307手目 帝大潜入
さてさて、団体戦も終わり、秋へ向けて練習練習──と、そのまえに、いよいよ学生探偵団も本格始動。私たちは帝大へ潜入することになったのだ。
目的は、帝大将棋部OBで、4月から特任教授の末さんと会うため。
んー、なんだか緊張する。
お昼過ぎ、帝大の最寄り駅で、大谷さん、松平と待機。
松平はMINEを見ながら、
「太宰は次の電車で、磐は少し遅れるらしい」
と言った。私は、
「火村さんもちょっと遅れるって」
と返した。
このあたりはけっこう適当な出だし。いかにも将棋部らしいというか。
2分ほどして、太宰くんが改札から登場。
「お待たせ」
私たちがあいさつすると、太宰くんは大谷さんへ向きなおった。
「大谷さん、会長選に立候補するの?」
……………………
……………………
…………………
………………
大谷さんは顔色ひとつ変えず、
「そのような話を、どこからお聞きになられたのですか?」
とたずねた。
「うーん……大谷さんの一番の友人を買収して……と言ったら?」
「この場で成仏していただきます」
「あ、ごめん、うそ、まあいろいろと噂は耳にするからさ」
ごまかしたわね。
まさか日高くんがダブルスパイ? さすがにそれは勘繰り過ぎか。
役員の推薦が必要とか言ってたから、どこかで漏れているのも残当。
日高くんだけで進めるわけにもいかないだろうし。
太宰くんは特に悪びれたようすもなく、
「じつは僕も立候補する予定なんだよね」
と言った。
さすがに私たちも驚いた。
ただひとり大谷さんだけは冷静で、
「左様ですか……拙僧が仮に出馬したときは、尋常に勝負したく存じます」
と答えた。
太宰くんはあっさりとした反応を返す。
「選挙演説もマニュフェストもないし、どう転ぶかはその場の雰囲気だと思うけどね。風切先輩も選挙活動はしてなかったんでしょ? ボランティアの一種さ」
まあそれはそう。
そもそも関東大学将棋連合の運営、なんだか同好会レベルっぽいのよね。風切先輩はなんの政策決定にも関与してなさそうというか、あのようすだとほんとに関与してないと思う。会長職とはいったい、という感じ。対外的な顔役としてはいいんでしょうけど、なーんか気になる。
私の気持ちを、松平が代弁してくれた。
「今の運営って、速水先輩が指揮ってるっぽくないか?」
太宰くんもうなずいた。
「だね。実質的な経営者は速水先輩……っと、磐が来た」
火村さんの姿も見えた。
ふたりとも改札を出て合流。
太宰くんはハンチング帽をすこし傾けた。
「それじゃ、帝大将棋部へ乗り込むメンツを決めようか」
土壇場の作戦会議。帝大へ顔を出すメンバーと、外で待機するメンバーとに分かれる。理由は単純。全員で入校すると、なにか疑われたとき横のつながりがバレバレになってしまうからだ。
先にオンラインで決めても良かったんだけど、その日の雰囲気が大事ということになった。このあたりは賛否両論。
まずは太宰くんが、
「帝大とコンタクトを取った僕は、さすがに潜入組だね。ほかは?」
とたずねた。
私たちは目配せし合う。
磐くんは、
「こう言っちゃ悪いが、俺と太宰はべつに仲良しってわけでもないしなあ。俺がいるとなんか勘繰られないか?」
と言って、自分から引いた。
太宰くんは、
「んー、磐が辞退か……僕と女子だけなのも変だし、松平は確定かな」
とつぶやいた。
松平は不承不承うなずいた。
「まあそうなるか……となると、俺と太宰だけで行くか、まだ増やすかだな」
残りは私、火村さん、大谷さん。
ここで大谷さんが動いた。
「もうしわけございません。今までの人選をひっくり返すかたちになってしまいますが、太宰さんと拙僧のみで参りませんか?」
太宰くんはすこしだけ表情を変えた。
「それは、どういう趣旨?」
「太宰さんは、拙僧が会長選に出馬するかもしれないという情報をお持ちですね。太宰さんが出馬するという情報も、外部に漏れているのではありませんか? だとすれば拙僧と太宰さんのみが帝大に顔を出すことで、意図をごまかしうるかと」
太宰くんは指をはじいた。
「なるほど、次期会長選の顔売りに来た、ってわけか……いいね。それでいこう」
こうして、私は留守番組に。
大谷さんと太宰くんは、帝大のキャンパス方面へ消えた。
私たちは相談して、喫茶店へ移動することになった。
だれと遭遇するか分からないから、ちょっと歩いたところに陣取った。
奥の4人席でコーヒーを注文した。火村さんだけトマトジュース。
火村さんは開口一番、
「うまくいくかしら」
と、あんまり信用していない感じ。
私は、
「大谷さんと太宰くんなら、うまくやってくれそうじゃない?」
と言った。
「まあ口はうまそうだけど……あ、来た来た」
火村さんは、受け取ったトマトジュースをチューチュー。
私たちもひと息つく。
話は自然と団体戦の内容に。
磐くんは、
「都ノは残念だったなあ。あと1勝だったのに」
と、あいかわらず空気を読まないというか、なんというか。
松平は、
「Bに落ちてきた立志と京浜って、どれくらい強い?」
とさぐりを入れた。
「おいおい、それを俺に訊くのかあ?」
「答えたくないなら答えなくてもオッケーだ」
「ま、義理でちょっと教えてやるか。京浜はお堅くて策を弄さない。立志は去年のエースが抜けて、弱体化している。と言っても前A級だ。都ノとならガチだぜ」
けっきょくそうなっちゃうか。
さらに火村さんは、
「Aへの1枠はうちがもらってくから、残りを争ってちょうだい」
と挑発してきた。ぐぬぬ。
私たちがわいわいやっていると、ふいに声をかけられた。
なんと氷室くんだった。
氷室くんはきょとんとして、
「あれ、みんなどうしたの?」
とたずねた。
これは……不審がってるというより、素で疑問に思ってるっぽい。
見つかったのが氷室くんで助かった。
松平は、
「観光してる。湯島天満宮へ寄るとちゅうだ」
と答えた。
「ゆしまてんまんぐう?」
ん? 氷室くん、知らないの?
