315手目 金満
※ここからは、太宰くん視点です。
喫茶店の片隅。
国立国会図書館の帰り道、僕と大谷さんはひと休みすることになった。
僕はカバン一杯になった資料を整理する。
テーブルのうえが紙でいっぱいに。
「90年代のサブカルチャーを中心に集めたけど、どうなるやら」
「聖生が当時20代だったと仮定するならば、よい方針だと思います」
それを大谷さんに言われても、説得力がちょっと。
悪口とかじゃなくて。
ひとまず僕たちは、国会図書館で90年代のマンガ雑誌、カルチャー雑誌、テレビ情報などを集めた。インターネットはまだ普及していなかったから、若者文化は紙媒体で流れていたはずだ。もちろん全部はコピーできなかった。目次や番組欄だけコピーした。
僕は目を通しながら、
「大谷さんは、スマホ持ってないんだっけ?」
とたずねた。
「はい」
「スマホを持っていないのに、どうやって情報を集めてるの?」
大谷さんは、質問の意図をつかめなかったようだ。
どういう意味でしょうか、と返してきた。
「90年代にも、スマホはなかったよね。そもそも90年代前半は、携帯電話自体が普及してなかっただろうし、あってもネットにつながっていなかったはずだ。そういう時代のひとたちは、どうやって情報を集めて、どうやってコミュニケーションをとってたんだろう、と思ってね」
「拙僧は世事にうとく、そもそも情報は集めておりません」
「でも、常識的な範囲で知識はあるよね? その入手先を知りたい」
「将棋部での会話以外に、しぃちゃんと遊ぶときや、女子ソフトの知り合いと話しているときでしょうか。拙僧から積極的に調べることは、ほぼありません」
んー……ってことは、90年代も会話が中心なのかな。
そういえば、口頭伝達のスピードは、かなり速いって聞いたことがある。
北海道発のうわさでも、九州まですぐに届いていたらしい。
今はネットで一瞬だから、それよりは遅いとしても。
「大谷さん、本は読む?」
「もちろん」
「雑誌は?」
「『月刊僧侶』を講読しています」
「……それって、おもしろいの?」
「はい」
そっか……うーん……なんとも判断がつかない。
これなら僕の母さんにあとで訊いたほうが、正確そうだ。
大谷さんが特殊過ぎる。
「話を変えるけど、90年代って、じつは文化成熟期なんだよね」
「そのようです。バブル崩壊で日本経済は悪化しましたが、文化に対する投資は、90年代中頃までかなり盛んだったようですね」
「有名なゲームも、だいたいその頃出てるかな。僕はさすがに遊んだことないけど。そのなかにノエルっていうキャラが出てくるものもあるみたいだ」
「しかし、ゲームキャラを名乗る意味などないのでは?」
あ、大谷さん、そういうところでわからなくなるのか。
ゲームキャラの名前を使うのは、よくあると思う。
ただそれが聖生の語源かと言われると、ちがう気がしていた。
「もっと大きい意味合いの言葉だとは思う」
「外国語という可能性はありませんか?」
「ああ、それは調べたよ。例えばフランス語だと、クリスマスをノエルというね」
大谷さんは意外そうな顔をした。
「そうなのですか? では『聖』の字が入っているのも納得がいきます」
そう、そしてクリスマスはイエス・キリストが生まれた日だから、まさに聖生だ。
これはかなりまえに気づいていて、いろいろと推理に応用しようとした。
でもなんの解決にもつながらなかった。
「ノエルがクリスマスの意味なら、12月25日、例えば1225という数字にはなる」
「そこに157が足りなかったのであれば、もとは1382ということになります」
「その数字に意味があるかどうか、どうしてもわからない。だから90年代のクリスマス文化を調べたほうがいいのかな、とすら思ってる」
というわけで、90年代の12月の記事はわりと集めた。
それをちらちら読んでみる……微妙。
僕はコーヒーで一服した。
「それにしても、この時代はまだバブルの余韻があるんだな。みんなお金持ちだ」
「というと?」
僕は雑誌のコピーのひとつをみせた。
「バッシュ特集って書いてあるよね。これはバスケットシューズの略。中学生や高校生がこういうものをコレクションするなんて、今じゃ考えられない。こっちのG-SHOCKは、多機能腕時計だね。こういうのをどんどん買えた時代なんだ」
大谷さんは、左様ですか、という反応。
なんか馬耳東風という感じ。
「ほかにも、奨学金受給率がそうだよね。90年代の大学生の奨学金受給率は、20%くらい。それが今では50%を超えていて、2人に1人は奨学金をもらっている。しかもその大半は貸与型で、実質は借金だ」
大谷さんは両手をあわせた。
「うすうす感じておりましたが、日本はどんどん貧しくなっているのかもしれません」
うすうすっていうのが気になる──あ、そっか、大谷さんの実家ってお寺だよね。
地方の地主階級。たぶんけっこうお金持ちだな。
裏見さんとかは、ザ庶民って感じがする。
火村さんは……一番よくわからない。じつは大富豪?
