表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第7章 アルバイト(2016年4月25日月曜)
33/487

32手目 練習試合

「……6五歩」


挿絵(By みてみん)


 私は、6筋を自分から開けた。

 たちばなさんは目を細めて、

「取りましたか……それくらいしか、ないのかもしれませんが……」

 と呟いた。実際、これしかなかったと思う。

 ただ、読みは入れてあるし、まだ諦めたわけじゃないわよ。

 橘さんは、すぐに8八角成と成った。罠だと警戒している様子はない。

「同玉」

「7五歩です」

 私は、即座に6六角と切り返す。


挿絵(By みてみん)


 1一角成と7五角の両取り。香車と歩だから冴えないけど、これ以外は6筋を支えられないと判断した。相手の本線は、香車取りを阻止して、5五歩だと思う。以下、7五角と歩を払って、6五銀、6六歩。問題は、そこで7四銀と引かれたときが問題だ。その対応を考えるのに時間を使ったと言っても、過言じゃない。

 橘さんは、私の工夫にだんだんと気づき始めたのか、

「意外と難しいですか……」

 とつぶやき、お茶を飲んで、ひと呼吸おいた。そして、5五歩と置いた。

 7五角、6五銀。

「6六歩」

「次の手で、どうするのですか? 7四銀」

 8四角、7二飛、5五歩。


挿絵(By みてみん)


 私は、ちょっとずつ時間を使う。成立しているはずなんだけど、自信がない。

 橘さんは持ち駒の歩に手を伸ばして、動きを止めた。

「……」

 橘さんは、歩から手をはなし、両膝のうえで手をそろえた。盤面をにらむ。

 気づいた? 気づいたっぽい?

「そうか……歩切れ……」

 間違いない。私の狙いに気づいた。

 ここで8三歩とされると、角が死んでいる。7三角成と切るか、7五角、同銀、同歩の角銀交換に持ち込むかの二択。私は、後者で先手がそこそこ指せるという読み。7五角、同銀、同歩のとき、後手は歩切れになっているのだ。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)


 7七歩とは叩けないし、1筋を詰め切っていないから、調達することもできない。

 ムリヤリ8五桂と跳ねてきたら、8六歩から桂馬を取り切る順すらありそう。

 もちろん、先手が有利になっているわけじゃないから、橘さんが8三歩と指してくる可能性もゼロではない。そうなったら、さっきの読みで、角と銀桂の2枚換えになるかどうかが焦点だ。私の腕が試される。

 残り時間は、私が3分、橘さんも3分で並んだ。 

「6二金」


挿絵(By みてみん)


 うわぁ……一番イヤな手で返してきた。

 次に8二飛と寄って、歩を温存したまま角銀交換に持ち込もうという手だ。

 動かざるをえなくなった。私は2四歩と攻めに出る。

 同歩、2五歩、同歩、2四歩。

 拠点づくりに成功。橘さんも押されていると感じたらしく、小刻みに時間を使った。

「ここで8二飛……いや、それは銀を渡して不利……」

 2筋を詰められてるから、金駒かなごまは渡しにくいはず。

 私はさっきよりも背筋が伸びてきた。逆に、橘さんのオーラが萎縮し始める。

 

 ピッ

 

 15分を使い切った。時間が先になくなったのは、橘さん。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!


挿絵(By みてみん)


 端攻め……私は、とりあえず2五飛と浮いて、2二歩を強要した。

 そのあと……ん? 手がない? ……自主的に7五角はやり過ぎな気がする。

 私は30秒ほど考えて、9五歩と端を取り返した。

 9七歩、9四歩(9七同香は8五桂)、3三桂、2八飛、8二飛。

 やっと飛車を回ってくれた……けど、ここで7五角は、同銀、同歩、8五桂で、次に7七歩がある。歩切れになっていない。それに、9四香を絡める手順もありそう。

 

 ピッ

 

 私も30秒将棋に。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「9三角成ッ!」


挿絵(By みてみん)


 端攻めに便乗する。これなら、端のプレッシャーを緩和できる。

「捨て身で来ましたか。同香です」

 同歩成、8四飛。

 この次が難しい。2七香と据えたいけど、ここから8五桂と先跳ねされると困る。

 時間が切迫するなか、私は必死に考えた。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「先受けッ! 7七桂ッ!」

 跳ねられる前に跳ねる。

「それは受けになっていません。8五桂」

「これを見落としてませんかッ!?」


挿絵(By みてみん)


