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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第52章 2年目の新人戦(2017年6月4日日曜)
334/487

324手目 後追い

 あとかたづけも終わって、初日は解散。

 なんだか疲れる試合が多かった。観戦だけで消耗した一日。

 私たち都ノみやこの勢は、キャンパスの中庭に集まった。

 反省会は、大谷おおたにさんの司会で始まった。

「本日はおつかれさまでした。1年生のみなさんのご活躍、間近で拝見させていただきました。今日はゆっくりとお休みください。個々人の課題については、後日のミーティングで話し合いたいと思います。拙僧からは以上です」

 大谷さんは、私と松平まつだいらにも話を振ってきた。

 松平から。

「おつかれさん。将棋の内容について、俺からとくに言うことはない。今日はいろんな大学の1年生と会えて、交流も広がったと思う。ちょっとせこい話になるが、大学将棋では情報収集も重要だ。コミュニケーションの輪は、広く取ってもらえると助かる」

 私からはとくになし。

 今日の対局で見えたものは、対局者自身が一番よくわかっていると思う。

 解散後、1年生はばらばらに行動し始めた。

 愛智あいちくんと青葉あおばくんは帰宅。平賀ひらがさんは伊能いのうさんたちと食事。

 マルコくんは「これからバイトでーす」と言って、新宿方面へ。

 残った2年生で雑談していると、風切かざぎり先輩が顔を出した。

 ちょうど校舎から出て来たところだった。

「よ、おつかれさん」

 私たちもあいさつを返した。

 風切先輩は、

「応援に行けなくて、悪かったな」

 と、いきなり謝った。

 私は、

「いえ、会長ですし、しょうがないです」

 と答えた。

 風切先輩は笑った。

「置物だけどな。1年生はどうだった? 結果を見る限り、まあまあだと思うが」

「そうですね……」

 1年生が近くにいないことを、私は確認した。

「だいたい予想通りかな、という気もします。フロック負けもなかったです」

 風切先輩は、たばねたうしろ髪をくるくるして、

「負けに不思議の負けなし、か……他校の1年はどうだった?」

 とたずねた。

 私たちは、それぞれ担当した会場の説明をした。

 さらに松平は付け加えて、

「知り合いからも情報収集したんですが、女子だと志邨しむらが抜けてるみたいです。これは観戦した実感からもそうです。ノイマンあいてに、中盤から優勢を築いてました」

 とコメントした。

 大谷さんは、

「A級はどこも、強い1年生が入っているようです。来年度の主軸は、今日の大会の上位陣ではないでしょうか。ベスト16の中から、主将が何人か出るはずです」

 と予想した。

 風切先輩は、腕組みをして息をついた。

「俺も来年度は4年だし、本格的に世代交代か……裏見は、なにか感想があるか?」

 私はすこしばかり考えた。

「……当面は、Bの1年生に注意する必要がありそうです。ノイマンさんと……」

 そのとき、こちらへ声をかけてくるひとがいた。

 全員でふりかえると、金髪の少年が手を振っていた。

 橋爪はしづめくんだった。

 風切先輩はおどろいて──わずかにとまどいを見せた。

 橋爪くんはポケットから手を出すと、背筋を伸ばして、直角に頭をさげた。

「おひさしぶりです」

「ああ、ひさしぶりだな」

 橋爪くんは姿勢をもどした。

 そして、にっこりと笑った。

「先輩、元気そうでなによりです。会長になったんですね」

「お仕着せみたいなもんだ」

「大学では、なにをしてるんですか?」

「数学」

 元奨励会員同士の会話。

 橋爪くんは、いかにも昔馴染みという感じだった。

「先輩が奨励会をやめてから、もう4年目でしたっけ」

 あたりの雰囲気がすこし変わった。

「そうだな……また橋爪と会えるとは、思わなかった」

「なに言ってるんですか、先輩のほうが俺より昇級早かったのに。先輩がダメだったら、俺じゃダメですよ。だからきっぱり見切りをつけて、進学しました」

 風切先輩の顔から、表情が消えた。

 まるでじぶんが今どこにいるのか、わからないような感じだった。

 橋爪くんは、おやっとなって、

「先輩、どうしました?」

 とたずねた。

 風切先輩はハッとなり、あてもなく視線を左に向けた。

「すまん、ちょっとつかれててな。ボーッとなった」

「あ、すみません。やっぱ忙しいんですね。じゃあ、またこんど」

 橋爪くんはその場から去った。

 風切先輩は考え込むように、そっとつぶやいた。

「俺がやめたのは、そういう意味じゃなかったんだが……」

 そのあと、私たちも解散した。

 風切先輩は役員と飲み会。

