264手目 支店長
というわけで、打ち上げ会場に移動したわけですが──居酒屋じゃなかったッ!
助かった。油ものをソフトドリンクで流し込むコースじゃなくて安心。洋風のおしゃれなお店で、晩稲田のキャンパスからすこし離れたところにあった。大きめの円形テーブルが規則的に並んでいて、それぞれ4人がけ。天井に木の梁があって、そこに色とりどりの電飾が飾られていた。メインの灯りはべつで、冬らしくオレンジの暖色。
優勝の打ち上げに相応しく、14、5人が参加していた。私、粟田さん、太宰くん、それに又吉くんは1年生ということで、同じテーブルに座った。
朽木先輩は1番奥の席で、グラスを片手に立ち上がった。
「それではみなさん、本日はお疲れ様でした。みごと金賞に輝いたのも、みなさんの努力のおかげだったかと思います。朽木爽太、この場を借りてあらためて御礼申し上げます。まだ大学生活を始めたばかりのひとも、すでに就職が決まっているひともいらっしゃいますが、みなさんの今後ますますのご活躍を祈念して……乾杯ッ!」
かんぱーい。
私はオレンジジュースを飲んで、ひと息ついた。
すぐに前菜が運ばれてくる──あッ! 牡蠣だッ!
オリーブオイルたっぷりの牡蠣が、パンのうえに乗っていた。
きちんと人数分が用意されていた。それでは、いただきまーす。
「んー……美味しい」
これを見ていた太宰くんは、
「裏見さん、牡蠣好きなの? ……あ、そういえばH島出身だっけ?」
と言った。
そうそう、そうですよ。H島といえば牡蠣。
私の出身地の駒桜に海はないけど、もちろん好き……ん? 粟田さん?
「粟田さん、どうしたの? 牡蠣は嫌い?」
「私だけ初対面だから緊張しちゃって……」
あ、そっか、いかんいかん。
私は太宰くんと又吉くんを紹介した。
とは言っても、深く知ってるわけじゃないから自己紹介してもらう。
「僕は太宰。晩稲田の1年だよ。文学部心理学科」
その情報は私も初耳。
もっとも、心理学がどうのこうの言ってた記憶はある。
「我輩は又吉であります。理工学部デザイン工学科であります」
理系だったか。デザイン工学っていうのはよく知らないけど。
こんどは粟田さんが自己紹介した。
「都ノ大学経済学部経済学科の粟田です」
太宰くんは牡蠣の乗ったパンをつまみながら、
「粟田さんは将棋部じゃないんだよね? それとも最近入ったの?」
と確認してきた。
「私は将棋できないです」
「そっか……じゃあ共通の話題はなんだろ。唐突だけど趣味を聞いてもいい?」
粟田さんはすこし恥ずかしそうに、
「麻雀です」
と答えた。
これには又吉くんが反応した。
「おお、いい趣味でありますな。我輩と太宰殿もできるでありますよ」
むむッ、こんどは私が少数派に。
話題を変えて欲しいと思った瞬間、スーツ姿の女性が現れた。
その顔を見て、私はおどろいた。くわえタバコおばさんッ!
おばさん──南原さんは、例の電子タバコをくわえたまま、
「あーら、ずいぶんと奇遇ね。これで4度目かしら」
と言い、空いた椅子を引いて私の横につけた。
気まずい。太宰くんは、
「裏見さん、南原さんと知り合いなの?」
と訊いてきた。
「ちょっと将棋を指したことが……」
「将棋? ……南原さん、都ノにも顔を出してるんですか?」
南原さんはピンク色のお酒が入ったグラスを片手に、
「たまたま都内の大会で会ったの」
と答えた。
「都内の大会? 社団戦ですか?」
「新宿の将棋大会。麻雀仲間と出場したとき」
あのときのメンツは女性麻雀プロだったのね。
どういうチーム編成なのかと思ってたけど。
南原さんはひとくちお酒を飲んでから、
「さてと、それではリベンジマッチといきますか」
と言った。
待って待って、さすがにこの場ではやめて欲しい。
私はここぞとばかりに、
「将棋がわからないひともいるので、なにか共通の話題を……」
と遠巻きに拒否した。
南原さんはその場のメンツをみて、粟田さんに目をとめた。
「……あなた、和泉の店にいたわね。粟田さんだったかしら?」
粟田さんは恐縮して、
「お、おひさしぶりです。名前を覚えてくださって光栄です」
とあいさつした。
「このテーブル、どういうグループなの? もしかして麻雀?」
ちがいます。南原さんが参加したから、麻雀民の比率があがってしまった。
ここは話題をそらす。
「1年生テーブルです……南原さんは、どうして打ち上げに参加されてるんですか?」
「もちろんビジコンを観に来たのよ」
なぜに? 本業があるのでは?
