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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第43章 さようなら後輩たち(2017年2月25日土曜)
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271手目 ねじれた時系列

 その夜、私は大谷おおたにさんに電話をしていた。

 大谷さんは携帯を持っていないけど、彼女の実家にはつながったのだ。

 ちょうど帰省していてくれて助かった。

《1988年に送られたハガキはデマ? ……ほんとうですか?》

 さすがの大谷さんもおどろいているらしいことが、電話越しにわかった。

 いつもよりすこしばかり落ち着かない声だった。

 私は姫野ひめの先輩から聞いた内容を伝えた。

《姫野さんが情報源ならば、信ぴょう性は高いかもしれませんが……》

「でも、どこかひっかかるの」

《嘘のような気配があった、と?》

「ううん、そうじゃないんだけど……なんか違和感をおぼえるのよね」

 大谷さんはしばらく無言になった。

 そしてこう続けた。

《拙僧はその場にいませんでしたので、雰囲気までは察せません。しかし、裏見うらみさんの直感は大事だと思います。それに、拙僧としてもにわかには信じられません》

 ……そうよね。

 私も未だに信じられない。

 そもそも聖生のえるはいたのよ。

 聖生のえるがいてハガキのほうがないなんて、ある?

《拙僧以外にこの情報をご存知のかたは?》

松平まつだいらにはMINEで伝えてあるわ。明日会って話し合う予定」

《松平さんの第一感は?》

「大谷さんとおなじで、信じられない、だって」

 ふたたび会話がとぎれる。

 すると、うしろのほうで年老いた男性の声が聞こえた。

《すみません、祖父が呼んでおりますゆえ、続きはまた後日……》

「了解。もうすこし調べてみる」

《お気をつけください。姫野さんは、なにか警告をなさったようにも思えます》

 そういう怖い言い方をしないでくださいな。

 でも同意せざるをえない。

「気をつけるわ。じゃ、おやすみなさい」


  ○

   。

    .


 翌日、私はランニングシューズを履いて、玄関を出た。

 犬の吠える声。ナルが犬小屋のくさりをめいいっぱい引っ張っていた。

「はいはい、落ち着く」

 私は散歩用のリード紐につけかえて、道路に出た。

 ナルはその場でくるくる回ったり、ぴょんぴょん跳ねたりする。

 どれだけ嬉しいんですか……というのも、まあわかる。

 私が上京しちゃってから、すごくさびしがってるみたいなのよね。

 おじいちゃんもそうみたいだし。

「ナル、あんまりはしゃぐと、車にひかれちゃうわよ」

「ワン!」

 元気がよろしい。

 私は小走りに、公園へとむかった。

 風は冷たいけど、なんのその。

 中学で陸上をやっていたときのことを思い出す。

 そのままいつもの散歩コースを進んで、公園に入った。

 ここは市内でも有数の広さで、ほかにも散歩をしているひとたちがちらほら。

 まだ春が来ていないから、木々も裸で、すこしばかりわびしげ。

 噴水のところまで行くと、松平の姿があった。

「ごめん、お待たせ」

 私の声に、松平はスマホから顔をあげた。

「よッ、早かったな」

 時計をみると、待ち合わせ時刻の5分前だった。

 ぐいッとリードが引っ張られる。ナルがいきなり吠え始めた。

「もう、ナル、いいかげんに松平の顔を覚えなさい」

「ハハッ、あいかわらずだな……どこで相談する?」

 私たちは手近なベンチを選んだ。

 ナルにお座りをさせて、さっそく作戦会議。

 松平はMINEを確認しながら、

「昨日送ってきた情報で全部か?」

 とたずねた。

「そうね……とくに付け加えることはないかしら」

「まだ信じられないんだが……姫野先輩が嘘をつくとも、思えないんだよなあ」

 けっきょく大谷さんと同じ意見か。

 もっとべつの視点が出てきたほうがいいかな、とは思う。

「ところで、裏見が書いてる『違和感』ってなんだ?」

「んー、うまく言語化できないんだけど……なんとなく」

「仮に1988年のハガキがデマだとすると、聖生のえるの存在自体がデマなのか?」

「それはないんじゃない? 現に宗像むなかた姉弟には会ってるでしょ?」

「……たしかに、聖生のえるJrはいるけどその親はいない、ってことはないか」

 私たちはそれから細かい議論をした。

 松平がとくにこだわったのは、聖生のえるの暗号がデマだとすると、どうしてそんなデマが学生棋界に湧いて出たのか、という点だった。

「そう言われてみると、そうね……」

「デマにしては凝りすぎてるし、あとで実在の人物と合流するのは妙だ。バブル崩壊時の聖生のえるが本物で、リーマンショックのほうが偽物ならまだ分かる。過去の噂に尾ひれがついただけかもしれないからな。だけど、リーマンショックの聖生のえるが本物で、バブル崩壊のほうが偽物っていうのは、時系列としてもおかしい」