 橘さんは、かるくうめいた。

「くッ……受けになっていましたか」

 8五桂、2七香、7七桂成、同金寄、8五桂の打ち直しを読んでいたんでしょうけど、これなら8五桂と打ち直せない。受かっている。

「しかし、こちらの有利には変わりません。7七桂成」

 同金寄、8五歩。

 た、たしかに攻め自体は続いてそう。

 私は29秒まで考えて、5四桂と置いた。

「8六歩」

 指し手が速い。そっちも29秒考えてくださいな。

 私は前傾姿勢になって、6二桂成と4二桂成を比較した。6二桂成なら純粋に駒得。でも、王手にならないから、9六角と打たれて崩壊する可能性が高い。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 ぎりぎりのところで4二桂成として、私はチェスクロを押した。王手だ。

「同玉」

「9五銀」


挿絵(By みてみん)


 飛車に当てつつ受ける。8七歩成から突っ込むのは、さすがにムリでしょ。

 かなりトリッキーな受けで、橘さんも、にわかに姿勢を崩した。

「さすがに寄っているのでは……?」

 寄せれるものなら、寄せてみなさい。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「9六桂ッ!」

 空いたスペースに桂馬を打ってきた。王手……だけど、9七玉でもよくない?

 9七玉、8八角、同金(9六玉は8五銀で詰み、9八玉は7七角成が詰めろ)、同桂成に8四銀と取れば、8七金でも詰まないから……上部を押さえられる? でも、それなら8八の成桂を取って良しよね。

 とはいえ、怖いほうに逃げるメリットもないと言えばないし……。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「7九玉ッ!」

 私は広いほうに逃げた。

 すかさず3九角が打ち込まれる。

「飛車取り……?」

 飛車は渡せないけど、3八飛で死んでるわよね?

 あ、もしかして5七角成と切ってから、8四の飛車を逃げるつもり?

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 私は3八飛と寄った。

「かかりましたね……4七角です」


挿絵(By みてみん)


 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

「み、右が広くないッ!?」

 4七同銀は5七角成、3九飛は5八角成で挟撃形になる。

 私は慌てて、脱出経路の構築を模索した。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「8四銀ッ!」

 飛車を取って、上部脱出。これなら、さっき9七玉のほうが良かったかも。

 とにかく時間がない。橘さんは即座に3八角成で、時間攻めしてきた。

 8六金、9八歩成、9六金――開拓、開拓。

「さすがにそれは無理筋です。8九飛」

 うッ……王手された。6八玉と逃げる。

 橘さんは、その細いひとさし指で、と金をスッと寄せた。


挿絵(By みてみん)


 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………ムリ

「負けました」

「ありがとうございました」

 いやあ……私は天井を仰いでから、お茶をひと口飲んだ。

 急転直下に寄ってしまった。右側が一気に狭くなるなんて、完全に誤算。

「最後、9六桂と打たれたときに、9七玉でしたか?」

「若干気にしていましたが、それは8八角でしょう」

 私たちは、盤面をもどした。


【検討図】

挿絵(By みてみん)


 私たちは駒を動かさずに、読みを入れた。

「はて、わたくしのほうがいいかと思いましたが……」

 橘さんは、簡単ではないことを認めた。

「8四銀に対して、後手がどうするかですよね。8七金が有力だと思います」

「8七金、9六玉、7七金……そこで9五玉のとき、入玉は阻止できますか?」

 橘さんの問いに、私は考え込む。

「7七金のまえに、なにか工夫できませんか?」

「例えば……9四歩で詰めろをかけて、同と、7七金が再度詰めろですか」


【検討図】

挿絵(By みてみん)


「8六玉としても8七成桂以下で詰みますし、9五飛の受けは7八角、8六玉、8七角成で詰みですから、もしかすると必至かもしれません」

 ふむふむ、どうやら、9七玉も寄っていたようだ。

「30秒将棋ですから、こっちに賭ける手もあったかな、と」

 橘さんは、自分の棋力を疑われたみたいで、若干ムッとした表情を浮かべた。

 おっとっと、先輩の機嫌を損ねちゃった。

 とはいえ、そこは大学生。すぐに切り替えてくれた。

裏見うらみさんのほうで、なにかご質問は?」

「……対局中は気づかなかったんですが、4七角に1八飛ってありました?」


【検討図】

挿絵(By みてみん)


