299手目 息抜き
荷物をかたづけて、テーブルと椅子をもどしてから撤収。
校舎の外にある、いつもの広いスペースでミーティング。
大谷さんは全員にお礼を言ってから、来週への心構えを説いた。
いよいよ解散というところで、ララさんがいきなり大声を出した。
「ワッキー、決着ついたからいっしょに遊ぼうよ」
少し離れたところにいた脇くんは、ふりむいてこっちに歩いてきた。
「どうしたの?」
「ワッキーのお店へ遊びに行くのだぁ」
「僕のお店じゃないけど、遊びに行くのはいいよ。対局も済んだし……都ノ全員?」
ララさんが確認を入れる。
風切先輩は、
「わりぃ、このあと飲む約束だったんだ。もう予約しちまった」
と答えた。どうやら3年生は予定があるらしい。
さらに愛智くんも、
「すみません、僕も用事があります」
と抜けた。多分、生河くんとかなあ。そこは触れないでおく。
青葉くんは明日1限の課題が当たっているので、帰りたいとのこと。
けっきょく私たち2年生とマルコくん、平賀さんがついていくことに。
ぞろぞろと団体でお店に入ると、店員さんはちょっとびっくりしていた。
薄暗い店内で、数人のお客さんたちが立ち話をしている。
その奥には例のダンススペースがあった。アップテンポな曲が流れている。
ララさんとマルコくんは、すぐに踊りに行ってしまった。
まだ時間帯が早いから空いている。
私たちはテーブル席を陣取った。
脇くんはカウンター席へ座り、店長らしきひとと会話を始めた。
店員さんが来て、ドリンクの注文。
私はマンゴー、松平はコーラで、大谷さんはウーロン茶。
平賀さんは迷ったあと、果肉入りオレンジジュースにした。
ドリンクはすぐに出て、私はホッとひと息つく。
「おつかれさま」
私のひとことに、松平も大きく背伸びをした。
「いやぁ、ほんとにつかれた。去年よりきつい」
その甲斐はあった。6連勝。自力昇級枠。
もっとも、ここからが山場だ。
全勝とは言え、日セン、首都工にはまだ当たっていない。
そこに負けたら話はすべてパーになる。
大谷さんもまだまだ表情が晴れないようすで、
「思ったより勝ち星が少ないのは気になります」
とつぶやいた。
平賀さんは、
「あ、すいません、あんまり勝てなくて……」
と恐縮した。
「いえ、失礼しました。これは誰の責任でもありません。ただ……」
大谷さんの言いたいことは分かる。
修文院戦で稼いだ7-0は、ほとんど吐き出してしまった。
1敗の日センと、勝ち星差はそんなにないはず。
あとで正確に計算しないといけないな、と思った矢先、ふと肩を叩かれた。
びっくりして振り返ると、火村さんが立っていた。
黒いフリル付きのワンピースに、蝙蝠のかたちをしたヘアピン。
手には赤い液体の入ったグラスを持っていた。
私はそれが、去年見たお酒だと気づいた。
「香子、どうしたの?」
「火村さんこそ、どうしたの?」
「軽く打ち上げ、みたいな?」
気が早いですね。まあ私たちも似たようなものか──ん? もうひとりいる?
火村さんのうしろに、ひとりの少女が立っていた。火村さんとおなじ欧州人っぽい顔立ちで、背丈もおなじくらいだった。目がぱっちりしていて、ずいぶんと落ち着いた感じ。髪は黒かった。前髪ぱっつんで、服装は体にぴったり合った黒のゴスロリ。頭にアクセサリー用の小さなシルクハットをつけていた。これだけ見ると、なんだかコスプレっぽい。
女の子は透き通った声で、
「お姉さま、お友だちですか?」
とたずねた。
火村さんは「まあね」と言ったあと、
「こっちはあたしの親戚で、ミラーカ」
と、その子を紹介してくれた。
ミラーカさんは、
「はじめまして、ノイマン・ミラーカともうします。お姉さまがいつもご迷惑をおかけしております」
と、丁寧な自己紹介。
火村さんは眉毛をつりあげて、
「ちょっと、迷惑はかけてないわよ」
と反論した。
まあまあ、火村さん、おちついて。
私たちも順番に自己紹介した。
それから私は、
「ミラーカがファミリーネーム……でいいの?」
とたずねた。
「いえ、ハンガリーでは日本といっしょでファミリーネームが先です」
ん、ハンガリー出身なのか。火村さんがルーマニアだから、そのとなりか。
私は留学生かどうかたずねた。
「はい、お姉さまが将棋のメンバーが足りないというもので。今は聖ソフィア大学の1年生です」
将棋のために来日? ウソでしょ?
