324手目 後追い
あとかたづけも終わって、初日は解散。
なんだか疲れる試合が多かった。観戦だけで消耗した一日。
私たち都ノ勢は、キャンパスの中庭に集まった。
反省会は、大谷さんの司会で始まった。
「本日はおつかれさまでした。1年生のみなさんのご活躍、間近で拝見させていただきました。今日はゆっくりとお休みください。個々人の課題については、後日のミーティングで話し合いたいと思います。拙僧からは以上です」
大谷さんは、私と松平にも話を振ってきた。
松平から。
「おつかれさん。将棋の内容について、俺からとくに言うことはない。今日はいろんな大学の1年生と会えて、交流も広がったと思う。ちょっとせこい話になるが、大学将棋では情報収集も重要だ。コミュニケーションの輪は、広く取ってもらえると助かる」
私からはとくになし。
今日の対局で見えたものは、対局者自身が一番よくわかっていると思う。
解散後、1年生はばらばらに行動し始めた。
愛智くんと青葉くんは帰宅。平賀さんは伊能さんたちと食事。
マルコくんは「これからバイトでーす」と言って、新宿方面へ。
残った2年生で雑談していると、風切先輩が顔を出した。
ちょうど校舎から出て来たところだった。
「よ、おつかれさん」
私たちもあいさつを返した。
風切先輩は、
「応援に行けなくて、悪かったな」
と、いきなり謝った。
私は、
「いえ、会長ですし、しょうがないです」
と答えた。
風切先輩は笑った。
「置物だけどな。1年生はどうだった? 結果を見る限り、まあまあだと思うが」
「そうですね……」
1年生が近くにいないことを、私は確認した。
「だいたい予想通りかな、という気もします。フロック負けもなかったです」
風切先輩は、たばねたうしろ髪をくるくるして、
「負けに不思議の負けなし、か……他校の1年はどうだった?」
とたずねた。
私たちは、それぞれ担当した会場の説明をした。
さらに松平は付け加えて、
「知り合いからも情報収集したんですが、女子だと志邨が抜けてるみたいです。これは観戦した実感からもそうです。ノイマンあいてに、中盤から優勢を築いてました」
とコメントした。
大谷さんは、
「A級はどこも、強い1年生が入っているようです。来年度の主軸は、今日の大会の上位陣ではないでしょうか。ベスト16の中から、主将が何人か出るはずです」
と予想した。
風切先輩は、腕組みをして息をついた。
「俺も来年度は4年だし、本格的に世代交代か……裏見は、なにか感想があるか?」
私はすこしばかり考えた。
「……当面は、Bの1年生に注意する必要がありそうです。ノイマンさんと……」
そのとき、こちらへ声をかけてくるひとがいた。
全員でふりかえると、金髪の少年が手を振っていた。
橋爪くんだった。
風切先輩はおどろいて──わずかにとまどいを見せた。
橋爪くんはポケットから手を出すと、背筋を伸ばして、直角に頭をさげた。
「おひさしぶりです」
「ああ、ひさしぶりだな」
橋爪くんは姿勢をもどした。
そして、にっこりと笑った。
「先輩、元気そうでなによりです。会長になったんですね」
「お仕着せみたいなもんだ」
「大学では、なにをしてるんですか?」
「数学」
元奨励会員同士の会話。
橋爪くんは、いかにも昔馴染みという感じだった。
「先輩が奨励会をやめてから、もう4年目でしたっけ」
あたりの雰囲気がすこし変わった。
「そうだな……また橋爪と会えるとは、思わなかった」
「なに言ってるんですか、先輩のほうが俺より昇級早かったのに。先輩がダメだったら、俺じゃダメですよ。だからきっぱり見切りをつけて、進学しました」
風切先輩の顔から、表情が消えた。
まるでじぶんが今どこにいるのか、わからないような感じだった。
橋爪くんは、おやっとなって、
「先輩、どうしました?」
とたずねた。
風切先輩はハッとなり、あてもなく視線を左に向けた。
「すまん、ちょっとつかれててな。ボーッとなった」
「あ、すみません。やっぱ忙しいんですね。じゃあ、またこんど」
橋爪くんはその場から去った。
風切先輩は考え込むように、そっとつぶやいた。
「俺がやめたのは、そういう意味じゃなかったんだが……」
そのあと、私たちも解散した。
風切先輩は役員と飲み会。
キャンパスを出ようとしたところで、例のタイヤの音がした。
磐くんが私たちの横を通り過ぎ、それから折り返して来た。
