266手目 太宰治虫の挑戦状
……決めた。乗る。
私は5五銀とぶつけた。
又吉くんは小考。
「……4五銀であります」
又吉くんは角頭を狙って来た。
私はそのまま4六銀と出る。
3四銀、2四角、6五歩。
先手、受ける気なし。
完全な殴り合いだ。
こうなったらもう引けない。手の止まったほうが負ける。
私は5七銀成と成り込んだ。
又吉くんはメガネをなおす。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
1一角成が飛んで来た。
私は6八成銀で飛車を回収。
「4七金であります」
ぐッ……冷静。
だけど飛車を打つスキができた。
6九飛、2六香──
「!」
「お気づきでありますか。後手は意外と手がないでありますよ」
……ほんとだ。手がない。
4筋と5筋の歩が切れてないから、なにもできない。8筋もまだ突いてない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「3三銀ッ!」
角は助からない。銀を入手する。
「銀はあげられないのでありまーす。同馬」
そっちかぁ。
私は同角とする。
2三香成、4一玉、3三成香、同桂、4四歩、同歩、3三銀成。
詰めろじゃないけど……玉頭に火がついた。
消火消火ぁ。
私は4二金左とぶつけた。
同成銀、同金。
「まだ種火は消えないでありますよ。4三歩」
同金に3五桂と打たれる。
〜〜〜ッ! 反撃するヒマがないッ!
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
私は4二金と引いた。
4三銀と置かれる。
このままじゃジリ貧だ。
「4五香」
「それはなにろでありますか?」
なにろでもありませんッ!
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
又吉くんは4二銀成とひっくり返した。
同玉、5三金。
……………………
……………………
…………………
………………王手飛車取りコース。
「負けました」
「ありがとうございました、であります」
ショック──短手数負け。
私はお茶を飲んで、気を取りなおす。
「4六銀はやりすぎだった?」
「むしろ3三銀が敗着だと思いますな。あそこは3三歩で収めるのがよいですぞ」
【検討図】
そっかぁ、変に攻め駒を入手しようとしたのがいけなかった。
「もうひとつ、終盤のヤケクソは4五香より5五角のほうが紛れるであります」
「3七桂で止まらない?」
「そのあと5一銀で粘るであります。どこかで4六香と打てれば御の字であります」
なるほど、勉強になる。
大学将棋、特に団体戦は、敗勢時の指し方も注意しないといけない。
本局はあっさり土俵を割りすぎた。
それから何箇所か検討して、おひらきに。
もういちど一礼したところで、スッと封筒がさし出された。
なにこれ?
「チップならもらえないわよ」
金銭の授受はかたく禁止されている。
「太宰殿からお手紙であります」
私は眉をひそめた。
「手紙? 太宰くんから?」
「裏見殿の連絡先が分からないので、届けるように頼まれたであります」
「中身は?」
又吉くんは席を立った。
「中身は見ていないので分からないであります。我輩、ある程度信用されているようでありますな。というわけで、我輩の出番はここまでであります」
私が引き止めようとするまえに、宗像さんから声かけがあった。
「新規の小学生のかたです。手合いをお願いします」
「は、はい」
私は封筒をポケットに入れた。
見ると、又吉くんは道場からいなくなっていた。
○
。
.
その夜、アパートにもどった私は、ベッドにもたれながら封筒の中身を読んでいた。
A4の紙に数行だけの、簡潔な手紙だった。
聖生に関する共闘の件、検討してくれたかな。
もし裏見さんがOKなら、明日の15時、
府中駅近くのSFIDPまで来て欲しい。
下り階段だよ。
この件はだれにも話さないで、ひとりでね。
信頼している。
by太宰
……………………
……………………
…………………
………………困った。
松平か大谷さんにヘルプを……というわけにもいかない。
だれにも話すなと書いてある。
けど、しゃべってもバレなくない?
盗聴器が仕掛けられているわけでもなく……ないわよね?
