252手目 ナンバープレート
私たちはY日市を出たあと、高速道路で志摩半島へ向かった。
カーナビをみるかぎり、目的地までは100キロ近くあるっぽい。
高速は海沿いじゃなくて、内陸部を通っていた。
左右に建物と畑がひろがる。
バンだから中は快適で、3列シートの8人乗りだった。
私と松平が2列目、大谷さんが3列目に座った。
ちょうど運転席のうしろに松平がいるかっこう。一応、用心のため。
インターチェンジを入ってから10分ほどして、佐田店長は、
「さて、どこから話そうか」
と口をひらいた。
松平はすこし警戒して、
「話ってなんですか?」
とたずねた。
「僕が真相にたどりついた理由だよ……っと、その顔は信用してないね」
バックミラー越しに、店長はほほえんだ。
松平は数秒ほど思案した。
「俺たちのほうは情報を出せないんですが……」
「出せない理由は?」
「俺たちには話す権限がありません。ほかの部員の許可がないと……」
なるほどと、店長はうなずいた。
「べつにいいよ。そもそも、僕と君たちの動機は少しばかり違うからね」
「……どういう意味ですか?」
「僕は純粋にお礼が言いたかったんだよ……あ、また信じてないね。これくらいは信じてくれてもいいと思うけどなあ。ま、いいや。バブル崩壊で儲かる銘柄をもういちど教えて欲しいとか、そういう気はないんだ……まあ、お礼が言いたいだけっていうのは、かっこつけ過ぎたか。ただ、なんというか……」
店長は、そこで言葉を区切った。
「……もういちど、あのひとと話をしたかったんだ」
車は大きな公園にさしかかった。
1台の対抗車とすれちがう。
松平は私たちのほうを盗み見て、それからこう答えた。
「佐田さんが話したいなら、俺たちは聞きます……が、すこしアンフェアですかね」
「いや、それでかまわないよ。で、どこから訊きたい?」
「聖生の正体は、宗像恭二だと思ってるんですか?」
「正確には聖生のこども、だね」
やっぱり私たちとおなじ推理だった。
松平は、
「どうやってその結論にたどりつきました?」
と質問した。
ちょっと単刀直入すぎるんじゃないかな、と思ったけど、店長は笑って、
「さて、どうやってでしょう?」
と、質問を質問で返してきた。
松平はふたたび私たちのほうをみた。私は肩をすくめてみせる。
店長はこのようすをバックミラー越しに見ていて、
「んー、ヒントは出したつもりなんだけどね」
とつぶやいた。
松平は眉をひそめた。
「ここまでの道中で、ですか?」
「いや、熱海でだよ」
「……気づきませんでした」
「僕が聖生と出会ったとき、彼の車は故障してたんだ」
松平はなにかを察したようで、身を乗り出した。
「車のナンバーですか?」
店長は左手をハンドルから離して、親指を立ててみせた。
「正解」
松平は口もとに手をあて、すこしばかり猫背になった。
どこか納得していないのは、私にも伝わった。
そして案の定、
「……ずいぶんと時間がかかったんですね。たしか2009年だったと思いますが」
と、つっこみを入れた。
「ナンバーだけじゃ個人情報はわからないんだよ」
「……そうなんですか?」
「ナンバーだけで照会しても、所有者の情報は教えてもらえない」
「じゃあ、なんで突き止められたんですか?」
店長は、あっさりとタネを明かしてくれた。ナンバーだけでは、所有者の情報は教えてもらえない──けど、それはあくまでも通常のケース。特例で教えてもらえる方法があるとのことだった。そのひとつが、長期的に違法駐車をしている車両を撤去するとき。
店長は仕組みを説明しながら、
「ほんとうに偶然だったんだよ。ナンバーから車両を追って行ってね。とうとう去年見つけたんだ。廃車になって、S賀の工場に放置されてた」
S賀──佐田店長が、エンジニア時代に働いていたところだ。
ということは、そのツテで見つかったのかもしれない。
松平は、
「工場に放置されてたってことは、違法駐車じゃないですよね?」
と、細かいところにつっこみを入れた。
「もちろん、そのままだと違法駐車じゃない」
「……? どういうことですか?」
「その工場のすみっこに空き地があってね、たまたま僕が買ったんだよ。その車はなんの手違いか、そこに放置されてしまった。だから撤去した」
松平はようやく納得した。
「違法駐車になるように調整した、ってことですか」
