277手目 ホントは脈なし?
「ねえねえ、都ノに愛智くんって子が入ったでしょ? 彼、がんばってる?」
私は一瞬固まってしまった。
若林くんはアレ?というような顔をして、
「愛智くん、将棋部に入ってるよね?」
と再確認してきた。
「いえ……まだ入ってないです」
「まだ? 名前を知ってるなら会ってるんだよね?」
私は事情を説明した。
若林くんはびっくりして、
「え、そんなことになってるの?」
と目を白黒させていた。
一方、古舘くんはすまし顔で、
「そういうひともいるだろうね。大学で将棋を続ける義務はないんだし」
と言った。
私は、
「将棋をやめるわけじゃないと思うの。将棋は好きだって言ってたから」
と返した。
古舘くんは「なるほどね」とだけ言って、それ以上反論してこなかった。
んー、その雰囲気はなんか勘ぐりたくなるんだけど。
一方、若林くんはすごく落ち込んでいて、
「そっかぁ……じゃあ将棋バトルウォーズ退会したのは引退宣言だったのか……」
とつぶやいた。
私は思わず訊き返す。
「え、どういうこと?」
「愛智くんのアカウント、なくなってたんだよね」
うわぁ……そういうオチなのか。
廊下での話は、話を合わされた感じがしてきた。
もしかしてこのままフェードアウトするつもりなのでは。
ここで火村さんが、
「なに、その子強いの?」
とたずねた。
若林くんは、
「大会で優勝経験はないけど、強いよ」
と答えた。
「どのくらい?」
「都大会で去年4位」
火村さんはちょっとおどろいて、
「上位じゃない」
と返した。
「うん、ただ常連ってわけじゃなかったから、平均するとベスト16くらいかな」
急に情報が増えて、私はいろいろとさぐりたくなってきた。
思い切って訊いてみる。
「愛智くんが将棋をやめそうな理由、知ってる?」
若林くんは余った袖を口もとにあてて考え込んだ。
「うーん……わかんない」
一方、古舘くんは、
「秋の準決勝で敗退したのが大きいんじゃないかな」
とコメントした。
やっぱりそうなのか……と思いきや、若林くんはこれを否定した。
「あれは関係ないと思う」
古舘くんは「どうして?」と理由を訊いた。
「だってさ、準決勝進出って愛智くんの過去最高成績だったんだよ。そこで負けてどうこうするならもっと前にやめてないかなあ」
「限界が見えたってやつじゃないの」
古舘くん、自信なさげな顔立ちのわりにけっこう毒舌ね。
いやまあ顔がどうこうで性格判断するのは失礼かもしれないけど。
若林くんは若林くんで引き下がらなかった。
「うーん、限界が見えたとかなら中学のときのベスト16敗退とか、高2のときの初日敗退のほうが、内容は良くなかったよ。だいたいさ、都大会は参加人数も多くて強豪ぞろいなんだから、成績なんか気にしててもしょうがないじゃん。僕だって最高でベスト4なんだし。愛智くんは1回で僕は2回だけど、そんなのドングリの背比べだよね」
古舘くんは、
「だけど若の場合は氷室と同世代じゃないか。氷室世代のベスト4と、抜けたあとのベスト4じゃ価値が違うよ。天と地ほどの差じゃないとしてもね」
と指摘した。
そ、そうなんだ。
氷室くんの中高時代はよく知らないけど、無双状態だったのね。
若林くんは余った袖をプラプラさせながら、
「んー、まいったなあ……裏見さん、なんとかして入部に持って行けない?」
と頼んできた。
私はすこしばかり困惑した。
「もちろん入部してもらいたいけど……どうして慶長の若林くんが気にするの?」
「うちに生河くんっていう子が入ったの、知ってる?」
私は知らないと答えた。
「去年の都大会で優勝した子だよ」
「あッ……それなら知ってるわ。前部長の三宅先輩から聞いたから」
「彼、愛智くんと仲良かったから、愛智くんがやめるとショックだと思うんだよね。生河くんまでやめるとうちが困るから、どうかなんとか」
これには火村さんが眉間にしわをよせて、
「男子は連れションだけじゃなくて連れ将棋もするの? 主体性を持ちなさいよ」
と言った。
いや、火村さん、そんな日本語どこで覚えてるんですか。
ただ主体性を持って欲しいというのは同意。
私は、
「部としては本人の意志を尊重するつもり」
とだけ返した。
入って欲しいのはやまやまなんだけどね。
そのあと私たちは雑談に移った。
話題の合間ごとに、ちょくちょく聖生と関係しそうなことをはさんだ。
でも有益な情報は手に入らなかった。残念。
30分ほどで解散。私たちは晩稲田の正門前で、橘先輩と合流。
橘先輩は春物の私服を着ていた。
「お待たせいたしました」
いえいえ、口実に使ってしまった手前、若干うしろめたさもある。
火村さんは、
「可憐のいきつけのお店?」
とたずねた。
「いえ、先日開店したばかりのイタリアンです。ランチタイムのパスタがおいしかったと評判なので、ひとつ味見でも」
なかなか期待できそう。
それではランチに出発ッ!
