274手目 3度目
入学式当日、私はサークル専用のブースで、新歓にいそしんでいた。
スーツ姿の新入生たち。にぎやかな声かけ。
私と穂積さんは長机に腰をおろして、その活気をながめていた。
部の方針は昨年度といっしょ。
将棋にちゃんと興味があって、王座戦までの道のりを共に歩いてくれるひと。
そういうひとを求めて──なんてかっこつけはいいんだけど、不漁ですね、はい。
私たちのブースは常時空席で、たまにだれか来ても一局指して去ってしまった。
となりの席の穂積さんは、
「座ってるだけじゃ意味なくない?」
と言って、大きく背伸びをした。
うーん……主将の大谷さんを中心に議論した結果だから、今さら文句は言えない。
それに、声かけはほんとに悪手な気がするのよね。
女の子と将棋を指したいなんて下心で来られても困るわけで。
たまに対局を申し込んでくる男子は、どうもそれっぽい感じがした。
穂積さんは椅子をうしろにゆらゆらさせながら、
「ハァ、麻雀仲間でも勧誘してみようかしら」
とつぶやいた。
いやぁ、それはどうかなぁ。
「穂積さん、オトモダチをむやみに勧誘しちゃダメよ」
「んー、でもさぁ、当て馬でもいいわけだし……」
そのときだった。スーツを着た女の子が、ブースのまえに現れた。
「あ、ポニテのお姉さん、やっぱりいましたね」
この中性的な顔立ちのギザギザ眉毛は……ッ!
「平賀さんッ!」
「おひさしぶりでーす」
穂積さんは私たちを見比べて、
「香子、知り合い?」
とたずねた。
「去年のオープンキャンパスに来てくれた平賀さんよ」
「いや、そう言われても分かんないんだけど……」
それもそっか。
私は経緯を説明した。
「折口の研究室に入りたい? それはや」
私は穂積さんの足を軽くこづいた。
「……りがいがありそうね」
「もちろんですッ! ……先輩、お名前は?」
「穂積。稲穂の穂を積むって書くの。平賀さんは平賀源内でいいの?」
「そうです。えーと、ポニテ先輩は裏見さんでしたよね?」
さいです。
それにしても助かった。
平賀さんとは新宿将棋大会で指している。棋力は把握済み。
レギュラー確定レベルとまではいかないけど、段位者のはずだ。
私は王様をパシリと空打ちして、
「一局指しましょ」
と誘った。
平賀さんは椅子を引く。
「ボク、半年くらいあんまり指してないんですよね」
まあそんなもんでしょ。
新入生に高校全盛期の棋力は求めていない。
「問題ないわ。私もそうだったし」
「このあと折口先生に会いたいんで、30秒将棋でもいいですか?」
何秒将棋でも。私はチェスクロをセットした。
振り駒をして、私が先手。
「それじゃ、よろしくお願いします」
「よろしくお願いしまーす」
平賀さんがチェスクロを押して、対局開始。
7六歩、8四歩。
そういえば居飛車党だったわね。
角換わりに誘導しましょ。
2六歩、8五歩、7七角、3二金、2五歩、3四歩。
私は6八銀と上がった。平賀さんは角交換をしてくる。
同銀、2二銀、4八銀、3三銀、3六歩、6二銀。
んー、どうしましょ。
いろいろ試したいことはある。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「3七銀」
私は早繰り銀を選択した。
となりで見ていた穂積さんは、
「新歓でそれぶつけなくてもよくない?」
と漏らした。
こらこら、コメント禁止。
むしろ後腐れないんだからぶつけ得でしょ。
7四歩、7八金、7三銀、4六銀、6四銀。
ん……棒銀にしてくるかと思った。
相早繰り銀か。もうすでに予定とちがう。
だったら腕力勝負ね。
私は1筋の端、9筋の端をそれぞれ突き合って、それから6六歩とした。
平賀さんはこの手をみて、
「攻めて来いってわけですか」
とつぶやいた。
さすがに読めてるわね。7五歩のお誘いですよ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
平賀さんは7五歩と仕掛けた。
同歩、同銀、2四歩、同歩、2五歩。
こっちも即座に継ぎ歩のかたち。殴り合いに持ち込む。
7六歩、6八銀、8六歩、同歩、同飛、8七歩、8四飛。
後手の攻めは一旦中断。
ここからは先手のターンだ。
私は2四歩と取り込んだ。平賀さんは2二歩と受ける。
私は6七銀で雁木っぽく組み替えてから、4二玉に2五飛と飛び出した。
「銀あたりかぁ」
平賀さんはスーツを脱いで、椅子にかけた。
Yシャツを腕まくりする。本気モードですか?
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
3五歩の手筋が飛んできた。
私はノータイムで同歩と取り返す。
「2四銀です」
なるほど……2筋を盛り返す気ね。
私は2八飛とひっこんだ。
7七歩成、同金、8八歩。
ぐッ、平賀さんの攻めが強い。
同飛とはできるけど、次に7六歩がある。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
私は同飛を選択した。
平賀さんは7六歩。駒音が高い。自信アリのもよう。
同金、同銀、同銀、2五銀。
ん? 銀上がり? ……2四飛と回るってこと?
さすがに駒が足りないでしょ。
私は3八金と上がった。
この手に平賀さんは、うーんとうなった。
先手がいいと思う。後手には明確な攻めがない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「9五歩」
むッ、端攻め? なにかある?
