246手目 空っぽのフォルダ
「裏見、どうした?」
松平に呼びかけられた。私はハッとなる。
パソコンのモニタには、例の女が静止画像で映っていた。
自動ドアを出ながら、あたりを警戒しているようだった。
「ちょっと気味が悪いな、と思って……」
松平もうなずいた。
「いかにも不審者って感じだ」
私はもういちど映像をみた。
黒いコートに黒いズボン。サングラスとマスク。
画質が悪いから、はっきりとはわからない。
けど……やっぱり和泉プロな気がする。
顔の輪郭がそっくりだし、雰囲気も似ていた。
ちがうのは髪型だけ。和泉プロはロングヘアじゃない。
でも、かつらをかぶっているとしたら?
和泉プロは中性的な顔立ちだ。女装とは気づかれにくいはず。
私は推理を働かせた。その横で磐くんが、
「これを男とは見間違えないだろ。公園のストーカーは別人だな」
と口走った。
松平は、
「あの暗さだと、人相はわからないと思うぞ」
と指摘した。
磐くんも自信がなくなったようで、
「たしかに……穂積先輩、八花ちゃんの証言を、くわしく教えてもらえます?」
とたずねた。
「八花の話では、道の曲がり角からこっそりのぞいてたらしいよ」
磐くんは「それって公園の近くですか?」と追加でたずねた。
「公園? どこの?」
磐くんは粟田さんの被害現場を説明した。
穂積お兄さんは、
「いや、そこじゃないね。僕と八花の下宿先は、べつの方向」
「穂積先輩、東京出身なのになんで下宿してるんですか?」
あ、そこは私も気になっていた。
最初に会ったとき、仕送りがどうのこうのと言っていた。
ところがあとから聞いてみると、東京出身らしい。
都内のひとは電車や自転車で通ってくる。
実家から通えるのに仕送りなんて、めちゃくちゃ損じゃない?
すると穂積お兄さんは笑って、
「おじいちゃんの家に住んでるんだよ。そっちのほうが近いから」
と答えた。
磐くんは納得して、
「なるほど、合理的ですね。定期代も浮きますし」
と言いながら、パソコンの画面をみた。
「で、その曲がり角からのぞいてたやつは、ほんとに男だったんですか?」
穂積お兄さんは「八花がそう言うから、そうなんじゃないかな」と返した。
妹の証言をまったく検証する気がない模様。
磐くんも攻勢に出る。
「だったら、そいつが防犯カメラに映ってるかどうかも、確認しましょうよ」
「んー、その予定だったんだけど……」
「けど、なんです?」
「その犯人が出たところのカメラ、なにもないコンクリ壁に設置されてるんだよね」
……………………
……………………
…………………
………………でっていう。
私たちはポカンとした。ところが磐くんだけはしたり顔で、
「ははーん、なるほど、それはダメですね」
と答えた。
こらこら、テクニカル犯罪者(?)ふたりで納得しない。
どういうことなのか、私は訊こうとした。けど、そのまえに松平が気づいた。
「あ、電源……」
磐くんはローラーブレードでぴょんぴょんする。
「せいかーい、電池式の防犯カメラなんて、使いものにならないからな」
そういえばサークル棟の防犯カメラも、コードが伸びてたわね。
穂積お兄さんの解説が入る。
「ようするにダミーカメラだったんだよ。窃盗犯にはわかるから、無意味なんだけどね。ま、それはおいといて、ダミーカメラじゃデータの抜きようがなかったってわけ」
それはあれですか、本物なら抜いたってこと?
穂積お兄さんも危険人物臭がしてくる。
とりあえず、技術者組の捜査はここで止まった。
松平がまとめる。
「この女を近所で見かけたら、おたがいに連絡し合う、ってくらいか……穂積先輩、もう夕飯は済ませました?」
「まだだよ」
「磐が焼肉屋に行きたがってるんですけど、どうです?」
「もしかして、このまえ行ったところ?」
「はい」
「うーん、八花を送って行かないといけないんだけど……」
「じゃあ妹さんもいっしょで。大学内にいるってことですよね?」
「図書館で勉強してる。僕が迎えに行くから、正門のところで落ち合おうか」
どうやらほんとに焼肉コースらしい。
お財布にお金あったかしら。
こっそり財布の中身を確認。そのあいだに、穂積お兄さんは消灯の準備をした。
パソコンの電源が切られる。
あの映像、個人的に保存したいんだけどなあ。みんなのまえじゃムリよね。
私たちは部室を出て、正門へと向かった。
○
。
.
