表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第6章 2016年度春季個人戦2日目(2016年4月24日日曜)
30/494

29手目 ノーチェック

挿絵(By みてみん)


 ここから、どう指すかだけど……同金しかないと思う。同金、5三歩、6七銀成、同金に5六金と打ち直して、同金、同歩、5二歩成。そこで後手に手があるかどうか……あると言えば、あるか……例えば、6七金の張り付きとか……。

「これしかないか」

 入江いりえ会長は、1分ほど考えて、4四同金と取った。

 以下、5三歩、6七銀成、同金、5六金、同金、同歩、5二歩成、6七金まで、パタパタと進んだ。読み筋通りだけど……うーん、後手不利なのは、変わらなさそう。

「4一銀」


挿絵(By みてみん)


 風切かざぎり先輩は、銀を引っ掛けた。

 チェスクロを押して、左肩にかかった髪の束をくるくる回し始める。部室でもよくやっているし、どうやら癖のようだ。なくて七癖ね。

 一方、入江会長のほうは、三たび長考に沈んだ。

「金を逃げるのは、受けにならないか……」

 その通り。3一金なら2四歩だし、4三金上なんて逃げようものなら、3二金、1二玉に1四歩と突いて必至。同歩なら同飛、1三歩、同角成、同桂、同飛成までだ。かと言って現局面を放置するのは、3二銀成、同玉、4二金、2二玉、3二金打、1二玉、1四歩で、同じような必至に持ち込まれてしまう。3三金直は、ありそうだけど……ただ、4二とがあるのよね。同飛、5二銀成も、後手が悪そう。

「3一歩」

 入江会長は、底歩を選択した。

 風切先輩は髪の毛くるくるをやめて、ここでいきなり長考した。3一歩を読んでなかったわけでは、ないと思う。寄せを考えて……ん? もしかして、受けを考えてる? 視線が自陣に向けられている気がする。読み抜け? それとも、最後の確認? 風切先輩は、寄せの直前に大長考することがあるから、どちらとも言えない。

 残り時間は、先輩が9分、会長が3分で3倍もあったけど、急に縮まり始めた。

 そして、ほぼ同じくらいになったところで、先輩は6三の銀に指をぐっと添えた。

「6二銀不成」


挿絵(By みてみん)


 ん? これは? 私には、狙いが見えてこなかった。

 入江会長は、盤上に手を伸ばして、4六角としかけた。

「……お手伝いか。失礼」

 会長は、角を7三に戻して苦吟した。ちょこちょこ時間を使わさせられている。この6二銀不成は、私もまったく考えていなかった。ちなみに、4六角と出るのは同角、同歩、6四角と急所に下ろしてもいいし、あるいは、1八に飛車がいることを見込んで、放置してもいいと思う。個人的には、前者のほうが好み。

 ただ、角の逃げ場所は、4六とは限らないわけで……6四角……5三銀不成が、角金両取りか……同角、同とのあとが難しい……5五角〜6六角のほうが厳しいかも……いや、そうでもないか。5五角にも5三銀不成とスライドして、6六角なら同銀、同歩、3二銀成、同歩、4二銀不成が詰めろになる。先手玉は詰まない。


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 んー、ということは、この6二銀に対して角を逃げられないのか……でも、攻め合いを選択するのも怖いような……6二角、同と、同飛の清算のほうが、まだありそう……と、そこまで考えたとき、入江会長の手が伸びた。

 

 パシリ

 

挿絵(By みてみん)


 攻め合った。大丈夫かしら。

 風切先輩は、かるく頷いてから、7三銀不成とした。ん? 7三銀不成?

「それは……」

 入江会長は罠だと思ったのか、手が止まった。

 けど、残り時間が少ないから、すぐに7九角と打った。

 9八玉、9六歩。

 いきなり先手が危なくなった気がするけど、大丈夫? 詰めろよ、詰めろ。

「同歩」

 風切先輩は、悠々と歩を払った。


挿絵(By みてみん)


 こ、これで受かってるの? 9七歩、同桂、9六香の詰めろが見えるのに……入江会長もかなり警戒していた。残り時間の2分を、惜しまずに投入してくる。

「そうか……6八飛……」

 入江会長の独り言に、私はハッとなった。

 9七歩、同桂、9六香、6八飛だ。


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 詰めろを解除してるだけじゃなく、ほとんど攻めを切らしている。

 入江会長は口もとに手を当てて、真剣に盤を睨んだ。

「駒を補充して……いや、なにを指しても6八飛なのか……?」


 ピッ

 

「くッ」

 1分将棋に――入江会長は59秒まで考えて、7三桂と跳ねた。

 風切先輩は、颯爽と6八飛。

 以下、9六香、9七歩、8六歩(詰めろ)、同歩。

「これしかないッ! 8五歩だッ!」


挿絵(By みてみん)


 さすがに遅いでしょ。

 風切先輩もそう判断したらしく、最後に腰を入れて読み始めた。


 ピッ

 

「……」


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「3二銀成」

 同歩に4二金。

 詰めろが掛かった。3一角、3三玉、3二金、同玉(4三玉は5三角成、3三玉、4二馬以下)、4二角成、2二玉、3二金、1二玉、2二金打までだ。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「4三金ッ!」

 一番誤摩化せそうな手がきた。

 風切先輩は足を組み直し、右肘をテーブルに乗せた。

 私なら、とりあえず3一角と打っておく場面だ。3一銀と打たれると面倒になる。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 風切先輩は、静かに3一角と打ち込んだ。

 入江会長は、ノータイムで3三玉と逃げる。時間攻め。

 ここで4三金……は、同玉だと寄るけど(5三角成、3三玉、4四金、2二玉、3四金が詰めろ)、同銀だと寄らないか……あ、でも、同銀に3八飛と回る手があるわね。例えば、3八飛、3五銀、4二角成、3四玉……2四金が効いたりする? 同歩、同馬に同銀とできないから(飛車筋の王手放置)、4四玉、5三馬、5五玉……ん? 微妙?


