322手目 フォロー
生河くんの指した手は、4二金。
以下、6八成香──
パシリ
……………………
……………………
…………………
………………あッ。
愛智くんは背筋が伸びた。悪い意味で。
マスクに手をあて、それから前髪をなでた。
平賀さんは、ぎざぎざ眉毛をぴくぴくさせながら、
「こ、これはヤバい」
とつぶやいた。
た、たしかに──けど、まだ分からない。
先手陣には喰らいついているし、後手が即寄りするわけでもない。
愛智くんも椅子をなおして、また読み始めた。
生河くんはポケットに手を入れて、体を左右に揺らしている。
残り時間は先手が10分、後手が4分。
パシリ
同玉。
生河くんは5二金で王手。同歩で王様のサイドが開いた。
生河くんはすぐに飛車を打たず、いったん6八金と手をもどした。
6一銀で一手稼いだかっこう。
愛智くんは5六桂と絡んだ。
平賀さんは、
「これ間に合いますかね?」
とたずねた。
「悪手……ってわけじゃないと思う。ただ、他にもいろいろあったわよね」
「9六歩ですか?」
「それもあったし、いきなり7九銀で襲う順もあったと思う。あと端攻めをするなら、9六桂、同歩、同歩と捨てるほうが有効じゃないかしら」
【参考図】
いずれにせよ、5六桂はインパクトが弱かった。
生河くんも3一飛で、すぐに攻勢へ転じた。
5一銀打、5三歩、7九銀。
おっと、ここで7九銀か。5六桂と組み合わせた技があるっぽい?
同玉、6八桂成、同銀、6九金、8八玉。
愛智くんは角を手にした。
「2二角」
……あッ! むりやり王手龍か。
同龍に5五馬がある。
生河くんは、
「いい手だね」
とうれしそうだった。
ゆっくりと手を伸ばし、同龍。
以下、5五馬、6六角、2二馬、5二歩成、同玉、2二角成。
愛智くんの手が止まった。
んー、後手玉、詰めろくさい。6八金は、4三角、同玉、3二飛成、5三玉、4四銀、6四玉、7五金、5四玉、4三龍までだ。
ピッ
愛智くん、1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
6一玉。先に逃げた。
生河くんは、ここで残り時間を投入。
1分だけ余らせて、5二銀。
7一玉、5一飛成、同銀、7二香。
あう……これは……。
同玉、6一角、8二玉、7一銀。
愛智くんは持ち駒をそろえた。
「負けました」
「ありがとうございました」
生河くんは深々と頭をさげた。
愛智くんはマスクの下で嘆息。
「……5六桂、あんまり意味なかったね。龍消したらなんとかなるかな、と思ったんだけど……けっきょく寄っちゃった。まだ端攻めしたほうがよかったかも」
感想戦が始まった。
生河くんは、
「5六桂も普通にあった手だと思うよ。9六桂は同歩、同歩、5四飛の詰めろ」
と指摘した。
【検討図】
むッ、なるほど、詰めろで、かつ、と金取りか。
生河くんはさらに続けて、
「攻めるなら6九金もあるね。これは3一飛、7二玉、7八金、7九銀、9八玉みたいな進行」
と、別の手を提案した。
【検討図】
6九金かぁ、遅いようで早い。
「このあたりは僕も難しかったし、5六桂が絶対悪いってわけじゃないと思う」
なんかめっちゃフォローしてる。
愛智くんは、
「ノアは、どこで良くなったと思った? 途中は互角だった気がしたんだけど」
とたずねた。
生河くんはくちびるに指をそえて、しばらく黙った。
「……7三歩かな」
「7三歩? ……7四龍に受けたとこ?」
「うん、あそこは7三銀じゃない?」
【検討図】
「これなら5一銀も緩和できるし、王様の周りも固くなるよ」
愛智くん、2度目の嘆息。
「ごめん、それ1秒も考えなかった」
言われてみると納得な手だ。
6二銀成とされる恐れがなくなるし、馬が利いているから切って寄せるのもムリ。
そのあとは中盤の折衝がすこし議論されて、おひらきになった。
「愛智くん、またね」
「ノアもがんばって」
ベスト16は終わり、トーナメント表が更新された。
うーん、意外とまだバラけてる感じ。
私が眺めていると、松平が声をかけてきた。
「B級が2校残ってるな」
そうなのよね──聖ソのノイマンさんと、修身の橋爪くん。
「橋爪くんって、どの子?」
「あそこの金髪」
松平は親指で、会場の一角を示した。
ストリート系ファッションの金髪男子が見えた。
ぶかぶかのパンツにぶかぶかのシャツ。
スケボーで遊んでた学生が、会場に迷い込んだんじゃないかと疑うくらい。
でもほかの男子と話し込んでいて、やたら盛り上がっていた。
そのなかには、修身の栗林くんもいた。
「松平は、橋爪くんの偵察した?」
「ああ、ベスト32までは俺の担当会場だった」
「どういう経歴? 県大会優勝経験者のリストには、入ってなかったと思うけど」
「元奨」
私はおどろいた。
「風切先輩とおなじってこと?」
「ああ、18歳のとき3級でやめたらしい。風切先輩は17歳の3級で辞めた。先輩は浪人してないが、橋爪はしてるって聞いた。たしか辞めたのが高3の3月だ」
「18歳3級って、どのくらいなのかしら?」
