294手目 律儀な終局
私は7七角と受けた。
井伊くんは5二金右で、雁木を明示。
こっちもちょっと組みにくいわね。
私は慎重に駒組みを進める。
8八銀、6二銀、7八玉、7四歩──攻めたい。
この時点で3五歩としたい。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
同歩、2六銀、3四銀で一回押さえられてしまう。
でも次に5六歩~6八角と引いたら? これを後手は止められなくない?
私は3分ほど念入りに読んで、3五歩と開戦した。
「なるほど、そう来ますか……」
井伊くんは1分小考して同歩。
2六銀、3四銀、5六歩、4三金右、6八角。
「7五歩です」
ふむふむ、反撃してきましたか。
これはすぐにどうこうするわけじゃなくて、将来的な傷をつけておいた手だ。
同歩、4五歩。
後手は角筋を通してきた。私は3八飛でもう一回力を溜める。
4四金、7七銀、4二玉、6六歩、4三金上。
後手陣はだいぶ変わったかたちになった。
このまま先手の攻めを頓挫させるつもりか──どうしましょ。
たしかにこうやって盛り上がられると、なかなか攻められない。
とはいえ、そんなにいい受け方とも思わないのよね。ちょっと上ずってるというか。
私はお茶のキャップを開けて、リフレッシュ。
どこかでスキができれば、一気に崩壊させられそうなんだけど……ふむ。
けっきょく私は6七金とした。しばらく間合いを計る。
3二玉、8八玉、5四歩、7八金、4二角。
私は打開策として3七桂と跳ねた。次に4六歩、同歩、同角の交換を目指す。
このとき8二の飛車当たりになるから、事前に7三銀だと予想。
ここでも井伊くんは1分ほど小考した。
「……3六歩です」
むッ、先攻してきたか。これはちょっと意外。
交換し合うと後手が損なのでは? しびれを切らした?
対局態度からそういう雰囲気はしない。採算があると思ってるのかしら。
私は腰を落として読む。
3五歩、3七歩成、同飛までは確定。
そこで後手はなにをしてくるの? 3五同銀? それだと駒損よね。
っていうか後手陣は本格的に崩壊する。
なにか勘違いがあるのでは?
私は疑心暗鬼になって30秒ほど考え、ようやく答えに気づいた。
1四桂だ。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
以下、3四歩、2六桂の予定だと思う。
んー、先手悪い気はしないわね。
私のほうはむしろ膠着して困ってたわけだし。
私は井伊くんの流れに乗ることにした。
「3五歩」
3七歩成、同飛、1四桂、3四歩、2六桂。
さあ、ここから一気に攻めるわよ。
「5五歩ッ!」
井伊くんは3四金上で歩を払った。
私は露骨に3五銀と打つ。
これが厳しいはず。同金とはできないし、放置なら2六銀で桂馬を回収できる。
井伊くんは後者を選択。4三玉、2六銀、5三銀。
私は5四歩と畳みかけて、同銀に5六桂とすえる。
「!」
激痛ぅ、のはず。すくなくとも井伊くんはこの局面を想定していなかったらしい。
さっきからちょっとずつ小考している。
おそらく踏み込まないで、もっとおだやかに進む順を読んでいたのだろう。
甘い。私は攻め将棋なのよ。
井伊くんも攻めるしかないと見たのか、8六歩と反撃してきた。
これは冷静に同銀としておく。
5三角、4四桂、同金、5五歩。
ほらほらほら、止まらなくなってきた。
同銀、3五銀、3三歩、3四歩。
「もう止まりませんか……6九銀です」
井伊くんは受けるのをあきらめた。
のこり時間は私が12分、井伊くんが8分。
私のほうは長考する必要がない。
3三歩成、同桂、3四歩とした。
井伊くんは3二歩。
「4四銀」
井伊くん、さすがに表情が厳しくなる。
まっすぐだった姿勢が、ほんのわずかだけど前のめりになってきた。
「……」
「……」
「……同角です」
3三歩成、同歩、3五桂。
3五金かな、とも思ったけど、これでイケると読んだ。
5二玉に5三歩と叩く。
同玉、4三金、6二玉、4四金、同銀、4三桂成。
私はお茶を飲んだ。のこり時間は5分。十分だと思う。
井伊くんは1分将棋に。
ピッ……ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
井伊くんは5五桂。
私はここで時間を使った。
6七桂成は詰めろなのよね。なんだかんだでこのかたちは薄い。
ああして、こうして──うん、オッケーかな。
私は最後に1分だけ残して4四成桂。銀を抜いた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
井伊くんは静かに6七桂成。
おっと、そう指しましたか。じゃあ最後の確認。
ピッ……ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
私はこの手を指してお茶を飲んだ。
井伊くんは一瞬きょとんとする。
なるほど、1分将棋で読み切れてなかったわけですね──詰みですよ。
