250手目 It's a small world
翌朝、私たちは早めに会場入りした。
Y日市の公民館みたいな施設で、けっこう豪華。
1階は大きなロビーになっていて、そこから2階へあがる大階段があった。
私たちはロビーでくつろぐことに。
8時を過ぎると、関東の役員も続々集結した。
速水先輩も登場。スーツ姿だった。
「あら、都ノは大所帯なのね」
そう言って速水先輩は、風切先輩の横に座った。
会長と副会長の打ち合わせっぽい。
私は大谷さん、穂積さん、ララさんと同席して、他愛のない雑談。
そこへ、やや高齢の男性があらわれた。
あごヒゲのあるダンディなおじさんだった。グレーのスーツを着ていた。
そのおじさんは「おはよう、風切くん」と言って、なぜかあいさつをしてきた。
ん? どこかで見たことが……あッ! 氷室くんのお父さんだッ!
風切先輩は椅子からサッと立ちあがった。
「どうも、お世話になってます」
「いや、こちらこそ。京介から、きみが次の会長だと聞いたよ」
「あ、はい……京介には会計監査をやってもらうことになりました」
「大変だと思うが、がんばってくれたまえ」
なんともスムーズな会話に、私はふと疑問を感じた。
盗み見していると、うっかり目が合ってしまった。
「おや、そこのお嬢さんは……」
氷室くんのお父さんは、私の存在に気づいた。
「息子が病院に運ばれたとき、あの場にいらしたひとではないかな」
「は、はい……都ノ大学の裏見といいます」
「あのときはご迷惑をおかけした」
「いえ……氷室くんがご無事でなによりでした」
私がそう答えると、氷室くんのお父さんは風切先輩へ向きなおった。
「それじゃあ、今後ともよろしく頼むよ」
「はい」
氷室くんのお父さんは、大階段をあがった。
風切先輩は座りなおして、また速水先輩と打ち合わせをはじめた。
んー、なんか違和感。
そう思った瞬間、大谷さんにそでを引かれた。
「裏見さん、少々……」
私は「なに?」とたずねた。けど、場所を移動したがっているようだった。
用件を察して、私たちはビルの外へ出た。うう、寒い。
なるべく風のあたらないところを選ぶ。
大谷さんは菅笠を押さえながら、
「風切先輩は氷室くんのお父さんと親しいようですが、関係をご存知ですか?」
とたずねてきた。
そう、それ。
「私も不思議に思ったの……数学つながりかしら?」
大谷さんは「ありえます」と言ったあとで、
「裏見さんは、なぜ氷室くんのお父さんをご存知なのですか?」
と質問を変えてきた。
私は、氷室くんがハウスシック症候群で倒れたときのことを話した。
新人戦の決勝だ。
大谷さんはうなずいて、
「その件は、拙僧も耳にしました。風切先輩はその場にいらしたのですか?」
と追加で質問した。
えーと……だれがいたかしら?
がんばって思い出す。
「私と入江前会長……あ、まだ会長か。それに速水先輩と太宰くん」
「ほかの1年生は?」
私は「いなかったと思う」と答えた。
火村さんとはあとで合流した記憶。
大谷さんはしばらく思案した。
「……夏ごろから、風切先輩の羽振りが急によくなったことに、お気づきですか?」
「羽振り? ……あ、なんかバイトを紹介してもらったんじゃなかった?」
1回目の焼肉は、風切先輩がぜんぶおごってくれた。
あれにはちょっとびっくりした。
「もしや、バイト先を斡旋したのが、氷室くんのお父さんなのでは?」
……………………
……………………
…………………
………………ありうる。
「数学関連のバイトってこと? 塾講師とか?」
「あのようすでは、もっと給金のよい仕事だと思います」
なんだろう。見当がつかない。
それに、もっと根本的なところで疑問が生じた。
氷室くんのお父さんは、なんで王座戦に来てるのかしら。
息子の応援? 東京からわざわざ来る?
