそう?」
「うーん、どうでしょう……わりとムリ攻めはしてきますが……」
3七桂、8五歩、9六歩、3一玉、6六歩、4四歩。
開戦のタイミングを、後手からは作りづらい。
6四に角がいるから、いきなり6五歩からの開戦もない。
7九玉、2二玉、5七銀、7三桂、6八銀右。
先手が変わった組み替えをしていると、生河くんの腕が伸びた。
あ、交換した。
志邨さんはここで小考。
「取るかどうか、じゃないわね」
「たぶん、同歩のあとの6四歩~6五歩を警戒してますね」
そう、その路線が濃厚。
もっとも、先手の4五歩のほうが速い。
攻め合うか、それとも生河くんの出方を見るか。
志邨さんは1分使ったあと、静かに4六同歩と取った。
生河くんは6四歩。
志邨さんは、4六の歩に薬指をそえた。
「沖田に笑われるのも癪だし、いい将棋指そっか。4五歩」
場所:2017年度 関東大学将棋連合新人戦 準決勝
先手:志邨 つばめ
後手:沖田 勲
戦型:角換わり力戦形
▲7六歩 △8四歩 ▲2六歩 △8五歩 ▲7七角 △3四歩
▲8八銀 △3二金 ▲3八銀 △4二銀 ▲2二角成 △同 金
▲7七銀 △3三銀 ▲3六歩 △7四歩 ▲3七角 △7三角
▲7八金 △9四歩 ▲9六歩 △6二銀 ▲4六歩 △1四歩
▲6八玉 △1五歩 ▲2五歩 △5二金 ▲5八金 △3二金
▲6六歩 △6四歩 ▲2七銀 △4四銀 ▲5六歩 △8四角
▲1六歩 △9五歩 ▲同 歩 △同 香 ▲9七歩 △7三桂
▲1五歩 △6五歩 ▲9六歩 △同 香 ▲同 香 △9五歩
▲7五歩 △同 角 ▲9五香 △6六歩 ▲5九玉 △4二玉
▲6三歩 △同 金 ▲4九玉 △3三桂 ▲4八角 △1七歩
▲6六銀 △8四角 ▲9六香 △8三飛 ▲9三香成 △同 角
▲同香成 △同 飛 ▲9七歩 △9一飛 ▲1七香 △6四香
▲8三角 △6六香 ▲6四歩 △同 金 ▲7二角成 △7一銀打
▲8三馬 △6九香成 ▲7二歩 △8一香 ▲7一歩成 △8三香
▲7二と △6三金 ▲1四歩 △2五桂 ▲1六香 △9二飛
▲6二と △同 金 ▲2六銀 △2四歩 ▲1三歩成 △9一飛
▲3八銀 △8六歩 ▲同 歩 △9八角 ▲2五銀 △8九角成
▲6三歩 △同 金 ▲7二銀 △6二金 ▲2四銀 △7二金
▲6四桂 △6三金 ▲2三銀成 △6四金 ▲3二成銀 △5二玉
▲8八金打 △9九馬 ▲4二成銀 △6三玉 ▲4三成銀 △4一飛
▲4四成銀 △同 飛 ▲2二飛成 △7五歩 ▲8二龍 △2七歩
▲7二銀 △5四玉 ▲7三龍 △2八歩成 ▲6五歩 △同 玉
▲6三銀成 △3七桂 ▲同 桂 △3八と ▲同 玉 △2六桂
▲2七玉 △3八銀 ▲2六玉 △8八馬 ▲同 金 △2四銀
▲6四成銀
まで145手で志邨の勝ち