275手目 新歓コンパ
ここは都ノの近くにあるレストラン。
個人経営のお店で、レンガ作りの壁に木製のテーブル。すこしおしゃれ。
天井の電灯が、おだやかなオレンジの光をともしている。
その下には2つのテーブル。どちらも6人がけ。入り口から見て奥のほうに風切先輩、三宅先輩、穂積お兄さん、大谷さん、私、松平。手前のほうにララさん、星野くん、穂積さん、そして3人の新入生。
風切先輩はビールジョッキを持ち上げて、
「えー、それでは都ノ大学将棋部の新歓コンパを始めます。前主将の風切隼人です。1年生のみなさん、将棋部に入っていただき、ありがとうございました。上級生一同、みなさんといっしょにA級を目指していきたいと思いますので、よろしくお願いします……それでは、乾杯ッ!」
かんぱーい。
風切先輩はひとくち飲んで、
「早速ですが、1年生の自己紹介をお願いします」
と言った。
まずは平賀さんが立ち上がる。
「工学部電子電気工学科1年の、平賀真理です。折口先生に憧れて入学しました。4年間で将棋とメカ愛を極めていきたいと思います。よろしくお願いします」
パチパチパチ。
次に、ナチュラルマッシュの少年が起立。
ブルーを基調としたチェック柄のシャツにベージュのチノパンを履いていた。
なんだか緊張してるみたい。部室に集合したときも、そわそわしてた。
「法学部法律学科1年の、青葉暖です。弁護士を目指してます。穂積先輩と同じ学部なので、いろいろと教えていただきたいです。よろしくお願いします」
新入生らしいあいさつ。今年の常識人枠っぽい。
最後に、体格の大きな、太めの少年が立ち上がる。
ちょっと濃いめの顔立ちで、眉毛が太かった。
少年はグッと親指を立てて、
「車田マルコです。南先輩に誘われてきました。よろしくお願いしまーす」
と元気よくあいさつした。
ララさんが外国人専修日本文化学科から連れてきた子で、在日ペルー人らしい。お父さんが日系人でお母さんがペルー人だとか。国籍はペルー。
南米コネクションが活きるとは思わなかった。
風切先輩がたちあがる。
「ありがとうございました。それでは上級生の自己紹介を。まずは俺から……」
順番に私たちも自己紹介。
終わったところで料理の注文を始めた。
1年生テーブルは勝手に盛り上がっている。
ララさんたちに任せておけば、だいじょうぶかな。
私たちは6人がけのほうで、ひとまず慰労会。
風切先輩はビールを飲みながら、
「みんな、おつかれさん。2週間で3人なら上出来だ」
と言った。
どうかなあ。3人って少ないような。
公立だから学生数が少ないっていうのはある。
とはいえ現2年生の半分しかいないわけで。
三宅先輩は、
「全員即戦力なのは助かるが、平賀クラスがもうひとりいないと厳しいぞ」
と返した。
これには同意。
3人と指してみて、平賀さんが2段、青葉くんが初段、車田くんが1級くらいかな、という印象。入学したてだから、本調子になればもうワンランク上に見てもいいと思う。つまり平賀さんが3段、青葉くんが2段、車田くんが初段。
平賀さんクラスがもうひとりいれば、レギュラーに厚みが出てくる。
だけど風切先輩は、
「そのレベルが校内にごろごろいるとは思えないな」
と悲観的だった。
ここで大谷さんが割り込む。
「拙僧、将棋が強い新入生の存在をうかがっています」
これには他の5人が身を乗り出した。
風切先輩はジョッキをおいて、
「どこのだれだ?」
とたずねた。
「哲学科の愛智さんというかたです……が、お会いしたことはありません」
大谷さんの話によると、将棋好きな教授が東洋文化学科にいて、そこから情報を入手したらしい。なにかのきっかけで指したとき、教授がこてんぱんに負かされたとか。
風切先輩は、
「その教授の棋力が微妙ってことはないのか?」
と確認を入れた。
「拙僧も教授のお相手をしたことがあります。初段はあると思われます」
「初段に楽勝な新入生……か。たしかに平賀クラスかもしれないな。哲学科の授業にもぐり込んだら、見つかる可能性もある。特徴は分かるか?」
「いつも黒いマスクをつけていらっしゃるそうです」
うーん、その情報、4月だとあんまり役に立たないのよね。
