291手目 前言撤回
2局目は午後からということで、私たちは昼食休憩に入った。
人数が増えたから、さすがに一ヶ所で食事というわけにはいかない。
役員だけいつもの喫茶店に集合して、作戦会議。
松平はオーダー表と午前中の資料を見比べながら、
「裏見、矢追と当たった場合の自信は?」
とたずねた。
「矢追くんとは2回指して1-1よ。ひとつは非公式戦だけど」
「駒の音で指したときだよな*。新人戦では勝ってるし……いけそうか?」
「意図的に避ける理由はないわね」
なるほどと、松平はうなずいた。
私は、
「矢追くんと当たりそう?」
とたずねた。
「矢追が三将で、入江さんが副将。大将は当て馬っぽい2年だ」
「四、五将は?」
「四将が当て馬で、五将が梅田っていう3年のレギュラー。個人戦ベスト32が最高」
私は対戦の組み合わせを考えた。
パターンはかなり多いから、最善のケースと最悪のケースを中心に考える。
「……青葉vs入江、裏見vs矢追、松平vs梅田が一番微妙?」
「だと思う。その場合はよくて2-1、最悪だと0-3まである」
「だったら、1番席は私が出るしかないんじゃない? というか、松平はどうなのよ。入江先輩、矢追くん、梅田先輩のだれと当たりたいの?」
松平は困ったような顔をして、ボールペンで頭をかいた。
「矢追以外ならまあイケるんじゃないかと思う。俺も去年のベスト64だしな。いずれにせよ、ララと星野をその3人に当てる理由がない。3番席は風切先輩に任せよう」
松平はメモ帳にオーダーを書き込んだ。
裏見 松平 風切 大谷 愛智 車田 平賀
「6番席マルコくん? 4番席穂積さんか5番席三宅先輩は?」
「梅田4番席もありえる。そのときは大谷に狩ってもらいたい。穂積だと微妙だ。そして1年生を強化のために出す、というのはどうだ?」
なるほど、後半で初出場だと緊張するかもしれないわね。
私は賛成した。
あとは大谷さんの決裁を待つだけ。
大谷さんはベジタブルサンドを食べる手をとめて、しばらくオーダーをみつめた。
「……これでけっこうかと思います」
よし、決まり。
それじゃ、昼食に専念──
午後1時。対局会場にひとが集まった。
松平と矢追くんがオーダー交換をする。
今回は矢追くんからになった。
「1番席、電電理科、副将、4年、入江直哉」
「1番席、都ノ、副将、2年、裏見香子」
予定通りの組み合わせ。
「2番席、三将、2年、矢追康一」
「2番席、四将、2年、松平剣之介」
「3番席、五将、3年、梅田裕」
「3番席、六将、3年、風切隼人」
「4番席、六将、1年、飯田琢磨」
「4番席、八将、2年、大谷雛」
「5番席、七将、1年、佐藤進」
「5番席、十将、1年、愛智覚」
「6番席、九将、3年、橋本俊照」
「6番席、十一将、1年、車田マルコ」
「7番席、十一将、3年、藤木武彦」
「7番席、十二将、1年、平賀真理」
オーダー表の書き込みが終わった。
矢追くんはそれをじっと見ながら、
「……しかたがないか」
とつぶやいた。
悩ましかったんでしょうね。上のほうはズラそうと思えばズラせたはず。
だけどこっちもズラしたときのリスクが大きすぎて、できなかったわけだ。
初出場の車田くんは、
「緊張するなあ」
と言って、いつもの笑顔がなかった。
すると愛智くんが、
「だいじょうぶ、やるのは将棋だし、気楽にいこ」
と励ました。1年生3人組はうしろのほうへ移動。
私は1番席へ座る。
入江会長は1分ほど遅れて登場。
「ごめんごめん、メールしてた」
「就活ですか?」
「いやいや、研究室のツテで就職は決まってる」
むむむ、そういうパターンか。
たしかに理系はそういうのがあるって聞くわね。
電電理科は私大の理系だと上位校だから、いいところに決まってそう。
私たちは駒をならべた。チェスクロもセットする。
「振り駒は裏見さんでいいよ」
「いえ、入江先輩で」
じぶんはもう飽きるほどやったからいい、と入江先輩は答えた。
それでは、お言葉に甘えて──歩が3枚。
「都ノ、奇数先」
「電電理科、偶数先」
あとは対局開始を待つだけ。
春の陽気で部屋が暖かくなっている。
幹事のひとはちょっと眠そうだった。
「……それでは、対局を始めてください」
「よろしくお願いします」
おたがいに一礼して、入江先輩はチェスクロを押した。
7六歩、8四歩、6八銀、3四歩、7七銀。
矢倉の出だし。
「がっぷり四つか。オッケー、受けて立つよ」
入江先輩は6二銀と上がった。
2六歩、3二金、4八銀、7四歩、7八金、6四歩。
序盤はどんどん飛ばす。
5八金、7三桂、6六歩、6三銀、6七金右、4二銀。
ん? ちょっと変則的ね。これは矢倉急戦がありそう?