私は封筒やカバンの中を念入りに調べた。
衣服のポケットもチェック。
なにもないことを確認して、こんどはノートパソコンを起動させた。
ブラウザを立ち上げて、検索窓に単語を打ち込む。
「S・F・I・D・P……なんて読むのかしら。スフィドゥプ?」
それから府中駅を追加しまして……クリック。
「……?」
引っかからない。
GooGooマップのほうも見てみる。
「……なくない?」
拡大したり縮小したりしてみたけど、SFIDPという店名はなかった。
下り階段のところ……と言っても、下り階段なんてたくさんありそう。
ひとまずストリートビューモードで駅をぐるりと回ってみた。
案の定、下り階段はあちこちにあった。けど、該当する喫茶店はなし。
私はもういちど、手紙を読みなおす。
……………………
……………………
…………………
………………妙ね。
【下り階段だよ】という一文に違和感をおぼえる。
どこかしら唐突な印象を受けた。前後の文章とつながっていない。
「……もしかして暗号?」
SFIDPが暗号で【下り階段】がキー?
だとすると……いや、まだ分からない。
私は手紙を電灯に透かしてみた──ん? 乾かしたようなあとがある。
「……この手紙、うっすらといい匂いがするわね」
香水? ……柑橘系な気がする。
柑橘系……暗号……ッ!
私は台所へ移動して、コンロの火をつけた。
手紙をかざす。
CHOFU
CIQIY
出たッ! あぶり出しッ!
私ってば天才……というわけでもなく、まだ解決していない。
これはなに?
CHOFU→CIQIYっていう変換かしら。
CはC、HはI、OはQ……あッ! 分かったッ!
C
HI
OPQ
FGHI
UVWXY
これが下り階段だッ!
ということはSFIDPは逆算して──
S
EF
GHI
ABCD
LMNOP
こうなるはず。店名はSEGAL。
私はパソコンでもういちど検索してみた。
「……あった、喫茶店セガール」
これで解決……してない。
けっきょく行くのか行かないのか、松平たちに話すのか話さないのかが問題だ。
私は手紙を勉強机のうえに投げ出す。
今は2月中旬。大学の講義はない。
太宰くんは知り合いだし、熱海で共闘した経験もある。
だけど──
○
。
.
喫茶店のドアを開ける。
暖かな空気が店外に漏れた。
私はマフラーに首をひっこめながら、店内に足を踏み入れた。
昔ながらの喫茶店で、チェーン店よりもすこし狭かった。
……太宰くんは?
どこにもいないように見える。
しばらく窺っていると、エプロンをつけた女性の店員さんが話しかけてきた。
「いらっしゃいませ……キョウコさんですか?」
名前を呼ばれてびっくりする。
「え、あ、はい……先客がいるかな、と思うんですが……」
「オサムさまでしたら、『急用ができたから先に行く』とおっしゃられていました」
……いないってこと?
困惑する私に、店員さんは一枚のメモ用紙をみせた。
T霊園 1B-2-A-D
16時なら会える
「……T霊園ってどこですか?」
「この近くにある有名な霊園です。観光客のかたですか? 府中駅からひと駅ですし、そこから歩けますので迷うことはありませんよ」
「このアルファベットと番号はなんですか?」
店員さんはすこし困ったような顔で、
「さあ……それは説明されませんでしたが……」
と答えた。
スマホで連絡を取ればいいのでは、という顔をしている。
ある意味、当然の反応だ。
私はしばし逡巡する。
「……わかりました。メモ帳はいただいてもいいですか?」
「どうぞ」
お店を出て、府中駅にもどる。
新宿行きの各停でひと駅移動。
東京にしてはこじんまりとした駅で降りた。
どうやら有名な場所らしく、スマホで検索したら簡単にみつかった。
「……え? ここ?」
正門に到着した私は、唖然とした──広すぎじゃない?
