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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第44章 新歓大作戦(2017年4月1日土曜)
284/487

276手目 東京4位

 その日の夕方、私は愛智あいちくんの一件を風切かざぎり先輩に伝えた。

「将棋がクソゲー? んなこたぁないだろ」

 先輩、去年自分が言ったこと覚えてます?

 なんてツッコミは野暮だからしないでおく。

 今問題なのは愛智くんが入部してくれるかどうかだ。

「私は入部の可能性があると思ってます」

「拒否されたんじゃないのか?」

「彼、大会がどうのこうのは疲れた、って言ったんです。高校でなにかあったんじゃないでしょうか。その原因が分かれば説得の道もあると思います」

 風切先輩は、ったうしろ髪をいじり始めた。

「……なるほどな。だけどどうやって調べる?」

「そこはまだ……」

 そのときだった。

 部室のドアがひらいて、三宅みやけ先輩が飛び込んできた。

 なにやら急いで来たようで、息があがっていた。

「ハァ……ハァ……すまん、愛智の件で調査不足だった……」

 風切先輩は椅子から身をのりだす。

「なにか分かったのか?」

「愛智は昨年度の東京4位だ。準決勝まで調べてなかった」

 東京4位ッ!?

 めちゃくちゃ強いじゃないですか。

 部室がにわかに色めき立つ。

 ところが三宅先輩は、もうひとつ悪い情報を持っていた。

「ただし、ちょっと気になる点がある……3位決定戦をボイコットしてるんだ」

 風切先輩は眉間にしわを寄せた。

「ボイコット?」

「詳しくは分からないが、3位決定戦のとき会場にいなかったらしい。不戦敗だ」

 三宅先輩は、性格に難があるんじゃないか、と解釈した。

 けど、昼間に会ったメンバーは異なる結論に達していた。

 大谷おおたにさんが口をひらく。

「これではっきりいたしました。準決勝の負けで、心が折れてしまったようですね」

 たぶんその解釈が正解。

 本人のメンタルの問題だと分かって、風切先輩はしぶい顔をした。

 じぶんと重ねてしまったのか、それとも──

 先輩は椅子を回した。

「……ムリに勧誘することはないんじゃないか」

 うーん……風切先輩の立場だと、そうならざるをえない。

 一方、三宅先輩は、

「大谷、もう一度話す機会を設けられないか?」

 とたずねた。

「昼間の様子をみるかぎり、容易ではないと思います」

「そうか……」

 私たちのアイデアは、ここで打ちどめ。

 そのあとは定例会ということで、練習が始まった。

 私はマルコくんと対局。

 どうも部室の空気が重い。私もすこし気が散ってしまうところがあった。

 序盤が進んだところで、マルコくんは、

「スペイン語でNo hay mal que por bien no vengaっていうことわざがあるんです。悪いことも良いことになる、って意味ですね。僕はアイチくんと指せるって信じてます」

 と言い、にっこりと笑った。

 ずいぶん楽観的……だけど、妙に心を打つものがあった。

 風切先輩は将棋部に入ってくれた。

 将棋が好きだっていう気持ちは、ほんとうは変わっていなかったから。

 愛智くんも将棋は好きだと言った。だとすれば──

 私は気持ちが軽くなって、すぐに次の手を指した。


  ○

   。

    .


