310手目 律儀な電話
週明け、部室に顔を出すと、青葉くんとマルコくんが将棋を指していた。
私は邪魔にならないように近くの椅子をひいて、すこしばかり観戦。
【先手:青葉暖 後手:車田マルコ】
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「まさかの有効な王手なし……負けました」
青葉くんが頭をさげた。
マルコくんは安堵のため息をもらす。
「暖にやっと勝てた」
「車田くん、強くなったね。終盤やられちゃった」
青葉くんは頭をかきつつ、感想戦を始めた。
「龍引きが受けになってなかったっぽいかな」
「金打たれたらダメだと思ってた」
「だね。ちょっと寄せを焦ったというか……」
熱心でよろしい。
私は会計の仕事を済ませる。
レシートとにらめっこしていると、部室のドアがひらいた。
ペットボトルを持った風切先輩が入って来る。
「おつかれさん」
先輩はそう言って、ソファに腰をおろした。
私はあいさつを返したあと、例の泥棒の件をたずねた。
先輩の回答は、よくわからない、とのこと。
「話はいろいろ訊かれたが、だれも犯人は見てないらしい」
まあそれはそうなんじゃないですかね。
私が訊きたかったのは、捜査がどうなりそうなのか、ということだ。
「警察のひとはなにか言ってましたか?」
「盗まれたものに心当たりが出たら、連絡してくれだとさ」
なるほど、けっきょく盗まれたかどうかすら不明なのね。
「お金はだいじょうぶだったんですよね?」
「ああ、それは爽太と氷室が確認してくれた。1円も盗まれてない」
「名簿が盗まれたとかじゃないですか? 個人情報ですし」
「名簿は電子管理だ。パソコンがいじられた形跡はなかったらしい」
私たちが話をしていると、マルコくんが、
「どこかにドロボウが入ったんですか?」
とたずねた。
風切先輩は事情を説明した。
マルコくんは、
「強盗じゃなくてよかったですね」
という感想。
それはそう。だれもケガしなくてよかった。
ただ今回の件はふつうの空き巣ですらなくて、聖生のしわざな気がする。理由はいろいろあって、まず大学将棋の事務局をピンポイントで狙わないでしょ、という点。事務局は14階にあるから、たまたま入りやすかったとも思えない。
次に貴重品が盗まれていない点。もちろん棚の鍵を開けられなかっただけ、という可能性もある。だけどそんなに諦めの早い泥棒なら、内装を見た時点でほかへ移ると思うのよね。だって単なる資料室で、金目のものがあるように見えないもの。
というわけで、喫茶店で相談したメンバーは、聖生をあやしんでいた。太宰くんもそうだと思うし、火村さんも勘がいいから、裏で動いてるんじゃないかしら。問題はこれがただのいたずらなのか、それとも聖生はじっさいになにかを盗んだのか。
盗んだとしたらなに?
一番可能性が高いのは──1992年のハガキだ。
だとしたら最悪。重要な証拠品が消えてしまった。とはいえ、ハガキが盗まれたことは確定していない。かといって「ハガキはまだありますか?」と訊けるわけでもない。そもそも事務局は1992年のハガキをあそこで管理していたのか、という問題もあるし、それを正直に教えてくれるかどうかという問題もあった。
私が黙々と考えていると、風切先輩は、
「どうした? そんなに気になるか?」
とたずねてきた。
「あ、いえ……今回の件で部屋の使用停止にならなければいいな、と」
「あのようすなら、だいじょうぶだと思うぞ。そもそも俺たちは被害者だし、管理に問題があったのは大学側だ」
「そういえば鍵はどうなってたんですか? 施錠し忘れとか?」
「ピッキングされたんじゃないかって話だ。わりと低クオリティな鍵らしい。えーと、なんていうんだったか……」
「シリンダー錠ですか?」
「ああ、そんな感じのやつだ」
ふむ、ディンプルキーじゃないのか。
だとするとピッキングは簡単だったかもしれない。
このあたりは上京するときに調べたから、なんとなくわかる。
女の子の一人暮らしはいろいろと危ないのよ。
風切先輩は持参したペットボトルを開けながら、
「ま、あとは警察任せだな」
とまとめた。
警察……か。
……………………
……………………
…………………
………………速水先輩の影がちらつく。
速水先輩も聖生のことを調べているような気はしていた。
ただしっぽを全然見せないのと、目的がよくわからなかった。
好奇心? まあありうる。
将来検察官志望だから、社会悪を懲らしめたい? これはあんまりなさそう。
