319手目 既視感
コンビニへ到着して、棚を見てまわる。
うーん……どうしましょ。コンビニってあんまり使わないのよね。
大学生になってから、かえって使用頻度が減った気がする。
おにぎりでいいかな。
手に取ろうとしたところで、ガーッというローラーブレードの音が聞こえた。
ふりむくと、案の定、磐くんだった。
「よぉ、飯か?」
あいさつくらいしてくださいな。
「そうよ。首都工も?」
磐くんは、その場でくるくると回った。
危ない。
「主将だからな。ところで、例の件だが……」
私はサッと周囲に視線を走らせた。
最寄りのコンビニだから、明らかに将棋部員っぽいひとがちらほらいた。
「磐くん、それはまた別の日でよくない?」
「っと、そうだな。首都工の1年もまだ残ってるし、当たったらよろしくぅ」
磐くんはポケットに手をつっこんで、スーッと弁当コーナーへ移動した。
店員さんの悲鳴があがる。
「お客さまッ! そちらは床が濡れてますッ!」
磐くんは滑ってそのまま棚につっこんだ。
○
。
.
午後の部開始前、八千代先輩はメガネをなおしながら、会場を見回した。
「本大会は、近隣住民のみなさまのご協力に支えられています。迷惑をかける行為は、厳に慎んでください」
なんか既視感がある。
「それでは、新人戦第3局をおこないます」
まだ32人いるから、ふたつの教室に分かれている。
私は午前とおなじ、広めの会場。
指すメンバーは変わっていて、第3会場から流れて来たひとがいるっぽい。
平賀さんの姿もあった。私はその近くで待機。
あいてはロングボブの男子で、長袖の柄シャツに薄ベージュのデニム。
カワイイ系。目もぱっちりしている。名前は、中禅寺くん。
大和の1年生だ。ようするにA級の新人。
「対局準備はよろしいでしょうか?」
とくに返事はなし。
「では始めてください」
「よろしくお願いします」
中禅寺くんの先手。平賀さんはチェスクロを押した。
7六歩、8四歩、5六歩、6二銀、5八飛。
【先手:中禅寺ひそか(大和) 後手:平賀真理(都ノ)】
中飛車。
中禅寺くんが振り飛車党なのは、松平のメモでチェック済み。
第1局は三間、第2局は四間。どこにでも振れるタイプか。
4二玉、4八玉、3二玉、3八玉、3四歩、5五歩。
さすがに序盤は速い。
5二金右、2八玉、3三角、6八銀、8五歩、7七角、2二玉。
後手は穴熊っぽい?
5七銀、4四歩、1六歩、1二香、1五歩、1一玉。
平賀さん、穴熊を選択。
先手の方針は?
「……1八香」
先手も穴熊。長期戦のかまえ。
4三金、1九玉、2二銀、2八銀、7四歩、5六銀。
そこまで枚数の多い穴熊にはならなさそう。
私がそんなことを考えていると、太宰くんがあらわれた。
「裏見さん、おつかれ」
「太宰くん、来てたの?」
「主将だからね」
午前中はいなかったような気がしたけど。重役出勤?
太宰くんは局面を見て、
「中禅寺のゴキゲンか」
と言った。
私はふと思い出したことがあった。
「太宰くん、G馬の県代表だったわよね?」
「ん? そうだけど?」
「中禅寺くんはT木出身だから、よく知ってるんじゃない?」
T木の県代表らしい。このへんは三宅先輩が調べてくれていた。
ところが太宰くんは、
「特に親しいわけじゃあ……学年も違うし……」
と、言葉をにごした。
「そうなの? T木とG馬って隣同士じゃない?」
西日本人にとって県の位置があいまいなトップ5くらいに入るけど、隣接してるのはさすがにおぼえている。
「じゃあ裏見さんは、O山の将棋指しをみんな知ってるの?」
……………………
……………………
…………………
………………
「知らないわね」
「でしょ。高校生は、県外へほいほい行かないよ。U都宮に用事ないし」
「餃子とか食べないの?」
「G馬にも美味しい餃子はあるんだけど……裏見さん、東日本に偏見持ってない?」
いや、そういうわけでは……まあ私も、O山へきび団子食べに行かないけど……。
太宰くんは帽子をなおした。
「そもそもご当地料理ネタなんて、眉唾なのが多いじゃないか。H島県民はH島焼き毎日食べるの?」
は? 今H島焼きって言ったわね?
