309手目 空き巣
翌日、私たちは朝から治明大学のリベルタタワーに集まった。
関東大学将棋連合の役員は、だいたいそろっていた。
都ノからは、主将の大谷さん、部長の松平、会計の私の3人。
14階の資料室のまえには、大学の職員と警察官のひともいた。
警察官は5人も来ていて、室内をあれこれ調べていた。まるで刑事ドラマのワンシーンみたいだ。指紋とか靴跡も取ってるっぽい。
私たちが到着したときには、風切先輩が事情聴取を受けていた。
先輩は視線をさまよわせながら、
「えー、ドアがひとつ、窓が2つなので、これは円筒とホモトピー同値ではなく……」
云々と、意味不明な釈明をしていた。
完全にテンパってるじゃないですか。
警察のひとも要領を得ないと思ったのか、八千代先輩に事情を聴き始めた。
速水先輩がいればいいんだけどなあ。まだ来てないのよね。
しかたがないので聞き耳。
「もういちど確認しますが、昨夜の9時頃にこちらへいらしたんですね?」
「はい」
「そのとき鍵が開いていた、ということですが、ふだんの施錠は?」
「きちんとしています。夜は警備員さんの見回りがありますので、していないとあとで怒られます」
警察官は、それもそうか、という表情だった。
ただどこか納得していないようで、
「9時頃、大学に用事があったそうですね。書類の整理ということでしたが、ここでなにをなさっているんですか?」
と追加で質問した。
「ここは関東の将棋サークルの本部みたいなところです」
部外者向けのわかりやすい説明。
とはいえ、これでもあまり伝わらなかったらしい。八千代先輩は具体的になにをしているのかも付け加えた。まあようするに関東圏の将棋サークルを管轄していて、大会の運営などを取り仕切っている、というわけだ。
「お金の管理はしていますか?」
「していますが、現金は置いていません。預金通帳だけ鍵付き棚に入っています」
「鍵の管理は?」
「会計のひとがやっています」
警察官のひとは、会計の人数をたずねた。
八千代先輩はひとりだと答えた。
「危なくないですか?」
いや、まあそんなもんじゃないですかね。
うちだって会計の私が通帳を預かってるし、去年なんか聖生に盗まれてるし。
そこが論点ではないから、警察官も質問を変えた。
「盗まれたものが分からない、とおっしゃられましたね」
「はい……貴重品は盗まれていませんが、部屋が荒らされていますので……なにか持ち出されたのではないかと思うのですが……」
「金目のものが見当たらなくて、なにも手をつけなかった、ということはありえます。しかし、気づかないものが盗まれている可能性もありますので、しばらく現場検証にお付き合いください」
警察官のひとは、事務員さんからも聞き取りを始めた。
残念ながら距離が遠くて、声は聞こえなかった。
野次馬の私たちも、ほかへ移動するように指示された。
ぞろぞろと移動する。
さらにタワーの入り口のところで、土御門先輩から、
「すまぬ、役員だけで相談するゆえ、席を外してもらえぬか」
と言われてしまった。これもしょうがないので、私たちはタワーから出た。
大勢の通行人が行きかう日曜日の風景が広がった。
松平は空の日差しに目をほそめながら、
「まいったな。会長と同じ大学ってだけじゃ、情報共有してもらえなさそうだ」
とつぶやいた。
大谷さんは、
「磐さんに期待いたしましょう」
と言った。
ですね。こうなったらICT担当役員の磐くんから聞くしかなさそう。
私たちはしばらくそのへんをうろうろして、時間を潰した。
学生街だからわりと楽しめた。ギターのお店がやたらとあった。
なんだかんだで、治明ってファッショナブルな感じがするのよね。
正午頃、ようやく磐くんからMINEが返ってきて、喫茶店で待ち合わせた。
「おう、待たせたな」
磐くんはローラーブレードで颯爽とテーブルへ接近。
近くにいた店員さんがびっくりしていた。
磐くんはどかりと腰を下ろして、
「なにから聞きたい?」
とたずねた。