とはいえ井伊くんもすぐに察したらしい。
詰みじゃないのに成桂を捨てるわけがないから。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
井伊くんは7一玉と逃げた。
さすがに長手数のほうか。私は1分将棋の中、確認を進める。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
6二銀、同飛、同成桂、同玉。
井伊くんはノータイム指し。
そう、この局面になるから、一見詰まないのよね。でも──
「3五角」
この飛び出しがある。逃げるのは並べ詰み。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
井伊くんは5三歩。
同角成、同玉、3三飛成、6二玉。
私は持ち駒の飛車を手にした。
「6一飛」
これで詰み。
井伊くんは持ち駒をそろえた。
「負けました」
「ありがとうございました」
一手違いだけど、完勝。
井伊くんはすぐに感想戦を始めた。
「5三成桂に同玉も詰んでいましたか?」
【検討図】
「それは3三飛成、4三合駒、4四角以下ね。本譜より短手数じゃない?」
「4三金合なら4四角、5二玉、5三銀、同金、同角成、6一玉に7一金と脇から打って詰みですね」
さいですね。
「3六歩がやりすぎでしたか?」
「そうね、アレはちょっと助かったかな、と思った」
「先手が膠着状態なのはわかっていたのですが、うまく待つ手順が分からず……」
「7三銀とか一回上がっとくんじゃない?」
【検討図】
「これなら4六歩、同歩、同角が飛車当たりにならないでしょ」
「7三銀なら4六歩、同歩、同角ではなく、4六歩、同歩、4五歩ではありませんか?」
「んー、その攻め合いもありかな。4七歩成、4四歩、3八と、4三歩成……」
私が読んでいると、井伊くんは、
「飛車は取らないと思います。一度4四同金で手をもどします」
とコメントした。
「そっか……じゃあ3九飛と引くかしら」
「この局面に自信がなかったので、3六歩の攻め合いを選びました」
なるほど、そういう経緯があったのか。
むずかしいわね。
「雑感になっちゃうけど、本譜は攻めが止まらなくなったから、こっちじゃない?」
「たしかにそうですね」
そのあとは終盤をもうすこし検討した。
先手がずっと良かった、という結論。
感想戦を終えたとき、井伊くんはわざわざ、
「勉強になりました。ありがとうございました」
とお礼を言った。律儀。
そのあと松平から報告を受けたとき、私はおどろいた。
「7-0?」
松平はホッとしたようすで、
「ああ、穂積先輩も勝って全勝だ」
と答えた。
穂積お兄さんは、
「いやあ、大学生活最初で最後の白星かな」
と笑っていた。どうもあいてはほんとに低級者だったらしい。
私たちが会場でわいわいやっていると、ふと視線を感じた。
磐くんがすみっこのほうで、ほかの部員と話しながらこちらをちらちら見ている。
日センと赤学からも視線を感じた。
大谷さんは、
「大幅に勝ち星を稼いだので、マークされてきましたね」
と小声で言った。
ですね。これは大きい。他のチームで7-0しているところはまだなかった。
最後の勝ち星勝負で効いてくるわよ。
大谷さんは手を合わせ、
「逆にこちらがプレッシャーをかけられないように注意いたしましょう」
と気合を入れなおした。
勝って兜の緒を締めよ。次は政法戦──のまえにランチタイム。
場所:2017年度 春季団体戦2日目 4回戦
先手:裏見 香子
後手:井伊 直幸
戦型:後手雁木
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲4八銀 △4二銀
▲6八玉 △4三銀 ▲5八金右 △3二金 ▲2五歩 △3三角
▲3六歩 △8四歩 ▲3七銀 △8五歩 ▲7七角 △5二金
▲8八銀 △6二銀 ▲7八玉 △7四歩 ▲3五歩 △同 歩
▲2六銀 △3四銀 ▲5六歩 △4三金右 ▲6八角 △7五歩
▲同 歩 △4五歩 ▲3八飛 △4四金 ▲7七銀 △4二玉
▲6六歩 △4三金上 ▲6七金 △3二玉 ▲8八玉 △5四歩
▲7八金 △4二角 ▲3七桂 △3六歩 ▲3五歩 △3七歩成
▲同 飛 △1四桂 ▲3四歩 △2六桂 ▲5五歩 △3四金上
▲3五銀 △4三玉 ▲2六銀 △5三銀 ▲5四歩 △同 銀
▲5六桂 △8六歩 ▲同 銀 △5三角 ▲4四桂 △同 金
▲5五歩 △同 銀 ▲3五銀 △3三歩 ▲3四歩 △6九銀
▲3三歩成 △同 桂 ▲3四歩 △3二歩 ▲4四銀 △同 角
▲3三歩成 △同 歩 ▲3五桂 △5二玉 ▲5三歩 △同 玉
▲4三金 △6二玉 ▲4四金 △同 銀 ▲4三桂成 △5五桂
▲4四成桂 △6七桂成 ▲5三成桂 △7一玉 ▲6二銀 △同 飛
▲同成桂 △同 玉 ▲3五角 △5三歩 ▲同角成 △同 玉
▲3三飛成 △6二玉 ▲6一飛
まで105手で裏見の勝ち