 キャンパスを出ようとしたところで、例のタイヤの音がした。

 ばんくんが私たちの横を通り過ぎ、それから折り返して来た。

「いよッ、おつかれさん」

 磐くんはその場でくるくるしながら、

「ところで、例の件だが」

 と言った。

 松平は、

「おいおい、この場はマズいだろ」

 とたしなめた。

「だいじょうぶだって、もうみんな帰ってる」

 たしかに、あたりにはだれもいなくなっていた。

 5局もやっただけあって、そろそろ暗くなりかけている。

 松平は声を落として、

「なにか分かったのか?」

 とたずねた。

「いやあ、それがな……お手上げだ」

 松平は嘆息した。

「俺はあれから見に行ってないが、ひっかからないのか?」

「全然」

 磐くんによると、まだ総当たりは完了していないらしい。

 私は、

「まだなんとも言えなくない?」

 と口をはさんだ。

 楽観してるわけじゃないけど、ダメっていうのは終わってから言うものだと思う。

 磐くんは、「まあそうなんだが」と部分的に認めて、

「でもな、ハガキのあちこちに謎が残ってるのは、やっぱダメな気がしてきた」

 と、これまでの考えをあらためた。

 磐くんはもともと、総当たりでなんとかなる派だったから、これは意外だった。

 私は、

「急に弱気になったわね」

 と牽制した。

「んー、そう言われると参るんだが……俺は最初、聖生のえるの仲間にも分かる単純な暗号のはずだ、って予想したよな。だけど、聖生のえるの仲間は昔から交流があったみたいだし、なにかのヒントで気づく仕掛けになってるのかもしれない」

 私は具体例をたずねた。

 それは分からない、と磐くんは答えた。

 松平は、

「ひとまず、最後まで回してみるしかないだろ」

 と、今の作業を続ける提案をした。

「それはもちろん……ところで、そっちのグループは、なにか進展ないの?」

 むむむ、そう言われると、こちらに策があるわけでもないのよね。

 聖生のえるの息子の名前も、バージニア州の意味も、判明していなかった。

 私は、

「ごめん、90年代の経済を調べてみたんだけど、決定打はなにも」

 と答えた。

 大谷さんも、太宰くんとの調査で進展はないみたいだった。

 磐くんは帽子をはずして、またかぶりなおした。

「まあ気楽にやるか。それじゃ、またな」

 磐くんはローラーブレードで、その場を駆け去った。

 それを見送った私たちは、そのまま家路についた。


  ○

   。

    .


 その週の金曜日、私は部室に顔を出した。

「こんにちはー」

 ドアを開けると、風切先輩が部屋のなかで棒立ちになっていた。

「風切先輩、なにしてるんですか?」

 声をかけると、先輩はふりむいた。

「う、裏見うらみ、いいところに来たッ!」

 ぐッ、なんだか悪い予感がする。

「裏見、次の日曜は空いてないか?」

「えーと、先輩、そういうのは先に用件を言うのがマナーです」

 さすがにここは攻める。

「新人戦2日目を手伝って欲しい」

 ん? 2日目の手伝い? なんで?

 もう都ノの1年生は残ってないんだけど。

「なにかあったんですか?」

 風切先輩はこぶしをにぎって、ぷるぷる震えた。

「役員の欠席者が多すぎて、俺だけじゃどうしようもない」

 どうやら、みんなの都合が一斉に悪くなってしまったらしかった。

 速水はやみ先輩も八千代やちよ先輩も朽木くちき先輩も来ない模様。

 日高ひだかくんの都合も悪いみたい。

「全員欠席ってわけじゃないんですよね?」

「そういうわけじゃないが……残ったメンバーがどうも……」

 そんなことないのでは?

 土御門つちみかど先輩、新田にったくん、氷室ひむろくん、春日かすがさん、磐くん──むッ。

 なんか不安になってきた。

「というわけで、裏見、来てくれないか? バイト代は出す。松平にも声をかける」

 大谷さんにはもう声をかけたけど、ソフトの試合でダメだったらしい。

 あのですね、そういう巻き込み系はNG。

「大学生の自主団体ですよ。深刻に考えすぎです」

「学費の納入方法もよくわからなかった俺を、甘くみないほうがいい」

 それは自慢することじゃないでしょ。

 事務音痴にもほどが──ん? 学費の納入?

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………風切先輩、じぶんで学費を納めてるの?

 私が言葉を止めたからか、先輩は押してきた。

「頼む、東京都の最低賃金の倍出す」

 いや、お金を問題にしてるわけじゃないんだけど……うーん……。

「ちょっと考えさせてください」

 その日は、それで終わりになった。

 風切先輩の口から洩れた、一抹のしこりを残して。

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