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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第42章 1年の終わりへ(2017年1月1日日曜)
273/487

265手目 M資金

 翌日、私は大学構内の喫茶店に、松平まつだいら大谷おおたにさんを呼び出した。

 定期試験も終わったからか、お店のなかは閑散としていた。

 一番すみっこの席で、店員さんに聞こえないように会話をする。

 私が話を切り出すと、松平は眉をひそめて、

聖生のえるの資金が大円だいまる銀行に眠ってる?」

 と、すこしばかり大きな声でたずねた。シーッ。

 私は、ビジコンで見聞きしたことを伝えた。

「大円銀行の支店長が宗像むなかたさんに会釈をしてた? ……それだけか?」

「だけか、じゃないでしょ。メガバンクの支店長に会釈なんかされないわよ。これは銀行に大金を……たぶん億単位で預けてる証拠」

 松平は「それもそうか」と言って、考え込んだ。

「……だけど見間違いの可能性もないか? 伝聞証拠しかないように思うんだが……まず会釈の対象はほかのひとで、宗像さんの近くに知り合いがいたかもしれないだろ?」

 ぐッ……その可能性は否定できない。

 さらに松平は続けた。

「それから、粟田あわたさんだっけか? 粟田さんの聞き間違いの可能性もある」

 うーん、それも否定できない。

 あとで調べてみたら、支店長っていう文字が入る役職は3つあるらしい。

 支店長、副支店長、支店長代理。

 このうち支店長代理はぜんぜん偉くなくて、課長より下っぽかった。

 代理を聞き落としたかもしれないのよね。

「だーけーど、私たちの部費が消えたとき、送金先は大円銀行だったでしょ。けっきょく送金し返されたから、それ以上追及しなかったじゃない*」

「まあ、あのときは証拠もなにもなかったからな。俺たちのほうの銀行じゃ対応してくれなかったし……ようするに、ニセ聖生のえるは大円銀行に口座を持ってるってことだよな? だけど宗像さんの口座があるかどうかはわかんなくないか? ニセ聖生のえる=宗像さんは確定してないんだ。こうなってみるとむしろ別人だと思える」

 うむむ……たしかに。

 だけど、状況がなんとなくそっちを示しているような気がする。

 私は大谷さんに助けを求めた。

 大谷さんは抹茶ラテのカップを両手で支えながら、すまし顔。

「左様ですね……なんとも予断はできないように思います」

 うーん、味方になってくれないか。

 まあしょうがない。憶測に憶測を重ねている点は認めざるをえない。

 でもなあ……うーん……。

 私が悩んでいると、大谷さんはカップをおいて、

裏見うらみさんは、このメンバーだけにそのお話を?」

 とたずねてきた。

「今のところ、このメンバーだけかな……ほかのひとに話すのはちょっと……」

「実際、このなかにニセ聖生のえるがいる可能性はないと言ってよいでしょう。高校までの経歴もはっきりしていますので……三宅みやけ先輩には?」

「三宅先輩は風切かざぎり先輩と近すぎると思うのよね」

 信頼してないわけじゃない。

 でも2年生同士だから、どこかでうっかりということもある。

 とくにお酒を飲みに行っているときがあやしい。

 三宅先輩に話すくらいなら、まだ火村ほむらさんのほうがいいかなあ。火村さんにはこれまでもきわどい相談をしてきたけど、その情報が外部に漏れた形跡はなかった。

 私と大谷さんのやりとりに、松平が割り込んだ。

「なあ、裏見……これはまえも言ったんだが……」

「なに?」

「宗像さんのところで働くのは、やっぱり危なくないか?」

 私は口をつぐんで、コーヒーカップを半回転させた。

「……このまえ忠告されたときは、宗像さんが聖生のえるかもしれないから、だったわよね。今は宗像さんが逆に狙われているのかもしれない……だから観察が必要じゃない?」

「それは俺たちがやる仕事なのか? 警察の出番だと思うが……」

「警察が動いてくれると思う?」

速水はやみ先輩は?」

 それは……ちらりと考えた。

 速水先輩なら警察のコネでなんとかしてくれるのでは?

 彼女は宗像さんと風切先輩が別れた事情も、よく知っている。

 だったら力になってくれるかもしれない。

 私が逡巡していると、大谷さんが口をひらいた。

「速水さんにお伝えするのは、よろしくないように思います」

「どうして?」

「速水さんは、拙僧たちよりも多くのことを知っている可能性があります」

 ……なるほど、そういうことか。

「N資金のこともとっくに突き止めてる、と?」

「その可能性は否定できません……太宰だざいくんも同様です。わざわざN資金と名付けたところからして、なにかを掴んでいるのではないでしょうか」

「単に聖生のえるの頭文字を取っただけじゃない?」

「裏見さんは、M資金というものをご存知ですか?」

 私は知らないと答えた。

「GHQが日本人から接収し、どこかに隠したと言われる莫大な秘密資金です」

 GHQ? 莫大な秘密資金? ……どういうこと?