向こうがわが見えない。
想像していた墓地とは全然ちがって、まるで市民公園みたいだ。
私は門の近くにある案内所に声をかけた。
目のしょぼしょぼしたおじいさんが受付にいた。
「すみません……この記号をご存知ありませんか?」
私はメモ帳をさしだした。
おじいさんは老眼なのか、メモ帳からすこし距離をとった。
「1……ビー……2……エー……ディー……知りませんね」
「こちらの施設と関係はありませんか?」
「ここのお墓には全部番号がついてるんですよ。たとえば1−2−3−4みたいにね。だけどAとかBは使ってないです」
「つまり4つの数字の組み合わせなんですね?」
おじいさんは「そう」と答えた。
私はお礼を言って、ひとまず霊園に入った。
今のはヒントになった。ようするにこれも暗号なのだ。
私はスマホで時間を確認する──あと20分。
各停がなかなか来なかったのが痛かった。
周囲を見回す。やみくもに捜すのはムリっぽい。広すぎる。
たぶん半分も回らないうちにタイムオーバーだ。
暗号を解くしかない。
手がかりはある。アルファベットを全部数字に直せばいい。
一番単純なのは、A=1、B=2、C=3みたいに並べていって、
12−2−1−4
これ──だけど、単純過ぎる気がする。
ほかにある? ……思いつかない。
えーい、ひとまず確認。
私は12区2種1側4番のお墓まで走った。
「ハァ……ハァ……これね……」
周囲を確認する──だれもいない。
お墓も確認したけど、これと言って変わったところはなかった。
残り時間は15分。2、3箇所しか回れない。
私はメモ帳にヒントがないかどうかチェックした。
匂い……なし……不審な透かし……なし。
えぇ……これだけじゃ分かんなくない?
16時なら会えるって言われても……ん?
待ってよ。16時なら会えるって、なんか日本語として変じゃない?
16時に会おうとか、16時まで待つなら分かる。
「16……16……あッ! 分かったッ!」
16進数だッ!
え、えーと、16進数を10進数になおす方法は──
ここは間違えないように、ペンを取り出して計算。
10が16、Aが10だから……1Bは27ね。
27-2-10-13
これだッ! 私はスマホで霊園の見取り図を開いた……一番奥ッ!?
えーい、元陸上部の脚力を見せてやる。
私は霊園の奥へと全力疾走。
だんだんと日が沈んでいく。途中で手桶を持ったおばあさんとすれちがった。
27区に到着したときには、ほとんどタイムアップに近かった。
「太宰くん、いる?」
私は名前を呼んだ──返事はない。
「太宰くん?」
そのとき、まったく予期しない声が聞こえた──松平だった。
「う、裏見、なにしてるんだ?」
ふりかえると、松平が立っていた。
手には紙切れを持っている。
え? 私はしばらく言葉が出なかった。
「……なんでここにいるの?」
「いや、それはだな……裏見こそなんでここにいるんだ?」
太宰くんから呼ばれて……と答えてもいいの?
そう思った瞬間、こんどは大谷さんが姿をあらわした。
「どうやら個別に呼ばれたようですね」
そのひとことに、私はびっくりしてしまう。
「個別? ……もしかして3人とも?」
大谷さんは手にしていた紙切れをみせた。
「拙僧は小金井方面から来ました。裏見さんは?」
「私はT霊園駅」
「俺はバスだったぞ」
そういうことか……おたがいに鉢合わせないように仕組まれてたんだ。
「だけど、どうしてこの3人なの?」
「3人だけじゃないわよ」
私たちは一斉にふりかえる。
フリル付きの黒い服を着た小柄な少女──火村さんが立っていた。
「太宰に招待されたのは、あたしだけじゃなかったみたいね」
ますます意味が分からない。
おたがいに顔を見合わせていると、反対側からゆっくりと影が伸びた。
「みんな、お待たせ」
夕日に照らされた太宰くんに、松平は詰め寄った。
「おい、どういうつもりだ?」
「その説明は全員そろってからにしたいんだけど……ひとり脱落したかな」
もうひとりいるの? だれ?
名前を聞こうとしたところで、遠くから声が聞こえた。
「おーい、太宰、俺はもう来てるぞッ! ちょっと待ってろッ!」
磐くんだッ!
しばらくして、磐くんは変な歩き方をしながら現れた。
「ハァ……ハァ……ローラーブレードが壊れた……」
車輪のはずれたローラーブレードを引きずって、磐くんは私たちと合流した。
磐くんは私たちをみて、
「ん? なんだこれ? ドッキリだったのか?」
とたずねた。
それはこっちが訊きたい。
火村さんは腕組みをして、太宰くんと向き合った。
「さーて、こんどこそ話してもらうわよ。こんな手の込んだことまでして、あたしたちを呼び出した理由は?」
太宰くんはいつものポーカーフェイスで、スッと視線をそらした。
そして、ひとつの墓石に目をやった。
「ま、せっかくだから墓参りさせてよ。父さんと会うのはひさしぶりなんだ」