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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第6章 2016年度春季個人戦2日目(2016年4月24日日曜)
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26手目 ベスト32の壁

 商店街を通り抜けながら、私たちは見知らぬ土地をさまよっていた。目印は、スマホの地図と、周囲を歩く仲間っぽい人たちの往来のみ。駅を出発して、はや5分。勝手の分からない土地だと、これだけで精神的プレッシャーだった。

松平まつだいら、ほんとにこっちでいいの? どんどん中心街から離れてるわよ?」

「ナビが正しければ、合ってるはずだ」

「キャンパスが全然見えないんだけど?」

「高層ビルじゃあるまいし、遠くからじゃ識別できないだろう」

 それも、そうか――大学と言っても、建築様式はさまざまなようだ。最寄り駅から近いとも限らない。都ノみやこの治明おさまるめいも日センも電電でんでんも近かったから、誤解していた。

「先輩たちと駅で待ち合わせしたほうが、よかったかも」

「大学生だからって、バラバラに行動することはなかったな。次回からそうしよう」

 小田原線の最寄り駅には、いくつかの大学がまとまって集合していた。個人戦初日に見た面子もいたから、他大の将棋部で間違いないと思う。私たちは彼らのあとを追って、目的地を目指していた。

 途中、かなり細い道に入って、私は不安になった。でも、そこを抜けたら、キャンパスが急に現れた。松平もスマホを見ながら、

「ここが、農産のうさん大学だな」

 と確認してくれた。

 裏門らしきところから中に入ると、右手にグラウンドが広がっていた。建物は、そこから左手のほうに集中している。農大だけあって、緑が多い。けど、畑みたいなものは、どこにもなかった。

「実際に農業やってるわけじゃないのかしら?」

「キャンパス内には、さすがにないだろ。べつの敷地だと思うぞ」

 ふむふむ、松平の言う通りかもしれない。

 私たちは、三宅みやけ先輩からのメールを確認して、控え室へと移動。ずいぶんと広い大教室が割り当てられていた。中を見回すと、三宅先輩は、前のほうに席を取っていた。

「おはようございます」

 私が挨拶すると、三宅先輩はルーズリーフから顔をあげた。

「お、ふたりとも、ちゃんとつけたか」

「他大の背中にくっついて来ました」

 三宅先輩はペンを置いて、バツが悪そうに、

「いや、悪かったな。次からは、待ち合わせ場所と時間を決めておこう」

 と答えた。ま、いいんだけどね。最後はネット検索で何とかなる。

風切かざぎり先輩は、どちらですか?」

「風切なら、速水はやみとスパーリングしに行ったぞ。別室にいる」

 おっと、若干観たい気もする――けど、先にミーティングになった。

「今日の戦型チェックは、俺と裏見と大谷おおたにの3人で担当する。初日より楽なはずだ。選手の人数も減ってるしな。松平は対局があるから、自由にしといてくれ」

「了解です」

 松平は、飲み物を買って来ると言って、教室を出て行った。

 高校からの付き合いで分かるけど、ちょっと緊張してるみたい。

 私は、大谷さんの消息をたずねた。

 三宅先輩は周囲をチラ見してから、小声で答えた。

「大谷には、ちょっと偵察に行ってもらってる」

「偵察? もうトーナメント表は決まったんですか?」

「いや……聖ソフィアのことだ」

 あ、そういう意味か――風切先輩に例の件を話したあと、同じ情報を三宅先輩にも落としておいた。三宅先輩は、風切先輩よりも気にしたらしく、いろいろと調べて回ったようなのだ。でも、成果はほとんどなかったらしい。

明石あかしくんが来てるかどうか、ですか?」

 三宅先輩は、もういちど周囲を確認した。

「俺的には、明石よりも、バックにいるやつのほうが気になる」

「どうしてですか? 矢面に立ってるのは、明石くんだと思いますけど?」

「裏見の印象によると、黒幕のほうが、明石よりも強いんだろう? どうして個人戦に出て来ないんだ?」

「団体戦で戦力をごまかしたいから、だと思います」

 それは納得できない、と三宅先輩は言った。

「将棋の強豪は、団体戦よりも個人戦を大事にする傾向がある。チームの実力をごまかすためだけに、自分のチャンスを不意にするとは思えないな」

「明石くんみたいに、団体戦だけ興味があるって子もいるんじゃないですか?」

「いや、そもそも明石は、そういうタイプじゃないはずだ。俺はその場にいたわけじゃないから、正確な台詞は知らないが、頼まれて将棋を指してる、って感じなんだろう? だとすると、事務的に指してるだけなのかもしれない」

