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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第43章 さようなら後輩たち(2017年2月25日土曜)
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269手目 あの日の再現

 帰省の翌日──私は地元の高校を訪問していた。

 高3のときの担任だったかつら先生にあいさつ。

 そのあと将棋部に顔を出した。

 土曜日だし、だれもいないかな、と思ったら、飛瀬とびせさんがいた。

 飛瀬さんは窓を開けて、換気をしているところだった。

 1階だから、うしろにグラウンドが見えた。

 おたがいにあいさつをする。

裏見うらみ先輩、おひさしぶりです」

「飛瀬さん、おひさしぶり。今日はどうしたの?」

「午後から3年生のお別れ会です」

 そっか、もうすぐ卒業だものね。

 なんだかんだで、この世代は仲がいい。

 私たちの世代はなにもしなかったし、1コ上もそういう話は聞いていない。

 ただその分、バラバラになるときにつらいんじゃないかな、とも思う。

「そういえば裏見先輩、松平まつだいら先輩と付き合い始めたんですか?」

 ぎくぅッ!?

「ななななんでそうなるの?」

「昨日の夜、ふたりでバスから降りて来ましたよね? 雰囲気的にそうかな、と」

 目撃されてたのか。

 私は気づかなかった。

「高校のときのツンツンはなんだったんですか? 茶番ちゃんですか?」

 ひとの恋愛をそういうふうに言わない。

 私はひたいに軽くチョップを食らわせた。

「いたたた……照れ隠しの暴力はいけない」

「ん? そういえば飛瀬さん、前よりも早口になってない?」

「地球駐在歴も早3年、日本語はペラペラになりました」

 また宇宙人ネタを使う。

 高校を卒業したら宇宙人ネタも卒業してくださいな。

「卒業後の進路は?」

捨神すてがみくんといっしょにドイツへ行きます」

「あ、そうなんだ……じゃあ捨神くんはピアノ留学?」

「そうです」

「飛瀬さんはどういう名目?」

「名目と言いますか、日本にこだわる理由もあまりないので」

 あ、やっぱりそういうことか。

 飛瀬さん、ほんとはヨーロッパの人なんでしょ。

 顔立ちがちょっと日本人離れしてるもの。色白だし。

 イギリス出身じゃないかな、と思ってる。英語がネイティブレベルらしい。本人は出自を明かすのがイヤなのか、宇宙人ネタでごまかしてくるから深くは訊いていない。

「長いお別れになりそうね。がんばってちょうだい」

「ありがとうございます……ところで、捨神くんの壮行会がまたあるんですが、出席していきますか? エリーちゃんとヨシュアくんの帰国パーティーも兼ねてます」

 飛瀬さんの話によると、藤花ふじはなのエリザベート・ポーンさんと、清心せいしん佐伯さえきヨシュア宗三むねみつくんも、それぞれドイツとポーランドに帰国するという話だった。

「そのふたりはあっちの大学へ進学?」

「みたいですね。というわけで裏見先輩と記念に一局……と言いたいところですが、私は買い出し組なので、今から出かけます。先輩はどうしますか? すぐに帰るなら一回閉めますけど?」

「後発組が来るまで留守番してあげる。そのほうが鍵の管理も楽でしょ」

 私は鍵をあずかって、ガランとした部室にひとり。

 窓際に椅子を運んで、すこしばかり思い出にふけった。

 この高校を選んだときのこと、食堂で将棋部に勧誘されたこと、なぜか入部するはめになって、新人戦で優勝したこと、初めての団体戦で負けたこと……いろいろあったなあ。疎遠になったひともいるし、今でも親しいひともいる。大谷おおたにさんとここまで長いつきあいになるとは思っていなかった。最初はK知のお寺でばったり出くわしただけなのにね。反対に、関西の大学へ行ったサーヤ、ヨッシー、つじくん、蔵持くらもちくんとは、全然会わなくなった。みんな元気にしてるかな。