 翌日の昼休み、私、大谷さん、松平まつだいらの3人は空き教室にいた。

 タブレットを起動して、リモート会議用のアプリを立ち上げる。

 しばらくして入室許可が出た。太宰だざいくんの顔が映った。

 ほかにも小さなアイコンで火村ほむらさんとばんくんもいた。

 太宰くんの音声が入る。

《本日はお集まりいただき、ありがとうございます、と。新歓も終わったし、帝大ていだいに潜入する作戦を練ろうか》

 太宰くんはここまでの情報を整理した。

 帝大の工学研究科が盗聴電池の出どころだ、という話。

《とりあえず3つ案があると思う。1、工学研究科に直接乗り込む》

 これには火村さんが、

《ムリじゃない? ツテがないし、セキュリティが緩いとも思えないわ》

 とツッコミを入れた。

《だね。僕もこれは却下でいいと思う。というわけで現実的なのは2つ。ひとつは帝大の将棋部から探りを入れる案。もうひとつはもっと遠回りに外部から攻める》

 私は後者の意味がわからなかった。

 松平も、

「外部ってなんだ?」

 とたずねた。

《帝大へ行くまえに、ほかで情報収集をする》

 沈黙が流れた。

 最初に発言したのは大谷さんだった。

「帝大を直接訪問するのは危ない、と?」

聖生のえるが帝大生の場合、こっちの思惑がバレる恐れはあるよね》

「……帝大生だと読んでいらっしゃるのですか?」

《可能性は高いと思う。帝大の工学研究科に出入りできるんだから》

 ふむ……太宰くん、やっぱり氷室ひむろくんをあやしんでるっぽい。

 いずれにせよ帝大へいきなり行くのはリスクがある。

 磐くんは、

《このメンツで帝大の将棋部へ遊びに行くのは難しいだろうな。だけど帝大に行かないでどうやって情報収集するんだ? 目星でもついてるのか?》

 とたずねた。

《今年もA級校の合同合宿がある。そのミーティング会場を晩稲田おくてだで引き受けるから、みんな偶然を装ってその場に集まってもらえないかな。帝大も呼ぶよ》

 これには火村さんが難色を示した。

《Bの主将が集まるなんて、あやしすぎない?》

《メンツは限定するほうがいいか……裏見うらみさんと火村さんはどう?》

 え? なんで指名してくるの?

「ちょっと待って、それってどういう……」

有縁坂うえんざかでよく会ってるよね? それにたちばな先輩と新宿将棋大会に出たでしょ? 橘先輩に会うっていう口実なら、晩稲田キャンパスにいても不審がられないと思う》

 ぐッ……そういうことか。

 松平は私のほうをみて、

「危なくないか?」

 と小声でたずねた。

「危なくはないと思うけど……どうやって情報収集すればいいの?」

 私の質問に太宰くんは、

《そこは火村さんのトークスキルで》

 と丸投げ。

 火村さんはあきれて、

《あのさぁ……そもそもあたしはA級校とそんなに交流ないんだけど》

 と返した。

《ごめんごめん、半分は冗談だよ。そこは僕がセッティングしておくから、よろしく》


  ○

   。

    .