店長はかるく笑った──けど、それ以上の弁解はしなかった。
ここで大谷さんが割り込んだ。
「聖生本人を追いかけなかったのは、なぜですか? なぜ恭二くんを?」
「……なぜだと思う?」
大谷さんは、バッグミラー越しに店長の顔を直視した。
「聖生は亡くなっていた……からでは?」
車内に沈黙が流れた。
店長は、さっきと打って変わって、マジメな調子になった。
「……かもしれない」
「かもしれない、とは? 本名は判明したのではありませんか?」
「いや、しなかった」
後部座席の私たちは、おたがいに顔を見合わせた。
そして、答えを当てたのは大谷さんだった。
「つまり、名義が別人だったのですね……聖生の本名はわからないまま、その子を当てることができる……離婚後の配偶者のものでしたか?」
「きみ、なかなかやるね。だったら宗像という姓の謎も解けるんじゃないかな?」
「母方のもの、ということになります」
なるほど、そういうことか。
聖生本人の個人情報はわからなかった。
けど、聖生の配偶者の氏名はわかった。そしてそれが宗像だった。
だから佐田店長は宗像くんをあやしんだ、と。
私もひとつ気になることがあって、質問をしてみた。
「宗像くんと会ったのは、そのできごとの前ですか、あとですか?」
「あとだね……ああ、ひとつだけ弁明させてもらうよ。僕は宗像くんが聖生のこどもだと思ったから近づいた、ってわけじゃないんだ……宗像くんのほうから近づいてきた」
私は「どういうことですか?」とたずねた。
店長は複雑な表情をして、
「それが僕にもわからないんだよねぇ。聖生が『困ったら佐田に泣きつけ。あいつは俺に恩があるからな』って言ったのか、それとも……」
と言い、そこで言葉を区切った。
なぜか気まずい空気が流れる。
店長は、なにかを疑っているように感じられた──なにを?
それは分からない。
車は走り続ける。
とちゅうで会話もなくなり、私たちは志摩半島の自然をながめていた。
1時間後──
私たちは、T羽駅の近くにある、海沿いの駐車場に到着した。
空はすこしばかり明るくなり、雲間に青空が見え始めた。
そこから射す光が、海を照らしていた。真冬の太平洋。
向こうには、島がいくつか見えた。船の姿はほとんどなかった。
私はコートをしっかりとまといながら、
「ここが宗像くんの生まれ故郷なんですか?」
とたずねた。
店長はポケットに手を入れて、海をながめていた。
「夏に来たら、さぞかしいい風景なんだろうな」
「……あの、店長?」
店長は「なんだい?」と訊き返した。
私は質問をくりかえした。
「ああ、そうだよ。僕の予想では、ね。ハズレならそこまでだ」
ハズレだと困る。もうN古屋へ移動する時間はない。
店長は「さて」と言ってから、
「手分けしてさがすほうがいいけど、バラバラになるのはよくないな。宗像くんとなにかあったときに困るし……ふたり一組になろうか」
と提案した。
どう分かれるか──ここで松平が一歩前に出た。
「俺と佐田さん……ってことになりそうですね」
「そうだね。さすがに僕と女の子ひとり、というわけにはいかないか」
店長は私と大谷さんのほうをむいた。
「それじゃ二手に分かれよう。宗像くんの居場所を突き止めたら、まずは連絡を取り合うこと。抜け駆けで交渉するのはナシだよ。じゃ、またあとで」
松平と店長は、港のほうへ移動した。
どうも店長はアテがあるっぽかった。
あとに残された私と大谷さんは、作戦会議。
「大谷さん、どうする? レストランをさがしてみる?」
「ランチタイムではありますが……まずは駅前を押さえるのが得策かと」
「駅前?」
「駒込さんは3000円をお貸しになられたそうですね。電車賃という推測は正しいと思います。ならばT羽駅で降りたはず」
そういうことか。
私たちは駅前へ移動した──と言っても、なにもないような……そもそも駅がそんなに大きくなかった。食べるところも限られてるっぽくて、お寿司屋さんが一件、それから観光地によくあるショッピングモールがひとつ、道路をはさんで建っていた。
私たちは駅に入って、営業所で声をかけた。
高齢の男性駅員さんが出てきた。
「どうしました?」
「あの……ここで待ち合わせをしてるんですが、そのうちのひとりと会えなくて……」
私たちは観光に来た学生グループをよそおった。