花粉症でマスクつけてるひと多いし。
風切先輩は三宅先輩のほうを向いた。
「三宅、どっかの県代表ってことはないか? データ集めたんだろ?」
「アイチっていう名前は聞かないな。うちに県代表は入ってないと思う」
そっか……それはそれでキツいかもしれない。
私は、
「県代表の進学先は、正確に分かってるんですか?」
とたずねた。
三宅先輩は頭にデータが入っているらしく、
「西日本勢はほとんど関東へ出てない。東日本勢の多くは関東圏にいて、都代表になったことのある男子は慶長、女子は晩稲田だ。東京近隣の県代表も、AかBあたりの大学に散らばってる」
と答えた。
うむむ、他の大学はトップ層が入ってきてるのか。
私はついでに、
「西日本の大学はどうなってますか? 吉良くんはどこに?」
とたずねた。
「吉良は申命館だ」
うっそ、めちゃくちゃ強化されてる。
三宅先輩情報だと、ほかには温田さんが古都大らしい。
テーブルのテンションがちょっと下がる。
風切先輩は、
「まあそういう顔するな。県代表云々はあくまでも肩書きだ。可憐は県代表になったことないだろ。それで女流上位なんだから、どう転ぶか分からない」
たしかに……とはいえ、そのアイチくんがますます気になってきた。
私は大谷さんに、
「こんど勧誘に行ってみない? 教授と指すんだから、ものすごい人見知りってことはないんでしょ?」
と提案した。
「左様ですね。将棋を指せるということも、自分から言いだしたのやもしれません。それならば希望はあるかと思います」
善は急げ。週明けに哲学科へGo!
○
。
.
というわけで月曜日、私、大谷さん、松平の3人は、一般教養のクラスで張り込みをすることになった。教室のなかから声が聞こえる。あと3分で終了時刻。
松平は、
「黒マスクの男子がザーッと出てきたら、どうする?」
とたずねた。
私は、
「そこはもうしょうがないでしょ。声かけしてハズレだったら謝る作戦で」
と答えた。
松平は頭をかいた。
「学科も違うし、後腐れもないか……っと、席を立ったぞ」
椅子を引く音が聞こえる。終わったようだ。
ドアがひらいて、一斉に学生が出てきた。
黒マスク……黒マスク……ん?
「あの子じゃない?」
黒い立体型マスクをした、ナチュラルセンターパートの少年が出てきた。
ちょっと目つきが鋭いけど、雰囲気はおとなしめに見える。
黒のパーカーに黒のスキニーパンツを履いていた。
私はその少年に駆け寄って話しかけた。
「こんにちは、愛智くん?」
その少年はちょっと身を引いて、
「はい……どなたですか?」
とたずね返した。
「私、将棋部の裏見っていうんだけど……こっちは主将の大谷さんと部長の松平」
愛智くんは大谷さんの服装をみて、
「……あなたが大谷さんなんですね」
とつぶやいた。
あれ? なんで知って……るか。
校内でお遍路さんのかっこうしてるの、彼女しかいないし。
いろんな意味で有名人っぽい。
大谷さんは両手を合わせた。
「大谷雛と申します。ひとつお伺いしたいのですが……」
「将棋部に入ってください、ですか?」
「はい、その通りです。うでまえが達者だと仄聞しております」
愛智くんはちらりと周囲に視線を走らせた。
「……遠慮します」
ぐはぁ、大谷さん、攻めて攻めて。
「すでに他のサークルか部に入っていらっしゃるのですか?」
「いえ、そういうわけじゃないですけど……クソゲー臭がするというか……」
いやいやいや、なんで去年の風切先輩みたいなこと言ってるんですか。
元奨励会員?
それなら風切先輩が知ってるわよね。
大谷さんは、
「それはどのような意味で?」
とたずねた。
「あ、すみません、クソゲーは失言でしたね。僕も将棋は好きです。だけど大会がどうのこうのは疲れちゃったんです。あとは趣味で指します。それじゃ、次の授業があるので、これで失礼します」
愛智くんはそそくさとその場を去ってしまった。
あとに残された私たちは、おたがいに目配せする。
松平は、
「まあ……大学からやらなくなるやつはいるよな」
とつぶやいた。
私は愛智くんの背中を目で追う。
廊下を左に曲がって、エレベータに消えた。
将棋はクソゲー……か。なんか意味深じゃない?