松平は「全部だ」と答えた。
「おいおい、そういう丸投げみたいなのはダメだぜえ。要件定義を言え」
「俺たちはなにも聞いてないんだ。指定ができないだろ」
「それもそうか……あ、お姉さん、アイスコーヒーください」
磐くんは注文を終えて、おもむろに話し始めた。
全部話し終えるのに30分くらいかかって、情報満載に。
私たちはそのなかから、いくつかの重要な箇所だけを抜き出した。
松平はスマホのメモを見てまとめる。
「犯人は内部者・部外者両方の可能性あり、盗まれた物は不明、犯行時刻は昨日の午後6時以降……か」
30分も話したわりには、けっきょくよくわからないという。
とはいえ、犯行時刻は重要な点だ。
私は、どうして6時以降と断定できるのか、とたずねた。
「6時まで使ってたらしい」
「だれが?」
「傍目先輩と朽木先輩。団体戦の収支を計算してたんだとさ」
なるほど、そのふたりなら信用できそう。
私はさらに、
「あのタワー、入り口に監視カメラがあったわよね? それに映ってるんじゃない?」
とたずねた。
磐くんはパチリと指をはじいた。
「ご明察。一部をのぞいて監視カメラがあるから、警察で調べてくれるらしい」
「一部?」
「ボイラー室とかに入る扉は、さすがにカメラがないらしいぞ」
「ボイラー室から校内へ入ることは?」
「できる」
磐くんは、役員会が終わったあとで、こっそり校舎を見て回ったらしい。外壁にあるボイラー室のとびらと、廊下にあるボイラー室の扉は、位置的につながっているはず、とのことだった。しかもこっそり動かしてみたら、どちらも簡単に開いたという話だった。ほかの特別な設備も、似たような感じになっているかもしれない、と磐くんは推測した。
それって……どうなの? ようするに穴だらけということでは?
松平も、
「侵入しようと思えば、だれでも侵入できるってことか」
とあきれた。
ところが磐くんは、
「裏口から入ったなら、話はむしろ簡単になる」
と言った。私たちは理由を訊いた。
磐くんの回答は、足跡、だった。ボイラー室なんかはひとの出入りが限られている。床はほとんど清掃されていない。部外者が入れば、靴跡がくっきり出る、とのこと。だから磐くん自身も、ボイラー室の中には立ち入らなかったそうだ。
「というわけで、警察に任せておけば解決だと思うぜ。表から入ったなら監視カメラが、裏から入ったなら足跡が、犯人に目星をつけてくれるさ」
そうだとすると──推理合戦は新しいフェーズに入った。
大谷さんは静かに手を合わせる。
「いよいよ聖生vs警察……ということになりますか」
私たちのあいだに緊張が走った。
磐くんはグラスのなかの氷を揺らした。
「犯人が聖生なら、な」
そのひとことを最後に、私たちは解散することになった。
火村さんが来なかったのはいいとして、太宰くんも来なかったわね。
どこからか情報を仕入れて来そうなのに。なにかあったのかしら。
もしかして別行動で捜査してる? それなら情報共有してもらわないと。
電車で都ノの最寄り駅に降りる。そこで太宰くんに電話を入れた。
プルルルル プルルルル
《もしもし、太宰です》
「もしもし、裏見よ。休日にごめんなさい。じつは……」
《ああ、ごめん、今日ちょっと体調が悪くてさ。研究会は欠席させてもらうよ》
……………………
……………………
…………………
………………???
「あの、なに言って……」
《ほんとにごめん。それじゃ、他の参加者にも連絡はしなくていいから。じゃあね》
そこで電話は途切れてしまった。
私は松平と大谷さんに目配せする。
ふたりとも今の会話は聞こえていたっぽい。けど、反応はばらばらだった。
松平はぽかんとしていて、大谷さんは険しい表情。
「大谷さん、なにか心当たりがある?」
「……主導権は彼女に移った、ということですか」
「彼女?」
大谷さんは菅笠を持ち上げて、空をあおいだ。
「しばらくはようすを見ましょう。あのかたがどこまで把握なさっているのか、拙僧も知りたくなってまいりましたゆえ」