 橘さんは、「ありません」と即答した。

「2六桂と打って、8四銀、1八桂成、8六金、9八歩成以下、本譜と同じです」

 あ、そっか、桂馬で露骨に取っちゃえばいいのか。

「終盤は、こっちが全然ダメってことですね。どこがおかしかったですか?」

「角でガードする構想にムリがあったのでは?」

 うーん、そこがダメなら、中盤で悪いことになってしまう。

「8二飛に7五角、同銀、同歩のほうがまさってました?」

 私たちは、さらに局面をもどした。


【検討図】

挿絵(By みてみん)


「8五桂と仮定して、裏見さんの手は?」

「そうですね……2三銀と打ち込むのが、結構キツいと思います」

 同歩、同歩成、同金、同飛成のとき、持ち駒が歩銀角。受けるなら2一銀しかない。

 だけど、橘さんは、私の読み筋に小首をかしげた。

「2一銀で受かっているように見えます。そこから、どうしますか?」

「んー……3四龍とか、どうですか?」

「2五角で龍銀両取りですが?」

 ぐッ、失言だった。私は考え直したけど、いい手が思い浮かばなかった。

 これはこれで、ダメなのかも。

 私はお茶を飲み干して、息をついた。洗い場から、水の音がする。

宗像むなかたさん、手伝いましょうか?」

 橘さんは、そう声をかけた。宗像さんは、もう時間外だからいいと答えた。

「では、迷惑がかからないうちに、わたくしたちも解散致しますか」

「そうですね……ありがとうございました」

「ありがとうございました」

 私たちは挨拶をして、こまをあとにした。

 ふたりで駐輪場へ向かう。橘さんは、古めかしいママチャリを押した。

「橘さん、前回は自転車じゃなかったですよね?」

「あのときは、ぼっちゃまが自転車を使う番だったので」

 2人で1台かい。どうやら経済事情は、相当切迫しているらしい。

「ってことは、歩いて来れる距離?」

「はい、歩こうと思えば……しかし、夜道は危ないですから」

 うーん、どうかしら。このへんって、そんなに治安は悪そうじゃないし、むしろ、ママチャリに乗ってるメイドさんとすれ違うほうが怖いと思う。特に夜中は。

晩稲田おくてだのキャンパスは、この近くなんですか?」

「いいえ、まったく。高幡不動たかはたふどうにぼっちゃまの知り合いがいて、家賃をタダにしてもらっているのです。晩稲田のキャンパスがある場所は、どこも家賃が高いので」

 そういうことか。なんでわざわざ電車通学しているのか謎だったけど、納得。

 車道に出たところで、お別れ。それぞれ反対方向になる。

「それでは、お気をつけて」

「橘先輩も、気をつけてください」

 自転車を漕ぐ。春の夜風が心地いい。でも、気分は冴えなかった。

 私の将棋、もっと鍛えないとダメかなあ……1回戦負けしちゃいそう。

場所:将棋サロン『駒の音』

先手:裏見 香子

後手:橘 可憐

戦型:矢倉(後手阿久津流急戦)


▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀 △3四歩 ▲6六歩 △6二銀

▲5六歩 △5四歩 ▲4八銀 △4二銀 ▲5八金右 △3二金

▲6七金 △4一玉 ▲7七銀 △5三銀右 ▲2六歩 △5五歩

▲同 歩 △同 角 ▲2五歩 △5四銀 ▲2四歩 △同 歩

▲同 飛 △3一玉 ▲2八飛 △4四角 ▲4六歩 △5二飛

▲4七銀 △2三歩 ▲6八玉 △6四歩 ▲5六歩 △7四歩

▲7九玉 △7三桂 ▲7八金 △1四歩 ▲9六歩 △9四歩

▲6八銀 △6五歩 ▲5七銀 △6二飛 ▲5八銀 △5一金

▲6五歩 △8八角成 ▲同 玉 △7五歩 ▲6六角 △5五歩

▲7五角 △6五銀 ▲6六歩 △7四銀 ▲8四角 △7二飛

▲5五歩 △6二金 ▲2四歩 △同 歩 ▲2五歩 △同 歩

▲2四歩 △9五歩 ▲2五飛 △2二歩 ▲9五歩 △9七歩

▲9四歩 △3三桂 ▲2八飛 △8二飛 ▲9三角成 △同 香

▲同歩成 △8四飛 ▲7七桂 △8五桂 ▲8六歩 △7七桂成

▲同金寄 △8五歩 ▲5四桂 △8六歩 ▲4二桂成 △同 玉

▲9五銀 △9六桂 ▲7九玉 △3九角 ▲3八飛 △4七角

▲8四銀 △3八角成 ▲8六金 △9八歩成 ▲9六金 △8九飛

▲6八玉 △8八と


まで104手で橘の勝ち

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=891085658&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