302手目 眼前の思考
くーッ、緊張してきた。
私たちはいつもの喫茶店に集合。
大谷さん、松平、私の3人で、最後のオーダー会議。ついでにランチ。
松平はオーダー表をひらきながら、
「川越戦は先日話したとおりだ。こっちは変更なし、でいいか?」
とたずねた。
私と大谷さんは首をたてにふった。
松平はもう一枚のオーダー表をとりだした。
「となると、問題は日センだ」
そうなのよね……これが1週間議論しても決まらなかった。
私は整理もふくめて、日センのオーダーを確認した。
大将 今田 八将 橋本
副将 奥山 九将 戸塚
三将 中竹 十将 畠田
四将 串山 十一将 佐藤
五将 速水 十二将 池下
六将 町村 十三将 細井
七将 大野 十四将 藤川
私はメモをみながら、
「棋力は速水>奥山=池下>畠田>大野>今田>戸塚>中竹>細井で、のこりは当て馬レベルでよかった?」
と確認した。
松平はうなずいた。
「棋力順で上から7人出すなら、こうだ」
今田 奥山 速水 大野 戸塚 畠田 池下
松平はさらに、
「これは金曜も指摘したことだが、愛智vs池下は愛智が不利だと思う」
とつけくわえた。
私もその点は同意した。
「速水さんが来るまでは、エースだったひとなのよね」
「ああ、だからもう一回穂積先輩に出てもらう……って手もあるが、愛智vs畠田も微妙なんだよな。そこで負けたら、なんのためにズラしてるのか分からない」
私は大谷さんに、
「畠田さんとならイケそう?」
とたずねた。
大谷さんはサンドイッチを食べる手をとめた。
「1年上のかたですが、避ける理由はないと思います」
よし、頼もしい。
畠田さんが風切先輩へぶつかりに来る理由はない。6番席と7番席は確定だ。
問題は1番席から5番席まで、とくに速水先輩のポジションをどうみるか。
「日センは速水先輩を、うえのほうで出してきたのよね。理論上は5番席までズラせるけど、それはないっていうのが松平の読みだったかしら?」
「今田がそこそこで、中竹はそんなに強くない。串山は当て馬だし、春はまだ1回も出ていない。速水先輩を5番席までズラすのは、日センにとって不利だと思う。5番席は風切先輩が一番多く出た席だ。むしろ避けてくるだろう」
となると──私は4つのパターンを書き出した。
パターンA
今田 奥山 中竹 速水 大野 畠田 池下
パターンB
今田 奥山 速水 大野 戸塚 畠田 池下
パターンC
奥山 中竹 速水 大野 戸塚 畠田 池下
パターンD
奥山 速水 町村 大野 戸塚 畠田 池下
「このへんが本命かしら」
「だな。部室でもさんざん議論した組み合わせだ。日セン視点からみて、Aは風切vs速水ができてもしょうがない、っていうパターン、BとCは風切vs速水を避けたい、っていうパターン。BとCのちがいは、裏見vs奥山をめぐる駆け引き。Dは裏見vs奥山、俺vs速水で両方勝つのが狙いだ」
「Dは2敗スタートだから、選ばないと思うのよね。町村くんは当て馬だから、星野くんでも勝てるだろうし」
「だな。Aもおそらく考えなくていい。8番手の中竹を出す理由がない」
つまりは実質的に2択。BかC。
速水先輩は3番席で固定になりそうだ。
「……青葉vs今田は分が悪いんだっけ?」
「ああ、それと穂積vs大野も分が悪いと思う。風切vs速水をむりやり作りに行くと、下のほうで2敗スタートになる可能性が濃厚だ。それに……」
「それに、風切先輩も言ってたものね。『もこっちと当たるのはいい。ただそのときは1勝でカウントしないでくれ』って」
負けでカウントしてくれ、という意味でもない。
不確定要素が大きい対局になる、ということだ。
私はアイスコーヒーをひとくち飲んだ。思考を整理する。
「日センは速水先輩を3番席で出すのがベスト、うちは風切先輩を4番席で出すのがベスト。これでおたがいに作りたくない風切vs速水は回避できてる。つまり両者の利害は一致してる、か……大谷さん、どう?」
大谷さんはじっとオーダー表を見つめた。
「本来ならば眼前の川越戦に集中したいところですが、午後の休憩時間はわずか……今決めざるをえませんか……」
大谷さんはペンをとり、7人の名前を書いた。
裏見 松平 星野 風切 穂積(八) 大谷 愛智
大谷さんはペンを置き、両手を合わせた。
「これについてはいったん忘れましょう。まずは川越戦です」
○
。
.
