273手目 結成、聖生探偵団
4月1日──約束の集合日。
私、松平、大谷さんの3人は、太宰くんが指定したお蕎麦屋さんをおとずれた。
渋谷のハチ公前広場から、徒歩3分ほどのお店。
のれんをくぐると、割烹着の女将さんが、
「いらっしゃいませ」
と威勢良くあいさつした。
松平は、
「太宰で予約してあると思うんですが」
とたずねた。
「はい、御2階になっております」
私たちは2階へ案内された。
そこは3つのお座敷部屋で、私たちは一番奥だった。
発起人の太宰くんは先に来ていた。それに、火村さんと磐くんも。
太宰くんは右手の一番奥。その向かいに火村さん、その右に磐くん。
太宰くんは白のシャツにネイビー色のジャケット。トレードマークのハンチング帽。
磐くんはクリーム色のシャツと黒のズボン。
火村さんはいつもの黒いフリフリのワンピースだったけど、春仕様っぽい。
ベージュのフーデットコートとローキャップが壁にかけてあった。
たぶん磐くんのものだ。
松平はメンツをみて、
「けっきょく全員集合か」
と言い、靴を脱いで座敷にあがった。
松平は太宰くんの左に腰をおろした。
私は松平のさらに左、その正面に大谷さんが座った。
すぐに店員さんが来て、注文をとった。
私は普通のざるそばにした。
注文がそろうまでは、ただの雑談。
メニューが出揃った時点で、太宰くんは障子を閉めるように指示した。
「とりあえず、全員集まってくれたことに感謝するよ」
磐くんと火村さんのどっちかは抜けるかも、と思ったら、そうでもなかった。
私たちは食事をしつつ、この会の趣旨について話し合った。
まあようするに探偵団……みたいなもの。
タスクは明確で、聖生の隠し財産、N資金があるかどうかを突き止めることだ。
ただ、初手がむずかしいと感じた。
太宰くんもそこは楽観していないらしく、
「とりあえず、手持ちの情報を出し合おうか。それが共闘の条件だからね」
と言い、早速じぶんから話し始めた。
「聖生のハガキは1988年と1992年に届いたことになってるけど……実在するのは1992年のハガキだけかもしれない」
「!」
太宰くんは私のほうをみた。
「裏見さん、今の驚き方は?」
「えっと……私たちが手に入れた情報も、それだったから……」
太宰くんは一瞬沈黙した。
「……それはどこからの情報? と、僕が先に訊くのは変……でもないな。裏見さん、先に僕が情報を出したから、そっちは情報源を先に明かしてくれない?」
私は松平、大谷さんとの打ち合わせどおり、
「御手くんよ」
と答えた。
「御手? ……申命館の?」
「ええ、御手くんはお父さんから聞いた……んじゃないかな、と思う」
太宰くんはその場で固まった。
困惑したような固まり方じゃなくて、妙に納得しているようだった。
「なるほどね……近畿でも1988年の記録は残ってないわけか」
今の言い方に、私は眉をひそめた。
「近畿でも?」
「こんどは僕が情報源を明かすよ。1988年にハガキが送られて来たっていう記録は、関東将棋連合の日誌に残ってない」
私たちはおたがいに顔を見合わせた──まさかの証拠が出た。
近畿のほうは伝聞だけだったけど、関東のほうは物証があるっぽい。
つまり1988年のハガキはなくて、1992年のハガキだけがある?
私は太宰くんに、
「1992年のハガキは実際にあると思う?」
とたずねた。
「そこなんだよねぇ……1992年の日誌はまだ確認できてない」
「理由は? 日誌が紛失してる?」
「時間がなかった。1988年のほうが重要だと思っちゃってたし」
時間がなかった? ……あ、そういうことか。
太宰くんが日誌を見た方法に察しがついた。
連合の事務所に潜入したっぽい。おそらく無断で、だ。
太宰くんは淡々と進めた。
「さて、僕と都ノがひとつずつ出し合ったから、次は火村さんかな」
「磐じゃなくてあたしからなのね」
「磐くんからでもいいよ。最後にする?」
火村さんは「あたしからでいいわ」と答えて、いつになく真剣な表情をした。
「宗像は聖生のこどもだと思うのよね」
うわぁ……そっちからその情報が出るのか。
この会で言うかどうか、都ノ勢のあいだでは最後までまとまらなかった。
その場の流れで、っていう曖昧な感じで参加していたのに。
手間が省けたと言えば省けたけど、悩ましくなった。
太宰くんは、
「それは……憶測?」
とたずねた。
「憶測といえば憶測。いろいろと時系列を整理してみたら、宗像と聖生とのあいだに関係がありそうなのよね。宗像には姉がいるでしょ? ふぶきさんだったかしら。ふぶきさんが経営する道場に行ってみたら、どうも資産家っぽかったし」
あれは下見だったのか。なんで道場まで来たのか謎だった。
どうやら私は、他のメンバーの捜査力をみくびっていたらしい。
一方、太宰くんはこの情報にあまり驚いていなかった。
「有縁坂の佐田さんがいるよね。去年の夏合宿のとき、聖生には娘と息子がいるって情報を教えてもらったんだよ。姉と弟。これが宗像姉弟と年齢的に一致している……かもしれない。ふぶきさんの正確な年齢は知らないけど」
太宰くんはそう言って、磐くんのほうをみた。
「さて、磐くんは、どう?」
磐くんはさっきから、すこしあっけにとられている様子だった。
なにも情報を持っていない感じかな、と思いきや──
「みんな、俺と全然違う方向で推理してるんだな。驚いたぜ。だけど、俺にもとっておきのネタがある。都ノにちょっかいをかけてるやつは、多分帝大のだれかだ」
「!?」
えッ……どういうこと?