松平はむずかしそうな顔をした。
「ひとそれぞれな気がする。それにあとで聞いたんだが、風切先輩は2級になれそうなタイミングでやめたらしい。だから実質17歳2級だ。たらればアリなら、な。だから簡単に比較もできない」
「それ、先輩本人から聞いたの?」
「いや、奥山から教えてもらった。奥山はみんな知ってるって言ってたな」
ほんとぉ? 速水先輩経由の情報なんじゃないかしら。
そうこうしていると、壇上に風切先輩があがった。
「本日の最終戦をおこないます。着席してください」
8人はそれぞれ席についた。
振り駒の音が聞こえる。
ここを勝てばベスト4。2日目の準決勝へ進出だ。
「準備はよろしいでしょうか? ……では、始めてください」
対局開始。
私は松平に、
「どうする? Bは観戦しといたほうがよくない?」
とたずねた。
「そうだな……じゃあ、俺はノイマンを観る。裏見は橋爪を頼む」
「それぞれ交代ってわけね。了解」
私は橋爪くんのテーブルへつけた。
【先手:橋爪大悟 後手:中禅寺ひそか】
けっこう観戦者がいる。
しかも相振り飛車。
近くでみると、橋爪くんはすごく勝ち気な感じの少年だった。
上がり眉で、どことなくハングリーな雰囲気が漂っている。
5六飛、3四飛、9六歩、6二玉、3八銀。
両者、指し手に気迫があって、早い段階から開戦しそうな勢い。
4二銀、7六歩、7二銀、9五歩、7一玉。
静かに観戦していると、横から声をかけられた。
栗林くんだった。
「おッ、都ノの裏見じゃん」
「おひさしぶり。B級昇級おめでと」
「サンキュ……偵察か?」
さいです。
「そんなところ」
「春は大悟が全勝してくれたからな。秋はよろしく」
橋爪くん、Cで全勝してるのか。
まあ妥当っちゃ妥当か。
7五歩、5二金左、4八玉、1四歩、1六歩。
私は、
「銀を上がって行って、すぐに開戦しそうじゃない?」
とたずねた。栗林くんは笑って、
「俺じゃこのレベルはわかんないんだよね」
と言った。
むむむ、だれか解説を。
新田くんに頼みたいんだけど、テーブルを挟んで反対側。
しかも混んでるから移動できない。
大和と修身の学生で、知り合いは栗林くんと新田くんしかいなかった。
仕方がない、ひとりで考えようかな、と思ったところで、栗林くんは、
「そこの大塒に訊けばいいんじゃないか? さっきまで橋爪と指してたしな」
と言った。
栗林くんのとなりにいる、すらっとした背の高い男子が、こちらを見た。
身長は180くらいあるっぽくて、頭は韓国風のキノコヘア。
左のほっぺたに、小さなほくろがあった。
目は半開きのアーモンド型で、落ち着いた雰囲気。
オオトヤ……あ、大和の1年生か。ベスト16にいた子だ。
「今、呼びました?」
「え、あ、その……」
「すぐ開戦しそうか、って、都ノの裏見が訊いてるぞ」
大塒くんは、右手をあごに当てて、そのひじを左手で支えた。
「……この局面なら、できるかもしれないですね」
盤面はすこし進んでいた。
いかにも開戦しそう。
私は、
「3六歩から?」
とたずねた。
大塒くんは、
「ひそかは、そこを読んでると思います。僕も攻めるなら3六歩ですね」
と答えた。
中善寺くんは、かわいらしい顔に険を浮かべて、真剣に読んでいた。
この対局の重要性が伝わってくる。
1分ほどしてこくりとうなずき、右手を伸ばした。
駒音がひびく。
場所:2017年度 関東大学将棋連合新人戦 4回戦
先手:生河 ノア
後手:愛智 覚
戦型:後手中飛車
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △9四歩 ▲2五歩 △9五歩
▲4八銀 △3二金 ▲7八金 △3三角 ▲3六歩 △4二銀
▲3七銀 △4四歩 ▲6九玉 △4三銀 ▲6八銀 △5二飛
▲5八金 △6二玉 ▲7九玉 △5四歩 ▲7七角 △7二玉
▲8八玉 △7四歩 ▲3八飛 △6二銀 ▲3五歩 △同 歩
▲2六銀 △4五歩 ▲3五銀 △7七角成 ▲同 銀 △2七角
▲2八飛 △4九角成 ▲2四歩 △同 歩 ▲1六角 △3八歩
▲6八金右 △3九歩成 ▲4九角 △同 と ▲1六角 △5九と
▲2四銀 △5五角 ▲3七歩 △3六歩 ▲2三銀不成△3七歩成
▲3二銀不成△同 銀 ▲5二角成 △2八と ▲4二飛 △4三銀打
▲同 馬 △同 銀 ▲同飛成 △2九と ▲5二銀 △同 金
▲同 龍 △6一銀 ▲5四龍 △1九角成 ▲5一銀 △5三香
▲7四龍 △7三歩 ▲6二銀成 △同 銀 ▲2四龍 △5七香成
▲2一龍 △5一歩 ▲3二龍 △5二飛 ▲4二金 △6八成香
▲6一銀 △同 玉 ▲5二金 △同 歩 ▲6八金 △5六桂
▲3一飛 △5一銀打 ▲5三歩 △7九銀 ▲同 玉 △6八桂成
▲同 銀 △6九金 ▲8八玉 △2二角 ▲同 龍 △5五馬
▲6六角 △2二馬 ▲5二歩成 △同 玉 ▲2二角成 △6一玉
▲5二銀 △7一玉 ▲5一飛成 △同 銀 ▲7二香 △同 玉
▲6一角 △8二玉 ▲7一銀
まで117手で生河の勝ち