283手目 合駒の打ち場所
火村さんは5九角と引いた。
ここからは神経を使う駒組み。
3二金、3八金左、7三角、3六歩、6四歩、9六歩、9四歩。
火村さんは7七桂と跳ねた。
全軍躍動。
大谷さんも8四角で桂跳ねの余地を作った。
平賀さんはこれを見て、
「どっちも固めてポンですか。先手のほうが先攻しそうですけど」
と言った。
たしかに先手のほうが攻めやすいかな、とは思う。
攻めのつなげかたよね、問題は。
7筋、8筋あたりはもう見合いになりそう。
私はちょっと考えて、
「先手は2六角かしら」
と指摘した。
「3六歩と突いたのは、それっぽいですね」
「2六角~5四歩~4五歩くらい?」
「足りなくないですか? 4五歩に4二飛と回れば回避できません?」
なるほど、4五歩、4二飛、4四歩、同金、4五歩なら強く同金と取って、これが飛車当たり。以下、5三角成、5六金、4二馬、同銀、5六銀の取り合いは5九飛、4七銀、6六角の出が速そう。後手に馬ができると、寄せるのは大変になる。
でもそれ以外に攻め駒を足すとしたら、3七桂くらいしかないのよね。
それはそれで怖い。
パシリ
火村さんは2六角と出た。
以下、7三桂に5四歩と仕掛けた。
攻めましたか──ということは火村さんになにか策があるわけね。
お手並み拝見。
5四同歩、4五歩、4二飛、4六銀。
火村さんは一回溜めた。
これは後手に手を渡すからすこし怖い。
案の定、大谷さんは6五歩で反撃に出た。
4四歩、同金、5三歩。
次に5二歩成を見た手だ。
決まれば優勢になるけど、もちろん大谷さんは阻止しにかかる。
5五歩で先に飛車へ当てた。
5九飛、3五歩で角筋を止める。
火村さんは4六の銀をつまみあげ、じぶんの顔のまえに持っていった。
「こうなったら引けないわね。5五銀」
殴り合い。両者、気合十分。
平賀さんは、
「同金、同飛、6六角、5二歩成、5五角、4二と、同銀までは一直線ですか」
と、飛車の取り合いを読んだ。
それが第一感かな。
「そこで形勢判断をどうするか、ね」
「先輩はどっちがいいと思います?」
私は脳内将棋盤で考える。
「……互角じゃない? 先手のほうが王様は堅いけど、後手は馬ができそうだから」
パシリ
大谷さんは同金と取った。
同飛、6六角、5二歩成、5五角、4二と、同銀。
先手は6一飛と下ろし、後手は6九飛と対抗する。
飛車はその位置に下ろしましたか。さて、どうなるか。
9一飛成、9九飛成、4四歩。
平賀さんは、
「これ危なくありません? 4七銀で剥がしにいけますよ?」
と指摘した。
4七銀は同金だと3九龍で即死してしまう。
「それは取らずに3四香が厳しいわ」
「あ、なるほど、3八銀成でもまだ詰めろじゃないですね」
3二香成は詰めろ。
とはいえ4七銀が悪手というわけではない。3四香を受ければいいだけ。
大谷さん、ここで小考。
長い終盤の入り口になりそうだ。
4七銀とストレートに行くか、それとも他の手を指すか。
のこり時間はおたがいに10分強。あまり長考したいところではない。
大谷さんは10分を切ったところで動いた。
パシリ
っと、これは予想外。だって──
火村さんはすこしいぶかしんで、盤面全体を確認した。
そして4八香と打った。
そう、これがあるからお手伝いなのでは。
私の心配をよそに、大谷さんは7七角成とした。
馬でだいじょうぶってこと?
4二香成、同金。
すっごいギリギリな気がする。
3一銀は7七の馬でなんとかなっている。
でも1五角と追加されたら? 2四香だと切る手が成立しそう。
火村さんは先手がいいと思っているのか、ずいぶんと考え込んだ。
ここはかえって迷う局面かもしれない。
私は、
「なにを指しても良さそうだから、かえって難しいわね」
とつぶやいた。
「ですね。正解はひとつしかないパターンです」
さあ、火村さん、どうかしら。
私たちは火村さんの指し手に注目した。
先手はのこり3分。
「……3七角」
おっと、これはヒヨったのでは?