 しばらくして、部室のドアがひらいた。

 箕辺みのべくんだと思ってふりむくと、駒込こまごめくんが立っていた。

「あれ? 裏見先輩、帰ってたんですか?」

「春休みの帰省で……駒込くんこそ、どうしたの?」

「箕辺先輩たちに、手伝いを頼まれました」

 駒込くんは部屋のかたづけを始めた。

 あいさつも世間話もなくて、なんとも彼らしい。

「そういえば、お姉さんは帰って来てないの?」

「来てないですね。帰ったら成績の件で怒られそうですが」

 あ、そういうオチなんだ。

 単位はちゃんと取りましょう。

 駒込くんはチェスクロの電池を確認しながら、

「だけど姉さんは怒られるの気にしないですし、なにかあったのかもしれないです」

 とつけくわえた。

「なにかって?」

 駒込くんは、ちょっと上目遣いに考え込んだ。

「……彼氏ができたとか?」

「ないわね」

「あ、はい。とはいえ姉さん、私生活もめちゃくちゃみたいなんで、理解のある彼氏くんを見つけないと、将来困るような?」

 理解のある彼氏くんねぇ。

 歩美あゆみ先輩に対しては、かなりの理解を要求されると思う。

 藤堂とうどう先輩レベルのおせっかいやきか、あるいは歩美先輩と同類か。

「お姉さんのこと、ずいぶん心配してあげてるのね」

「姉さんが結婚しないと長男の僕がプレッシャーなんですよ」

「どういうこと?」

「うちの両親は絶対孫見たいマンなので」

 なるほどね。そういう家庭もあるか。

 駒込くんはかたづけを再開した。

 なにか手伝いましょうか、と言ったけど、けっこうですとのこと。

 なんとなく手持ちぶさたになって、スマホをいじる。

 

 1988年?月?日   聖生 1通目のハガキ

 1989年4月1日   消費税導入

 1989年5月     利上げ

 1989年12月29日 日経平均 過去最高を記録(38957円)  

 1990年1月     株価暴落開始

 1990年3月27日  大蔵省が総量規制 

 1991年12月    総量規制廃止

 1992年       日経平均 ピークから3分の1に下落

 1992年?月?日   聖生 2通目のハガキ

 

 いろいろ整理してみたんだけど……いまいち関連性がみえてこない。

 日本の政策はわりと一貫している。

 80年代に景気が過熱しすぎたから、それを抑制する方向で動いているのだ。

 消費税導入も利上げも総量規制も、消費熱や投資熱を冷ますため。

 問題は経済がハードランディングしてしまったこと。

 一方、聖生のえるがハガキを出したタイミングがよくわからない。

 1988年の時点で、バブル崩壊を予見できるのかしら?

 可能性はある。景気が過熱していることは、政府も把握していたからだ。だけど、それだけじゃ説明のつかない点がある。売りに入るタイミング。1988年の段階でショートを始めると、大損なのよね。1989年までは上がりっぱなしなわけだし。レバレッジをかけていたら、どこかで資金が尽きたはずだ。

 暗号には、売り始める時期も明記されていた? それって予測が正確過ぎない?