と、スマホが振動した。松平からのMINEだった。
「……プログラムが完成したみたいだ」
「それはめでたいことです。しかし、どうやって文章を調べるのでしょう?」
そこはあのふたり、とくに磐の才能に期待するしかない。
「ひとまず、開発現場を信頼するってことで」
「その点で、ひとつお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「磐さんをこのメンバーに加えたのは、どのような意図がおありで?」
僕はコーヒーを飲んだ。ちょっとごまかしたようなタイミング。
じっさいごまかしに近いというか、考える時間が欲しかった。
「……磐の理工系スキルは、ずば抜けてると思う」
「そこは拙僧も同意いたします。磐さんは高校時代も有名なかたでした」
「だね。全国大会で目立ってた。なんか変な発明品持って来てたでしょ」
「2年生のとき赤外線カメラを持って来て、揉めていた記憶はあります」
ああ、あれね。女子の下着を透視する気なんじゃないか、とかで没収されてたな。しかも「透ける生地と透けない生地があるんだぞッ!」と抗弁したせいで、逆に疑いが深まったパターン。
「とはいえ、理系のスキルであれば、氷室さんも突出している印象があります」
なるほど、そこへ振ってくるか。答えにくい質問だ。
暗号解読なら、氷室の数学知識は最適解。
僕は遠回しに、
「磐は聖生じゃないし、口が堅いと思った」
と答えた。
「氷室さんも聖生ではない、とおっしゃられませんでしたか? それとも口が軽いと?」
深堀りしてくる。正直に答えたほうがよさそう。
「……もうひとつは出身地」
僕の返答は、大谷さんをおどろかせなかった。
だいたい予想がついてたってことだ。
「東京出身のかたを入れない……という方針をとられたわけですね」
「うん、そしてその理由も、大谷さんならわかってるんじゃない?」
大谷さんはうなずいた。
「東京出身のかたは、関東大学将棋連合の最大派閥です。横のつながりもあり、だれがだれとつながっているのか、読むのが難しいところがあります」
「それと、帝大に聖生がハガキを送ったなら、東京に関係者がいる可能性は高い。だから東京出身の氷室にははずれてもらって、S岡出身の磐を入れた。磐が東京へちょくちょく遊びに行ってなかった、っていうのは確認済み」
僕たちはそのあと、コピーを手分けして調べた。
90年代の雰囲気は、それなりにつかめた。でも核心となる情報はなかった。
お代わりのコーヒーも空になり、かれこれ3時間。
僕たちは切り上げることになった。会計を済ませて、お店のまえで別れる。
「それじゃ、またこんど」
「道中、お気をつけください」
大谷さんは両手を合わせて、丁寧に頭をさげた。
なんか成仏させられそう。僕は反対方向へ歩き始めた。
すると、知り合いに声をかけられた。
心理学科の同学年の男子だった。
大学から離れたところを選んだのに。大学生の行動範囲は広い。
「おーい、太宰、なにやってんだ。危ないじゃないか」
ん? ……もしかして盗み聞きされてた?
僕はドキリとした。ここはとぼけておこう。
「危ないって、なにが?」
「宗教勧誘されてただろ。美人だからって話を聞いちゃダメだぞ。あのカタログの山はなんだ? 壷でも売られてたのか?」
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たしかにそう見えるな。
大谷さん、このプロジェクトのときだけふつうの服装にしない? ダメ?
いや、それとも彼女の服装のおかげで助かった?
次回はもっと慎重に会おう──大谷さん、スマホ買って。お願いします。