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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第42章 1年の終わりへ(2017年1月1日日曜)
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262手目 N資金

 私は目を凝らした。

 ポスターの周りには、扇状おうぎじょうにひとだかりができている。

 左手のほう、5人ほど飛ばしたところに、その女性は立っていた。

 サングラスをかけてるけど──宗像むなかたさんよね?

 確かめようとした瞬間、宗像さんがこちらを向きかけた。

 私は慌ててパンフレットで横顔を隠した。

 この動作を不審に思ったらしく、右どなりにいた粟田あわたさんは、

「どうしたの?」

 とたずねてきた。

「……ここ、エアコンの風が直撃するのよね」

 粟田さんは天井を見上げた。

「そっか、乾燥には注意しないとね」

 私は曖昧にうなずきながら、左のほうに神経をとがらせていた。

 どうする? パンフレットの横から盗み見る?

 でも近すぎるのよね。さすがにバレそう。目が合うかもしれない。

 というか、さっきので気づかれた可能性すらあった。

香子きょうこちゃん、だいじょうぶ? 移動しようか?」

「そ、そうね」

 私はそのポスターの前から離れた。

 こっそり振り返る──宗像さんは前を向いたまま、こちらに背中を見せていた。

 粟田さんはくちびるに指を当てて、

「暗号資産って、ほんとにこれから流行るのかなあ?」

 とつぶやいた。

 私はとつぜんの鉢合わせが気がかりで、話半分になっていた。

 どうして宗像さんが? もちろん、いちゃいけないってわけじゃない。

 たちばな先輩から話を聞いて、興味を持ったのかもしれない。

 ただ、どこか気になる。

 一方、粟田さんはひとりで話を続けていた。

「金融庁とかの規制もありそうだし……香子ちゃん、ほんとにだいじょうぶ?」

「も、問題ないわ」

「もしかして気分が悪くなった? 休憩しようか?」

 粟田さんは飲み物を買って来ると言って、その場を離れてしまった。私は手持ち無沙汰になる。会場に目を走らせると、宗像さんの姿はなかった。どうしよう。幽霊に出会ったわけでもないのに、なんだか不安になる。

 もう一度、さっきのポスターに目を向けようとした。

 その瞬間、男の2人組に声をかけられた。

「あれ、裏見うらみさん、来てたの?」

 ふりかえると、太宰だざいくんが立っていた。

 もうひとり、瓶底びんぞこ眼鏡めがねの少年。えーと、又吉またよしくんだっけ。

 ふたりともスーツを着ていた。

「あ、こんにちは……ふたりとも、朽木くちき先輩の手伝い?」

「そういうこと」

「裏見殿は、なにをなさっているでありますか?」

 私は橘先輩に誘われたと答えた。

「左様でありますか。我輩たちのチームも、そこそこイケると思うでありますよ」

「そうね、ポスターを見た感じだと、けっこう面白かったわよ」

 太宰くんは周囲を見て、

「裏見さん、ひとりで来たの?」

 とたずねた。

 私は連れがいると答えた。

「そうなんだ。じゃああんまりお邪魔しても悪いかな。またあとで」

 どうもどうも。

 ふたりは人ごみのなかへ消えて行った。

 しばらくして、粟田さんが戻ってくる。

「はい、お茶」

「ありがとう」

 私はお茶の代金を精算した。

 こういうところは、友だち同士でもしっかりしておいたほうがよさそう。

 そのあと、私と粟田さんは会場を見て回った。

 橘先輩が言っていた通り、けっこう似ているテーマが多かった。

 介護、教育、地域活性──うーん、どうなんだろ。

 私は粟田さんに、

「少子高齢化をどうしますか、みたいな話ばっかりね」

 と言った。

 粟田さんは笑って、

「だってしょうがなくない? これから人口減るし」

 と答えた。

 でもなあ、内向き過ぎないかな、と感じる。

 私は、

「解決策のほとんどがアプリ開発なのも気になるわ」

 と言った。

「それはそうじゃない? ICTで解決したほうが低コストだし」

 たしかに、人件費を考えるとそうなる。

 けど、アプリ開発はどこもやってるわけだし、レッドオーシャンだと思う。

「やっぱりロボットのほうがいいと思うのよね」

「今から製造業やるの、キツくない? アメリカでも脱製造業だよ?」

「これからはサービスロボットの時代だと思うの。例えばサーボモータが……あ、サーボモータっていうのは、ロボットの位置とか姿勢を制御するためのモータね。回転型とかダイレクトドライブとかいろいろあって、日本はシェアが高いのよ。スマホの工作機械なんかに使われてるんだけど、サービスロボットに応用することもできそうじゃない?」

 粟田さんは、じーっと私のほうを見てきた。

「……香子ちゃん、工学部に彼氏いる?」

 ドキぃ!?