私が疑問に思っていると、太宰くんが、
「南原さんは晩稲田チームのアドバイザーをやってくれたんだよ。非公式だけどね」
と教えてくれた。
「アドバイザー?」
南原さんは気取ったようすもなく、タバコをくわえたまま、
「べつに大したことはしてないわ。社会人視点でちょっと助言をしただけ」
と答えた。太宰くんはこれを否定して、
「いえいえ、とても参考になりましたよ。リースの現場は全然知らなかったですから」
と言った。
南原さんは褒められてもあんまり乗り気にならないタイプらしく、
「雀卓のリースがほんとうに応用できるのか、あやしいけどね」
と答えた。
「とりあえず、僕たちはおかげさまで金賞ですから」
「そうねぇ……私が審査員だったら、ほかのチームにあげてたかしら」
南原さん、毒舌ですね。
とはいえ、その理由は気になる。
私がたずねると、南原さんはこう答えた。
「今回の金賞は、朽木くんのプレゼンが5、6割効いてるでしょ。内容自体は八ツ橋のほうが良かったわ。パワードスーツのリースシステムよりも、あっちの分散型金融システムのほうが現実的だし、外貨の調達手段にもなるから」
おっと、かなり専門的な回答。
これは経済学部の血がさわぐ。
店員さんがコンソメスープを配るなか、私は思い切って質問してみた。
「あのリースシステムはダメなんですか? 聞いた限りでは納得したんですけど?」
南原さんは私のほうをみた。
「あなた、何学部?」
「経済です」
「だったら話が早いわ。パワードスーツの生産台数に限りがある以上、どの業界に割り当てるのか、それが問題になるわよね。そのとき、効用が最大になる割り当て方は?」
「えーと……完全競争なら、マーケットの取引で決まります」
「そうよね。じゃあマーケットの取引で介護業界が競り勝つ要素はある?」
……なるほど、理解した。
「介護業界よりも資金力のある業界がパワードスーツを欲しがったら、スーツの均衡価格が介護業界の購入可能額よりも高くなるってことですか? でも、それを回避するためにリースをするのでは?」
「リース料金はリース会社の調達費で決まるんだから、リース料金そのものが高止まりするでしょ。介護業界以外にリースしちゃいけないって法律もないし、結局、介護業界の金回りがよくない以上、パワードスーツの活用なんて非現実的なのよ。スーツのコストを顧客が負担できないんだもの」
ここで粟田さんが質問した。
「つまり、介護業界の客単価そのものを上げる必要があるってことですか?」
「そういうことね。だけど介護業界の顧客は老人なの。一部の富裕層以外は高額の介護料を支払えない。国が補助するとしても限界がある。介護業で稼ぐっていうのは、構造的にムリってこと」
ふぅむ……納得。だけど、気になる点があった。
私は、
「それなら、どうして他のテーマを勧めなかったんですか?」
とたずねた。
「テーマ的に審査員受けしそうだったから」
なるほど、そういうオチになるのか。
朽木先輩がしぶしぶ選んだみたいな言い方だったのは、そのためなのね。
私は感心して、
「南原さんは、どちらの学部をご卒業なさったんですか?」
とたずねた。
「社会経済学部」
ぐはッ、晩稲田で一番むずかしい学部じゃないですか。
なぜに麻雀プロになったし。
私の疑問を、太宰くんが代弁してくれた。
「南原さんなら、大手コンサルとか選び放題だったんじゃないですか?」
「コンサルなんてやりたくないわよ。私は愛想がよくないし」
「銀行は?」