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 風切先輩は、スーッと飛車をスライドさせた。3八飛の先回りだ。

「8六歩ッ!」

「読み切りですよ。4三金」


挿絵(By みてみん)


 会長は、ノータイム指しをやめた。20秒ほど考えて、顔をしかめた。

「しまった……飛車切りから4三銀か……」

 私もしばらく考えて、その筋に気づいた。現局面から、同玉、5三角成、3三玉、3四飛と切って、同玉、4三銀(これが後手の角筋を回避して好手)、2五玉、2六金、2四玉、2五歩、3三玉、3二銀成、同玉、4二馬、2二玉、3二金、1二玉、2二金打……詰んでいる。

 入江会長はタメ息をついて、前髪をかきあげた。

「ぴったりか……負けました」

「ありがとうございました」

 一礼して終了。風切先輩、ベスト16進出。

 会長は、お茶を飲んでひと息ついてから、感想戦を始めた。

「もうちょっと詰みセンサーが良くないといかんな……3五銀打だったか?」


【検討図】

挿絵(By みてみん)


「その場合は、7八金と受ける予定でした」

「8六歩が詰めろだけど、いいのか?」

「8六歩には同銀です」

「同銀? 同飛が詰めろ……じゃないのか。これが詰めろじゃないのはキツいな」

「それに、4三金、同銀、8六角成と抜く手がありますから」


【検討図】

挿絵(By みてみん)


 入江会長は、うーんとうなった。

「これはもう、ムリだな……3五銀打、7八金に4六角成と逃げよう」

 風切先輩は、その局面ですこしだけ考えて、4七歩と打った。

「取ると詰みか?」

「すぐには詰まないと思います。ただ、4七同馬に4三金と引いて、同玉なら5三角成、3三玉、4三金。これに2二玉なら3五飛が詰めろ。4三同銀も3五飛で、3四銀合なら4二銀、2二玉、3四飛が詰めろ。3四金合なら同飛として同玉、3五金、3三玉、4二馬、2二玉、3一銀、1二玉、2二金の即詰みです」

 んー、さすがは元奨励会員。読みが速い。

 これには入江会長も苦笑して、

「やれやれ、実力差通りの結果になったな……さて」

 と、周囲を見回した。他の対局も、ちらほら終わり始めていた……って、ああッ!

 帝大ていだい晩稲田おくてだの対局、終わってるじゃないッ! 偵察し損ねたッ!

傍目はためくんひとりだと運営が大変だし、もうしわけないが感想戦はここまででいいかな」

「ええ……構いません」

 風切先輩は、どこか力なく答えた。あんまり元気がない。

 勝ったから、もっと喜んでも良さそうだけど……いや、ベスト16くらい当たり前、ってことなのかしら。私は深く考えず、席を立った先輩に声をかけた。

「お疲れさまです」

 風切先輩は考えごとをしていたらしく、すぐには気づかなかった。

 もういちど声をかけようとしたとき、ようやく振り返ってもらえた。

「ん……裏見うらみ、観てたのか?」

「は、はい……先輩、疲れてませんか?」

「いや、べつに」

 先輩は、ニヤリと笑った――けど、なんだかわざとらしい気がした。

「ちょっと外をぶらぶらして来る」

 先輩はそう言って、会場を出て行こうとした。私は、慌てて呼び止める。

「次の対戦相手は、チェックしなくていいんですか?」

「分かってるから、いい」

 先輩はうしろ向きに手を振って、そのまま敷居をまたいだ。

 私は、「はぁ」とだけ言って、ぼんやりとその背中を見送るしかなかった。

場所:2016年度 春季個人戦2日目 2回戦

先手:風切 隼人

後手:入江 直哉

戦型:脇システム


▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀 △3四歩 ▲6六歩 △6二銀

▲5六歩 △5四歩 ▲4八銀 △4二銀 ▲5八金右 △3二金

▲7八金 △4一玉 ▲6九玉 △7四歩 ▲6七金右 △5二金

▲7七銀 △3三銀 ▲7九角 △3一角 ▲3六歩 △4四歩

▲3七銀 △6四角 ▲4六角 △7三銀 ▲7九玉 △4三金右

▲8八玉 △3一玉 ▲2六歩 △2二玉 ▲2五歩 △8五歩

▲1六歩 △9四歩 ▲1五歩 △9五歩 ▲3五歩 △同 歩

▲同 角 △3六歩 ▲4六銀 △6二銀 ▲5五歩 △同 歩

▲5八飛 △3七歩成 ▲同 銀 △5三銀 ▲6八角 △5四銀

▲4六歩 △3四歩 ▲3六銀 △7三角 ▲1八飛 △6四歩

▲4五歩 △6五歩 ▲3五歩 △4五銀 ▲同 銀 △同 歩

▲3四歩 △同 銀 ▲6三銀 △5六銀 ▲4四歩 △同 金

▲5三歩 △6七銀成 ▲同 金 △5六金 ▲同 金 △同 歩

▲5二歩成 △6七金 ▲4一銀 △3一歩 ▲6二銀不成△6八金

▲7三銀不成△7九角 ▲9八玉 △9六歩 ▲同 歩 △7三桂

▲6八飛 △9六香 ▲9七歩 △8六歩 ▲同 歩 △8五歩

▲3二銀成 △同 歩 ▲4二金 △4三金 ▲3一角 △3三玉

▲3八飛 △8六歩 ▲4三金


まで105手で風切の勝ち

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=891085658&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