「太宰くん、H島焼きっていう食べ物は、この世にないのよ」
「……なんか触れちゃいけない話題だった気がするな。将棋の話をしようか」
逃げましたね。まあいい──って、局面がめっちゃ進んでるじゃないですかッ!
んー、6四歩、4六歩、5一銀、3九金、4二銀みたいな感じ?
そのあと4七銀、2四角と覗いたっぽい。
中禅寺くんは5六飛と浮いた。
「3一金と固めそう?」
「攻めるなら7二飛だけど、さすがにやりすぎか。固める手順はいくつかある。裏見さんが言った3一金もそうだし、3二金あるいは3一銀もありそう。ただ3一金が最善かな」
パシリ
あ、違った。7三桂だった。
太宰くんはこの手を見て、小考。
「……これもアリなのかな。ちょっとムリ気味な気もするけど」
むむむ、平賀さん、前のめりはダメよ。
太宰くんはいろいろと読んで、
「先手は6八角で不発にできると思うんだよね。以下、3一金、3六銀、9四歩、4五歩と仕掛ければ、先手から先攻できる」
とコメントした。
中禅寺くんはちょっと考えて、それから3六銀とした。
角を引かなかったわね。
しかも平賀さんは3五歩ですぐに追い返した。
4七銀、8六歩、同歩、4五歩、5八金、4六歩。
唐突な殴り合いに。形勢判断がむずかしい。
「どっちが有利ってわけでもなさそう?」
「そうかも……うっかりに気をつけたい局面だ」
4六同銀、8八歩。
平賀さんは、9筋の突き合いがないところを狙った。
桂馬を逃げる余地がない。
この手があるなら、たしかに6八角と逃げておきたかったかも。
中禅寺くんは5四歩と突いた。
同歩、7五歩、8九歩成、7四歩、6五桂。
中禅寺くん、ここで長考。
平賀さんがいい感じの勢い。
私も読んでいると、太宰くんは、
「僕は後輩の応援があるから、ここらへんで」
と言って、その場を去った。
1分、2分、3分と経過していく。
なかなか指さないわね? 困ってる?
だけど中禅寺くんの雰囲気は、そうでもない。
分岐が多いのかしら。単に逃げるなら6六角よね。
以下、4四桂、同角、同金、7三歩成、9二飛で、どうか。
【参考図】
形勢判断がむずかしい。後手のほうがちょっと攻めやすいかな。
先手はバランスがそんなによくない。
もうひとつは6八角と引く手。以下、9九と、7三歩成も有力だ。これは9二飛、7六飛と回る順があるから、6六角のパターンよりも良さそう。
いよいよ5分が経過した。
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…………………
………………ん? もしかして切る順がある?
【参考図】
これは……んー、即断できない。
後手の王様を露出させてから7三歩成。全然アリだ。
問題は角を渡していいのかどうか、よね。
後手としては6九角と反撃したくなる。放置なら5八角成、同飛に4七金と置く手が生じる。これは先手が悪いと思う。もちろん、先手が冷静に対処すればいいだけの話。4八金とか。6九角がムリ筋となれば、一本3六歩、あるいは単に9九と。
この分岐を読んでるっぽい? だとすれば5分の長考も納得がいく。
中禅寺くんから、序盤のカワイイ雰囲気は消えていた。将棋指しの顔になっている。
7分が経過したところで、ついに動いた。
パシリ