表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
266/489

藤堂司の休息

※ここからは、藤堂とうどうくん視点です。

 幹事の懇親会も終わり、俺はひとりでバーに来ていた。

 去年たまたま見つけた店だ。

 あのときは先輩の幹事と一緒だった。今夜はひとり。

 俺が入り口を開けたとき、他の客はいなかった。クリスマスシーズンだからだろうか。家庭がある者は帰宅し、カップルはもっとべつの場所で過ごしているのかもしれない。

 すっかり白髪になった老年のマスターは俺をみて、

「こんばんは……おひさしぶりですね」

 とあいさつした。

 すこし驚いてカウンターに座ると、

「今年も将棋のイベントですか?」

 とたずねてきた。

 覚えているものなんだな。

「ええ……ウイスキーをストレートで。銘柄はお任せします」

 マスターはグラスを取り出した。

 俺は店内を見回す。

 色とりどりの酒瓶が、やわらかな照明に輝いていた。

 グラスとチェイサーが出されて、俺は早速口に含んだ。

 ドライで、すこしばかり刺激が強かった。ウイスキーの香りが鼻に抜ける。

 マスターは、

「今夜はおひとりですね。昨年いらしたご友人は、ご卒業なさいましたか?」

 とたずねた。

「いえ、まだ4年生ですが、今年は来ていません」

「あのかたはお酒を飲まれませんでしたが、愉快なかたでしたね」

 そう、あの先輩は下戸げこだった。

 俺が酒好きだから、気を利かせてくれたのだろう。

 今になってそう思う。いつも感謝が遅過ぎるな、俺は。

 チェイサーに口をつけた瞬間、入り口の鈴が鳴った。

 ふりむくと、意外な人物が立っていた──関東の前会長、入江いりえだった。

 入江は、

「おっと、これは奇遇だ」

 と言い、勝手に俺の右隣に座った。

 俺はメガネをなおしながら、

「どういう風の吹き回しだ?」

 とたずねた。

「二次会なしで解散しちゃったからさ、飲み足りなくてね……あ、すみません、こっちにもウイスキーのストレートください」

 マスターが準備をしているあいだ、俺は入江に小声で、

「だれから聞いた?」

 とたずねた。

「なにを?」

「とぼけるな。奇遇じゃないんだろう」

 入江は答えなかった。

 店の情報をどこからか仕入れて来たのだろう。

 こいつが関東の会長で一番怖かったのは、その情報収集能力だった。

 グラスとチェイサーが出る。

 入江はグラスを持ち上げて、

「とりあえず、乾杯しようか」

 と言った。

「乾杯? 申命館しんめいかんの優勝でも願ってくれるのか?」

「会長という重荷から解放されたお祝いさ」

 俺は苦笑した。

 今朝まで会長だったのに、すっかり失念していた。

「わかった……おつかれさん」

 ふたりでグラスを合わせる。入江はひと口飲んで、

「ふぅ、やっぱりストレートはキクね」

 とつぶやいた。

「おいおい、はったりで注文したのか?」

「ウイスキーは好きだよ。今夜は酔っても大丈夫だ。明日は風切かざぎりくんに任せる。藤堂前会長こそ、2日目はレギュラーから外れるつもりなのかい?」

「ウイスキーの1、2杯で、翌日の将棋に支障は出ない」

 俺はグラスを置いた。

 以前から気になっていたことをたずねる。

「風切は自分で復帰したのか?」

 もうひと口飲もうとしていた入江は、手をとめた。

「自分で? ……ああ、自発的に復帰したのかってこと? そうなんじゃないかな」

「くわしいことは知らん、というわけか?」

 入江は笑った。

「そりゃそうだよ。僕は風切くんのストーカーじゃないから」

「率直に訊くが、風切の復帰と聖生アレの復帰は関係があるのか?」

 入江は、すこしばかり韜晦とうかいめいた表情になった。

 グラスを持ったまま、カウンターにひじをつく。

 視線を酒瓶の棚にむけた。

「……ずいぶんと率直に訊いたね」

「東西に関所せきしょがあるわけじゃないんだ。いろいろと情報は入ってくる」

「うーん……わからない、としか言いようがないかな」

 俺は入江をみた──嘘をついているようには見えなかった。

 が、実際には分かりっこない。

「事件性があるのか?」

「それは事件性の定義次第だ」

 たしかに、正論だ。

 だれかが逮捕されたという話は聞いていない。

 警察が介入したという噂もない。

 ただのイタズラかなにかで、大したことがないのだろう。

 それとも、だれかが退学になったというオチか。

 いや、それならさすがに噂が立つ。

 入江はまた酒を飲んで、それから、

「関西にアレは出てないの?」

 とたずねてきた。

「そういう話は聞かん」

「さっきのやり返しってわけじゃないんだけど……宗像むなかたくんの登場とアレの復帰には、なにか関係があるのかい?」

 痛いところを突いてくる。

 そういう疑いが出ているのは耳にしていた。

 俺は答える代わりに、

「なにか食べるか?」

 とたずねた。

 入江は笑った。

「それはごまかしとして露骨過ぎるでしょ」

「答えないとは言っていない……すこし考えさせてくれ」