これは正真正銘の初耳なんだけど。
太宰くんもすこしだけ強く反応した。
「帝大? ……どういう推理?」
磐くんは私たちのほうへ顔をむけた。
「松平たちがここに来てるってことは、例の乾電池事件を話してもいいんだよな?」
あッ……都ノのメンバーは目配せしあった。
仕方がない……かな。
松平はあいまいにうなずいた。
「よし、じゃあ話すぞ。去年の6月、都ノで金を盗まれる事件があった。犯人は聖生……の本物か偽物かは知らないけど、聖生だった。俺も解決を手伝ったんだ。乾電池に盗聴器を仕掛けるトリックだった。事件のあとで、一個失敬して来た」
な、ちょ、おま。
太宰くんは興味深そうに、
「指紋でも出た?」
とたずねた。
「いや、指紋は出なかった……が、犯人は電池に詳しくなかったみたいだな。乾電池っていうのは、外装をはがすとシリアルナンバーが印字されてるんだよ」
「つまり製造番号?」
「そうだ。で、そのシリアルナンバーから工場と納品先を特定した」
全員の視線が集まる。
磐くんはニヤリと笑った。
「帝大の大学院工学研究科に納品されてた」
私は息を呑む──と同時に、混乱した。
ニセ聖生は宗像姉弟となにも関係がなかった……?
しかも、ある人物が容疑者候補にあがってきた。
太宰くんはお茶を飲み、それからつぶやくように、
「磐は、特に疑ってる人物がいる?」
とたずねた。
磐くんはうしろの畳に両手をついて笑った。
「ハハッ、太宰こそ疑ってる人物がいるんじゃないの?」
太宰くんはなにも言わなかった。
けど……氷室くんがあやしくなった気がする。
これまでは宗像姉弟に話が集中していて、氷室くんは容疑者リストから外されていた。でも、穂積さんなんかは、最初から氷室くんを疑っていた。ニセ聖生が宗像姉弟と無関係なら、考えなおさないといけない。
磐くんは姿勢をもどして、こんどは立膝をついた。
「だいたいさ、このメンバーに加えてない時点で、疑ってるんだろ?」
「いや……この情報はすこし驚きだった」
それが太宰くんの本音なのかどうか、私は判断しかねた。
「ほかに追加の情報はある?」
だれも答えなかった。
「よし、方針はだいたい固まったかな。まずは帝大を調査しよう」
これには火村さんが、
「帝大から? 二方面作戦はダメなの?」
と疑問を呈した。
「そこまで人手がいないし、宗像姉弟の調査はやり方をよく考えないといけない」
「……それもそっか。で、どうやって帝大を内偵するの?」
ここで松平が割り込んだ。
「すまん、煮詰まってるのに悪いんだが……活動は2週間ほど待ってくれないか?」
太宰くんは理由をたずねた。
「もうすぐ新歓シーズンだ。うちは部員がまだ少ない。それに、俺が部長、大谷が主将をやることになった。裏見は会計だ。この先2週間は新歓に集中したい」
太宰くんは「一理ある」とつぶやいた。
「僕も晩稲田の主将だし、のこりのふたりもそうかな?」
火村さんと磐くんも、そうだ、と答えた。
火村さんは主将続投、磐くんは新規に就任。
太宰くんはお茶を飲み干して、お会計に手を伸ばす。
「了解。次の集合は2週間後にしよう。支払いは僕がしておくよ」
これには全員が反対した。
火村さんは、
「そういうところで変な恩を売らなくていいわ。あたしたちは全員平等。オッケー?」
と念押しした。
「……なるほど、貸し借りなしのほうがいいか。僕が団長ってわけでもない」
私たちはそれぞれ自分が食べた分を支払った。
お店を出て、そこで解散になる。春風が頬をなでた。
去りぎわに、太宰くんは私たちのほうへふりむいた。
「話は変わるけど、このメンツって将棋ならライバル同士だよね。都ノ、首都工とは秋に当たる可能性もあるし……ま、そのときはよろしく。手加減なしだよ」