254手目 エース不在
オーダー交換が終わった。
中央の列に陣取った晩稲田と申命館。
7人の代表が対局準備をしている。
注目カードだから、観戦者は多い。
私は1番席の朽木vs藤堂のうしろについた。
藤堂さんはメガネをふき、それをかけなおした。オールバックの前髪をととのえる。
「王座戦では初対局かな、朽木くん」
「そうだが……宗像くんはどうした? 病欠か?」
藤堂さんはチェスクロに腕を伸ばした。
「どういうメンバーを出すかは、各校の自由だと思うが」
「……それについて異論はない」
これは……いないのがバレたっぽいわね。
当然といえば当然。前半は実力差があって宗像くんを温存した、という解釈もできた。現に3連勝しているのだから問題ない。けど、晩稲田に同じことをするのは妙だ。
会場はだんだんと静かになり、咳ばらいの音だけが聞こえた。
八千代先輩のアナウンスが入る。
「対局準備はよろしいでしょうか? ……では、始めてください」
選手は一斉に頭をさげた。
「「「よろしくお願いします」」」
【1番席 藤堂司(申命館)vs朽木爽太(晩稲田)】
「宗像くんがいないチャンス、さすがに利用させてもらおう」
「申命館の層の厚さをなめるな。宗像抜きでも勝てる」
【2番席 又吉長介(晩稲田)vs於保叶(申命館)】
「いやはや、副会長のお相手とは、我輩、光栄であります」
「今、いろいろと機嫌が悪いの。わかる?」
「ヒエッ……貧乏くじだった気がするであります」
【3番席 御手篤(申命館)vs太宰治虫(晩稲田)】
「太宰とは高3の全国大会でも指したよなあ。悪いが今回も勝たせてもらうぜ」
「そうだね、パパが応援に来てるもんね」
「ぐッ//////」
【4番席 橘可憐(晩稲田)vs駒込歩美(申命館)】
「あら、メイド喫茶は廃業したの?」
「わたくしのメイド姿は朽木爽太さまだけのものです」
「……あ、ふーん」
むむむ……どこも白熱(?)している。
晩稲田の偶数先。1番席はパタパタと進んだ。
6八銀、3四歩、7七銀、6二銀。
矢倉になった。
2六歩、4二銀、7八金、3二金、4八銀、4一玉。
まるで事前了解があったかのように速い。
6九玉、7四歩、5八金、6四歩、2五歩、6三銀。
すこし変則的──と思った瞬間、横で女のひとの声が聞こえた。
「すこし変則的ね」
みると、速水先輩が立っていた。
あれ? 速水先輩って選手……じゃないのか。
日センは出場校でもなんでもなかった。
「香子ちゃんから、哀れみのまなざしを感じるわね」
「あ、いえ、そんな……」
「いいのよ、そのぶん七将戦で暴れさせてもらうわ」
それはそれで怖いんですが。
触らぬ神に祟りなし。私は、
「ちょっと失礼します」
と言ってから、ほかの対局も観に行った。
【2番席 又吉vs於保】
不穏な会話から始まったわりに、正統派。
となりは、と──
【3番席 御手vs太宰】
んー、角換わりか。
私がさらに移動しかけたとき、となりの男子とぶつかりそうになった。
「あ、ごめんなさい」
「おっと、わりぃ……あれ?」
あいては慶長の日高くんだった。
紺色のジャケットに同じく紺色のカジュアルズボンを履いていた。
大和の新田くんもいた。新田くんは冬なのに半袖のシャツ。
寒くないの? あれですかね、筋肉の新陳代謝で自家暖房?