昼食休憩終了後、私たちは対局会場にあつまった。
そのままオーダー交換になる。
川越の部長は、いたって平凡そうなメガネの男子だった。
松平から読み上げ。
「都ノ、1番席、大将、1年、青葉暖」
「川越、1番席、副将、2年、三浦義樹」
青葉くん再登板。いい勝負だと判断した。
9回戦への布石でもある。
青葉くんの出場に対して、日センには最後までなやんで欲しい。
「2番席、副将、2年、裏見香子」
「2番席、三将、4年、梶原佑太」
「3番席、四将、2年、松平剣之介」
「3番席、五将、4年、中原能」
「4番席、六将、3年、風切隼人」
「4番席、六将、1年、和田勇」
「5番席、七将、2年、穂積八花」
「5番席、八将、2年、引田二郎」
「6番席、八将、2年、大谷雛」
「6番席、十将、3年、三田知成」
「7番席、十将、1年、愛智覚」
「7番席、十二将、1年、大江広」
すべて手は打った。
あとは対局するだけ。
私たちはそれぞれの持ち場へ向かった。
2番席で待っていると、無精ひげを生やしたずぼらな男性があらわれた。
髪型もセットしてなくて、肩まで伸ばしている。
シャツはよれよれで、アイロンがけもしていない。
「梶原です。よろしく」
「よろしくお願いします」
とりあえず駒をならべる。
振り駒は青葉くんが担当。
「都ノ、奇数先」
「川越、偶数先」
私は後手になった。対局開始の合図を待つ。
あいての梶原さんは、なんだか飄々としていた。
上級生の貫禄というよりも、素でこういうタイプっぽい。
時計の針が動いて、幹事がせきばらいをした。
「それでは、対局を開始してください」
「よろしくお願いします」
7六歩、3四歩、2六歩。
私はここで角交換した。
同銀、2二銀。
梶原さんはあごに手をあてて、うーんという表情。
「横歩を避けてきた感じがあるな……」
ぎくッ、正解。
とはいえ、読まれたからどうというものでもない。
ここから横歩へもどすのは不可能。
このまま角換わりにつきあってもらう。
1六歩、1四歩、9六歩、9四歩、4八銀、6二銀。
端がちょっと早いわね。
7七銀、6四歩、3六歩、3二金、2五歩、3三銀。
梶原さんは3七銀と上がった。
これは……先手から変化してきたっぽい。
なにかの速攻。最短だと3五歩で開戦だ。
私は1分ほど考えて、全体の方針を決めた。
7四歩、5八金右、7二金、4六銀、7三桂、7八金。
私は6三銀と上がって、6八玉に8一飛と引いた。
梶原さんはこの手をみて、
「右玉かあ」
と言い、頭をかいた。
そこは先手次第かな。攻めて来たら6二玉の予定。
6六歩、8四歩。
「じゃ3五歩」
はい。とりあえず同歩。
同銀、6二玉、7九玉、4四銀。
攻める右玉。
梶原さんにはこれが意外だったらしく、「あちゃー」とつぶやいた。
「攻め将棋なんだね」
棋譜調べもしてないのか。4年生だからっていうのもありそう。
これは情報アドバンテージが大きい。イケる。
同銀、同歩、2四歩、同歩、同飛。
ここで私は小考──9筋からいけないかしら。
9五同歩に9七歩と垂らせそうだ。同香なら8五桂でいい。
「9五歩」
梶原さんはコーヒーの缶をあけて、ぐいっと飲んだ。
そのまま缶を手に持って考える。
「そろそろ反撃しないとマズいか……同歩」
9七歩に7五歩が指された。
同歩、5六角。
んー……だいぶ露骨。
7四歩が入ると、後手陣はそんなにもたない。
やっぱり薄いのよね、右玉って。
私は4五銀と打ち返した。
露骨な手に対しては露骨な手に限る。
梶原さんは6七角と撤退。
私はここで9五香と走った。
梶原さんは9六歩、同香、9七桂の手筋でガード。
これで主導権がとれた。この時点で後手有利のはず。
「同香不成」
「取ってくるのか。同香」
8五桂と跳ねる。
「ん、それは……」
梶原さんは口もとに手をあてて、すこしばかり姿勢をくずした。
念入りに読んでいる。
エンジンをかけるのが遅いタイプ?
それともこの手を悪手と見た?
なんか後者っぽい気がする。でもこれは悪手じゃないわよ。
やたら長考が続いて、梶原さんの持ち時間は15分を切った。
私のほうは18分。さっきまでは梶原さんのほうが残してたんだけど。
「……9二香成」
しかもすごく普通の手が飛んできた。
このあとを考えてたっぽいかな。
警戒は怠らない。舐めプはいいことないし。
私も3分投入して、読み抜けがないことを確認した。
4一飛と逃げる。
パシリ
……………………
……………………
…………………
………………ん? これは対応できるわよ?
私は同金と取った。
梶原さんは2二飛成と入ってくる。王手だ。
私は即座に3二歩と打った。
これが軽い妙手。同龍なら4二金とする。
梶原さんは取らずに8六銀──ふむ、3二歩を見落としてたわけじゃないのか。
いかん、ちょっと不安になってきた。
後手がいいとは思うんだけど。
私は1分読みなおして、5五桂と打った。角を狙う。
「7三歩」
金当たり……あ、これを読んでたっぽい。
将棋指しの直感。今の間合いと手つきからして、自信ありげだった。
つまりこれが用意していた手というわけだ。
ってことは、これを潰せば一気に押せる。
私は長考に沈んだ。