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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第50章 2017年度春季団体戦3日目(2017年5月21日日曜)
315/487

306手目 総括

 ハーッ……つかれた。

 私は電車に揺られながら、大きくタメ息をついた。

 あのあとは打ち上げもなにもなく解散。

 1年生にはもうしわけないけど、なんかする雰囲気じゃなかった。

 全員別行動になって、私は大谷おおたにさんと先に帰宅。

 となりで沈思黙考していた大谷さんも、顔色が冴えなかった。

「先週打ち上げらしきものをしたのが、唯一の救いですか……」

 ですね。

 不参加者がいたから、完全なフォローにはなってない。青葉あおばくんとか。

 私はすこし考えて、

「みんなクールダウンしてから、パーティーでもする?」

 と提案した。

「そのあたりは後日相談いたしましょう」

 またふたりのあいだに沈黙が流れる。

 新宿駅で降りて、京王線に乗り換え。

 あいかわらずひとが多い。並んで待っていると、うしろから声をかけられた。

「おや、裏見うらみくんではないか」

 ふりかえると、朽木くちき先輩とたちばな先輩が立っていた。

「あ、こんにちは……これからお帰りですか?」

「うむ、今日はおつかれさまだった」

「先輩方もおつかれさまです」

 電車が入ってきた。朽木先輩は、

「とちゅうまでいっしょでもいいだろうか。すこし話したいことがある」

 と言った。

 親しくなかったら警戒するところだけど、さすがにこのふたりならOK。

 私たちはぞろぞろと乗車した。ちょっと狭い。

 電車が出発すると、朽木先輩は開口一番、

「最終局の将棋を、何人かと検討してみた。終盤は先手がよかったようだ」

 と告げた。

「え、そうなんですか?」

「8二歩成が悪手だった。あそこで単に4一とと入っていればよかった」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


「以下、8四香に強く5一とと取って、同玉、4二銀、5二玉、5四角成と詰めろをかければいい。先手は8六香、同金、同香、同玉、8八龍、8七香、8四香、8五香、同香、同玉、8七龍、8六香で上に吊り出されるが、7三桂、8四玉、9四金、同玉、9二香、9三銀、8四金、同玉、8六龍に7四玉で詰まないのだ」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 はぁ~、難解すぎる。

「ただそれで互角くらいじゃないですか? 先手もいろいろ危ないような……」

「先手玉は右へ抜けることができる。後手は脱出路がない。僕と氷室ひむろくん、それに公人きみひと児玉こだまくん、三和みわ先輩も同意見だった」

 そっかぁ、先手よしだったのか。

 でもなあ、氷室くんも朽木先輩も、対局中は互角で見てたものね。

 8二歩成で縦に入玉したくなるのも分かる。

 私ががっかりしていると、橘先輩は、

爽太そうたさん、あの将棋の話はお控えなさったほうが……」

 と、遠回しに配慮してくれた。

 いやあ、爽太さんかあ。

 私はまだ恥ずかしくて、剣之介けんのすけと呼んでないのに。

 いいなあ。

「拙僧、両サイドから強い煩悩を感じます」

 感じないでください。

 とりあえず話題を変える。

「そういえば、晩稲田おくてだはA級優勝でしたね。おめでとうございます」

「ありがとう。志邨しむらくんが入って、オーダーが組みやすくなったように思う」

 でしょうね。個人戦を見たかぎりでも強かったし。

 私たちはそのあと、将棋と関係のない話に終始した。

 先輩たちはとちゅうの駅で降りて、私と大谷さんはその先の駅で下車。

 改札口を通過すると、私たちは春の夜風に出迎えられた。

 負けたんだなあ、という実感が湧いてくる。

「ハァ……これで振り出しか」

「まずは一時休養いたしましょう。息抜きも必要かと」

「今週の例会はどうする?」

「それは開催したほうがよいように思います。拙僧からも相談がありますので」

 あれ、そうなんだ。

 私は内容をたずねたけど、教えてもらえなかった。

 うむむ、なにか隠されているような気がする。

 だけど深入りはしなかった。

「じゃ、今日はおつかれさま。また例会の日に」

「道中、お気をつけて」


  ○

   。

    .