私が困惑していると、となりに座っていた松平が、
「今の説明は逆だろうな。聖ソフィアに留学したら、付き合いで入部させられたんだろ」
と小声で解釈した。
そっちのほうがもっともらしい。
私はまたノイマンさんに向きなおって、
「ノイマンさん、将棋は何段くらい?」
とたずねた。すると火村さんが、
「あ、スパイはダメよ」
とさえぎった。
いいじゃないですか。今期は当たってないし、どうせそのうち分かる。
ところがノイマンさんは、
「お姉さまがダメだとおっしゃるので、秘密です」
と答えた。
ふむ、秘匿されますか。
よくみると、ノイマンさんも手にグラスを持っていた。
火村さんのとは色が違っていたけど、やっぱりお酒にみえる。
もしかして、私たちより年上?
ありうる。火村さんが年上だから、見た目で判断してはいけない。
私は火村さんに、
「ところで、聖ソフィアのほうはどう?」
とたずねた。
「全勝。上2校にはもう勝ってる」
むむ、ということは圧倒的昇級候補か。
「香子のほうは?」
「都ノも全勝だけど、日センと首都工が残ってる」
火村さんはストローでお酒を飲んだ。
「ふぅん……ま、健闘を祈るわ」
そう言って、火村さんはその場を離れた。
ノイマンさんは「あ、お姉さま」と言って、そのあとをついて行った。
大谷さんはその背中を見送りながら、
「都ノは人手が足りないゆえ、B以外に偵察は出していません。この点ものちのち考えなければならないように思います」
たしかに、聖ソフィアの新入部員は把握していなかった。
個人戦で見かけなかったのもあるけど──
と、そのとき、脇くんがメロンソーダを片手に顔を出した。
「ちょっといいかな」
私たちは空いている席をすすめた。
「今日はおつかれさま。今回はやられたね」
どう答えたらいいのかちょっと迷った。
脇くんはクスリとして、
「ごめん、独り言みたいなものだよ」
と付け加えた。
松平は、
「それを言いに来たわけじゃなよな。なんか相談でもあるのか?」
と勘繰った。
そしてこれは当たっていた。
脇くんはメロンソーダを混ぜながら、
「団体戦が終わったあとで声をかけようかと思ったけど、ちょうどメンバーがそろったから……赤学、都ノ、聖ソフィアで、研究会しない?」
と、予想外の提案をしてきた。
私たちは顔を見合わせた。
ここは主将の大谷さんが代表してたずねる。
「それはどのような目的で?」
「目的か……むずかしい質問だね。そもそも大学将棋に目的があるのやら……一応、言葉通りに受け取ってもらいたいかな。3校で将棋を指す。それだけだよ」
「なぜこの3校なのですか?」
「学生将棋界でわりと浮いてる大学」
ジョーク──ってわけじゃなさそうだ。
実際そういう自覚はある。都ノと聖ソフィアは部が一回潰れてるし、赤学だってお家騒動で部が分裂した。だからほかの大学にあんまりコネがない。
大谷さんも事情を察したようだけど、即答はしなかった。
「持ち帰って検討いたします」
「ありがとう」
脇くんはメロンソーダを飲み干して、席を立った。
グラスをカウンターへ置き、そのままダンススペースへと向かう。
しばらくして、軽やかなフルートの音が聞こえてきた。
私がそれに耳を澄ませていると、平賀さんが話しかけてくる。
「あのひと、なんなんですか?」
あ、そっか、1年生は知らないわよね。
「赤学の主将で、M重の県代表だったひとよ」
「ずいぶんファッショナブルですね。ダンサーとか?」
今聞こえてるフルートは脇くんの演奏だ、と伝えた。
平賀さんはおどろいて、
「いいなあ、そういう二物持ってるひと」
と、うらやましげだった。
うーん……平賀さんは、脇くんの家庭事情を知らないのよね。
私から教えていい内容でもないから、黙っておく。
そのあと私たちは会話に華を咲かせて、踊りたいひとは踊った。
私もちょっと踊っちゃった。激闘の合間におとずれた、つかのまの休息だった。