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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第42章 1年の終わりへ(2017年1月1日日曜)
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261手目 ビジネスコンテスト

 少年たちのにぎやかな声、駒の音、チェスクロのカウントダウン。

 洗い物をしながら、私は手合い係の宗像むなかたさんを気にしていた。

 宗像さんはいつもの質素な私服で、手合いをさばいている。

 このひとが聖生のえるの娘──これまでの情報に照らせば、そうとしか考えられない。中学生のときに家出した、というのが引っかかるけど。親戚に匿われていたとか、そういう状況なら納得はいく。

 そしてこのひとが大富豪? ……ありうるのよね。都内ではないけれど、東京に不動産を持っている。敷地はけっこう広くて、建物は2階が将棋道場、1階がアクセサリー店と倉庫になっているっぽかった。つまり住居はまたべつにあるわけでしょ。それがまた持ち家かタワマンという可能性もある。大富豪とまではいかなくても、お金持ちなのは確実っぽい。そもそもお店を2つ経営している時点で、普通じゃないことには気づいたほうがよかったかもしれない。

 ここまではもちろん憶測。証拠はない。宗像さんってお金持ちですか、なんて訊けないしなあ。銀行口座の残高を質問したら、むしろ私のほうが疑われそう。

裏見うらみさん」

 ひえッ、声をかけられた。

 私は返事をする。

「はい、なんでしょうか?」

たちばなさんと交代をお願いします」

 はーい──とりあえず仕事に集中しますか。

 

 *** アルバイト終了後 ***


 暗くなった夜空の下で、私は自転車の鍵をはずしていた。

 橘さんはマフラーを巻いて、白い息を吐いている。メイド服はほんとにやめたのね。あれ以来、一度も見ていない。店に来る子のなかには「橘姉ちゃん、厨二病は卒業したんだね」なんて意見もあるけど、そうじゃないんだなあ。

 乙女心はもっと複雑なのよ。わかりますか。

「橘先輩、それじゃ、お先に……」

「裏見さん、すこしよろしいですか?」

 むッ、次回のシフトの交代かしら。

 私は用件をたずねた。すると──

「裏見さんは経済学部だったと記憶していますが」

 と、なぜか私の専攻の話になった。

「はい、そうですが……」

「来週、大手のビジコンが晩稲田おくてだ大学で開かれます。爽太そうたさんとわたくしのチームも参加いたしますので、もしよろしければいらしてください」

 びじこん? ……あ、ビジネスコンテストのことか。

 私は日時をたずねた。

「来週金曜日の10時からです。夕方までありますが、抜けていただいてかまいません」

「来週金曜……道場が臨時休業の日ですか?」

「そうです。わたくしがシフトを断ったせいかもしれませんが……」

「わかりました。時間があれば顔を出します」

「よろしくお願いいたします」

 橘先輩は自転車に乗って、その場を走り去った。

 私も逆方向に走る。

 うう、寒い。東京は夏の暑さも冬の寒さもキツいから参る。

 瀬戸内海のほうが温暖で良かったなあ。早く帰って自炊しましょ。


  ○

   。

    .