 その週の例会は、全員が集まった。

 開始前は雰囲気が冴えなかったけど、まあこれはしょうがない。

 大谷さんはホワイトボードのまえに立って、まずは大会の総括。

「春の団体戦はおつかれさまでした。あと一歩およびませんでしたが、前A級2校に追い迫ったのも事実です。部がA級校に近い力を持っている証だと思われます」

 大谷さんはそれからさらにひとこと、ふたこと付け加えた。

 話し終えたところで、風切かざぎり先輩が挙手した。

「ちょっといいか」

「どうぞ」

 全員の視線が風切先輩にむかう。

「あのあと考えたんだが……やっぱり俺はうぬぼれてた」

 いきなりの発言に、周囲は敏感に反応した。

 松平まつだいらは、

「いや、俺が負け越してるのが悪いんで……」

 とあたふた。

「まあ聞いてくれ。元奨励会っていうプライドが、俺のどこかにあったんだと思う。9回戦のオーダーで、はっきり自信がないと言ったほうがよかった。個人戦で勝ったり負けたりしてる俺よりも、5連覇したもこっちのほうが格上だ。だから、最悪ズラしてくれと言わないといけなかった……が、プライドが邪魔して言えなかった」

 部に重たい空気が流れる。

 それを吹き払うように、風切先輩はほほえんだ。

「自己弁護に聞こえるかもしれないが、今回の大会でだれかが悪かったわけじゃない。将棋は個人競技だし、運もある。首都工と日センが強かったのも事実だ。認めないといけないとしたら、そこだろうな。大谷の言う通り、前A級校と互角に戦ったんだ。秋も腐らずにやっていこう」

 これまでのよどんだ流れが、一掃された気がした。

 すくなくとも全員の顔つきが変わった。

 大谷さんはお礼を言ったあと、私たちに向きなおった。

「さて、拙僧からひとつ相談事項がございます」

 大谷さんは、さきほどとは違う真剣さをかもしだした。

「じつは拙僧を来年度の会長に推す動きがあります」

 え? 会長? ……あ、もしかして。

 私は、

「このまえの日高ひだかくんの件?」

 とたずねた。

「はい、左様です。日高さんから立候補をうながされました」

 これを聞いた風切先輩は、

「大谷が会長か。いいんじゃないか」

 と言った。

 ちょっと待って。

 三宅みやけ先輩はあきれつつ、

隼人はやと……ちゃんと会長の仕事してるか? なんで情報を把握してないんだ?」

 とたずねた。

「把握? 把握もなにも今年度から正式に選挙だろ。指名じゃない」

 なるほど、たしかにそうだ。

 だけどなあ、日高くんの動きくらいは把握していてもいいような。

 私たちがざわざわしているなか、大谷さんは両手を合わせた。

「拙僧としても悩みました。T島の高校将棋連合で会長をした経験はあります。日高さんもそれを買っているとのことでした。しかし、高校で組織代表を経験したかたは、複数いらっしゃいます。わきさんはM重の会長、太宰だざいさんはG馬の会長を務められています」

 ん? 太宰くんってG馬なの?

 ……お父さんが亡くなったあとに引っ越したのかしら。

 さすがにこの場では訊けなかった。

「日高さんには『なぜとくに拙僧なのですか?』とおたずねしました。日高さんのご回答は、あいまいだったように記憶しております」

 室内が静まり返った。

 最初に声を出したのは穂積ほづみさんだった。

「ようするに、なんか裏がありそうってこと?」

「……勘で申し上げることが許されるならば、左様です」

 穂積さんはすこし考え込んで、

「疑いすぎじゃない? 大学生の自主組織でしょ?」

 と言った。

「たしかに、拙僧が疑心暗鬼なのかもしれません。ただ、風切会長選出の際も、入江いりえさんは奇妙な行動を見せていました。あれは会長の選出がめんどうだった、という以上のものを感じます。なにか組織的ないざこざに巻き込まれる可能性もあり、日高さんから言われたあと、いろいろと悩んでおりました。そこで……」

 大谷さんはいったん言葉を区切った。

 なにか重大な提案が出てきそうで、私たちは緊張した。

「しぃちゃんに相談してみたところ、『よいのではないか』とのことでした。この件、お引き受けする方向で考えております」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………え?

 部員一同、固まる。

 うしろで平賀ひらがさんと青葉あおばくんが、

「しーちゃんってだれ?」

「わ、わかんない」

 という会話をしていた。

 穂積さんは目を白黒させて、

「そ、そのやりとりで決心したの?」

 と確認を入れた。

「はい」

「そ、そう……いや、べつにいいんだけど……」

 風切先輩もよくわかっていないらしく、

「ロジックが不明だが……ようするに出馬するのか?」

 とたずねた。

「その方向で調整中です。ただし、正式には決まっておりません。どうやら次の規約改正で、立候補には現役員の推薦が必要になるとのことでした」

「そうなのか」

 そうなのか、じゃないでしょ、会長。なんで初耳みたいな感じなんですか。

 関東大学将棋連合、運営が雑なのでは──

 困惑する私をよそに、風切先輩は、たばねたうしろ髪をなでた。

「よし、じゃあ練習するか……それと、週末にでも食事に行こう、みんなでな」

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