私は29秒まで考えて、同歩。
平賀さんは5二金──やっぱり攻め手がないっぽい。
チャンス……だけど、前のめりにならないように居玉は避けておく。
「4八玉」
「渋いですね」
いえいえ、それほどでも。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
7九角? ……7八飛にむりやり8八金か。
一目、無理筋な攻めだと思う。
けど、慎重に対処しないといけない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「7八飛」
平賀さんは8八金と置いた。
私は8五銀と出る。
平賀さんは目をパチクりさせて、
「う、うまい……」
とつぶやいた。
でしょ? これは完全に回避したわよ。
7筋がガラ空き。8五同飛なら7一飛成と成り込める。
とはいえ、平賀さんもこの順は選択しないと思う。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「7八金」
ですよねぇ……8四銀。
平賀さんの手番だ。
後手は持ち駒が飛車しかない。そんなに手はないはず。
案の定、平賀さんは6八角成で一回溜めてきた。
私は7一飛とおろす。
6七馬、3九玉。
「そ、それも渋い……」
どうですか、大学将棋の味は?
先手は寄らない。後手は2一飛成と2四角を同時に受けられない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「3一金ッ!」
2一飛成のほうを受けた。
私は2四角を決める。
3二玉、3三銀、同桂、同角成、同玉、3一飛成。
駒を渡したけど、おそらくだいじょうぶ。
3二に合駒は無意味。銀合いと角合いは4五桂、飛車合いは1一龍で勝ち。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
平賀さんは2四玉と浮いた。
「3四金」
この手に平賀さんは、オヤッという顔をした。
なんですか? 3四には馬が利いてるからですか?
3四同銀、同龍じゃないわよ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「同銀」
「2二龍」
これで寄り。
2三銀打は3六桂、2五玉、2六歩、同玉、3七金、2五玉、2三龍、同銀、2六銀までだ。飛車合いと金合いも同じ順で詰む。単に2三銀も同じ。
となると、残るのは──
「に、2三角」
最善の合駒……だけど、これも詰む。
私は3六桂と打って、2五玉、2六歩、同玉、3七金、2五玉に2三龍と切った。
同銀に1七桂と跳ねる。
平賀さんはアッとなって、
「そっか……角でも詰む……」
と言い、そのまま投了した。
「負けました」
「ありがとうございました」
私はチェスクロを止める。
投了図以下は、1六玉、2五桂、同玉、1六角、1五玉、4三角成まで。
平賀さんはすこし悔しそうに、
「6七の馬が全然利きませんでしたね」
と感想戦を始めた。
「そうね……どこかで飛車を打たれて2八玉の状態でも今の順で詰むし、もうちょっと前で後手が悪いんじゃないかしら」
「3一金がお手伝いだった気がします。すなおに8九金で駒の補充でした」
と、そのとき、松平の声が聞こえた。
「おーい、裏見、チラシ配り終わったぞ」
見ると、松平がこっちに歩いて来た。
白衣の折口先生といっしょだった。
平賀さんは席を立って、
「折口先生、おひさしぶりですッ!」
と挨拶した。
折口先生はメガネをなおしながら、
「平賀くんだったかな。入学おめでとう。これできみも折口研の一員だな」
と、もう勝手に手伝い要員にさせていた。
松平は平賀さんをみて、
「新入生?」
とたずねた。
「はい、平賀です。工学部1年です」
「お、それなら俺といっしょだな。俺も折口先生のところでお世話になってる」
お世話になっているというか、こき使われているというか、まあ。
それからは工学部談義になった。
学科もいっしょで、電気電子工学科らしい。
平賀さんはうれしそうな顔で、
「こんなにかっこいい先輩がいるとは、都ノに入って正解でした」
と言った。
「平賀さ〜ん、もう一局指さない?」
「せ、先輩、急にどうしたんですか?」
場所:都ノ大学 将棋部新歓ブース
先手:裏見 香子
後手:平賀 真理
戦型:角換わり相早繰り銀
▲7六歩 △8四歩 ▲2六歩 △8五歩 ▲7七角 △3二金
▲2五歩 △3四歩 ▲6八銀 △7七角成 ▲同 銀 △2二銀
▲4八銀 △3三銀 ▲3六歩 △6二銀 ▲3七銀 △7四歩
▲7八金 △7三銀 ▲4六銀 △6四銀 ▲1六歩 △1四歩
▲9六歩 △9四歩 ▲6六歩 △7五歩 ▲同 歩 △同 銀
▲2四歩 △同 歩 ▲2五歩 △7六歩 ▲6八銀 △8六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲8七歩 △8四飛 ▲2四歩 △2二歩
▲6七銀 △4二玉 ▲2五飛 △3五歩 ▲同 歩 △2四銀
▲2八飛 △7七歩成 ▲同 金 △8八歩 ▲同 飛 △7六歩
▲同 金 △同 銀 ▲同 銀 △2五銀 ▲3八金 △9五歩
▲同 歩 △5二金 ▲4八玉 △7九角 ▲7八飛 △8八金
▲8五銀 △7八金 ▲8四銀 △6八角成 ▲7一飛 △6七馬
▲3九玉 △3一金 ▲2四角 △3二玉 ▲3三銀 △同 桂
▲同角成 △同 玉 ▲3一飛成 △2四玉 ▲3四金 △同 銀
▲2二龍 △2三角 ▲3六桂 △2五玉 ▲2六歩 △同 玉
▲3七金 △2五玉 ▲2三龍 △同 銀 ▲1七桂
まで95手で裏見の勝ち




