263手目 銀行の未来
スピーチの部は、滞りなく進行した。
ステージ中央に各チームの代表者が出て、スライドを使いながら話す形式。
向かって左には女性の司会者、右には8人の審査員が2列になっていた。
出番は公平にクジで決めるらしく、司会が毎回クジを引いていた。
《次が前半最後のチームとなります。7番、八ツ橋大学です》
おっと、土御門先輩のところか。
と言っても、先輩はさすがにいないけどね。
あのひとはこういうのに興味なさそう。
八ツ橋大学の発表は、例のブロックチェーンの話だった。
ブロックチェーンを使った分散型の金融市場が発達すれば、グローバルな資金移動が容易になるだけでなく、既存の金融機関を介さないトラストレスな市場が成立する云々。
持ち時間は1チーム10分だから、けっこう省いた説明になっていた。
《はい、ありがとうございました。それでは、審査員からの質疑応答に移ります》
審査員は、有名どころの企業のひとたちが参加していた。
前列、向かって一番左のおじさんが手を挙げた。
メガネをかけていて、ひとが良さそうな雰囲気の痩せ型。
頭頂部までハゲていた。
昔ながらのサラリーマンって感じのひと。なんとなく管理職っぽい。
《大円銀行の宇津貫です。このたびは大変興味深いスピーチで、勉強になりました……ひとつ質問させていただきたいのですが、ブロックチェーンを用いた金融システムのセキュリティについて、どのようにお考えですか?》
発表者の男子学生は、ポータブルのワイヤレスマイクで応答する。
《ブロックチェーンは絶対に改ざん不能というわけではありません。一定割合のマイニングを支配することで、不正な改ざんをおこなうことは可能です。有名なところでは、ビットコインの51%攻撃があります。しかし、マイニングは世界中でおこなわれているわけで、その51%を支配するというのは非常に困難であるとも言われています》
《今お答えいただいたのは、システム内部のセキュリティですね? 外部のセキュリティはどうでしょうか? 暗号資産のウォレットには秘密キーが設定されており、それを紛失すると回復ができなくなると伺っています。また、パスワードで管理しているウォレットもあるそうですね。秘密キーやパスワードが紛失・流出しない保証はありますか?》
発表の学生はすこし考えて、
《秘密キーの紛失やパスワードの漏洩はありえます。特に問題となるのはマルウェアに感染したパソコンで、アドレスをコピーアンドペーストをする際に情報を抜かれる可能性があることです。この点については、ユーザのリテラシーを向上させる必要があります》
と回答した。
《そうなりますと、高齢化社会では認知症を患っているかたも多いわけで、そのようなかたがたは暗号資産のウォレットを使えない、ということにならないでしょうか?》
学生はちょっと困ったような顔をして、
《そうですね……ウォレットの管理そのものがビジネスになる可能性もあります》
と言葉をにごした。
《承知しました。ありがとうございました》
おじさんはマイクを置いた。
うーん、今のやりとりは……すごくポジショントークだった気がする。
となりの粟田さんも、
「今のおじさん、めちゃくちゃ銀行を擁護してたね」
と言った。
そう、ようするに銀行業はなくならない、って言いたかったわけよね。
高齢者の多くは銀行を信頼していると思う。その理由のひとつは、新しいことをやりたくないからだろうけど、もうひとつ、思考力とか判断力が落ちてきたとき、窓口で相談できるのも大きいはずだ。銀行の窓口なんて私は開設時にしか行かなかったけど、分からないことが出てきたら、当然相談に行く。
《それでは、15分の休憩時間とさせていただきます。会場のそとにコーヒーと軽食が用意されていますので、お気軽にお召し上がりください》
やった、コーヒーブレイクだ。
私は粟田さんに、
「コーヒー取って来ようか?」
とたずねた。
「あ、私も行く」
「粟田さんは留守番をお願い。ほかのひとに席を取られるといけないから」
「りょうかーい」
私はホールを出た。
ふぅ、疲れた。おもしろいのはいいんだけど、頭を使うわね。
無料のコーヒーコーナーには、ひとだかりができていた。
私は並んで待つ。
ポットから移して……ミルクと砂糖は必要?
んー、わかんないから両方持って行く。
それからお菓子も適当に取って──列を離れたところで、女性に声をかけられた。
「裏見さん?」
うわぁッ!?