 その週の土曜日──私は晩稲田のキャンパスに来ていた。

 火村さんといっしょに、カフェでのんびり。

 店外にパラソル付きの席がある、本格的なお店だった。

 日当たりがよくて、春の木漏れ日がテーブルにちらつく。

 私はコーヒーを飲みながら、

「太宰くんの話だと、ここで待ってればいいのよね?」

 と言い、あたりをみた。

 さすがに週末だけあって、学生の姿はまばらだ。

 ミーティングが終わったあと、ここへA級校のメンバーを連れてくるらしい。

 だいじょうぶかしら。断って帰る学生もいそうだけど……っと。

 私服姿の、見知った集団がみえた。先頭に太宰くんがいた。

 カフェテリアへまっすぐ近づいて来る。

 話し声が聞こえた。だれかが冗談を言ったのか、笑い声が混じった。

 私たちは目を逸らして、気づかないふり。

 打ち合わせ通り、太宰くんのほうから声をかけてきた。

「あれ、裏見さん、どうしたの?」

 ほかのメンバーも一斉にこちらを見た。

 うーむ、演技演技。

「橘先輩と会う予定なんだけど……太宰くんこそどうしたの?」

「合宿のミーティングだよ」

 私はその場のメンツに視線を走らせた。

 A級8校のうち、太宰くん以外で知っている学生は2人しかいなかった。

 治明おさまるめい大河内おおこうちくんと大和やまた新田にったくんだ。

 のこりのメンバーは初顔。

 陽気そうな流し髪の青年が、最初にあいさつをした。

「はじめまして、かな。八ツ橋やつはし山名やまなだよ」

 次にブカブカの服を着た、背の低い男子。

慶長けいちょう若林わかばやしでーす。よろしく」

 あ、慶長は日高ひだかくんが主将じゃないのか。ちょっと意外。

 さらにそのとなりの、なんだかとても自信なさげな表情の少年は、

「帝大の古舘ふるだてです」

 とあいさつした。ここも氷室くんが主将じゃないのね。

 のこりの2校は立志りっし大学と京浜けいひん大学だった。

 会場で見かけたかな、という気もする。

 太宰くんはうまくテーブルを調整して、古館くんを私たちと同席させた。

 私、火村さん、古館くん、若林くんの4人席になる。

 若林くんは、長すぎて余っている袖をぷらぷらさせながら、

都ノみやこのって今Bだよね? 昇級の自信は?」

 とたずねてきた。

 私は「目標ではあるわね」と答えた。

 一方、火村さんは、

「うちにも訊きなさいよ。来年の春にはA級だから、覚悟しなさい」

 と、いきなり啖呵を切り始めた。

 若林くんはすこしびっくりして、

「す、すごい自信だね……それにしても、橘さんになんの用事?」

 とたずねた。

「バイト先がいっしょだから、こんど食事でも、っていう流れ」

 これは嘘じゃない。

 この偵察が終わったら、橘先輩と合流してランチの予定だ。

 若林くんは、

「へぇ、そうなんだ……ところでさ、橘さんってなんでメイド服やめたの?」

 と無邪気にたずねた。

 そこは触れちゃダメです。

 私は「気分転換じゃない?」と適当に受け流してから、古館くんのほうを向き、

「最近、風切先輩が帝大のお世話になってない?」

 と話を持ちかけた。

 コーヒーを飲みかけていた古館くんは、

「ん……ああ、そういえばたまに見かけるね」

 と答えた。

 ビンゴ! 読みが当たった。

 例のバイトで出入りしてるから、将棋部とも縁があるんじゃないかと思っていた。

 これなら話が早い。

「やっぱり氷室くんと指してる?」

「そうだね、氷室くんと指してることもあるし、僕と指したこともあるし……あとはすえ先生とよく指してるかな」

 ん? スエ?

 知らない名前が出てきた。

 漢字を教えてもらったら、末の1文字らしい。

「将棋部の顧問?」

「帝大の顧問は氷室教授だよ。末先生は2年前に来た特任教授。氷室教授の知り合いらしくて、将棋部に遊びにくるんだ。けっこう強いよ」

「……トクニン教授ってなに?」

 古館くんの説明によれば、学外からの寄付を受けるとき、その関係者を一時的に教授にすることがあるらしい。それが特任教授とのことだった。

「つまり……ほんとうは学外のひとってこと?」

「だね。どこかの製薬会社の研究員。専門は生命工学」

 生命工学……あ、なんとなくリンクした。

 だから風切先輩はタンパク質の話をしていたのか。

 ひとり納得していると、火村さんが口をひらいた。

「その末ってひと、特任教授なら所属は大学院じゃない?」

 古館くんは視線をあげた。

「……くわしいね」

「まあ大学はいくつも回ってるし……もしかして工学研究科?」

「そうだよ」

 私と火村さんは一瞬だけ視線を合わせた──いきなりの大当たりでは?

 だけどここで相談するわけにもいかない。

 古館くんはすこし妙に思ったのか、

「ずいぶんこっちのことが気になるんだね。風切先輩になにか言われた?」

 と、さぐりを入れてきた。

 マズい。適当な口実を──と、そのまえに若林くんがわりこんだ。

「ねえねえ、都ノに愛智くんって子が入ったでしょ? 彼、がんばってる?」

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