表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第46章 2017年度春季個人戦2日目(2017年4月23日日曜)
289/487

281手目 けだるい午後

 伊能いのうさんの第一声は、

「終盤ちょっともろかったですね」

 だった。

 私は対局をふりかえって、

「6三飛成じゃなくて4二歩、3一金、2六桂じゃなかった?」

 とたずねた。


【検討図】

挿絵(By みてみん)


 伊能さんは頭に乗せたゴーグルの位置をなおしながら、

「ああ……このほうが封じ込めできてますか」

 とうなずいた。

「私は6六角と出て、似たような展開にはなりそう」

「4九金、4八歩、3四桂……2三玉と逃げられてけっきょくむずかしいか……」

 もしかして互角なのかしら。

 本譜はわりと後手に傾いた印象だった。

 感想戦を続けていると、平賀ひらがさんがあらわれた。

 ちらりと見て、

「いのっち負けた?」

 とたずねた。

「んー、負けた」

「おたがいに調子悪いね」

 こらこら、先輩の実力をきちんと評価してください。

 今の発言だと平賀さんも負けたっぽい。

 そのあとはすこし中盤をやって、昼食休憩に。 

 控え室にもどって留守番を決めてから、そのままキャンパスを出る。

 女子はカフェで簡単に済ませることになった。

 穂積ほづみさんは両手を後頭部にあてて、うしろにのけぞりながら、

「午後またヒマになっちゃった」

 と言った。

 勝ち残りは、私、大谷おおたにさん、風切かざぎり先輩。

 大谷さんはチーズサンドを手に、じっと考えごとをしている。

 なにかあったのかな、という気もするけど、話しかけにくかった。

 次の対局に集中しているのかもしれない。

 私もタマゴサンドを食べて栄養補給。

 コーヒーを飲んでひと息ついていると、平賀さんが話しかけてきた。

「先輩の次の相手って、つばめちゃんですか?」

 うーん……そうなのよね。

 志邨しむらつばめ──晩稲田おくてだに入った都代表経験者だ。

「志邨さんの苦手、なにか知らない?」

「苦手ですか……やる気がなさそうなところ?」

 それは思った。

 1回戦シードのとき、偵察は済ませてある。覇気がなかった。

 まあそのあたりは外見や雰囲気だけじゃわからないんだけどね。

「早投げする子?」

「それはありますね。粘ったりしないタイプです」

 なるほど……先攻で優勢になって戦意喪失させる手もありか。

「ありがと、参考にするわ」

 私たちは食事を終えて、電電理科でんでんりかへもどった。

 対局席へ行くと、志邨さんは先に着席していた。

 グレーの短パンに、右肩をさらすワンショルダーの白いトップス。

 柄入りで、有名な革命家のイラストが入っていた。

 右足首を左のふとももに乗せ、右手を椅子に突き、左手をだらりと垂らしていた。

 じっとうつむいている。黒の長髪が背中に垂れて、ところどころ寝癖があった。

 えぇ、やる気マンマンじゃないですかぁ。

裏見うらみよ、よろしく」

「……」

 返事がない。

 私はとりあえず着席した。

 ちょっと覗き込む──寝てるっぽい?

 呼吸していることだけはわかった。

 もうすぐ始まると思うんだけど、起こしちゃ悪いかしら。

 私はお行儀よく待つことにした。

 しばらくして幹事が入ってきた。

「みなさん、おそろいでしょうか?」

 この声に、志邨さんは反応した。

 ぴくりと肩を動かし、顔をあげた。

 けだるそうな、それでいて意志の強そうな顔立ちだった。 

 前髪が数本、顔にかかっている。

 よくみると首にシルバーのネックレスをしていた。

 志邨さんはすこしだけ視線をあげて、

「裏見さん?」

 と、やや低音な声でたずねた。

「ええ、よろしく」

 志邨さんは前髪をかきあげて、横に流した。

 でもまたすぐにかかる。

 全然対局の話にならないから、私は、

「振り駒してもいい?」

 とたずねた。

「どうぞ」

 私は振り駒をした。全部表で先手。

「チェスクロはどうする?」

 志邨さんは右利きらしく、右側に置いた。

 対局開始を待つ。

 幹事が顔をあげた。

「それでは、始めてください」

「よろしくお願いします」

 おたがいに一礼して、私は7六歩と開けた。

 8四歩、2六歩、8五歩、7七角、3二金、2五歩、3四歩。


挿絵(By みてみん)


 角換わりに。

 研究で潰したい。

 第1局を観たかぎり、あいてにそこそこ合わせるタイプだと思った。

 研究局面までついてきてくれるかも。

 8八銀、7七角成、同銀、2二銀、4八銀、3三銀。

 どんどん進む。

 1六歩、1四歩、3六歩、6二銀、3七銀、6四歩。


挿絵(By みてみん)


 棒銀っぽくみえるけど、狙っているのは早繰り銀だ。

 後手は7四歩を突いてこなかった。手も速い。

 6八玉、6三銀、4六銀、5四銀。

 早繰り銀vs腰掛銀。

 力戦にしないっぽい? 合わせてくれそう?

