269手目 あの日の再現
帰省の翌日──私は地元の高校を訪問していた。
高3のときの担任だった桂先生にあいさつ。
そのあと将棋部に顔を出した。
土曜日だし、だれもいないかな、と思ったら、飛瀬さんがいた。
飛瀬さんは窓を開けて、換気をしているところだった。
1階だから、うしろにグラウンドが見えた。
おたがいにあいさつをする。
「裏見先輩、おひさしぶりです」
「飛瀬さん、おひさしぶり。今日はどうしたの?」
「午後から3年生のお別れ会です」
そっか、もうすぐ卒業だものね。
なんだかんだで、この世代は仲がいい。
私たちの世代はなにもしなかったし、1コ上もそういう話は聞いていない。
ただその分、バラバラになるときにつらいんじゃないかな、とも思う。
「そういえば裏見先輩、松平先輩と付き合い始めたんですか?」
ぎくぅッ!?
「ななななんでそうなるの?」
「昨日の夜、ふたりでバスから降りて来ましたよね? 雰囲気的にそうかな、と」
目撃されてたのか。
私は気づかなかった。
「高校のときのツンツンはなんだったんですか? 茶番ちゃんですか?」
ひとの恋愛をそういうふうに言わない。
私はひたいに軽くチョップを食らわせた。
「いたたた……照れ隠しの暴力はいけない」
「ん? そういえば飛瀬さん、前よりも早口になってない?」
「地球駐在歴も早3年、日本語はペラペラになりました」
また宇宙人ネタを使う。
高校を卒業したら宇宙人ネタも卒業してくださいな。
「卒業後の進路は?」
「捨神くんといっしょにドイツへ行きます」
「あ、そうなんだ……じゃあ捨神くんはピアノ留学?」
「そうです」
「飛瀬さんはどういう名目?」
「名目と言いますか、日本にこだわる理由もあまりないので」
あ、やっぱりそういうことか。
飛瀬さん、ほんとはヨーロッパの人なんでしょ。
顔立ちがちょっと日本人離れしてるもの。色白だし。
イギリス出身じゃないかな、と思ってる。英語がネイティブレベルらしい。本人は出自を明かすのがイヤなのか、宇宙人ネタでごまかしてくるから深くは訊いていない。
「長いお別れになりそうね。がんばってちょうだい」
「ありがとうございます……ところで、捨神くんの壮行会がまたあるんですが、出席していきますか? エリーちゃんとヨシュアくんの帰国パーティーも兼ねてます」
飛瀬さんの話によると、藤花のエリザベート・ポーンさんと、清心の佐伯ヨシュア宗三くんも、それぞれドイツとポーランドに帰国するという話だった。
「そのふたりはあっちの大学へ進学?」
「みたいですね。というわけで裏見先輩と記念に一局……と言いたいところですが、私は買い出し組なので、今から出かけます。先輩はどうしますか? すぐに帰るなら一回閉めますけど?」
「後発組が来るまで留守番してあげる。そのほうが鍵の管理も楽でしょ」
私は鍵をあずかって、ガランとした部室にひとり。
窓際に椅子を運んで、すこしばかり思い出にふけった。
この高校を選んだときのこと、食堂で将棋部に勧誘されたこと、なぜか入部するはめになって、新人戦で優勝したこと、初めての団体戦で負けたこと……いろいろあったなあ。疎遠になったひともいるし、今でも親しいひともいる。大谷さんとここまで長いつきあいになるとは思っていなかった。最初はK知のお寺でばったり出くわしただけなのにね。反対に、関西の大学へ行ったサーヤ、ヨッシー、辻くん、蔵持くんとは、全然会わなくなった。みんな元気にしてるかな。
しばらくして、部室のドアがひらいた。
箕辺くんだと思ってふりむくと、駒込くんが立っていた。
「あれ? 裏見先輩、帰ってたんですか?」
「春休みの帰省で……駒込くんこそ、どうしたの?」
「箕辺先輩たちに、手伝いを頼まれました」
駒込くんは部屋のかたづけを始めた。
あいさつも世間話もなくて、なんとも彼らしい。
「そういえば、お姉さんは帰って来てないの?」
「来てないですね。帰ったら成績の件で怒られそうですが」
あ、そういうオチなんだ。
単位はちゃんと取りましょう。
駒込くんはチェスクロの電池を確認しながら、
「だけど姉さんは怒られるの気にしないですし、なにかあったのかもしれないです」
とつけくわえた。
「なにかって?」
駒込くんは、ちょっと上目遣いに考え込んだ。
「……彼氏ができたとか?」
「ないわね」
「あ、はい。とはいえ姉さん、私生活もめちゃくちゃみたいなんで、理解のある彼氏くんを見つけないと、将来困るような?」
理解のある彼氏くんねぇ。
歩美先輩に対しては、かなりの理解を要求されると思う。
藤堂先輩レベルのおせっかいやきか、あるいは歩美先輩と同類か。
「お姉さんのこと、ずいぶん心配してあげてるのね」
「姉さんが結婚しないと長男の僕がプレッシャーなんですよ」
「どういうこと?」
「うちの両親は絶対孫見たいマンなので」
なるほどね。そういう家庭もあるか。
駒込くんはかたづけを再開した。
なにか手伝いましょうか、と言ったけど、けっこうですとのこと。
なんとなく手持ちぶさたになって、スマホをいじる。
1988年?月?日 聖生 1通目のハガキ
1989年4月1日 消費税導入
1989年5月 利上げ
1989年12月29日 日経平均 過去最高を記録(38957円)
1990年1月 株価暴落開始
1990年3月27日 大蔵省が総量規制
1991年12月 総量規制廃止
1992年 日経平均 ピークから3分の1に下落
1992年?月?日 聖生 2通目のハガキ
いろいろ整理してみたんだけど……いまいち関連性がみえてこない。
日本の政策はわりと一貫している。
80年代に景気が過熱しすぎたから、それを抑制する方向で動いているのだ。
消費税導入も利上げも総量規制も、消費熱や投資熱を冷ますため。
問題は経済がハードランディングしてしまったこと。
一方、聖生がハガキを出したタイミングがよくわからない。
1988年の時点で、バブル崩壊を予見できるのかしら?