けど、駅員さんからは、
「改札口はあんまり見てないんですよ」
という回答。それもそうか。
ここで大谷さんがべつの質問をした。
「この駅で降りたあと、地元のひとが最初に行くところはどこですか?」
「最初に行くところ? ……観光地のことですか?」
「いえ、例えば帰郷したとき、最初に寄るところです」
駅員さんはすこし面食らったみたいだった。
けど、まじめなひとらしく、
「だったら商店街のほうですね。駅を出て、右に曲がってください。しばらく歩けば飲食店がみえてきます。その先が住宅地になってて、みなさんそちらに住んでますよ。ただの商店街ですからね、あんまり期待しないでください」
と教えてくれた。
私たちは駅を出て、商店街へむかった。
駅員さんが言ったとおり、ほんとうにただの商店街だった。
けど、すこし目立ったのは、真珠を売っているお店がたくさんあることだ。
「そういえば、伊勢湾って真珠の産地だっけ」
私がショーウィンドウのひとつをのぞきこんでいると、大谷さんが、
「裏見さん、先を急いだほうがよろしいかと」
とうながした。
おっとっと、見惚れてる場合じゃない。
私たちはさらに奥へと進んだ。
どんどんふつうの田舎町っぽくなってくる。
コンビニが見つかり、大谷さんはそこへ入った。
私もあとにつづく。
大谷さんは暖かい飲み物をひとつレジへ持って行って、
「つかぬことをお伺いしますが、このあたりに宗像というかたはお住まいですか?」
とたずねた。
ナイス、こういうお店って、地元のひとがそのままやってるケースが多い。
私が期待していると、店員のおばさんは、
「むなかた……知らないねぇ」
という返事だった。
残念。大谷さんが支払いを済ませて出ようとすると、出口のところで、
「お嬢ちゃんたち、もしかして観光?」
とたずねてきた。
私たちはふりかえって、そうだと答えた。
「さっき男の子がひとり来たけど、お連れさん?」
私は特徴をたずねた。
「茶色のベレー帽みたいなのをかぶってて……なんだか今どきの子だったよ」
ベレー帽……たぶんニュースボーイキャップのことだ。
茶色だから色も合っている。
私は、
「知り合いだと思います……どこに行ったかご存知ですか?」
とたずねた。
「真珠島じゃないかしら」
「真珠島?」
「あら、お嬢ちゃん、知らないの?」
おばさんの話によると、真珠の養殖に初めて成功したひとの記念施設らしかった。
だけど、どうしておばさんがその島の名前をあげたのか、これがわからなかった。
「どうしてそこだとお考えなんですか?」
「『真珠島は今でも海女さんのショーをやってるの?』って訊かれたもの」
海女さん……そうか、真珠は貝から取れるんだっけ。
私はおばさんに島の場所をたずねた。すごく近かった。
私たちはお礼を言って、その島を目指した。
すこしもどったところを海岸沿いに歩くと、島への連結部がみえた。
ん? ふつうの橋じゃないっぽい?
連結部には建物があって、中にチケット売り場があった。
「……もしかして有料?」
私は大谷さんに、
「入る? それとも先に松平たちを呼ぶ?」
とたずねた。
あせる私に対して、大谷さんはいたって冷静だった。
「お待ちください……ここではないような気がいたします」
「どうして?」
「宗像くんは駒込さんから3000円を借りています……が、これはY日市とT羽を往復するのにぎりぎりの金額です。おそらく500円程度しか余裕がありません」
私は料金をみた──高校生以上が1650円。ぜんぜん足りていない。
「だけど、宗像くんには手持ちがあったかもしれなくない?」
「入島料だけ用意していた、というのは奇妙に思えます。それに、宗像くんが海女さんを観に来たとも思えないのですが……」
たしかに、言われてみるとそうか。
私は右手のほうをみた。
リゾート地らしく、海岸沿いにたくさんの船が浮かんでいた。
ペンションみたいな白い建物もある。だれかの別荘かもしれない。
この先を捜索するのは、絶望的だと思うんだけど──
「裏見さん」
大谷さんに呼ばれて、私はふりかえった。
大谷さんは、左手のほうに目を凝らしていた。私も目を凝らす。小さな公園がみえた。コンクリートでできた海岸線の突出部に、松の木が植えてある。そのベンチのひとつを、大谷さんはゆびさした。
「あのひとかげ……宗像くんではありませんか?」