 翌日、将棋部でひさびさの例会があった。

 今はその休憩時間。

 部室には私と松平まつだいら大谷おおたにさん、ララさんの4人だけ。

 ほかのメンバーは購買へ出かけている。

 松平たちはテーブルのところで雑談。

 私はひとりソファーに座り、昨日の橘先輩のお誘いについて、考えをめぐらせていた。

 さて、どうしたものか。顔を出す時間はある。

 そもそも来週の金曜日は

 私は経営学部じゃないけど、そっち方面に興味がないというわけでもない。

 むしろイマドキの大学生っぽくていいかも。

「大学生でビジコンかあ……私も機会があれば出てみようかな」

 そうつぶやくと、松平がいきなり悲鳴をあげた。

「ままままま待て、裏見、おちつけ、なんでいきなりそんな気になったんだッ!?」

 あんたがおちつきなさいよ。

 なにを動揺してるんですか。

「私がビジコンに出ちゃダメなの?」

「ああいうのは下心見え見えな連中が集まってて危ないだろ」

 いや、それはさすがに偏見でしょ。

 お金が絡んでるのは否定しないけど。

「そういうコンテストで目をかけてもらって、将来の話につながることもない? 例えば大手の部長さんが来てて、そこへ就職ってこともありうるし」

 松平はムンクの叫びみたいな状態になった。

「裏見がおっさんに就職……うーん……」

 チーン──松平、ご臨終。

 ??? なにがなにやらわからない。

 もしかして守銭奴だと思われた? いや、そういう発言はなかったと思う。

 私が不審がっていると、ララさんは、

香子きょうこっておじさん趣味だったの?」

 とたずねてきた。意味がわからない。

「なんでそうなるの?」

「コンテストでおじさんに目をつけてもらって結婚するんでしょ?」

 は? ララさん、日本語のリスニングしっかり。

 今の会話のどこにそういう要素があったの。

「ビジコンから話が飛びすぎでしょ」

「飛んでなくない? 女をアピールするんだよね?」

「???」

 ここで大谷さんが割り込んだ。

「みなさん、美人コンテストと勘違いなさっているのでは?」

 ん? 美人コンテスト? びじんこんてすと……ビジコン!

 私は赤くなって、

「なんで美人コンテストに出ておじさんにアピールしないといけないのよッ!」

 と叫んだ。

 ララさんは、

「あれ? ちがうの? じゃあビジコンってなに?」

 とたずねてきた。

「ビジネスコンテストよ」

 ララさんは指をパチリと弾いた。

「Oh, business contest!! 日本語むずかしいね」

 松平も復活する。

「ふぅ、おどかさないでくれ……」

 いやいや、勝手に勘違いしてただけでしょ。

 ララさんが分からないのはしょうがないとして、松平はどうなの。

 理系だからうといのかもしれないけど。

 ララさんは興味津々で、

「ビジコンに出るとお金もらえるの?」

 とたずねてきた。

「上位で入賞したら、賞金が出るみたい」

「ブラジルでなにかいいビジネスないかなあ。レアメタルいっぱいあるよ」

 ブラジルか……BRICSよね。

 予想されてたよりも経済成長がよろしくないような。

 これは悪口になるから言わないほうがいいか。

「ララさんも来る?」

「いつ?」

「今週金曜日の10時から」

「あ、うーん、そこはシフト入ってるなあ」

 残念。有縁坂うえんざかのバイトか。

 私はほかのメンバーにも声をかけてみた。

 松平はもうしわけなさそうに、

「すまん、折口おりぐちの手伝いがある」

 とのこと。それってどうなの。

 やっぱりブラック研究室なのでは。

 大谷さんは両手を合わせて、

「拙僧、その日は女子ソフトのピンチヒッターを頼まれております」

 という返事。

 ふむ、あいかわらず頼られてますね。

 この場にいるメンツは全滅。

 あとでほかの将棋部員に……声をかけるのも変か。

 ただ、ひとりで行くとヒマになりそうなのよね。

 朽木くちき先輩たちにへばりつくわけにもいかないし……あ、そうだッ!


  ○

   。

    .