 私は反論が思いつかなかった。

「もう一度最初から整理しましょ。まず、1988年にハガキが送られてきた……かもしれないわけよね。そのあとバブル崩壊があった。それから1992年に……」

 私はそこで口をつぐんだ。

 松平は「どうした?」とたずねた。

「そうよ……違和感の正体が分かったわッ! 1992年よッ!」

「1992年がどうかしたのか?」

「姫野先輩は、1992年のハガキについてなにも言わなかったの」

 松平は眉間にしわを寄せ、それからハッとなった。

「1992年のハガキだけは実在してるってことか?」

「その可能性はあるわよね……それに、御手おてくんの話ともつじつまが合うわ。御手くんは1992年のハガキを捜してるって言ってたでしょ?」

「ああ……だけどそれは1988年のほうを知らなかったんだろ?」

「私もそう考えたの。でも、逆だとしたら?」

「……御手が正しくて、1992年のハガキしかないってことか? ……御手はその情報をどこから仕入れたんだ? 姫野先輩が教えたってのは、さすがにないだろ?」

「お父さんよ。御手くんのお父さんは元会長だもの」

 松平も合点がいったらしく、ベンチの背もたれから体を起こした。

 まじめに考え込む。

「……しまったな。御手が情報を持ってないと決めてかかったのは失敗だった」

 ほんとにそう。

 もっといろいろ聞き出せたかもしれない。

 まあそれはそれで後味が悪い気はするけど──松平は先を続けた。

「ただ仮にそうだとしても、まだ気になる点がある。1992年のハガキが本当なら、そのハガキにはなにが書かれてるんだ? バブル崩壊後だから投資の予言じゃないはずだ」

「……そうね」

 私が途方に暮れていると、ナルが吠えた。

 どうやら私がしょんぼりしていると感じたようだ。

「よしよし……松平、この件はもう一度よく考えてみましょ」

「だな……あと、太宰だざいに伝えるかどうかも慎重に判断した方がいい」

 そのとおり。

 私はベンチから立ち上がった。

 すると松平が、

「裏見は捨神すてがみがドイツへ行くって聞いてるか?」

 とたずねてきた。

 私は立ったまま、

「ええ、パーティーがあるんでしょ。飛瀬とびせさんに呼ばれたわ」

 と答えた

「そっか、俺も呼ばれてるんだ。そのときに打ち合わせよう」

 了解。

 私は散歩を再開する。

 ナルはしっぽを振りながら、私のまえを行く。

 肌寒い風のなか、私はこんがらがった時系列と格闘した。

 だけどどうにもならなくて──そのうちナルとの散歩にとけこんだ。


  ○

   。

    .


 というわけで、捨神くん壮行会の当日。

 ちょっとおめかしした私は、姫野邸におじゃましていた。

 とにかくひとが多い。大広間に小さなテーブルがたくさん置かれ、そこで立食する形式だった。前回の祝勝会で見かけたひともいるし、そうじゃないひともいる。ひとつだけ違うのは、将棋関係者も散見されたこと。佐伯さえきくんとポーンさんのお別れ会も兼ねているらしいから、顔見知りがいるのは助かった。

 今も私のとなりで、大場おおばさんが、

「くぅ、みんなどっか行っちゃって、すみちゃん悲しいっス」

 と涙声。

 黒と黄色の市松模様の制服……あいかわらず変わった趣味をしてますね。

「大場さん、進路はどうなったの?」

「角ちゃんはファッション専門学校に行くっス」

 あ、そうなんだ。

 適材適所かな、という気もするし、チャレンジしてるな、という気もする。

「がんばってね」

「がんばるっス……裏見先輩は東京でなにをしてるんっスか?」

 なにと言われましてもですね、はい。

 こういうのって回答が難しい。

 具体的になにか作業したりプロジェクトを進めたりしてるわけじゃない。

 謎のN資金を追ってます、なーんて言えないし。

「ふつうに大学生してるわよ。経済学の勉強とか」

「株の売買とかっスか?」

「うーん、そういうわけじゃないんだけど……」

 そのときだった。

 タキシードを着た佐伯くんと、白いドレスを着たポーンさんが現れた。

 ふたりともカクテルグラスを持っていた。ピンク色のドリンクが入っている。

「佐伯くん、ポーンさん、卒業おめでとう」

 ちょっと早いけど、卒業式前には東京へもどるから、先に伝えておく。

 佐伯くんは「ありがとうございます」と言ってから、

「裏見先輩も、お元気そうでなによりです」

 と返してくれた。

 ポーンさんもスカートのすそを持ちあげて、かるく会釈した。

「Frauウラミ、ごきげんうるわしゅう。お会いできず、さみしくしておりましたわ」

 合計で2年ちょっとの付き合いだったかな、このふたりとは。

 大場さんはまた涙目になる。

「ヨーロッパに帰っても、角ちゃんのこと忘れないで欲しいっス」

「もちろんだよ」

「今はネットでつながっておりますから、これからもよろしくお願いいたします」

 ヨーロッパとの距離は、昔より近くなってるかもね。

 私がそんなことを思っていると、佐伯くんが、

「せっかくですから、4人で記念に指しませんか?」

 と訊いてきた。

 私は、

「いいの? 捨神くんにあいさつは?」

 と返した。

「捨神くんとは先日の3年生会で話したので、だいじょうぶです」

 そっか、じゃあせっかくだから記念に。

「でも将棋盤がないわよ?」

「それならこちらに」

 佐伯くんがパチリと指をはじくと、近くのテーブルに将棋盤があらわれた。

 あ、あいかわらずのマジシャンね。

 佐伯くんは時計をみて、

「捨神くんのスピーチもあるみたいなので、時間的に1局……ペアで指しますか?」

 と提案した。

 そうね、それがよさそう。

 佐伯くんとのペアはポーンさんにゆずる。

 私は大場さんと。

 じゃんけんで私と大場さんが先手に。

 指す順番は私→ポーンさん→大場さん→佐伯くん。

「時間はテキトウでいいわよね。じゃ、よろしくお願いします」

 7六歩、3四歩、1六歩、1四歩、6六歩、8四歩。

 ここで大場さんが飛車を振る。

「裏見先輩にはもうしわけないっスけど、角ちゃんはここに振るっス」


挿絵(By みてみん)


 三間飛車。

 大場さんの得意戦法だし、ここは合わせましょう。

 大学生の対応力、見せてあげる。

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