私はびっくりした。だって──
「む、宗像さん……」
宗像さんはサングラスをはずして、にっこりと笑った。
「裏見さん、こんにちは。橘さんに誘われたの?」
宗像さんは、いつものですます調じゃなくて、フランクに話しかけてきた。
イメージも道場のときは違うような気がした。すごくさばさばしている。
私はどもりながら、
「え、あ、はい……宗像さんは、どうしてこちらに?」
とたずねた。
「私も橘さんの話を聞いて、面白そうだな、と思ったから」
……そういうことか。橘先輩、シフトを断るときに話したのかしら。
私はすこし警戒しつつ、
「なにか新しいビジネスでも始められるんですか?」
とさぐりを入れてみた。
宗像さんは苦笑いして、
「むりむり、ジュエリーと将棋道場だけでも手一杯よ」
という回答だった。
まあ、それはそうだと思うけど……なんかしっくりこない。
宗像さんはそのとき、私の両手のコーヒーに気づいた。
「あら、ごめんなさい。そのようすだと連れがいるのね。じゃあまた」
宗像さんはそう言って、ホールに消えた。
私も座席にもどる。
「混んでた?」
「ええ、けっこう」
私は粟田さんにコーヒーを渡して、お菓子を頬張った。糖分補給。
しばらくして、ふたたび会場が暗くなった。
《それでは、後半の部を始めさせていただきます。番号は19番。晩稲田大学です》
朽木先輩が登壇した。
《晩稲田の朽木です。私たちの発表テーマは『介護の効率化に向けた介護用パワードスーツのリースとそのビジネスモデル』になります。まずはこちらをご覧ください》
スクリーンにグラフと表が映し出された。
朽木先輩はワイヤレスイヤホンとマイクで、身振り手振りを交えながら話す。
《これは日本の少子高齢化に関する予測です。2030年には、65歳以上の高齢者1人を支えるためにわずか1.9人の生産年齢人口しかいないという結果になっています。高齢者の支援は、間接的には年金制度や社会保険料を通じておこなわれますが、より直接的には介護労働者が従事することになります》
スライドが切り替わった。
《こちらは日本の介護福祉士養成学校の入学者数です。一時、介護ブームを迎えておよそ2万人弱の入学者がいましたが、現在は6000人強となっています。一方、後期高齢者人口は増加の一途を辿るため、このままでは介護の人手不足が避けられません。少子化は即座に解決できる問題ではありませんから、現場の効率化で対処する必要があります》
問題の設定、来ました。
いろんなチームを見てきて、だいたいパターンがあることがわかった。
まず解決したい問題を設定する。そのあとで具体的な提案が入る。
晩稲田チームの話は、私にもだいたい納得がいった。ようするに、一人当たりの人員でこなせる業務を増やすこと、そしてそのためにはパワードスーツが有用であるということだ。ベットの上げ下げにしても、二人掛かりでやっていた作業をひとりでできるようになれば、実質的に人手不足が解消されたのと同じことになる。
晩稲田チームのアイデアで面白かったのは、パワードスーツの普及のさせ方だった。介護関係の企業は中小も多いから、パワードスーツをじかに購入する資金力がない。そこで考えられるのが、いわゆるリース。業務用コピー機といっしょ。さらにそのリースの仕方についても、詳細な検討が加えられていた。
《……というわけで、介護用パワードスーツのリースに関連するビジネスが、現在の介護問題に対するひとつのサポートになるのではないかと思います。以上です》
パチパチパチ。拍手。
そのあとの質疑応答も、朽木先輩は無難にこなしていた。
のこりのチームも順番にスピーチを終えて、いよいよ結果発表。
《それでは、厳正なる審査を終えまして、結果を発表させていただきます。みごと金賞に輝きましたのは……チーム番号19番、晩稲田大学チームですッ!》
おおッ、朽木先輩、やりましたねぇ。
会場から盛大な拍手が起こった。
メンバーが壇上に上がる。橘先輩、太宰くん、又吉くんもいた。
朽木先輩は司会の女性から、ひとことあいさつを求められた。
《私たちのチームを評価してくださいまして、ありがとうございました。まずは私たちのスピーチをお聞きくださった審査員および観客のかたがたに、御礼申し上げます。また、このような評価をいただけましたのも、チームメイトのおかげかと思いますので、この場を借りて感謝させていただきます》
朽木先輩と橘先輩の目が合った。
橘先輩はウルウルしている。これは事情を知っている側からすると感慨深い。
そのあとは順番に銀賞、銅賞、各審査員が所属する企業の賞が続いた。
《大円銀行賞には、八ツ橋大学が輝きました。おめでとうございます》
ん、意外。あのおじさん、けっこう手厳しいコメントをしてたけど。
公平に審査したってことか。それなら納得。
こうしてビジネスコンテストは終了。
ホールから出たところのロビーで、私はひと息ついた。
「ふぅ、つかれちゃった……粟田さん、今日はつきあってくれてありがと」
「ううん、おもしろかったよ。呼んでくれてありがとね」
それじゃあ夕食でもして帰宅──というところで、太宰くんがこちらに走って来た。
「あ、いたいた、これから打ち上げだけど、参加する?」
ん? 打ち上げ?
私はちょっとおどろいて、
「受賞の?」
と、わざわざたずねてしまった。
「ほかになくない?」
「でも、私たちは部外者よ?」
「せっかく声かけしてまで来てもらったから、だってさ。橘先輩からの伝言」
あ、うーん……私だけってわけにはいかないのよね。
「粟田さんもいっしょなら、いいけど……さすがにムリ?」
「ふたりともって話だったよ。ただ会費は微妙にとられるかも」
「いくらくらい?」
「1年生だから1000円かな。1000円×学年の晩稲田ルール」
私と粟田さんは軽く相談して、行くことに決めた。
「了解、僕たちは挨拶回りがあるから、30分くらい待っててもらえる?」
「いいわよ。ここに集合ね」
太宰くんはホールへ戻っていった。
私は出入り口を観察する──宗像さん、出て来ないわね。
もう帰っちゃったのかしら。
このあとの打ち上げ、美味しいお店だといいけどなあ、どうかなあ。