「了解。じゃあ……チーズプラトーってチーズの盛り合わせですよね? これください」

 遠目に立っていたマスターは、入江の注文にうなずいた。

 チーズが切り分けられるのをよそに、俺は思考をめぐらせていた。

 宗像が聖生のえるかどうか──疑ったことがないといえば、嘘になる。

 入江が訊いて来たってことは、なにか情報があるのかもしれない。

 じぶんの意見がまとまらないうちに、黒い正方形の焼き皿が出された。

 ゴーダ、カプリス、ミモレット、それに口直しのクラッカー。

 入江はすぐには手をつけず、

「で、考えはまとまった?」

 とたずねてきた。

「……疑ったことはある」

「その言い方だと、今は疑ってない?」

「証拠がなにもない。あいつが長期的に行方不明になったことはないし、関東へこっそり移動していたのは1回だけだ。そのときの経緯は、おまえも知っているだろう」

「知ってる。あのときは僕も捜索を手伝ったからね」

 入江はそう言って、カプリスをひとつ摘んだ。ウイスキーで流し込む。

 俺もゴーダをつまみながら、

「手伝った? ……あのとき、おまえの姿は見なかったぞ?」

 と探りを入れた。

「これ美味しいね」

 ごまかされたな、と思いきや、テーブルのうえにメモ用紙が出された。

 

  筆談

 

 筆談? ……どういうことだ?

 俺は胸ポケットからボールペンを取り出して、返答した。

 

  わかった で?

 

  ホテルのデータベースをハッキングしてた


 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………なるほど、道理で筆談なわけだ。


  結果は?

 

  宗像くん名義で1週間分の予約があった 高級ホテルだよ

 

 俺はその一文にハッとなった。

 顔をあげると、入江はマジメな面持ちでこちらを見ていた。

 俺は続けようとしたが、入江が先に、


  宿泊費の出所はつきとめられなかった 知ってる?

 

 と書いてきた。

 俺は悩んだ──入江の正直さには、報いる必要があるか。

 筆談はまどろっこしい。

 ここからの話は口頭でも大丈夫だと思った。

「俺があいつをスカウトした経緯は、聞いているか?」

「もちろん」

「俺はあのとき、あいつの身だしなみがきちんとしていたことに驚いた。風呂にも入っているみたいだった……ようするに、一定の時間帯だけ橋の下にいた、ってことだ」

「浮浪者を装ってたって意味?」

 俺はうなずいた。

 入江は「自宅はどこに?」とたずねてきた。

「わからん。ただ……ホテル住まいだった可能性がある」

「根拠は?」

「高卒認定試験を受けさせるとき、サボらないように迎えに行った。待ち合わせ場所は駅だったが、ホテル街の方向から来た記憶がある」

 入江は、筆談用のメモ帳をくるくると丸めた。

 それを灰皿に入れて、店のマッチ箱に手をやる。

 シュッという音を立てて火がつき、灰皿の中に放られた。

 メモはあっという間に燃えあがった。

 入江はウイスキーを口にふくんだ。

「……パトロンがいるのかもしれないね。大学の保証人の名前は分かる?」

「それは俺の親戚だ。頼み込んで引き受けてもらった」

 入江は眉を持ちあげた。

「きみの親戚が保証人? ……どうしてそこまでしてあげるんだい?」

 俺は両ひじをテーブルについて、手を組み、そのうえにあごを乗せた。

 むずかしい質問だ。

「……才能が腐るのを見ていられなかった、っていうのはカッコつけすぎか?」

「べつに茶化すつもりはないよ。でもさ、今日の試合には出していなかったね」

「明日はどうなんだ、と訊くつもりか? 内偵ならこの話題は打ち切りだ」

「今日、彼が姿を消した理由はなんだったの?」

「それは俺が聞きたいくらいだ」

 宗像自身は、N古屋で遊んでいたと言った──が、俺は信じていない。

 N古屋を往復していたら、遊ぶ時間などほぼなかったはずだ。

 雰囲気的に、駒込こまごめがなにか知っているような気がしたが……オーダー会議のとき、なぜか宗像を擁護してたしな……あいつはあいつで考えてることがよく分からんが……。

 俺はチェイサーを手に取り、

「もう俺たちは会長じゃない。聖生アレの始末は後輩に任せればいい」

 と締めくくった。

「なるほど……それにしても、関西は会長、副会長ともに女子とは、思い切ったね」

「その見方はおかしい。男ふたりで問題ないなら女ふたりでも問題ない」

「ハハッ、たしかに、今のは失言だったか」

 入江はもういちどグラスをあげた。

「それじゃあ、後輩たちの健闘を祈って」

「……」

 俺はグラスを合わせた。

 こういうのは卑怯というのだろうか。

 俺も入江も、けっきょくこの事件には深入りしなかった。

 宗像のパトロン──そいつが聖生のえるである可能性は、あるというのに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=891085658&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