「ななななんでそうなるの?」

「その知識、どこから仕入れたのかな、と思って」

 いかーん、松平まつだいらからの受け売りだった。

「ほ、ほら、サーボ機構ってすごく有名でしょ?」

「うーん、聞いたことないなあ……あ、そろそろお昼にする?」

 セーフ、この話題は打ち切り。

 私たちは学食へ移動した。晩稲田おくてだの学食は、入り口から順番にメニューを取っていくタイプだった。いたって普通。さすがに都ノみやこのよりは大きかったけど。私も粟田さんも、天ぷらうどんにした。お昼はこんなものよね。

 食事中の会話は、後期の期末テストと、それから日常生活。

 たまに最近あったイベントとか。

 食べ終わった粟田さんは、口もとを拭きながら、

「午後はスピーチの部だね。全部聴く?」

 とたずねてきた。

「うーん……とりあえずホールの席取りは、しといたほうがいいんじゃない?」

「位置が大事だね。出られないところに座ると、お手洗いに困りそう」

 たしかに、うしろのほうにしますか。

 私たちは食堂を出て、ホールへ向かった。

 ホールは正面に向かって下がっていく劇場形式で、椅子もシートが可動式だった。

 もうだいぶ混み始めていた。けど、ビジネスパーソンは比較的前に座っていた。

 私たちはうしろから3番目の端っこに陣取った。

 交互にお手洗いを済ませておくことにした。先に粟田さん。

 私がパンフレットを見ていると、うしろの座席から声をかけられた。

「裏見さん、ちょっといいかな」

 太宰くんの声──私は振り向こうとした。

「そのままでいいよ。ちょっと質問があるんだけど」

「……質問?」

「王座戦のとき、聖生のえるについてなにか情報をゲットしなかった?」

 私は「知らない」と答えた。

「そっか……佐田さださんの動きが途絶えたんだよね。彼はもう聖生のえるについて調べていないみたいだ。なにか判明したのかな、と思ったんだけど……都ノはまだ調べてる?」

聖生のえるからアプローチがないから、特には……」

「そうだね、聖生のえるのほうが動きを見せないから……じつは僕も手詰まりになってるんだ。もし都ノが今後も捜査を続けるなら、共闘しない?」

 無意味な問いかけ。私に決定権はない──けど、太宰くんはそれを承知で話しかけてきているように思えた。なにか思惑があるようだ。

「……どういうつもり?」

「単に協力しよう、って意味だよ」

「私一人じゃ決められないこと、分かってるんでしょ?」

 うしろで太宰くんは動いた。

 すこし声が近くなる。

「僕は聖生のえるの資金を追うのが確実だと思ってる」

 聖生のえるの資金──私は息を飲んだ。

「どうしてそう思うの?」

「ここからは僕が一方的に情報を出すよ……裏見さんたちも気づいてると思うけどね。今関東に出没している聖生のえるは、おそらく偽物だ。本物は死んでる」

「そう推測する理由は?」

聖生のえるらしき人物が、事故で亡くなってたからだ」

「!」

 私は喫驚した。思わず、

「どこで? 名前は?」

 と尋ねてしまった。

「さすがに教えられないよ。情報をリークしてくれたひとに迷惑がかかるからね。信じなくてもいいさ。続きを話そう。聖生のえるが死んだ以上、遺産をだれかが相続しているはずだ。おそらくは家出した娘と、佐田さんが出会った小学生の男の子。このふたり以外にこどもがいたかどうかは分からないし、妻が存命なのかも分からない。いずれにせよ莫大な遺産が……そうだな、N資金とでも呼んでおこうか。N資金がどこかに眠っているはずだ」

 眠ってる? ……どういう意味かしら。

 私は太宰くんの言い回しが気になった。

「眠ってるっていうのは? 遺産は相続されたんでしょ?」

「N資金はまだ表に出ていないと予想してる。どこかの銀行口座の中だ。ふつうなら株やベンチャーに投資するけど、それもされてない、っていうのが僕の考え」

「どうしてそう思うの?」

聖生のえるのこどもはまだ若い。後見人がいるはずだ。後見人の一存で資金を投資に回しているとは思えない。すくなくとも、大部分は現預金だと思う」

 なるほど……後見人の可能性については、考えていなかった。

 けど、私は太宰くんの結論部分に納得しなかった。

 だって、そのN資金は──ううん、まだ即断するタイミングじゃない。

 私は言葉を慎重に選んだ。

「……仮にそうだとしても、調べようがないでしょ」

「都ノに出没した聖生のえるは、なにかお金について話してなかった?」

 お金? 金銭トラブルはあったけど、聖生のえる個人の銀行口座は──ん?

 私は過去のできごとを、よくよく思い出してみた。

 将棋部の銀行口座、野球部の銀行口座……だけよね、問題になったのは。

 ただ、なんかもやもやする。

「……なかったわ」

 太宰くんの軽いタメ息が聞こえた。

「そっか……了解。もし都ノが協力してくれるなら、また連絡してよ」

 椅子のシートが跳ね上がる音。太宰くんは立ち上がったようだ。

 ふりかえると、ちょうど粟田さんが入り口に戻ってきていた。

 ふたりは途中ですれ違い、粟田さんのほうはオヤッという顔をしていた。

 席に戻ってきた粟田さんは、

「さっきのひと、知り合い?」

 とたずねてきた。

「晩稲田の将棋部のひと」

「あ、そうなんだ……じゃ、今度は私がお留守番だね」

 私はカバンを持って席を立った。

 銀行口座……なぜか記憶に引っかかる。

 なんだったかしら。思い出せない。

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