私は2五歩と突いて打診した。
入江先輩は飛車先を受けずに4一玉。
そう来ますか。
私は10秒だけ考えて、2四歩と突いた。
同歩、同飛、2三歩、2八飛、8五歩。
「4六歩」
攻めの態勢。
逆に後手は5四歩と突いて、おとなしくなった。
矢倉急戦でもないのか。まさかの菊水矢倉? いや、あれは銀の位置がちがう。
ここからは手将棋に。
6九玉、6二金、4七銀、8一飛、9六歩、9四歩。
すこし迷うわね。
後手から仕掛けてくる気配は全然ない。
私のほうは角の活用にすこし苦労しそう。
「3六銀」
「3三桂」
ん、そういう作戦か……かなり変わったかたちになった。
私は小考してしまう。
入江先輩としては時間差をつける狙いなんだろうけど、ここは仕方がない。
「……7九角」
4四歩、6八角、4三銀、7九玉、1四歩、1六歩、3一角。
私のほうはあくまでも普通の矢倉に組んだ。
4七銀といったん撤退して、5三角に3六歩と突きなおす。
入江先輩は王様にゆびをそえた。
「さて、去年は利根くんにああ言ったものの**……」
パシリ
ま・た・そ・れ・か。
がっぷり四つはなんだったんですか。
「先輩、宗旨替えしたんですか?」
入江先輩はバツが悪そうに笑って、
「いやぁ、やっぱり格上あいてに正面突破は分が悪いんだよね」
と言った。
んー、私のほうがそんなに格上ってわけじゃないと思うんだけど。
まあこうなってしまったのだからしょうがない。
私は右玉崩しを考える。
後手は狙いをごまかすために王様の移動を保留し続けた。
だから5二のまま戦うハメになる。ここを狙いたい。
とりあえず8八玉と入城する。
2一飛、5六歩、8一飛。
さあ、この瞬間。私は力強く端歩を突いた。
即開戦。
後手にはこれ以上うろちょろさせない。
チェスクロを押すと、入江先輩も真剣に考え始めた。
この端攻めはかなり厳しいわよ。
理由は単純。4五歩で角が攻めに参加するからだ。
4五歩自体も攻めになっている。後手は2方面で受けないといけない。
「……同歩」
1三歩、同香、4五歩。
有利不利をどうこうする局面じゃないけど、打開できない不安はなくなった。
これはもう殴り合いになる。
入江先輩は2二金で端を受けた。
私は4四歩と取り込む。
同角、4五歩、5三角、4六銀。
次に3五歩が決まれば、2筋突破は確実だ。
最悪5五歩として、銀を回り込んでもいい。
さあ、入江先輩、どうします。
「うーむ、悪い気はしないんだが……6五歩」
後手も踏み込んだ。
これは9筋が狙いっぽい。9五歩~9七歩としてきそう。
私は腰を落ちつけて考える。
まず本命は3五歩よね。
同歩なら2四歩~3五銀で2筋突破確定。だから取らないと思う。
6六歩、同金、6五歩と押さえてきて、6七金引、9五歩。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
こんな感じかしら。最後の9五歩はちょっと微妙かもしれない。
8六歩とかも考えられる。
もうひとつの私の候補手は5五歩。
これは3五歩ほど厳しくないから、すぐに9五歩としてきそう。
以下、同歩、9七歩、同香、6六歩、同金、6五歩、6七金引、7五歩。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
この畳みかけよね。
感触としても5五歩なら受け、3五歩なら攻めになりそう。
せっかく端攻めで先攻したんだし、受けに回る必要はない。
私は3五歩を選択した。
6六歩、同金、6五歩、6七金引。
ここで入江先輩は長考。
のこり時間は先手が14分、後手が18分。
そこまで差はついていない。これは入江先輩にとっても誤算のはず。
「……3五歩」
え、取った?──チャンスでは。
私は手なりで2四歩と打ちかけた。すぐに手をひっこめる。
いけないいけない。よく考えないと。
入江先輩も勝算なしに取ったわけじゃないはず。
たぶん2筋の突破をそこまで痛くないとみているのだろう。
2四歩、同歩のあと、6四角ののぞきをみていると思うのよね。
これがあるから、2四歩、同歩、5五歩が必要だ。
そこで手抜かれると? 例えば8六歩、同銀、9五歩。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
いったん後手に手が回るパターン。
私はこれでも先手がいいと感じた。でも2筋を狙ったことと整合性がない。
おそらく3五銀と上がるのはしばらく先になりそうだ。
じゃあ2四歩、同歩、5五歩じゃなくて5五歩、同歩、2四歩だと?
この5五歩は手抜けないでしょ、さすがに。
それともそこで9五歩がある? 同歩、9七歩、同香……どうかしら。
私は2つの筋を丁寧に掘り下げた。
……………………
……………………
…………………
………………
「5五歩」
入江先輩はノータイムで同歩。
私は持ち駒の歩を手にして、2四へまっすぐに打ち込んだ。
*70手目 チャレンジャーたち
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**204手目 年上の気負い
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