「事務的に指すなんて、ありえなくないですか? 大学生ですよ? 高校で先輩に頼まれたから仕方なく、って子はいても、大学生でそれはちょっと……」

「だからこそ、俺は黒幕の正体が気になる。どんなカリスマなんだ?」

 なるほど……そういうことか。三宅先輩の問題意識が、だんだん分かってきた。

「強豪カリスマリーダーだと、チームもかなり手強いことになりますね」

「ああ、それが一番心配で……っと、大谷がもどってきた」

 ふりかえると、ちょうどこちらに歩いて来る大谷さんがみえた。

「裏見さん、おはようございます」

「おはよう。どうだった?」

 大谷さんはもうすこし近づいて、同じく声を落としてから、

「聖ソフィアのメンバーは、だれも来ていません。控えテーブルもありませんでした」

 と報告した。

「明石ってやつは、来てないのか?」

「拙僧、顔をじかに見てはいませんが、それらしきひとは、どこにも……」

 三宅先輩は、テーブルに寄りかかった。

「となると、こっそり来るつもりか……」

「出過ぎた助言かもしれませんが、得体の知れぬチームを気にするより、目の前の個人戦に集中したほうが、良いのではありませんか。都ノは、松平くんと風切先輩が残っています。ベスト64のメンバーを偵察したほうが、有意義やも……」

 ぐぅ正論。三宅先輩も、そのことを認めた。

「そうだな……団体戦を気にする段階じゃない。ベスト32を目指そう」

 ちょうどそのとき、教室に幹事のひとが現れた。

「2日目のトーナメント表を作成しますので、会場に集まってください」

 ナイスタイミング……でもないか。松平と風切先輩がもどってきてない。

「私、ふたりを捜して来ます」

「風切のほうは、大丈夫だろう。速水と一緒にいるはずだ。松平を頼む」

 私は教室を出て、松平を捜しに行った。飲み物を買うって言ってたわよね。

 自販機は、建物のそとにあったと思う。

 玄関を出ると、談笑している松平を発見した。相手は日センのメンバーみたい。奥山おくやまくんもいて、ふたりでジュースを手にしていた。

「松平、抽選が始まるわよ」

「お、もうそんな時間か。悪い」

 奥山くんも64に残っているらしく、一緒に会場へと向かった。会場は、控え室よりも小さな作りだった。今回も複数会場制のようだ。選手が集まったのは、そのなかでも幹事ブースが設けられている場所だった。八千代やちよ先輩の姿もあった。

 黒板には、トーナメント表がチョークで書かれていた。数枠埋まっている。

「もう始まってるのかしら?」

「いや、アレは幹事枠だよ」

 と奥山くん。私は、どういうことかと尋ねた。

「関東将棋連合の幹事は、無条件で2日目から出場なんだ。シードだね」

「え? それってズルくない?」

「そんなことないよ。幹事はほんとに大変だから」

 うーん、納得いかない。

 ただ、すこしだけ疑問は解けた。というのも、初日のデータを整理していたら、2日目出場者は50人くらいしかいなかったからだ。ベスト8のシードを抜いても足りないな、と思っていた。ようするに、ベスト8+幹事枠の残りを争ってたわけね。

