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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第51章 失われた葉書(2017年5月26日金曜)
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315手目 金満

※ここからは、太宰だざいくん視点です。

 喫茶店の片隅。

 国立国会図書館の帰り道、僕と大谷おおたにさんはひと休みすることになった。

 僕はカバン一杯になった資料を整理する。

 テーブルのうえが紙でいっぱいに。

「90年代のサブカルチャーを中心に集めたけど、どうなるやら」

聖生のえるが当時20代だったと仮定するならば、よい方針だと思います」

 それを大谷さんに言われても、説得力がちょっと。

 悪口とかじゃなくて。

 ひとまず僕たちは、国会図書館で90年代のマンガ雑誌、カルチャー雑誌、テレビ情報などを集めた。インターネットはまだ普及していなかったから、若者文化は紙媒体で流れていたはずだ。もちろん全部はコピーできなかった。目次や番組欄だけコピーした。

 僕は目を通しながら、

「大谷さんは、スマホ持ってないんだっけ?」

 とたずねた。

「はい」

「スマホを持っていないのに、どうやって情報を集めてるの?」

 大谷さんは、質問の意図をつかめなかったようだ。

 どういう意味でしょうか、と返してきた。

「90年代にも、スマホはなかったよね。そもそも90年代前半は、携帯電話自体が普及してなかっただろうし、あってもネットにつながっていなかったはずだ。そういう時代のひとたちは、どうやって情報を集めて、どうやってコミュニケーションをとってたんだろう、と思ってね」

「拙僧は世事にうとく、そもそも情報は集めておりません」

「でも、常識的な範囲で知識はあるよね? その入手先を知りたい」

「将棋部での会話以外に、しぃちゃんと遊ぶときや、女子ソフトの知り合いと話しているときでしょうか。拙僧から積極的に調べることは、ほぼありません」

 んー……ってことは、90年代も会話が中心なのかな。

 そういえば、口頭伝達のスピードは、かなり速いって聞いたことがある。

 北海道発のうわさでも、九州まですぐに届いていたらしい。

 今はネットで一瞬だから、それよりは遅いとしても。

「大谷さん、本は読む?」

「もちろん」

「雑誌は?」

「『月刊僧侶』を講読しています」

「……それって、おもしろいの?」

「はい」

 そっか……うーん……なんとも判断がつかない。

 これなら僕の母さんにあとで訊いたほうが、正確そうだ。

 大谷さんが特殊過ぎる。

「話を変えるけど、90年代って、じつは文化成熟期なんだよね」

「そのようです。バブル崩壊で日本経済は悪化しましたが、文化に対する投資は、90年代中頃までかなり盛んだったようですね」

「有名なゲームも、だいたいその頃出てるかな。僕はさすがに遊んだことないけど。そのなかにノエルっていうキャラが出てくるものもあるみたいだ」

「しかし、ゲームキャラを名乗る意味などないのでは?」

 あ、大谷さん、そういうところでわからなくなるのか。

 ゲームキャラの名前を使うのは、よくあると思う。

 ただそれが聖生のえるの語源かと言われると、ちがう気がしていた。

「もっと大きい意味合いの言葉だとは思う」

「外国語という可能性はありませんか?」

「ああ、それは調べたよ。例えばフランス語だと、クリスマスをノエルというね」

 大谷さんは意外そうな顔をした。

「そうなのですか? では『聖』の字が入っているのも納得がいきます」

 そう、そしてクリスマスはイエス・キリストが生まれた日だから、まさに聖生のえるだ。

 これはかなりまえに気づいていて、いろいろと推理に応用しようとした。

 でもなんの解決にもつながらなかった。

「ノエルがクリスマスの意味なら、12月25日、例えば1225という数字にはなる」

「そこに157が足りなかったのであれば、もとは1382ということになります」

「その数字に意味があるかどうか、どうしてもわからない。だから90年代のクリスマス文化を調べたほうがいいのかな、とすら思ってる」

 というわけで、90年代の12月の記事はわりと集めた。

 それをちらちら読んでみる……微妙。

 僕はコーヒーで一服した。

「それにしても、この時代はまだバブルの余韻があるんだな。みんなお金持ちだ」

「というと?」

 僕は雑誌のコピーのひとつをみせた。

「バッシュ特集って書いてあるよね。これはバスケットシューズの略。中学生や高校生がこういうものをコレクションするなんて、今じゃ考えられない。こっちのG-SHOCKは、多機能腕時計だね。こういうのをどんどん買えた時代なんだ」