桂馬の補充と馬作りを目指しているのはわかった。
でも中途半端な印象を受けた。
キメにいくなら1五角だったはず。
心なしか、大谷さんも反応したようにみえた。
平賀さんは、
「3六歩ですかね」
と予想した。
「3六歩、7三角成、3一香かしら……意外と先手も堅いか……」
本譜は手順が前後するかたちで進んだ。
3一香、7三角成、3六歩。
火村さんは5四桂。
んー、3二金はジリ貧だから、3三銀打かしら。
そう思った瞬間、大谷さんは3七香と打ち込んだ。
うわッ、大谷さん、積極的。
火村さんの3七角とは対照的だ。
火村さん、長考。のこり2分から1分使って、4二桂成とした。
3八香成、3一成桂、2九成香、同金、3一銀、同龍。
ここで大谷さんが1分将棋に。
ヘタしたら5分は考えたい局面。がんばって。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「3八銀」
こ、これは──
「2二銀で龍を抜けますよ?」
平賀さんの言うとおりだ。
2二銀、同馬、同龍、同玉、5五角が王手龍になる。
もちろんそれは大谷さんの見落としじゃない。
後手はそこから3三銀、9九角、2九銀成、同玉とすればいい。
先手は生角が微妙だし、飛車を手放すと5九飛が王手角取りになる。
ただ、分岐はかなり多い。
大谷さんは勝負に出ていると感じた。
ピッ
火村さんも1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
火村さんは2二銀と打った。
時間切れになりそうなタイミングだった。読み切れなかったっぽい。
同馬、同龍、同玉。
パシリ
王手龍をかけないッ!?
っていうかまさか寄るの?
寄らないならただの銀捨てになるわよ?
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
大谷さんは同玉とした。
火村さんは香車を手にして、何度も空打ちする。
寄る? 寄らなくない?
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
王手──1分将棋では悩ましいかたち。
3二か3三のどちらかに合駒だとは思う。
なにをどう打つか。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
大谷さんは59秒ぎりぎりまで考えて、3二銀を選択。
6四馬、4二銀、3二香成、同玉、3五香、3三香。
あ、6五馬で王手銀取りになっちゃう。
先手の狙いはこれだったか。
大谷さんがチェスクロを押すと同時に、火村さんは持ち駒の金をひろった。
え? 6五馬じゃなくて3九金打?
火村さんはニヤリと笑う。
「ひよこ、これを見落としてない?」
……………………
……………………
…………………
………………あ、詰んだ。
同玉なら5四角、4四玉、4五金まで。
同銀は4一角、2二玉、3一銀、1一玉、2二金まで。
2二玉と逃げるのは簡単な並べ詰み。
大谷さんは持ち駒に手をやった。
「負けました」
「ありがとうございました」
うわぁ、詰んでたか。これは痛い。
大谷さんは黙想して、しばらく言葉を発さなかった。
「……合駒をまちがえました。4二金合か飛合でした」
火村さんも、
「たぶん、ね」
とうなずいて、ふたりは盤面をもどした。
【検討図】
ギャラリーの私たちもいっしょに考える。
4二金合は3二香成、同玉、3五香、3三香、4三金、同金。
このとき4一角と捨てる手が成立しなくなっている。だから詰まない。
飛車合いも同様に詰まない。
大谷さんはそれを確認したあと、
「しかし、後手敗勢には変わりありません」
とつけくわえた。
「ひよこは、なんで3二銀と打ったの? 直感的に3三のほうに打たない?」
「3三銀、6四角、4二銀打、3三香不成、同桂、4二角成、同玉、4四香と打たれる順を気にしました」
【検討図】
「ここで4三歩合は5一銀、5三玉、5四金、同玉、5五金以下で詰んでしまいます。4三金合も5一銀、5三玉、5四金、同玉、5五金、5三玉、6二馬で詰みます」
火村さんは、
「4三桂合は?」
とたずねた。
「それが一番難しかったのですが、6四馬と一回引いて、5三歩、4三香成、同玉、3五桂。ここで3四玉は4三銀以下でおそらく詰みます。4四玉ならば4三金、3四玉、4四金打、2四玉、1五銀と捨てて、同玉、1六歩、2五玉、2六銀、1四玉、1五銀、2五玉、2六歩で詰みます。途中、3五の桂馬を取りながら逃げるのは、2六に銀を打って詰みが早まります」
火村さんは、
「んー、これは1分将棋だと読み切れないわね。ようするに、ひよこはこっちのほうだと寄ると判断したから、3二銀合を選択したってことか」
「はい、ただ中途半端になってしまった印象がぬぐえず……」
そのとき、うしろから速水先輩の声がした。
「3三に金で合駒をしたほうがよかったわ」
対局者は顔をあげた。
火村さんは、
「あんた、もう終わってたの?」
とたずねた。
速水先輩は「ええ」と答えてから、
「3三金合なら、6四角、4二銀、3三香不成、同桂、4二角成、同玉、4四香に4三銀と合駒する手ができるでしょ」
と言った。
【検討図】
「以下、6四馬、5三飛、4三香成、同玉でも、ギリギリ詰まないんじゃないかしら」
大谷さんは、
「なるほど……4三銀合を残すために金合でしたか」
と納得した。
速水先輩は、
「金合いを先に読むことは少ないから、仕方がないかもしれないわね」
と、難解な局面であることは認めた。
そのあとも感想戦は続いた。
3八銀と張り付けたのは、そこそこ成立している、という結論になった。
終わって控え室にもどると、風切先輩は先に待っていた。
「どうだった?」
「負けました。ご期待にそえず、もうしわけございません」
「そっか、まあ謝ることはない。ベスト8でも上出来だ」
「先輩はいかがでしたか?」
「磐と当たった。ぶっ飛ばしといたぜ」
磐くん、ご愁傷さま。
そのあとは片付けをして解散。
風切先輩は役員と飲み会、ほかのメンツはファミレスへ。
2時間ほどわいわいやって、そのまま帰宅した。
○
。
.