「他人の金で焼肉、第2弾だァ〜」
磐くんは手をたたいてよろこんだ。
小学生ですか。おごる約束はまだしていない。
ここは例の焼肉屋。ちょっと混んでたけど、ぎりぎり席を確保できた。
私、大谷さん、穂積さんと穂積お兄さんでワンテーブル。
私と大谷さんが通路側に、穂積兄妹が壁ぎわに座っていた。
左のファミリーテーブルには、松平、磐くん、氷室くん、日高くん、新田くん。
磐くんは「男女混合にしろォ」と暴れてたけど、そこは無視された。
日高くんはあきれながら、
「他人の金ってだれの金だ?」
とたずねた。
「え? 都ノのおごりじゃないの?」
松平はタメ息をつく。
「解決したのは穂積先輩だろ。さすがにおごるのはムリだぞ」
「チェッ、まあそこは反論できないし、しょうがないか」
さあさあ、焼きましょう。
まずはタンから。
ジュージューといい匂いがしてくる。
まずは最初の一切れ……うーん、おいしい。
ここのお店、隠れた名店だと思う。
おしゃべりもはずんで、会は楽しく進行した。
1年生の親睦会みたいで、いいわね。
とはいえ、すこしばかり気にかかることもあった。
ちょうど穂積さんもいるし、こっそり尋ねてみる。
「食事中に訊くことじゃないかもしれないけど……ストーカーの件は大丈夫そう?」
烏龍茶を飲んでいた穂積さんは、ちらりとこちらをみた。
「え、なに?」
「ストーカーはもう出てない?」
「……出ないわね。あたしの見間違いだったのかも」
ちょっと楽観的すぎませんかね。
お兄さんも会話に入る。
「僕もあやしい人物はみてないし、ターゲットを変えたんじゃないかな」
うーん……変質者がずっとおなじところにいるとは限らないか。
でもなあ、和泉プロの女装だけは不可解なわけで。
いや、女装癖があるんでしょ、って言われたらそこまでなんだけど。
それにあの映像──風切先輩あたりが見たら、気づくんじゃないの?
私はカルビをつまみながら、そんなことを考えた。
○
。
.
翌日の昼休み、私の不安は的中した。
ストーカー動画の一件が風切先輩の耳に入ったのだ。
松平が部室で話してしまった……というか、流れ的に当然話した。
風切先輩は「その映像を観たい」と言い出した。
これは……よくない流れ……それともいい流れ?
先輩は和泉プロの女装に気づくはず。
そのあとどういう行動に出るのか、予想がつかなかった。
松平はパソコンのまえでマウスを動かす。
フォルダを開けた。
「……あれ?」
松平はフォルダを変えた。
マウスのカチカチという音が聞こえる。
「……データが消えてる?」
風切先輩は、けげんそうな顔をした。
「消えてる? 保存し忘れたのか?」
「いえ、たしか重信先輩が保存してたような……」
ふたりはパソコンのなかをさがし始めた。
でも見つからなかった。
風切先輩は、
「ミスって消した可能性があるな。バックアップは取ってないのか?」
とたずねた。
「そこは重信先輩に聞かないとわからないですね」
そのときだった。ドアがひらいて、穂積お兄さんが登場した。
穂積お兄さんはパソコンのまえのふたりをみて、
「あれ? どうしたの?」
とたずねた。
「あ、重信先輩、ちょうどよかったです。昨日の映像って見られますか?」
「ムービーフォルダに入ってるよ」
「それが見当たらないんです」
穂積お兄さんは、松平と交代した。
「……ないね。なんかいじった?」
「いえ、フォルダをひらく以外の操作はしてないです」
穂積お兄さんはあちこちさがして、ないと結論づけた。
風切先輩はバックアップについて尋ねた。
穂積先輩はもうしわけなさそうな顔で、
「ごめん、バックアップは今日取ろうかと思ってて……」
と答えた。
「マジか……データのリカバリは?」
「んー、復元ポイントを設定してないからね、このパソコン」
ふたりは技術的なことを話し始めた。
特別なソフトウェアを使えばなんとかなるんじゃないか、という結論に。
穂積お兄さんは午後に講義があるから、夕方に作業することになった。
風切先輩はタメ息をつきながら、
「じつは聖生のしわざ、なーんてドッキリはやめてくれよ」
とつぶやいた。
室内の空気が変わる。
風切先輩はじぶんの発言が不穏だと思ったのか、
「じょ、冗談だ……まさか聖生がやったってことはないよな?」
と、セルフ動揺していた。
松平は慎重に答える。
「動画は複数人で確認しました。そのあとの施錠もちゃんとしました」
「複数人っていうのは?」
松平は1年生組の名前をあげた。
風切先輩は困惑した。
「1年の役員がここに集まってたのか? 他校を巻き込むとめんどうになるぞ?」
ここは私がフォローしておきましょ。
「磐くんが調べたがってたんです」
風切先輩は渋い顔をした。
「磐か……まああいつは一回解決してくれたが……」
松平も弁明する。
「仮に聖生のしわざだとしたら、逆にチャンスかもしれません」
「チャンス?」
「玄関の監視カメラに、聖生が映ってる可能性があります。昨晩から今日の昼休みまで、出入りした人物は限られるはずです」
あ、そっか……と思ったけど、私は松平の推理に納得しなかった。
そっと口をはさむ。
「フォルダにファイルがないから、それも消えてるんじゃないの?」
松平は、
「たしかにリカバリが前提だな。リカバリは早ければ早いほどいい。芽はあると思う」
と答えた。
ふーん、だったらチャンスかも。
夜中に出入りしたひとはあやしいし、午前中でも入ってすぐに出たひとはあやしい。
風切先輩も納得した。
パンと手をたたく。
「よし、作業が終わるまでこの部屋を見張ろう。空いてる時間は部室に来てくれ。なるべく2人以上いるように、MINEで調整だ。松平、悪いが手配を頼む」