○
。
.
次の日、私たちは電電理科大学のキャンパスに来ていた。
春の個人戦です。
控え室に集まったメンバーで、部長の松平を中心にミーティング。
「今日は朝からおつかれさまです。3週連続で個人戦ですが、初日は男子のみになります。よろしくお願いします」
部の方針は去年と変わらず、じぶんが参加しない回の出席は自由。
というわけで、今日来ているのは1年生の青葉くん、マルコくん、2年生の松平、星野くん、3年生の三宅先輩、穂積お兄さん、それから役員の私と大谷さんだけだった。風切先輩は当然のシード。
控え室を見渡しても、上級生の強豪は見当たらなかった。
その代わりに昨日カフェで会ったメンツがちらほら。
他校も上層部は一新されたらしく、新鮮な顔ぶれになっていた。
しばらくして幹事が登場。
参加選手は会場へ移動した。
私と大谷さんはお留守番。
ひとが少なくなったところで、私は大谷さんと小声で会話を始めた。
まずは昨日のできごとをかいつまんで説明する。
ひと通り聞き終えた大谷さんは、
「どちらかといえば愛智くんに関する情報が多いのですね」
とコメントした。
「そうなのよね。当初の目的と違うというか……まあおかげでいろいろ分かったこともあるわ。とりあえず、私たちが思っていたよりも入部の可能性は高くないみたい」
「若林くんの説明が本当ならば、将棋自体やめてしまったのかもしれません」
んー……入部して欲しいんだけどなあ。
大幅な戦力強化になりそうだし。
たぶん日高くんよりちょっと弱いくらいなんじゃないかな、と予想してる。
というのも、都大会の成績をいろいろと調べてみたのだ。
氷室くん世代は氷室くんがぶっちぎりで、日高くんや若林くんみたいな東京出身勢がそれに続いている感じだった。その次の世代は、例の生河くんが優勝経験ありで、ほかには複数回ベスト16入りしているメンツがちらほら。愛智くんはそのなかでも真ん中くらいというのが結論だった。
大谷さんは、
「生河くんというかたには、お会いしたことがありますか?」
とたずねてきた。
「全然」
「拙僧もありません……が、この会場にいらしているのでは?」
ん、そう言われてみるとそうか。
1年生の最初の大会だからシードにはならない。
「……ちょっと観て来てもいいかしら?」
「311の黒板に対戦表が書かれているはずです。それで席は分かるかと」
私は控え室を出て、311教室へと向かった。
教室に入ると、すでに対局は始まっていた。
黒板で対戦表を確認。
えーと、生河……生河……あ、いた……ん?
マルコくんと対局してるじゃないッ!
209……この教室じゃない。
私はほかの組み合わせも確認する。
松平と星野くんはC級校の知らない男子と当たっていた。
三宅先輩のあいても知らないわね……青葉くんは首都工の男子か。
とりあえず応援して回りますか。
松平はこの教室だったから、ここから着手。
【先手:松平剣之介(都ノ) 後手:山口敦(東洋文化)】
いたってふつうの陣形。
序盤だから、まだどうこういう段階じゃないわね。
松平は仕掛けを考えているのか、ずいぶんと真剣に読んでいた。
あんまり長居すると気が散るかもしれないし、次へ移動。
電電理科はひとつの教室がそこまで大きくない。
あっちこっちに移動させられて、ようやく回り切ることができた。
最後に、マルコくんと生河くんがいる209教室へ。
人数の少ない部屋で、入るとすぐに見つかった。
マルコくんの相手は、線の細いはかなげな印象の少年だった。背中の真ん中くらいまである髪をゆっていた。前髪はサイドパート。顔立ちは中性的で、くちびるの色が薄かった。でも服装はその雰囲気とは真逆。虎のイラストが入った白いTシャツに、フード付きの赤いジャケットをまとっていた。ズボンはインディゴのジーンズ。
彼は憂いのあるまなざしで、じっと盤をみつめていた。
【先手:生河ノア(慶長) 後手:車田マルコ(都ノ)】
……そんなに差はついてないか。
ちょっと先手が指しやすいかな、という気はする。
それにしても、この子が生河くんなんだ。
偏見かもしれないけど、たしかに友だちが将棋をやめるとショックを受けそうなタイプにみえる。ただファッションセンスが派手目なのが……いやそれこそ偏見か。と、そんなことを考えていると、次の手が指された。
あ、攻めた。
生河くんは同歩に3八飛と寄った。
マルコくん、ここで長考。指す手がむずかしくなったようにみえる。
無難に手を渡すなら9四歩かしら。
そこまで考えたとき、ふとうしろにひとの気配がした。