可能性はある。景気が過熱していることは、政府も把握していたからだ。だけど、それだけじゃ説明のつかない点がある。売りに入るタイミング。1988年の段階でショートを始めると、大損なのよね。1989年までは上がりっぱなしなわけだし。レバレッジをかけていたら、どこかで資金が尽きたはずだ。
暗号には、売り始める時期も明記されていた? それって予測が正確過ぎない?
もうひとつ、2通目が1992年なのも謎。
儲かったか、なーんて煽りのハガキでもないと思うし──
と、そのとき、部室のドアがひらいた。
箕辺くんと来島さんの登場。
「裏見先輩、おひさしぶりです。さっき飛瀬からMINEがありました」
「おひさしぶり。元気にしてた?」
「はい、おかげさまで」
私は箕辺くんの進路をたずねた。
「俺はH大です」
地元の国立。手堅い。
「来島さんは?」
「私もH大です」
ふーん、いっしょか。
箕辺くんの話によると、30分後には全員集まるらしい。
「だったら、お留守番タイムも終了ね。お先に失礼するわ」
「すみません、ほんとうなら将棋でも教えてもらうところなんですが……」
「ううん、私のほうこそ連絡なしで押しかけてるし。それじゃまたね」
私は学校を出て、そのまま喫茶店八一へと向かった。
ドアを開けると、懐かしい鈴の音。
ちょびひげのマスターは私を見て、
「あ、香子ちゃん、おかえり」
とあいさつしてくれた。
「おひさしぶりです、マスター」
「帰省?」
「ですです」
「今日はお客さんも少ないから、ふたりがけのテーブルでゆっくりしていってよ」
じゃ、お言葉に甘えまして。
私は窓際の席に腰をおろした。
猫山さんが注文を取りにくる。
「裏見さん、おひさしぶりです」
「おひさしぶりです。ホットコーヒーひとつ」
猫山さんはマスターに注文を伝えた。
それからすこし声を落として、
「夏休みの探偵ごっこは解決しましたか?」
とたずねてきた。
探偵ごっこはこれからが本番の可能性……だけど、ここはあいまいにしておく。
「はい、あのときはありがとうございました」
「いえいえ、動画ファイルをコピーしただけですからね。では、ごゆっくり」
私は大きく息をつく。
ぼんやり外を眺めていると、ふたたび鈴の音が鳴った。
ちらりと視線をむけて、私は喫驚する──姫野先輩だった。
黒のミリタリーコートに、白のハイネックニット。
マスターは姫野先輩にも「あ、咲耶ちゃん、おかえり」と言った。
姫野先輩も「ごぶさたしています」と返した。そして、私のほうを見た。
黙ってこちらへ歩いて来る。
むむむ、これは同席の流れ?
「裏見さん、おひさしぶりです。同席させていただいても、よろしいでしょうか?」
どうぞどうぞ。
べつにイヤなわけじゃないし。
姫野先輩は向かいの席に腰をおろした。
猫山さんが注文を取りにくる。先輩はミルクティーを注文。
それから落ち着き払ったようすで、
「先日の王座戦では、あいさつの機会がなく、失礼いたしました」
と言った。
いえいえ、こちらこそ。
「姫野先輩、会長職就任、おめでとうございます」
「単なる雑用係ではありますが、お気持ちはちょうだいしておきます」
コーヒーが運ばれてきた。
姫野先輩は「お先にどうぞ」と勧めてくれた。
では、いただきます。
「……ふぅ、ここは落ち着きますね」
「裏見さんと最初に将棋を指したのは、こちらの席でしたね」
あ、そういえば、そうか。
なんだかすごく昔のことのような気がする。
あの頃の姫野先輩、わりとはっちゃけてたわよね。
いきなり対局を申し込んで来たり*、文化祭のメイド喫茶で真剣やってたり**。
後者はだいたい甘田先輩のせいだったけど。
「いかがですか、記念にここで一局」
……………………
……………………
…………………
………………
そ、そういう再現VTRみたいなのは、しなくていいんじゃないかしら。
とはいえ断るのもなんだし、受けておく。
「一局だけなら……姫野先輩、盤駒持ってます?」
「マスターからお借りしましょう」
姫野先輩が頼むと、マスターは木製の本格的な盤駒を持って来てくれた。
駒をならべる。
振り駒はおたがいに譲り合ったあと、姫野先輩が振った。表が3枚。
時間はテキトウということに。このあと用事があるわけでもない。
「それでは、よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします」
7六歩、8四歩、6八銀。
ぐッ……矢倉まで再現してくるのか。
矢倉は下火だから、受けてこないと思っていた。
序盤で手が止まってしまう。
ここで姫野先輩の紅茶も出てきた。シリンダーで蒸らすタイプ。
私はすこし考えて、3四歩と角道を開けた。
姫野先輩は、うっすらと笑みを浮かべた。
「裏見さんがこの1年でどれほど腕を上げられたか、見せていただきましょう。7七銀」
*6手目 喫茶店の少女
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**61手目 騙される少女
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