 というわけで、晩稲田大学に到着。

 相方は粟田あわたさんにしました。

 スケジュールも関心も一致したから、快諾してくれた。

 正門にビジネスコンテストの看板が出ていた。

 会場を確認。キャンパスマップもチェック。

「国際会議ホールだから……一番奥っぽい?」

 粟田さんはうなずいて、

「みたいだね。建物のかたちが変わってるから、すぐ分かるかも」

 と言った。そう願いますか。

 とりあえずキャンパスに入る。

 すこし進んで左へ曲がると、創立者の銅像があった。

 そこから右に曲がってしばらく進むと、お目当ての建物を発見。

 若干教会っぽい感じの建築だった。外壁はダークグレー。

 ビジネスマン風のひとが大勢いる。まちがいなさそう。

 入館するとホテルみたいな感じで、レセプションとクロークまであった。

 とりま受付を済ませまして……名札を渡された。じぶんで書き込むタイプ。

 うーん、名前が珍しいからちょっと危ないかも。

 ウラミとカタカナにしておく。これなら浦見だと思うでしょ、ふつう。

「あれ? 香子ちゃん、カタカナにしたの?」

「名前で身バレするといけないかな、と思って」

「アハハ、たしかに珍しいもんね」

 粟田さんは漢字で書いている。並んで歩くとアンバランスかも──ま、いっか。

 パンフレットもゲットして、準備完了。

 ポスター発表と展示ブースは3階だった。

 エレベータで上がる。ガラス張りで、3階のど真ん中に出た。

 降りたフロアがそのままポスター会場だった。スーツを着た学生がたむろしている。

 えーと……あ、いたいた。

 左手のほうに、スーツ姿の橘先輩を発見。

「先輩、おはようございます」

「裏見さん、おはようございます。いらしてくださって光栄です」

 いえいえ、こちらこそ。

 とりあえず粟田さんを紹介する。

 それからポスターを確認──介護用パワードスーツのリース?

 またすごくマニアック……でもないか。

 私は橘先輩に、

「なんかザ・日本の問題って感じですね」

 とコメントした。

「こういうのは受けがいいのです」

「受け?」

「自由課題とはいえ、審査員に受けるテーマは限られています」

 そうなのか。うーん、なんだかな、と思う。

「自由にアイデアを出せる、ってわけじゃないんですね」

 私がそうコメントした途端、うしろから朽木先輩の声がした。

「残念ながらその通りだ」

 ふりかえると、いつもの朽木先輩……じゃないッ!

 スーツにつぎはぎがない。新品だ。

 靴も腕時計も新調しているようだった。

「裏見くん、今日はお越しいただいて感謝する……こちらのお嬢さんは?」

 いきなり紳士っぽいひとが現れたから、粟田さんは急にかしこまった。

「は、はじめまして、粟田です」

「僕は晩稲田代表チームの朽木です。お見知りおきを」

 粟田さんは、ちょっときょどりながらお辞儀をした。

 うーん、朽木先輩、一挙手一投足がなんか紳士的。

 これがおぼっちゃんの本気?

 あと粟田さん、あんまり朽木先輩に見惚れないほうがいいかも。

 こんどは橘先輩にストーキングされますよ。

 朽木先輩は私のほうに向きなおって、

「裏見くんが少々落胆してしまうのも、無理からぬことだ。本来、ビジネスに決まった型はない。だが、コンテストはあくまでもコンテスト。制約のなかでオリジナリティを出すしかない。今回は介護問題を扱いつつ、僕たちなりのポリシーを出させてもらった」

 と、急にあらたまった解説をした。

 私もマジメに質問する。

「朽木先輩チームのポリシーって、なんですか?」

「介護分野にこれ以上の人員を割いてはいけない、ということだ」

 ん? わりと大胆な発言な気がする。

 私は意図をたずねた。

「それは本発表までのお楽しみとさせてもらいたい……可憐かれん、この場はよろしく頼む」

「承知いたしました」

 そういえば午後のスピーチが本番なんだっけ。

 それまでは名刺交換とか挨拶回りっぽい。

 とりあえず私は晩稲田チームのポスターを読んだ。

 ふむふむ、介護現場って、こんな感じになってるのか。

 そのあとは他のポスターも見て回る。

 すると粟田さんが、

「あ、これ面白くない?」

 と言って、ひとつのポスターを指差した。

 どれどれ……サイドチェーンを応用した暗号資産の交換業、か。

 たしかに面白そう。

 私が目を通していると、次第に人だかりが出来始めた。

 こらこら、行列の法則ですか。もうちょっと散りましょう。

 すこし詰めようとした瞬間、ある人物が目に止まった。

 ベージュのソフトタッチジャケットに黒のデニムパンツ。

 それにサングラスをかけた女性。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………え、宗像さん?

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