「いよッ、おつかれさん」
磐くんはその場でくるくるしながら、
「ところで、例の件だが」
と言った。
松平は、
「おいおい、この場はマズいだろ」
とたしなめた。
「だいじょうぶだって、もうみんな帰ってる」
たしかに、あたりにはだれもいなくなっていた。
5局もやっただけあって、そろそろ暗くなりかけている。
松平は声を落として、
「なにか分かったのか?」
とたずねた。
「いやあ、それがな……お手上げだ」
松平は嘆息した。
「俺はあれから見に行ってないが、ひっかからないのか?」
「全然」
磐くんによると、まだ総当たりは完了していないらしい。
私は、
「まだなんとも言えなくない?」
と口をはさんだ。
楽観してるわけじゃないけど、ダメっていうのは終わってから言うものだと思う。
磐くんは、「まあそうなんだが」と部分的に認めて、
「でもな、ハガキのあちこちに謎が残ってるのは、やっぱダメな気がしてきた」
と、これまでの考えをあらためた。
磐くんはもともと、総当たりでなんとかなる派だったから、これは意外だった。
私は、
「急に弱気になったわね」
と牽制した。
「んー、そう言われると参るんだが……俺は最初、聖生の仲間にも分かる単純な暗号のはずだ、って予想したよな。だけど、聖生の仲間は昔から交流があったみたいだし、なにかのヒントで気づく仕掛けになってるのかもしれない」
私は具体例をたずねた。
それは分からない、と磐くんは答えた。
松平は、
「ひとまず、最後まで回してみるしかないだろ」
と、今の作業を続ける提案をした。
「それはもちろん……ところで、そっちのグループは、なにか進展ないの?」
むむむ、そう言われると、こちらに策があるわけでもないのよね。
聖生の息子の名前も、バージニア州の意味も、判明していなかった。
私は、
「ごめん、90年代の経済を調べてみたんだけど、決定打はなにも」
と答えた。
大谷さんも、太宰くんとの調査で進展はないみたいだった。
磐くんは帽子をはずして、またかぶりなおした。
「まあ気楽にやるか。それじゃ、またな」
磐くんはローラーブレードで、その場を駆け去った。
それを見送った私たちは、そのまま家路についた。
○
。
.
その週の金曜日、私は部室に顔を出した。
「こんにちはー」
ドアを開けると、風切先輩が部屋のなかで棒立ちになっていた。
「風切先輩、なにしてるんですか?」
声をかけると、先輩はふりむいた。
「う、裏見、いいところに来たッ!」
ぐッ、なんだか悪い予感がする。
「裏見、次の日曜は空いてないか?」
「えーと、先輩、そういうのは先に用件を言うのがマナーです」
さすがにここは攻める。
「新人戦2日目を手伝って欲しい」
ん? 2日目の手伝い? なんで?
もう都ノの1年生は残ってないんだけど。
「なにかあったんですか?」
風切先輩はこぶしをにぎって、ぷるぷる震えた。
「役員の欠席者が多すぎて、俺だけじゃどうしようもない」
どうやら、みんなの都合が一斉に悪くなってしまったらしかった。
速水先輩も八千代先輩も朽木先輩も来ない模様。
日高くんの都合も悪いみたい。
「全員欠席ってわけじゃないんですよね?」
「そういうわけじゃないが……残ったメンバーがどうも……」
そんなことないのでは?
土御門先輩、新田くん、氷室くん、春日さん、磐くん──むッ。
なんか不安になってきた。
「というわけで、裏見、来てくれないか? バイト代は出す。松平にも声をかける」
大谷さんにはもう声をかけたけど、ソフトの試合でダメだったらしい。
あのですね、そういう巻き込み系はNG。
「大学生の自主団体ですよ。深刻に考えすぎです」
「学費の納入方法もよくわからなかった俺を、甘くみないほうがいい」
それは自慢することじゃないでしょ。
事務音痴にもほどが──ん? 学費の納入?
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……………………
…………………
………………風切先輩、じぶんで学費を納めてるの?
私が言葉を止めたからか、先輩は押してきた。
「頼む、東京都の最低賃金の倍出す」
いや、お金を問題にしてるわけじゃないんだけど……うーん……。
「ちょっと考えさせてください」
その日は、それで終わりになった。
風切先輩の口から洩れた、一抹のしこりを残して。