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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第42章 1年の終わりへ(2017年1月1日日曜)
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267手目 墓参り

 日が沈む。墓地は真紅しんくに染まり、太宰だざいくんは立ったまま手を合わせていた。

 つきあわなくていいよ、と言われた手前、私たちは見守るだけ。

 大谷おおたにさんだけはいっしょに手を合わせていた。

 お墓には新しい花がそえてあり、線香もまだ煙を立てていた。

 会話はない──しばらくして、太宰くんはようやく目を開けた。

「……さて、どこから話したほうがいいかな」

 聞きたいことは山ほどある。質問がまとまらないくらいに。

 でも、ここは様子をみる。

 最初に動いたのは、火村ほむらさんだった。

「まずはあたしたちを呼び出した理由からでしょ」

「んー、そこからか……そこは最後にさせてもらえないかな」

 火村さんは反論しかけた。

 けど、なにかを察したように口をつぐんだ。

 太宰くんは、ふたたびお墓のほうに目をやった。

 墓石には【太宰家之墓】と刻まれている。

「僕の父さんが死んだのは9年前だよ……自殺だった」

 空気が重くなる。

 ひんやりとした風が、私たちのあいだを吹き抜けた。

 どうしてそんな話を──あっけにとられた私の横で、大谷さんが話しかけた。

「9年前といえば、リーマンショックの年ですが……」

「そう、父さんは破産してね……僕と母さんに生命保険金だけを残してくれた」

 深刻すぎる過去。

 その語り口が、私にある疑念を起こさせた。

「それって、え……」

 うっかり口をひらいてしまった。私はあわてて黙る。

裏見うらみさんの予想で合ってるよ……N資金と関係があるのか、って訊きたいんだよね。これが大アリなんだ。僕の父さんはN資金詐欺の被害者だった」

 私たちのあいだに緊張が走った。

 N資金は実話だったの? ……いや、太宰くんは詐欺だと言った。

 つまり大谷さんの解釈が当たっていた?

 一方、ばんくんは話の中身がわからなかったらしく、

「ちょっと待て。えぬしきんってなんだ?」

 とたずねた。

 太宰くんは、聖生のえるの隠し財産の話をした。

 宗像むなかたさんの名前は出なかった。

 わざとなのか、それとも情報をつかんでいないのか、そこは判断がつかなかった。

 磐くんは目を白黒させながら、

聖生のえるに隠し財産がある? ……冗談だろ?」

 と返した。

「ちょっと話をもどそう。僕の父さんはもともとジャーナリストだった。ほとんどフリーランスだったけどね。そして、どこからかN資金の話をつきとめてきた。だれかに吹き込まれたのか、それともじぶんで掘り当てたのか、それは分からない。いずれにせよ、こういう内容だった。聖生のえるという人物の莫大な資産が、某企業に投資される。その株を買っておけば大儲けできるってね。父さんはレバレッジ取引をして……けっきょくその株は2分の1になった」

 磐くんは、

「レバレッジってなんだ? 2分の1なら助かってるんじゃないのか?」

 と質問した。

 私はまったく助かっていないことに気づいていた。

 レバレッジのかけ方にもよるけど、ほぼ資金の全額を失っているはずだ。

 下手をすると借金だけ残っている可能性もある。

 太宰くんはあまり深入りせずに、

「手持ちの資金より多く取引する方法があるのさ……まあ、そこはあとで調べてもらうとして、そのN資金の話は嘘だったんだよ」

 と答えた。

 火村さんは眉間にしわを寄せた。

N資金? じゃあべつに本物があるってわけ?」

「と、僕は読んでいる」

 火村さんは真剣なまなざしで、太宰くんを見つめ返した。

「……二の舞になる心配はしてないの?」

 ひやりとする質問。

 太宰くんは顔色を変えなかった。

「僕の調査は、お金儲けがメインじゃない……メインじゃないってだけで、できればしたいけどね。さしあたりの問題は、N資金が単なる詐欺だったのか、それともどこかに本物のN資金があるのか、だ。儲かる儲からないは、そのあとで考える」

「で、この5人を呼んだこととの関係は?」

 質問が最初にもどった。

 太宰くんも、こんどははぐらかさなかった。

「僕とこの5人で調査団を結成したい」

 沈黙──みんな距離をつかみかねているようだった。

 私もどうしていいのかわからない。

 火村さんは西日を浴びながら、

「どうしてこの5人なの?」

 とたずねた。

「これまでの聖生のえるに関する調査で、特段の功績があったメンバーだよ。それと、口の堅さかな。きみたちは僕が知らない情報を持ってるよね。うぬぼれかもしれないけど、僕は大学将棋界のうわさ話をすべて集めたつもりだ。その僕が知らないということは、きみたちは他人に話さなかったってことだよ」

 火村さんは私たちのほうをちらりと見た。

「……即決できる案件じゃないわね」

 太宰くんは「もちろん」と答えた。

「4月1日を正式な結成日にしよう。それまでに連絡が欲しい。きみたちなら抜けたあとでも言いふらさないんじゃないかな……と信頼してる。あ、それと、ここまでの手間賃はさすがに出すよ」

 太宰くんはひとりひとりに封筒を渡した。

 中を見ると、交通費……プラスアルファが入っていた。

「じゃ、また春休み明けに。いい返事を待ってる」


  ○

   。

    .


