267手目 墓参り
日が沈む。墓地は真紅に染まり、太宰くんは立ったまま手を合わせていた。
つきあわなくていいよ、と言われた手前、私たちは見守るだけ。
大谷さんだけはいっしょに手を合わせていた。
お墓には新しい花がそえてあり、線香もまだ煙を立てていた。
会話はない──しばらくして、太宰くんはようやく目を開けた。
「……さて、どこから話したほうがいいかな」
聞きたいことは山ほどある。質問がまとまらないくらいに。
でも、ここは様子をみる。
最初に動いたのは、火村さんだった。
「まずはあたしたちを呼び出した理由からでしょ」
「んー、そこからか……そこは最後にさせてもらえないかな」
火村さんは反論しかけた。
けど、なにかを察したように口をつぐんだ。
太宰くんは、ふたたびお墓のほうに目をやった。
墓石には【太宰家之墓】と刻まれている。
「僕の父さんが死んだのは9年前だよ……自殺だった」
空気が重くなる。
ひんやりとした風が、私たちのあいだを吹き抜けた。
どうしてそんな話を──あっけにとられた私の横で、大谷さんが話しかけた。
「9年前といえば、リーマンショックの年ですが……」
「そう、父さんは破産してね……僕と母さんに生命保険金だけを残してくれた」
深刻すぎる過去。
その語り口が、私にある疑念を起こさせた。
「それって、え……」
うっかり口をひらいてしまった。私はあわてて黙る。
「裏見さんの予想で合ってるよ……N資金と関係があるのか、って訊きたいんだよね。これが大アリなんだ。僕の父さんはN資金詐欺の被害者だった」
私たちのあいだに緊張が走った。
N資金は実話だったの? ……いや、太宰くんは詐欺だと言った。
つまり大谷さんの解釈が当たっていた?
一方、磐くんは話の中身がわからなかったらしく、
「ちょっと待て。えぬしきんってなんだ?」
とたずねた。
太宰くんは、聖生の隠し財産の話をした。
宗像さんの名前は出なかった。
わざとなのか、それとも情報をつかんでいないのか、そこは判断がつかなかった。
磐くんは目を白黒させながら、
「聖生に隠し財産がある? ……冗談だろ?」
と返した。
「ちょっと話をもどそう。僕の父さんはもともとジャーナリストだった。ほとんどフリーランスだったけどね。そして、どこからかN資金の話をつきとめてきた。だれかに吹き込まれたのか、それともじぶんで掘り当てたのか、それは分からない。いずれにせよ、こういう内容だった。聖生という人物の莫大な資産が、某企業に投資される。その株を買っておけば大儲けできるってね。父さんはレバレッジ取引をして……けっきょくその株は2分の1になった」
磐くんは、
「レバレッジってなんだ? 2分の1なら助かってるんじゃないのか?」
と質問した。
私はまったく助かっていないことに気づいていた。
レバレッジのかけ方にもよるけど、ほぼ資金の全額を失っているはずだ。
下手をすると借金だけ残っている可能性もある。
太宰くんはあまり深入りせずに、
「手持ちの資金より多く取引する方法があるのさ……まあ、そこはあとで調べてもらうとして、そのN資金の話は嘘だったんだよ」
と答えた。
火村さんは眉間にしわを寄せた。
「そのN資金? じゃあべつに本物があるってわけ?」
「と、僕は読んでいる」
火村さんは真剣なまなざしで、太宰くんを見つめ返した。
「……二の舞になる心配はしてないの?」
ひやりとする質問。
太宰くんは顔色を変えなかった。
「僕の調査は、お金儲けがメインじゃない……メインじゃないってだけで、できればしたいけどね。さしあたりの問題は、N資金が単なる詐欺だったのか、それともどこかに本物のN資金があるのか、だ。儲かる儲からないは、そのあとで考える」
「で、この5人を呼んだこととの関係は?」
質問が最初にもどった。
太宰くんも、こんどははぐらかさなかった。
「僕とこの5人で調査団を結成したい」
沈黙──みんな距離をつかみかねているようだった。
私もどうしていいのかわからない。
火村さんは西日を浴びながら、
「どうしてこの5人なの?」
とたずねた。
「これまでの聖生に関する調査で、特段の功績があったメンバーだよ。それと、口の堅さかな。きみたちは僕が知らない情報を持ってるよね。うぬぼれかもしれないけど、僕は大学将棋界のうわさ話をすべて集めたつもりだ。その僕が知らないということは、きみたちは他人に話さなかったってことだよ」
火村さんは私たちのほうをちらりと見た。
「……即決できる案件じゃないわね」
太宰くんは「もちろん」と答えた。
「4月1日を正式な結成日にしよう。それまでに連絡が欲しい。きみたちなら抜けたあとでも言いふらさないんじゃないかな……と信頼してる。あ、それと、ここまでの手間賃はさすがに出すよ」
太宰くんはひとりひとりに封筒を渡した。
中を見ると、交通費……プラスアルファが入っていた。
「じゃ、また春休み明けに。いい返事を待ってる」
○
。
.