はじめて会ったときは、こどもにあんまり興味がないのかな、と思ったけど。
私は大谷さんに、
「いずれにせよ、個人的な関係じゃないかしら」
と、あいまいな返事をかえした。
大谷さんはなにかを言おうとした。
けど、横槍が入った。
「香子、ひよこ、そこでなにしてるの?」
火村さんだった。
私はあわてて「お、おはよう」とあいさつした。
「おはよ……ここ寒いでしょ? なかに入らないの?」
ぐぅ、ここまでか。変に言いわけするのもよくない。
私たちは館内へもどった。
さっきよりもひとが増えていた。ちらほらと見覚えるのある顔もあった。
一方、役員は姿を消していた。打ち合わせのために移動したらしい。
私たちは適当な場所で立ち話をする。
「火村さん、ほんとに王座戦が目的だったのね」
「それ以外になくない?」
観光とかすればいいのでは、という気も。
火村さんの自称海外出身がほんとうなら、N古屋でもヒマを潰せそうだし。
じつは未だにうたがっている。
「香子たちこそ、丸一日ここにいるの?」
「うーん、とちゅうで抜けるかも。コーヒータイムも欲しいし」
「そっか、あたしもちょい抜けはする予定」
一日中観戦するのは、そうとうな将棋好きだけよね。
いよいよロビーがいっぱいになったところで、2階の廊下から声が聞こえた。
「会場を開けます。出場校から入場してください」
私たちは待機。
出場校の選手たちが、ぞろぞろとあがっていく。
とちゅうで、ひとりの少年がこちらに顔をむけた。
申命館の御手くんだった。
黒いパーカーに濃紺のスラックスといういでたち。
「あれ、大谷じゃん」
大谷さんは両手をあわせて、
「ご無沙汰しております」
とあいさつした。
「お、俺まだ死んでないんだけど……大谷は、晩稲田でも帝國でもないよな?」
大谷さんは事情を説明した。
「都ノ総出で観戦? ……ずいぶんと物好きだな」
まあ、そう思われても仕方がないかも。
出場校以外のひとは、個人で来てるパターンがほとんどっぽい。
御手くんは腕組みをして笑った。
「大学生なんだから、主体性を持ったほうがいいぜ」
いいじゃないですか。べつにひとりでいるのが主体性ってわけじゃないし。
と、そのとき、横から急におじさんが話しかけてきた。
メガネをかけた温和そうなひとで、白毛混じり。
そのおじさんをみて、御手くんは、
「と、父さんッ!」
とびっくりした。
「篤、ここにいたか。携帯で連絡しても出ないから心配したぞ」
「い、いま取り込み中ッ!」
おじさんはオヤッという顔をして、私たちのほうをみた。
「あ、これは失礼しました……篤、またあとでな」
おじさん、退場。
私はちょっとからかいたくなって、
「御手くん、大学生なんだから、すこしは親離れしたほうがいいわよ」
と言った。
御手くんは赤くなった。
「ち、ちがうぞ、父さんは元会長だから来てるだけだ」
ほんとぉ? ……ん? 会長?
「会長って、将棋連合の?」
「ああ、近畿大学将棋連合の会長だったんだ」
「……じゃあ、氷室くんのお父さんと知り合いだったりする?」
質問が唐突だったからか、御手くんはけげんそうな顔をした。
「氷室の父さん? ……知り合いってわけじゃないな」
「その言い回し、なにか意味があるの?」
「氷室の父さんが会長だったのは知ってる。俺の父さんから聞いた」
なるほど、じかに面識があるわけじゃないのか。
私が納得していると、御手くんはチームメイトに呼ばれて、2階へあがった。
あとに残った私は大谷さんに、
「なんか裏でいろいろつながってる……っぽいわね」
と小声で話しかけた。
「世間は狭い……ということでしょうか」
同意。
それから数分して、観戦者にも入場許可が出た。
2階へあがり、イベントホールに入る。
長机とパイプ椅子のあいだに、学生がひしめきあっていた。
司会は入江会長。マイクを持って、前のほうに立っていた。
「えー、みなさん、関東大学将棋連合会長の入江です。今から役員の引き継ぎをおこないますので、しばらくのあいだご静聴ください。まず私、入江の後任となりました、風切隼人さんから、就任のごあいさつをいただきます」
風切先輩はマイクを渡された。
ちょっと緊張している模様。
「風切です。1年間、会長を務めさせていただきます。よろしくお願いいたします」
拍手。
入江前会長にマイクがもどった。
「ほかの役員も紹介させていただきます」
入江前会長は、速水先輩から順番に紹介した。
続いて、近畿大学将棋連合の藤堂さんにマイクが渡った。
「藤堂です。私の後任は、古都大学2年の姫野咲耶さんになります。姫野さん、よろしくお願いします」
姫野先輩にマイクが渡った。
「古都大の姫野です。みなさまとともに1年間、学生将棋界の発展に努めてまいりますので、ご支援のほど、よろしくお願いいたします」
拍手。
関東のときとおなじように、藤堂さんが副会長以下を紹介した。
近畿の副会長は、なんと申命館の於保さんだった。
会長選で姫野さんといざこざがあった……という噂だったけど……。
それからさらに、九州、中国、四国、東海、北信越、東北、H海道の連合が続いた。
九州、中国、四国、東海、北信越、東北、H海道は、代表が1校。
近畿と関東は2校。全11校で、10回戦総当たりのようだ。
1日目に5局、2日目に5局の予定になっていた。
次は開会式。
ここで氷室くんのお父さん、御手くんのお父さんがダブルで登壇。
まずは氷室くんのお父さんから。
「ご紹介にあずかりました、氷室です。王座戦では元会長が、毎年挨拶をさせていただいています。今年は私が拝命することとなりました。王座戦は、今から60年ほど前、関東大学将棋連合の設立を祝い、関西と記念大会をおこなったことがきっかけで……」
などなど、王座戦の歴史の話があった。
御手くんのお父さんは、もっとフランクな話だった。
こうして前座は終わり、いよいよ対局準備。
風切先輩は慣れないのか、傍目先輩に司会を頼んでいた。
「9時からオーダー交換となります。8時50分までにオーダーをご提出ください」
わりと押してるわね。もう8時44分よ。
まあだいたい事前に決めてあるらしく、オーダーはどんどん提出された。
ところが47分になったところで、だれかが大声を出した。
会場の視線があつまる。
私のすぐそばのテーブルで、申命館の主将、藤堂さんが手をあげていた。
けわしい表情をしていた。
「すこし待ってくれ……宗像がまだ来ていない」