 大学最寄りの駅で降りたとき、あたりはすっかり暗くなっていた。

 私たちはファミレスで夕食、という名の作戦会議。

「ねぇ、太宰くんはほんとうのことを話したと思う?」

 松平まつだいらと大谷さんは、即答しなかった。

 すこしばかり間を置く。先に口をひらいたのは松平だった。

「一から十まで嘘……の可能性がゼロとは言い切れないだろうな」

「お父さんの件も含めて?」

 松平はうなずいた。

 大谷さんも、

「お墓はたしかに『太宰』でした。しかし、死因がほんとうかまではわかりません」

 と答えた。

 うーん……私はあんまり嘘だと思ってないのよね。

 嘘をついているようにみえなかったというか……もちろん私は嘘を見抜くのが得意ってわけじゃない。ただ、嘘をつくならもっとべつの話にしない? 親族を自殺したことにする必要はないわけで……すくなくとも私の感覚はそう。

 3人のあいだで沈黙が続く。

 熱々のラザニアも、すっかり冷めてしまっていた。

 私はオレンジジュースを飲んで、もういちど考える。

「……仮にほんとうだとしたら、どうする?」

 松平は、

「レバレッジがどうのこうのは、よくわからなかった。あれはなんなんだ?」

 とたずね返してきた。

 まずはそこからか。私は説明する。

「たとえば松平の銀行口座に100万円あるとするわよね」

「そんなにないけどな」

「いや、あると仮定して……その資金で株式投資を始めるとき、100万円よりも多い額の株を買う方法があるの。それがレバレッジ」

「でも100万円しか持ってないんだろ?」

「レバレッジっていうのは100万円を担保にお金を借りて、その分も合わせて株を買う方法なの。レバレッジ2倍なら200万円分、3倍なら300万円分まで買えるわ」

 松平は、うーんとうなった。

「それはようするに借金なんじゃないのか?」

「じっさいにはそうね。たとえば2倍のレバレッジをかけたとすると……」

 私は紙ナプキンに計算をかいた。

 

 【レバレッジなしの場合】

 自己資金100万円

   株式を100万円分購入

   株価が2倍になった場

    200万円(収支 +100万円)

   株価が2分の1になった場合

     50万円(収支  ー50万円)→ 残金50万円

 

 【レバレッジ2倍の場合】

 自己資金 100万円(証拠金)

 他者資金 100万円

   株式を200万円分購入

   株価が2倍になった場合

    400万円(収支 +200万円)

   株価が2分の1になった場合

    100万円(収支 ー100万円)→ 残金ゼロ

     ※他者資金を返済すると手元に残らない


「こうなるの」

 松平はこの計算式をみて、しばらく考えた。

「……なるほど、利益も倍だが損失も倍になるわけか」

「そう、だから太宰くんの話がほんとうなら、お父さんが破産したっていうのも嘘じゃないと思う。リーマンショックのときの株価は、半分になっててもおかしくないから」

 松平は大きく息をついた。

「だけどこれだって、事前に調べればそれっぽい作り話になるだろう」

「まあ、それはそうなんだけど……大谷さんはどう思う?」

 サラダをつついていた大谷さんは、お箸を置いた。

「拙僧の印象では、嘘をついているようにみえませんでした」

「なにかを隠しているようには?」

「出していない情報はあると思います。ただ、これまでの太宰くんの行動からして、本筋の部分は本当なのではないでしょうか。熱海あたみでもそうでしたが、太宰くんは自発的に情報を出すことがありました。なぜあのようなことをするのか、拙僧には疑問でした。しかし今日の話を聞いて、少々合点したところもあります」

「つまりお父さんのかたきを本気で捜してる?」

「……仇とはすこし違うような気がしています」

 どうなのだろう。たしかに話し方が淡々とし過ぎていた気はする。

 大谷さんはふたたびお箸を持った。

「いずれにせよ、すぐに結論を出すのは危険です。4月まで議論を重ねましょう」

 安全策か──ま、そのほうがいい。

 私たちは食事を済ませて、ファミレスを出た。

 途中で大谷さんとは別方向になる。

 松平とふたりきりになった私は、3月の予定を話し合った。

「松平も3月に一回帰るんでしょ?」

「ああ、その件なんだが……」

 ん? ……また折口おりぐち先生案件?

 私は注意しようとした。

 けど、松平が先に話を続けた。

「その……K都旅行でもしないか? M重は旅行って感じがあんましなかったし……」

 私はどきりとしてしまう。

 そういえば、デート旅行はまだしたことがない。

「……そうね、朝一で東京を出たあと、寄って行きましょ」

 松平は急にニヤけて、

「そっか、じゃああとでスケジュール送っとく」

 と言った。

 K都か……松平と行くのは初めてだ。

 うーん、ちょっと緊張しちゃう。楽しい帰郷になるといいな。

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