 もうひとつ、2通目が1992年なのも謎。

 儲かったか、なーんて煽りのハガキでもないと思うし──

 と、そのとき、部室のドアがひらいた。

 箕辺くんと来島くるしまさんの登場。

「裏見先輩、おひさしぶりです。さっき飛瀬からMINEがありました」

「おひさしぶり。元気にしてた?」

「はい、おかげさまで」

 私は箕辺くんの進路をたずねた。

「俺はH大です」

 地元の国立。手堅い。

「来島さんは?」

「私もH大です」

 ふーん、いっしょか。

 箕辺くんの話によると、30分後には全員集まるらしい。

「だったら、お留守番タイムも終了ね。お先に失礼するわ」

「すみません、ほんとうなら将棋でも教えてもらうところなんですが……」

「ううん、私のほうこそ連絡なしで押しかけてるし。それじゃまたね」

 私は学校を出て、そのまま喫茶店八一やいちへと向かった。

 ドアを開けると、懐かしい鈴の音。

 ちょびひげのマスターは私を見て、

「あ、香子きょうこちゃん、おかえり」

 とあいさつしてくれた。

「おひさしぶりです、マスター」

「帰省?」

「ですです」

「今日はお客さんも少ないから、ふたりがけのテーブルでゆっくりしていってよ」

 じゃ、お言葉に甘えまして。

 私は窓際の席に腰をおろした。

 猫山ねこやまさんが注文を取りにくる。

「裏見さん、おひさしぶりです」

「おひさしぶりです。ホットコーヒーひとつ」

 猫山さんはマスターに注文を伝えた。

 それからすこし声を落として、

「夏休みの探偵ごっこは解決しましたか?」

 とたずねてきた。

 探偵ごっこはこれからが本番の可能性……だけど、ここはあいまいにしておく。

「はい、あのときはありがとうございました」

「いえいえ、動画ファイルをコピーしただけですからね。では、ごゆっくり」

 私は大きく息をつく。

 ぼんやり外を眺めていると、ふたたび鈴の音が鳴った。

 ちらりと視線をむけて、私は喫驚する──姫野ひめの先輩だった。

 黒のミリタリーコートに、白のハイネックニット。

 マスターは姫野先輩にも「あ、咲耶さくやちゃん、おかえり」と言った。

 姫野先輩も「ごぶさたしています」と返した。そして、私のほうを見た。

 黙ってこちらへ歩いて来る。

 むむむ、これは同席の流れ?

「裏見さん、おひさしぶりです。同席させていただいても、よろしいでしょうか?」

 どうぞどうぞ。

 べつにイヤなわけじゃないし。

 姫野先輩は向かいの席に腰をおろした。

 猫山さんが注文を取りにくる。先輩はミルクティーを注文。

 それから落ち着き払ったようすで、

「先日の王座戦では、あいさつの機会がなく、失礼いたしました」

 と言った。

 いえいえ、こちらこそ。

「姫野先輩、会長職就任、おめでとうございます」

「単なる雑用係ではありますが、お気持ちはちょうだいしておきます」

 コーヒーが運ばれてきた。

 姫野先輩は「お先にどうぞ」と勧めてくれた。

 では、いただきます。

「……ふぅ、ここは落ち着きますね」

「裏見さんと最初に将棋を指したのは、こちらの席でしたね」

 あ、そういえば、そうか。

 なんだかすごく昔のことのような気がする。

 あの頃の姫野先輩、わりとはっちゃけてたわよね。

 いきなり対局を申し込んで来たり*、文化祭のメイド喫茶で真剣やってたり**。

 後者はだいたい甘田かんだ先輩のせいだったけど。

「いかがですか、記念にここで一局」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 そ、そういう再現VTRみたいなのは、しなくていいんじゃないかしら。

 とはいえ断るのもなんだし、受けておく。

「一局だけなら……姫野先輩、盤駒持ってます?」

「マスターからお借りしましょう」

 姫野先輩が頼むと、マスターは木製の本格的な盤駒を持って来てくれた。

 駒をならべる。

 振り駒はおたがいに譲り合ったあと、姫野先輩が振った。表が3枚。

 時間はテキトウということに。このあと用事があるわけでもない。

「それでは、よろしくお願いいたします」

「よろしくお願いします」

 7六歩、8四歩、6八銀。

 ぐッ……矢倉まで再現してくるのか。

 矢倉は下火だから、受けてこないと思っていた。

 序盤で手が止まってしまう。

 ここで姫野先輩の紅茶も出てきた。シリンダーで蒸らすタイプ。

 私はすこし考えて、3四歩と角道を開けた。

 姫野先輩は、うっすらと笑みを浮かべた。

「裏見さんがこの1年でどれほど腕を上げられたか、見せていただきましょう。7七銀」

*6手目 喫茶店の少女

https://ncode.syosetu.com/n8275bv/7/


**61手目 騙される少女

https://ncode.syosetu.com/n8275bv/65/

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