 私はすこし自信が出てきた。

 7八玉、4四歩、5六歩、5二金、6八金。

 私はボナンザ囲いに。

 ここで志邨さんは30秒ほど考えた。

 変化されるかと思いきや、ふつうに4二玉だった。

 9六歩、9四歩で左端も詰めて、私は3五歩と開戦した。


挿絵(By みてみん)


 さあ、研究手順になった。

 おそらく4三銀と引くはずだから、3四歩、同銀右、3六歩と打ちなおしたい。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子きょうこきょうこちゃんの脳内イメージです。)


 これが私の工夫。

 後手は7四歩だと思う。そこで3五銀と出てムリヤリぶつける。

 同銀、同歩、7三桂に5五歩で中央を制圧する方針だ。

 志邨さんは予想通り4三銀。

 そこからは読みをトレースするかたちになった。

 3四歩、同銀右、3六歩、7四歩、3五銀、同銀、同歩。

 志邨さんはあいかわらず手が速かった。

 実戦経験があるんじゃないか、ってくらい。

 かえって不安になる。

 7三桂、5五歩。


挿絵(By みてみん)


 中央を制圧。

 志邨さんは左手をこめかみにあてて、目を閉じた。

 あいかわらずけだるそうな顔をしている。

 それから目をひらき、窓のそとをみた。

 右手を持ち上げ、ブレスレットをチャラっとさせた。

 その仕草は春のひざしのなかで、どこかサマになっているところがあった。

 そしてこれが彼女の初めての長考──してるのよね?

 東京の風景を楽しんでる、ってわけではなさそうだし。

 3分ほどして、志邨さんはゆっくりと動いた。

 

 パシリ


 4三銀の補強。

 私は30秒ほど読みなおして、2六飛と浮いた。

 3一玉、5九金、4五歩。


挿絵(By みてみん)


 後手も動いてきた。

 ここからが一番の綱渡り。

 予定では1五歩から仕掛ける。

 以下、同歩、2四歩、同歩、3七桂と跳ねてどうか。

 先手は歩切れなのよね。そこがネック。

 後手はまちがいなく反撃してくる。例えば8六歩。

 同歩に7五歩は飛車の横利きで阻止されるから、8五歩の継ぎ歩でしょうね。

 これを防げればまあなんとか、という感じ。

 私は広く浅く読んでおいた。志邨さんの対応をみたいところもある。

 それにここまでの消費時間が私は10分、志邨さんは8分。

 研究してきた私のほうが多く考えている。これ以上の差をつけられたくなかった。

「1五歩」

 志邨さんは頭をかいた。

 10秒ほどで同歩。

 2四歩、同歩、3七桂、4四銀左、5四歩。


挿絵(By みてみん)


 ここが急所。同歩なら7一角と打つ筋が生じる。

 放置でも5三歩成で同じ筋が生じる。

 志邨さんはむきだしになった右肩に手をあて、じっと盤をにらんだ。

 かすかに雰囲気が変わった気がする。

 私も集中して読む。

 志邨さんは2分ほど消費して、8六歩とした。

 ここからは攻め合いだ。

 同歩、8五歩、5三歩成、同銀。

 私は念入りに考えて、7一角を決行した。

 志邨さんはひとさしゆびで7二飛と寄る。

 私は5三角成と切って、同金に4五桂と跳ねた。


挿絵(By みてみん)


 これで勝負。

 後手は4四金のはず。これ以外は先手の攻めが快調になる。

 4四金には5三桂成。その次が8六歩か6五桂か。

 単に8六歩は8八歩でおいしくないと思う。

 だから本命は6五桂。これを6六銀と逃げてるようじゃ勝負にならない。

 私は攻め合う順を中心に読む。

 しばらくして、軽いタメ息が聞こえた。

 4四金が指される。私は5三桂成と成り込んだ。

 志邨さんは上半身を動かし、うっすらとくちびるをあけた。

「楽しいまま終わりたい、か……」

「え?」

 志邨さんはそれ以上なにも言わず、しなやかに6五桂と跳ねた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=891085658&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