ここからわりと近いと思うんだけど。
松平は、
「氷室、もしかして東京出身じゃないのか?」
とたずねた。
「僕は東京出身だよ」
「じゃあ知ってるだろ?」
氷室くんはくったくのない笑顔で、
「アハハ、ごめん、観光スポットは全然わかんない」
と答えた。
なんというか、氷室くんらしい。
すると火村さんは、
「むしろ氷室はなんでここにいるの? 大学の周りにもたくさんお店あるでしょ?」
とたずねた。
「それはね……あ、ちょっと待って」
お手洗いから、ひとりの中年男性が出てきた。
すこし太めで、頭頂部がだいぶ後退していた。
ひとあたりのよさそうな感じのひと。ワイシャツに紺のビジネスジャケット。
ネクタイはしていなくて、ビジネス用のカバンを持っていた。
そのひとは氷室くんのほうへ歩いて来て、
「ごめんごめん、待たせたね。席はとらなくていいの?」
とたずねたあと、私たちのほうをみた。
「もしかしてお友だちかな?」
私たちはてきとうに会釈。
氷室くんはこのおじさんを紹介してくれた。
「こちらは帝大将棋部のOBで、末さん」
「!」
私たちの反応に、末さんは、
「ん、私のことを知ってるのかい?」
と首をかしげた。
いかんいかん、私はあわててごまかす。
「風切先輩からうかがっています」
「ああ、風切くんか。彼も来てるの?」
来ていない、と私たちは答えた。
とりあえず立ち話もなんなので、となりの2人がけに座ってもらった。
末さんはおしぼりで手を拭きながら、
「きみたちは、全員都ノの学生?」
と確認してきた。
違うと答えた。それぞれ自己紹介を簡単にする。
苗字と在籍校だけ。
目的は一応観光ということに。
「湯島天満宮か。あそこは菅原道真が祀られているんだよね。学問の神様だ」
ここで松平がすこし攻める。
「末さんは、大学の先生ですか?」
「私? うーん、まあそういう肩書きはあるけど、製薬会社の研究員だよ」
いろいろと訊きたい。
そもそもこの状況、肝心の潜入組が末さんと行き違いになってしまっている。
どうしよう──私がスマホを取り出そうとした瞬間、先に振動があった
ひよこ 。o O(末さんは外出されたそうです 部室にいらっしゃいません)
私は急いで返信した。
香子 。o O(喫茶店で末さんと会ってる 氷室くんもいっしょ)
ひよこ 。o O(どういう状況ですか?)
香子 。o O(わかんない むこうが同じ喫茶店に入ってきた)
しばらく返信がなくなった。
ひよこ 。o O(帝大生に囲まれていて、太宰さんと相談もままなりません)
ひよこ 。o O(そちらで対処をお願いします)
香子 。o O(了解)
私は最後の返信をしたあと、火村さんにMINEの画面をみせた。
火村さんはちらっと流し読みして、表情を変えずにトマトジュースを飲んだ。
こういうときは妙に冷静だから助かる。
30秒ほど思案して、火村さんはくちびるを動かした。
「ねぇ、松平、折口先生のところでアルバイト、まだしてるの?」
「ん? ああ、してるが……」
なんで折口先生の話を──と思いきや、末さんはこれに食いついてきた。
「都ノで折口というと、折口希さんのことかい?」
「え、あ、はい……一応、研究室に内定してるというか……」
「すごいね。折口さんの研究室に入るなんて、たいへんだったろう?」
いやあ、将棋に負けたら勝手に入らされてましたね、はい。
「いえ、それほどでも……」
と松平が恐縮したところで、火村さんが先を継いだ。
「折口先生って、古都大将棋部の主将だったんでしょ。万能人よね。もしかして関西大学将棋連合の会長もしてたんじゃない?」
末さんはこれに反応して、
「いや、折口さんは会長はしていないね。僕とは世代が違うけど、たしかそうだよ」
と口をはさんだ。
火村さんはとぼけたふりをして、
「んー、そっか、会長だったのは氷室のお父さんだっけ」
と言った。
悪魔的にうまい。私はこのテーマを固定する。
「風切先輩も忙しいみたいですが、会長職ってたいへんなんですか?」
末さんは、
「氷室さんが会長をしていたときは、メールもなにもなかったから、定期会合があって時間を取られていたね」
と答えた。
松平もこの会話の意味がわかったらしく、かぶせてきた。
「氷室先生たちが在籍なさっていたときの大学将棋界って、どんな感じでしたか? なにか変わったこととかは?」
「変わったことねえ」
末さんは昔を思い出すように、窓の外を見た。
若者と老人が、まるで時の流れを表すかのように通り過ぎた。
「そういえば、あのハガキ……あれはどうなったのかな」