 大谷さんは、左様ですか、という反応。

 なんか馬耳東風という感じ。

「ほかにも、奨学金受給率がそうだよね。90年代の大学生の奨学金受給率は、20%くらい。それが今では50%を超えていて、2人に1人は奨学金をもらっている。しかもその大半は貸与型で、実質は借金だ」

 大谷さんは両手をあわせた。

「うすうす感じておりましたが、日本はどんどん貧しくなっているのかもしれません」

 うすうすっていうのが気になる──あ、そっか、大谷さんの実家ってお寺だよね。

 地方の地主階級。たぶんけっこうお金持ちだな。

 裏見うらみさんとかは、ザ庶民って感じがする。

 火村ほむらさんは……一番よくわからない。じつは大富豪?

 と、スマホが振動した。松平まつだいらからのMINEだった。

「……プログラムが完成したみたいだ」

「それはめでたいことです。しかし、どうやって文章を調べるのでしょう?」

 そこはあのふたり、とくにばんの才能に期待するしかない。

「ひとまず、開発現場を信頼するってことで」

「その点で、ひとつお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「どうぞ」

「磐さんをこのメンバーに加えたのは、どのような意図がおありで?」

 僕はコーヒーを飲んだ。ちょっとごまかしたようなタイミング。

 じっさいごまかしに近いというか、考える時間が欲しかった。

「……磐の理工系スキルは、ずば抜けてると思う」

「そこは拙僧も同意いたします。磐さんは高校時代も有名なかたでした」

「だね。全国大会で目立ってた。なんか変な発明品持って来てたでしょ」

「2年生のとき赤外線カメラを持って来て、揉めていた記憶はあります」

 ああ、あれね。女子の下着を透視する気なんじゃないか、とかで没収されてたな。しかも「透ける生地と透けない生地があるんだぞッ!」と抗弁したせいで、逆に疑いが深まったパターン。

「とはいえ、理系のスキルであれば、氷室ひむろさんも突出している印象があります」

 なるほど、そこへ振ってくるか。答えにくい質問だ。

 暗号解読なら、氷室の数学知識は最適解。

 僕は遠回しに、

「磐は聖生のえるじゃないし、口が堅いと思った」

 と答えた。

「氷室さんも聖生のえるではない、とおっしゃられませんでしたか? それとも口が軽いと?」

 深堀りしてくる。正直に答えたほうがよさそう。

「……もうひとつは出身地」

 僕の返答は、大谷さんをおどろかせなかった。

 だいたい予想がついてたってことだ。

「東京出身のかたを入れない……という方針をとられたわけですね」

「うん、そしてその理由も、大谷さんならわかってるんじゃない?」

 大谷さんはうなずいた。

「東京出身のかたは、関東大学将棋連合の最大派閥です。横のつながりもあり、だれがだれとつながっているのか、読むのが難しいところがあります」

「それと、帝大に聖生のえるがハガキを送ったなら、東京に関係者がいる可能性は高い。だから東京出身の氷室にははずれてもらって、S岡出身の磐を入れた。磐が東京へちょくちょく遊びに行ってなかった、っていうのは確認済み」

 僕たちはそのあと、コピーを手分けして調べた。

 90年代の雰囲気は、それなりにつかめた。でも核心となる情報はなかった。

 お代わりのコーヒーも空になり、かれこれ3時間。

 僕たちは切り上げることになった。会計を済ませて、お店のまえで別れる。

「それじゃ、またこんど」

「道中、お気をつけください」

 大谷さんは両手を合わせて、丁寧に頭をさげた。

 なんか成仏させられそう。僕は反対方向へ歩き始めた。

 すると、知り合いに声をかけられた。

 心理学科の同学年の男子だった。

 大学から離れたところを選んだのに。大学生の行動範囲は広い。

「おーい、太宰、なにやってんだ。危ないじゃないか」

 ん? ……もしかして盗み聞きされてた?

 僕はドキリとした。ここはとぼけておこう。

「危ないって、なにが?」

「宗教勧誘されてただろ。美人だからって話を聞いちゃダメだぞ。あのカタログの山はなんだ? 壷でも売られてたのか?」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 たしかにそう見えるな。

 大谷さん、このプロジェクトのときだけふつうの服装にしない? ダメ?

 いや、それとも彼女の服装のおかげで助かった?

 次回はもっと慎重に会おう──大谷さん、スマホ買って。お願いします。

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