「銀行は斜陽でしょ。ノルマも多いし、支店長ポストが減ってて大変なのよ」
「支店長ポストが減るとなぜ大変なんですか?」
「銀行はね、役職定年っていうのがあるの。50を超えた時点で出世ルートに入っていなかったら、役職を解任されて、給料が大幅に減るんだから」
へぇ、そうなんだ。
銀行業界もちょっと気になってたから、あとでメモしとこ。
太宰くんは、歯に衣着せぬかたちで、
「でも麻雀プロのほうが減収のリスクは大きいですよね?」
とツッコミを入れた。
南原さんは電子タバコをくわえたまま苦笑した。
「そうねぇ……ま、とにかく会社勤めに向いてなかったのよ」
んー、たしかになあ、将棋道場でお金のやりとりをしてたところをみると、ギャンブル好きっぽいし、日常業務を淡々とこなす系はキツいのかもしれない。
ここで魚料理が運ばれてきた。
白身魚を玉ねぎやトマトといっしょに煮込んだものだ。ハーブの香りがする。
いただきまーす。みんなが箸をつけようとした瞬間、南原さんは、
「あら、白ワインをつけたほうがいいわよ。ボトルで頼みましょうか?」
と言ってきた。
私は、
「すみません、未成年なので」
と伝えた。
「大学生になったからいいのよ」
よくないです。
こ、このひと、やっぱり社会常識に難があると思う。
もういちど断ると、南原さんはタメ息をついた。
「最近の学生は堅いのねえ……じゃ、私だけもらいましょうか」
南原さんは、店員さんに白ワインのグラスを注文した。
ここで又吉くんが挙手した。
「南原殿、『お堅い』で思い出しましたが、大円銀行のお堅そうなおじさんは、なぜ八ツ橋チームに賞をあげたのでありましょうか? 質疑応答では、難癖をつけていたように思うのでありますが?」
あ、そこは私も気になっていた。
南原さんは即答せずに考え込んだ。
「……なんだかんだで、銀行業の未来に悲観的なんじゃない?」
「大円銀行は日本のメガバンクトップ3でありますぞ?」
「さっきも言ったけど、そもそも銀行業が斜陽なのよね。まあ大円が潰れることはないでしょうけど、収益率が悪化していけば従業員の待遇は下がるわ。あのひと、たぶん管理職でしょ。ただ、序列的に下の役職だと思うわ。よくて課長かも」
「どうしてそう思われるのでありますか?」
「会場で若い女性に会釈してたのよ。大口の定期預金でも作ってもらったのかしら。預金担当は他の部門よりもランクが下だから、いずれにせよ出世コースじゃないわよね。アラフィフっぽかったし、取引先に出向させられてない分だけマシ、ってところ」
なるほど、と納得しかけたところで、粟田さんが口を挟んだ。
「あの、すみません、大変恐縮なんですけど……あのおじさんは支店長だと思います」
南原さんはちょっとおどろいて、
「あら、そうなの? 肩書きの紹介はなかったはずだけど?」
と返した。
「あのおじさんが私の横を通りかけたとき、ほかの男性から『支店長』って呼ばれてたんです。たぶん部下だったんじゃないかな、と……あ、すみません、南原プロの推測が絶対間違ってるってわけじゃないと思うんですが……」
「いいのよ、私の話なんてただの憶測なんだし」
注文の白ワインが出された。
南原さんはグラスを傾けながら、かるく首をひねった。
「んー、支店長が会釈ねぇ……どこぞの令嬢だったのかしら。サングラスをかけてたから顔はよく分かんなかったけど……ファッションも普通のジャケットとデニムパンツだったし……裏見さん、ジュースがこぼれてるわよ?」