「それでは、大学別に引いていただきます。帝国大学からどうぞ」

 ぞろぞろと、ひとが動き始めた。

「これは、なに順?」

「A級1位からだよ」

「あ、そういう……でも、来たひとから引いておけばよくない?」

「1日目と2日目の初戦は、同一大学にならないようにするんだ」

 へぇ、個人戦だから所属は全然関係ないと思ったけど、そうでもないのね。

 晩稲田おくてだ大和やまと八ツ橋やつはしの順に、有名な大学がどんどん消化されて行く。

 日センも呼ばれて、奥山くんはそばから去った。

「次は、Bクラスです。慶長けいちょうからどうぞ」

 慶長って、Bなんだ。ほんとに学歴順じゃないのね。

 大学数が多いから、Dクラスに回って来るまで、時間がかかった。

 待ちくたびれてきたところで、幹事はメモを見ながら、

「えーと、聖ソフィアは……なし、と。最後に、都ノの選手、お願いします」

 ああ、ようやく回って来た。残り枠は2で、どちらになるかの選択でしかない。

 だけどその選択に、会場は若干ざわついた。

「おいおい、これ、土御門つちみかどと風切なんじゃないか?」

「初戦から大一番かもな」

 私は、トーナメント表を確認した。

 残っている枠は、慶長の知らない学生と、八ツ橋の土御門先輩のとなりだけ。

 土御門先輩は、窓際で扇子をパチパチさせていた。いつものおどけた感じはない。都ノのメンバーの抽選を、じっと注視していた。

「松平、俺は残りものでいいぞ」

「いえ、先輩が先に」

「……分かった」

 幹事のひとが、箱を差し出した。風切先輩は腕を突っ込む。

 残りふたつしかない番号札を、あっさりと引き抜いた。

「34」

 どよめきが起こる――慶長のほうだ。

 慶長のグループからは、「マジかあ」という悲鳴が聞こえた。

 一方、最後のひとりになった松平は、

「これ、引く必要ありますか?」

 とたずねた。幹事は、念のため、と言って、松平に札を引かせた。

「19です」

 案の定というか当たり前というか、松平は土御門先輩の山に入った。

 いやあ……こっちも、「マジかあ」って感じ。いきなり七将しちしょうと対戦。

「それでは、黒板にあるように、分かれてください。担当幹事が手続します」

 男性幹事は全員選手だから、女性幹事だけが残った。

 この教室の担当者は、八千代先輩だった。

「裏見は、ここの教室を頼む」

 三宅先輩はメモ帳を片手に、移動を始めた。

「分かりました」

「松平の応援も、してやれよ」

 三宅先輩はそう言ってニヤリとしてから、教室を出て行った。

 だから、そういうのは――まったく、私は松平のテーブルへ移動する。

 ふたりとも、既に着席していた。

「松平くん、だったかの……よろしく頼むぞ」

 土御門先輩は扇子をひらいて、パタパタとあおぎ始めた。

「こちらこそ」

 松平も、気合い負けしている気配はない。頑張れ。七将の肩書きに負けるな。

「それでは、時間も押していますので、振り駒をお願いします」

 八千代先輩の指示で、振り駒。松平は土御門先輩にゆずった。

「では、年の功ということで……ほれ」

 表が4枚。土御門先輩の先手。

 土御門先輩は、純粋居飛車党ってことだけ分かっている。

 七将レベルになると、ネットに棋譜の一部が転がっていた。

「対局準備の整っていないところはありませんね? ……それでは、始めてください」

「よろしくお願いします」

 お互いに一礼して、対局開始。私は、先に仕事を済ませる。

 ベスト64の段階だから、全部で32局。この教室は、11局のみ。

 順番に見ていく。ここは相振り、ここは相矢倉、ここは横歩、ここは力戦……よし、これでいいわね。風切先輩は他の会場だし、あとは部員を応援するだけ。

 戻ってみると、局面はすこし進んでいた。


挿絵(By みてみん)


 角換わり――しかも、腰掛け銀模様。

 最初の駆け引きは見ていないけど、このふたりなら高確率でありえるかたちだった。

 4七銀、6三銀、6八玉、5二金、5八金、4一玉。

 土御門先輩は10秒ほど考えて、9六歩と打診した。

 松平は、すぐに9四歩と突き返す。

「こっちは、どうじゃ?」

 土御門先輩は、反対側の端歩を突いた。

「それも突き返します」

 1四歩、7九玉、3一玉、5六銀、5四銀、3六歩、4四歩。

 指し手が早いわね。松平、あんまり上級者のスピードに合わせちゃダメよ。

 3七桂、7四歩、6六歩、7三桂、2五歩、3三銀。


挿絵(By みてみん)


 ここでようやく、土御門先輩の手が止まった。

 扇子をパチリと閉じて、口もとに添える。将棋を指してるときは、やっぱりオーラが違うわね。先輩の衣装は、今日も狩衣かりぎぬ。色合いが少し違っていた。赤いラインが、縫い目にうっすらと見えている。考えて首をひねるたびに、紙で結んだ後ろ髪が揺れた。

「ふぅむ……腐るほど指された局面じゃが……先手なら、攻めて損はなかろう」

 土御門先輩は、いきなり4五歩と仕掛けた。42173の法則。

「同歩です」

「2四歩」

「同銀」

「これも取るか?」

 土御門先輩は、端ではなく7筋に手を伸ばした。


挿絵(By みてみん)


 427――1筋を省いた。

 松平は、ここで小考した。

 土御門先輩の狙いは、4五歩、同歩、2四歩、同歩、7五歩、同歩に4五桂と単に跳ねる順だと思う。そこで7四歩があるから、後手は6三金と受けるか、あるいは8六歩と攻めるのが普通。端歩の省略で、若干後手の方針も変わってくる。

 じつは、たちばなさんに負けたあと、角換わりを勉強し直したのだ。受験勉強のあいだに、将棋界はいろいろと進化したらしい。本譜も、従来の常識とは異なっている。

「……同歩です」

 松平は、歩を回収した。当然の一手。

 むしろ、先を読んでいたのだと思う。

 土御門先輩は、パチリと扇子を閉じた。

「いかなる物の怪が都ノにつどうたか……見せてもらおう。4五桂じゃ」

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