その週の火曜日、私と大谷さんはランチをすることになった。
すこし暖かくなってきたこともあって、外で軽食。
私はハンバーガーを、大谷さんはおにぎりを買って、テラスのテーブルでおしゃべり。
すっかり陽気めいてきて、もうすぐゴールデンウィーク。
キャンパスの人混みも、だんだんと落ち着いてくる頃だ。
将棋部にとっては団体戦の季節になる。
オーダーの話をしていると、ふと大谷さんが視線をそらした。
私の肩のうしろのほうを見て、唐突に口をひらいた。
「愛智くん、どうなさったのですか?」
ふりかえると、私のすぐうしろに愛智くんが立っていた。
例の黒いマスクをして、春物のジャケットにズボンといういで立ち。
愛智くんはすこし気まずそうな顔をしながら、
「あの……先輩がた、このあと授業ありますか?」
とたずねてきた。
大谷さんはすぐに、
「ありますが、夕方ならば空いております」
と答えた。
「そうですか……相談したいことがあります。すこし時間をください」
場所:2017年度 春季個人戦2日目 女子4回戦
先手:火村 カミーユ
後手:大谷 雛
戦型:先手ゴキゲン中飛車穴熊vs後手居飛車穴熊
▲7六歩 △8四歩 ▲5六歩 △3四歩 ▲5五歩 △6二銀
▲5八飛 △4二玉 ▲4八玉 △3二玉 ▲3八玉 △5二金右
▲2八玉 △8五歩 ▲7七角 △3三角 ▲6八銀 △2二玉
▲1八香 △1二香 ▲1九玉 △1一玉 ▲5七銀 △4四歩
▲2八銀 △4三金 ▲3九金 △5一銀 ▲4六歩 △4二銀右
▲4八銀 △2二銀 ▲5六飛 △7四歩 ▲5九金 △3一銀右
▲6六飛 △5二金 ▲4九金左 △5一角 ▲5六飛 △7三角
▲4七銀 △6四角 ▲6六歩 △4二金寄 ▲5九角 △3二金
▲3八金左 △7三角 ▲3六歩 △6四歩 ▲9六歩 △9四歩
▲7七桂 △8四角 ▲2六角 △7三桂 ▲5四歩 △同 歩
▲4五歩 △4二飛 ▲4六銀 △6五歩 ▲4四歩 △同 金
▲5三歩 △5五歩 ▲5九飛 △3五歩 ▲5五銀 △同 金
▲同 飛 △6六角 ▲5二歩成 △5五角 ▲4二と △同 銀
▲6一飛 △6九飛 ▲9一飛成 △9九飛成 ▲4四歩 △同 角
▲4八香 △7七角成 ▲4二香成 △同 金 ▲3七角 △3一香
▲7三角成 △3六歩 ▲5四桂 △3七香 ▲4二桂成 △3八香成
▲3一成桂 △2九成香 ▲同 金 △3一銀 ▲同 龍 △3八銀
▲2二銀 △同 馬 ▲同 龍 △同 玉 ▲3一銀 △同 玉
▲3四香 △3二銀 ▲6四馬 △4二銀 ▲3二香成 △同 玉
▲3五香 △3三香 ▲4三金
まで117手で火村の勝ち