「おつかれさま。ふたりとも、役員の見回り?」
日高くんは、
「建前上は、な。実質観戦」
と答えた。ようするにヒマなわけですね。
新田くんも力こぶを作って、
「これじゃあ体がなまる」
と言った。
いや、もともと屋内競技だと思うんですが。
私は「太宰くんの将棋を観てるの?」とたずねた。
日高くんは、
「A級目指すなら、観といて損はないぜ。来年度の主将候補だからな」
と答えた。
あ、そうなんだ。太宰くんが主将候補なのか──部のイメージ変わるわね。
ついでに会長も狙ってるのかしら。
松平がそう言ってた記憶。
「日高くんと新田くんは、太宰くんと同世代よね」
私の質問に、ふたりは怪訝そうな顔をした。
日高くんは、
「ん? 裏見って浪人してるの?」
とたずねてきた。
「あ、そういう意味じゃなくて、ふたりは全国大会で当たってるんじゃないの?」
「ああ、そういうことか。俺は当たったことないぜ……新田はあるよな?」
「いや、俺もない」
私はふたりの返事を聞いて、
「そっか……そうよね、全国大会に出ても、当たるとは限らないし」
と返した。ところが、日高くんはすこし意外な返答をした。
「俺はそもそも全国大会に出たことないよ」
「え……そうなの?」
「出てないと変?」
「そ、そういうわけじゃないけど……慶長の1年だとトップなのよね?」
「俺は東京出身なんだ。強豪が多過ぎて出られなかった。同学年に氷室がいたしな」
あ、そういうパターンか。
都会は都会でたいへんそう。人口が違う。
日高くんは「裏見ってどこ出身?」とたずねてきた。
「H島」
「早乙女とか桐野って知ってる?」
もちろん。私は知ってると答えた。
「男子だと捨神ってやつがいたな、白髪の」
「あ、同郷よ」
「マジ? 世間は狭いね……ところで、宗像のやつを見なかった?」
ドキリ──私はなるべく平静をよそおった。
「見てないわよ」
「そっか……じつは行方不明ってうわさがあるんだよ」
会場全体が察しちゃったっぽい。
歩美先輩が私たちのことを漏らしてなければいいけど。
私はちょっと不安になりながら、盤面を見返した。
日高くんと新田くんも、将棋のほうに関心をうつした。
日高くんは、
「御手のわりにはふつうだな」
というコメント。
私はK都で御手くんに負けたときのことを思い出す。
あのときはかなり変則的な将棋だった。やっぱり舐めプだったのかしら。
太宰くんはここで少し考えている。
腰掛け銀しかないかな、と思うけど。
そう思った矢先、太宰くんのひとりごとが聞こえた。
「んー……右玉くさいんだよね」
ここから? ……あ、できるのか。
御手くんはニヤリとした。
「太宰も右玉にするか? 相右玉なんてな」
「もってことは右玉なんだね、了解」
太宰くんは6二金とあがった。
御手くんは4八玉とする。
ほんとに右玉だった。
太宰くんは5二玉。
日高くんはこれをみて、
「おいおい、ほんとに相右玉かよ。変態すぎるだろ」
というコメント。
新田くんはすこし冷静に、
「いや、後手は中住まいだろう。ここからさらに組み直すとは思えん」
と言った。
いずれにせよ、かなりの力戦になりそう。
9六歩、9四歩、7九飛(!)、5四歩、8八金(!)
え? そんなの成立しなくない?
……6六銀〜7五歩ってこと?
困惑する私をよそに、新田くんは、
「後手の王様は戦場に近いが、2二角で止まる」
と評価した。
これには日高くんが、
「いや、むしろ後手に2二角と打たせるのが狙いだろ」
と指摘した。
なるほどなるほど、さすがはA級のレギュラー陣、読みが素早い。
太宰くんは水筒をとりだして、ホットコーヒーを注いだ。
御手くんは缶コーヒーを飲んで、大きく背伸びをした。
さすがに4局目だから、だんだん疲れてくるわよね。
こういう大会は体力勝負なところもありそう。
パシリ
太宰くんは4二銀と固めた。
6六銀、2二角に、御手くんはあっさりと7七銀。
やっぱり打たせるのが目的だった。
そこから8一飛、7八金と手仕舞いして、4四角に2九飛ともどった。
こんなのあり? 先手だけ巻き戻しになっちゃってる。
日高くんも、
「後手に角を打たせた代償が5手損……角の動きを無視しても3手損か……どうなんだろうな。そこまでして打たせるメリットがあったのか?」
と懐疑的。
新田くんは、
「千日手狙いかもしれん」
と言った。日高くんはこれにも懐疑的で、
「王座戦で先手引いて千日手狙いにするか? しかも序盤から?」
とたずねた。新田くんは、
「ううむ、御手の思考は読めん」
とうなった。
どうやら見守るしかなさそうですね、はい。
以下、5三角、5九玉、6五歩、4八金、4四歩と進んだ。
御手くんは5八玉で、中住まいに組み替えた。
日高くんは「ほんとに千日手なのか……?」と首をかしげた。
新田くんは、
「もしかすると太宰の暴発待ちかもしれん」
と言った。
「それなら御手の読み違いだな。太宰に暴発はありえない」
なるほど、そういう信頼があるのか。
性格的にも熱くならなさそうだし。
4三銀、2五歩、3三桂、1八香、1二香。
太宰くん、ぜんぶ辛抱してる。
御手くんは缶コーヒーを飲み干して、カランとテーブルのうえにおいた。
「それじゃ、攻めますか。2四歩」