「それって……戦後の話?」

「左様です。GHQは日本を占領中、軍需物資などを接収して管理しました。1952年に全額が日本政府に返還されたと言われていますが、じっさいには返還されておらず、どこかで運用されているという噂話です」

 松平はこれを聞いて、眉間にしわをよせた。

「なんか徳川埋蔵金みたいな話だな。さすがにデマじゃないのか?」

「はい、これはデマなのです。M資金は詐欺によく使われています。被害のなかには著名人も多く、戦後最も有名な詐欺の手口のひとつです」

 ふーん、初めて聞いた気がする……って、ん?

 私は身を乗り出した。

「もしかしてN資金って……」

「おそらくM資金のもじりだと思われます」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………どういうこと?

「待って、それじゃまるで聖生のえるの遺産がデマみたいな言い方じゃない?」

「過去の空売りで大儲けした男の遺産が、銀行のどこかに眠っている……そういう手口の詐欺があっても、おかしくはないように思います」

 私は大谷さんの話を聞いて、考え込んでしまった。

 聖生のえるの遺産がデマ? ……たしかに確認はできていない。

 太宰くんはなにを知っていて、なにを調べてるの?

 もしかして私たちに偽情報を流して、さぐりを入れてる?

 店員さんがそばのテーブルを拭きに来た。私たちは会話をやめる。

 外はくもり空。宗像さんとの関係に、一抹の不安がよぎる風景だった。


  ○

   。

    .


挿絵(By みてみん)


 チェスクロが時を刻む。

 ブレザーを着た男子中学生は、じっと盤をみていた。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「負けました」

「ありがとうございました」

 私はチェスクロを止めた。

「中盤の入り口で悪くした気がします」

「そうね。あそこで桂跳ねはちょっと危なかったかも……」

 感想戦をしていると、宗像さんに呼ばれた。

「裏見さん、5分後に次の手合いをお願いします」

「はーい」

 今日はお客さんが多い。

 私は中学生との感想戦もそこそこに、次の準備をした。

 盤駒をそろえて、飲みかけのお茶を片付ける。

「お待たせしました……ッ!」

 学ランを着た、瓶底眼鏡の青年……又吉またよしくんッ!

「こんにちは、であります」

「又吉くん、どうしてここに?」

「もちろん将棋を指しに来たでありますよ」

 えぇ……なんかすごく嘘くさい。

 困惑する私をよそに、又吉くんは振り駒をした。

「我輩の先手でありますな。それでは、よろしくお願いするであります」

 私たちは一礼して、対局を始めた。

 7六歩、8四歩、1六歩、1四歩、7八銀。


挿絵(By みてみん)


 なんで晩稲田おくてだの学生が、わざわざここまで来るの?

 都内にも将棋道場はあるでしょ。

 それとも朽木くちき先輩が近くに住んでるから?

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! 3四歩ッ!

 

 又吉くんはこの手をみて、

「序盤からギリ指しとは、研究勝負でありますか?」

 とつぶやいた。

 いかんいかん、今は仕事に集中。

 又吉くんは6六歩と突いた。

 彼が振り飛車党なのは、王座戦でちらりと見たから知っている。

 6二銀、6八飛、4二玉、3八銀、3二玉、4六歩。

 藤井システム調だ。これなら慣れている。

 5四歩、5八金左、8五歩、7七角、3三角、6七銀。


挿絵(By みてみん)


 どうしましょ。穴熊に組んでもいいけど……対策されてそうなのよね。

 そのための藤井システムだし、端も突いてしまっている。

 ここはひとつ、晩稲田レギュラーの棋力でも調べておきますか。

 来年度順調に昇級したら、当たるかもしれない。

「5三銀」

「今の間合い、なにかありますな。3六歩」

 7四歩、4八玉、6四銀。

 

挿絵(By みてみん)


 右銀急戦。

 又吉くんはメガネをなおした。

「ハハァ、そう来るでありますか……でしたら、7八銀であります」

 むッ……右銀急戦を正面から受けないのか。

 だったら私も自陣を整備する。

 7三桂、3九玉、4二銀、2八玉、3一金。


挿絵(By みてみん)


「エルモ囲いでありますか。裏見殿も勉強なさってますなあ」

 あたりまえでしょ。

 小学生なんかはソフトネイティブだから、しょっちゅう使ってくるし。

 又吉くん、ここで初めて小考。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「6七銀であります」

 私は5一金でエルモ囲いを完成させる。

 又吉くんは5六銀と出て来た。

 あ、うーん、先攻して来そう……進退を決めないといけなくなった。

 乗るか反るか、どっちにしましょ。

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