大学最寄りの駅で降りたとき、あたりはすっかり暗くなっていた。
私たちはファミレスで夕食、という名の作戦会議。
「ねぇ、太宰くんはほんとうのことを話したと思う?」
松平と大谷さんは、即答しなかった。
すこしばかり間を置く。先に口をひらいたのは松平だった。
「一から十まで嘘……の可能性がゼロとは言い切れないだろうな」
「お父さんの件も含めて?」
松平はうなずいた。
大谷さんも、
「お墓はたしかに『太宰』でした。しかし、死因がほんとうかまではわかりません」
と答えた。
うーん……私はあんまり嘘だと思ってないのよね。
嘘をついているようにみえなかったというか……もちろん私は嘘を見抜くのが得意ってわけじゃない。ただ、嘘をつくならもっとべつの話にしない? 親族を自殺したことにする必要はないわけで……すくなくとも私の感覚はそう。
3人のあいだで沈黙が続く。
熱々のラザニアも、すっかり冷めてしまっていた。
私はオレンジジュースを飲んで、もういちど考える。
「……仮にほんとうだとしたら、どうする?」
松平は、
「レバレッジがどうのこうのは、よくわからなかった。あれはなんなんだ?」
とたずね返してきた。
まずはそこからか。私は説明する。
「たとえば松平の銀行口座に100万円あるとするわよね」
「そんなにないけどな」
「いや、あると仮定して……その資金で株式投資を始めるとき、100万円よりも多い額の株を買う方法があるの。それがレバレッジ」
「でも100万円しか持ってないんだろ?」
「レバレッジっていうのは100万円を担保にお金を借りて、その分も合わせて株を買う方法なの。レバレッジ2倍なら200万円分、3倍なら300万円分まで買えるわ」
松平は、うーんとうなった。
「それはようするに借金なんじゃないのか?」
「じっさいにはそうね。たとえば2倍のレバレッジをかけたとすると……」
私は紙ナプキンに計算をかいた。
【レバレッジなしの場合】
自己資金100万円
株式を100万円分購入
株価が2倍になった場
200万円(収支 +100万円)
株価が2分の1になった場合
50万円(収支 ー50万円)→ 残金50万円
【レバレッジ2倍の場合】
自己資金 100万円(証拠金)
他者資金 100万円
株式を200万円分購入
株価が2倍になった場合
400万円(収支 +200万円)
株価が2分の1になった場合
100万円(収支 ー100万円)→ 残金ゼロ
※他者資金を返済すると手元に残らない
「こうなるの」
松平はこの計算式をみて、しばらく考えた。
「……なるほど、利益も倍だが損失も倍になるわけか」
「そう、だから太宰くんの話がほんとうなら、お父さんが破産したっていうのも嘘じゃないと思う。リーマンショックのときの株価は、半分になっててもおかしくないから」
松平は大きく息をついた。
「だけどこれだって、事前に調べればそれっぽい作り話になるだろう」
「まあ、それはそうなんだけど……大谷さんはどう思う?」
サラダをつついていた大谷さんは、お箸を置いた。
「拙僧の印象では、嘘をついているようにみえませんでした」
「なにかを隠しているようには?」
「出していない情報はあると思います。ただ、これまでの太宰くんの行動からして、本筋の部分は本当なのではないでしょうか。熱海でもそうでしたが、太宰くんは自発的に情報を出すことがありました。なぜあのようなことをするのか、拙僧には疑問でした。しかし今日の話を聞いて、少々合点したところもあります」
「つまりお父さんの仇を本気で捜してる?」
「……仇とはすこし違うような気がしています」
どうなのだろう。たしかに話し方が淡々とし過ぎていた気はする。
大谷さんはふたたびお箸を持った。
「いずれにせよ、すぐに結論を出すのは危険です。4月まで議論を重ねましょう」
安全策か──ま、そのほうがいい。
私たちは食事を済ませて、ファミレスを出た。
途中で大谷さんとは別方向になる。
松平とふたりきりになった私は、3月の予定を話し合った。
「松平も3月に一回帰るんでしょ?」
「ああ、その件なんだが……」
ん? ……また折口先生案件?
私は注意しようとした。
けど、松平が先に話を続けた。
「その……K都旅行でもしないか? M重は旅行って感じがあんましなかったし……」
私はどきりとしてしまう。
そういえば、デート旅行はまだしたことがない。
「……そうね、朝一で東京を出たあと、寄って行きましょ」
松平は急にニヤけて、
「そっか、じゃああとでスケジュール送っとく」
と言った。
K都か……松平と行くのは初めてだ。
うーん、ちょっと緊張しちゃう。楽しい帰郷になるといいな。