熱血ってタイプじゃないのよね、速水先輩は。
「……先輩、ちょっと訊いていいですか?」
「おう、経済数学か」
し、しまった。変な期待をさせてしまった。
たしかにこのまえ、経済数学のことは訊いたけど。ゲーム理論のところで。
目がきらきらしている。
「速水先輩のお父さんって、検察官なんですよね?」
風切先輩は一転、怪訝そうな顔をした。
「ああ、そうだが……もこっちのコネで捜査してもらうつもりか?」
「いえ、今回の件とは関係ないというか、ふと思い出しまして……」
我ながらウソがヘタ。
だけど風切先輩はこういうのに疑問を持たないタイプだから、あっさりしていた。
「そうか、S台で検事長をやってることくらいしか、俺も知らないけどな」
これには青葉くんがびっくりして、駒を持ったままふりかえった。
「副会長のお父さんって、検事長なんですか?」
「ああ……検事長って偉いんだよな? 長がついてるくらいだし」
「かなり偉いです。日本に8人しかいません」
そ、そういうレベルなんだ。それは知らなかった。
風切先輩はタメ息をついた。
「青葉、フィールズ賞受賞者は日本に3人しかいないんだぜ」
「そ、それはよく分かりませんが、検事長は検察官のキャリアだとほぼトップですね。それより上は検事総長と次長検事しかいないので」
むむむ……権力の匂い。
とはいえただの親子関係だし、速水先輩が検事長ってわけでもない。
けどなあ、今回の件で速水先輩、なにか関与してきそうなのよね。
私たち探偵団がいったん手を引いたのは、巻き込まれるのが怖かったからだ。
仮に速水先輩が今回の件で関与してこないなら、彼女自身はなにも情報を持っていないか、あるいは警察とのコネが大げさに言われてるだけ、ということになる。私自身も後者をそんなに信じていなかった。だいたいお父さんが検事長だからって、警察を好き勝手に動かせるわけがない。
ここまで考えたところで、風切先輩は、
「そういえば、来月は新人戦があるな。1年生はがんばれよ」
と言った。
マルコくんは、
「あれって僕レベルが出てもいいんですか?」
とたずねた。
「1年生ならだれでも出られるし、出て損はないと思うぞ」
そうそう、出ちゃってくださいな。
そのほうが応援に行きがいもある。
ヴィーヴィー
おっと、スマホが振動した。
私はなにげなくチェックを入れた。
八千代 。o O(今から電話をします。出ていただけますか?)
ん? 電話? わざわざかけるまえに連絡なんて。
上京してからますます律儀になったのでは。
私はオッケーの返事を送った。
……ヴィーヴィー
はいはい。私はスマホを手にして、席を立った。
「ちょっと電話してきます」
「了解」
私は廊下へ出て、奥の突き当たりへ移動した。
窓からは下校する学生たちの群れが見えた。5月末の夕暮れどき。
私はスマホを見た。
非通知
……………………
……………………
…………………
………………ん? 非通知?
八千代先輩から番号は教えてもらってるはずなんだけど。
もしかしてべつの電話とバッティングした?
私はしばらく待ったけど、鳴りやまなかったから出た。
「もしもし」
《もしもし、傍目です》
なんだ、八千代先輩だったか。
「裏見です。ご用件は?」
《そこにひとはいますか?》
私は周囲を見た。
「だれもいません」
《今から松平さんと、立川のチェリーブロッサムという喫茶店に来てください》
え、ちょっと待って。
来てくださいってなに? もう5時なんだけど。
「今からはちょっと……」
《お願いします。このことは松平さんに口頭で伝えてください。MINE禁止です》
いやいや、ちょっと待って。
なんでいきなり独裁者になってるんですか。
「あの、すみません、こちらにも予定が……」
《では、お待ちしています》
そこで電話は切れた──え、どういうこと?
私は切れた通話を、呆然と見つめていた。
すると階段から、松平が上がってきた。
「お、裏見、どうした?」
私は困惑しながら、事情を説明した。
すると松平はかなり深刻そうな顔で、タメ息をついた。
「ついにこの日が来てしまったか……」
「この日? なにか心当たりがあるの?」
「自分で言うのもなんだが、俺もちょっとはモテるからな……『裏見さんと別れて私とつきあってください』なんて修羅場の可能性も考慮してあったわけだ。まさかあいてが八千代先輩とは思わなかった……が、安心してくれ。俺はもちろん裏見を選ぶべッ!?」
妄想を堂々と語るな。