241手目 朝帰り
翌日、私は穂積さんと大学でばったり出会った。
2限目が終わってキャンパスを歩いていると、偶然見かけたのだ。
「穂積さん、おはよう」
……反応がない。
こういうのは周囲の視線が恥ずかしいから、即答して欲しい。
「穂積さーん」
穂積さんは一瞬びくりとして、ようやくふりむいた。
「きょ、香子、おどかさないでよ」
「おどかしたつもりはないんだけど……どうしたの? なにか考えごとしてた?」
「う、ううん、なんでもない」
そこは即答なのね。あやすぃ。
とはいえ、うしろからいきなり声をかけた私も悪いか。
「和泉さん、だいじょうぶだった?」
「だ、だいじょうぶよ、ピンピンしてた」
……? なんか変ね。
病院でなにかやらかした?
点滴のポールを倒して、和泉プロの後頭部に直撃させたとか?
ありそう。私は深く追及しないことにした。
「私はこれから部室でランチなんだけど、穂積さんは?」
「あ、あたしはちょっと用事があるから」
「……そう、じゃあ、またあとでね」
私はサークル棟へむかった。
階段をのぼってドアを開ける。
「おはようございまーす」
あ、けっこういる──ん?
奥のソファーに、穂積お兄さんが座っていた。
両手で顔をおおい、うなだれている。
FXですべてを溶かしたおじさんみたいな雰囲気。
それを風切先輩、三宅先輩、松平、ララさんが囲んでいた。
キャスター付きの椅子に座っていた風切先輩が、私の登場に気づいた。
「ああ、裏見か、おはよう」
「おはようございます……どうかしましたか?」
「妹が朝帰りして、ヘコんでるんだと」
はぁ、さいですか。
……………………
……………………
…………………
………………穂積さんが朝帰りッ!?
「い、いつの話ですか?」
「今朝らしい」
……………………
……………………
…………………
………………
「裏見、どうした? なにか知ってるのか?」
みんなの視線が集まる。
「い、いえ、さっきキャンパスで会ったばかりなので……その……」
「なんだ、大学にはちゃんと来てるのか。おい、重信、そうしょげるなよ。どうせ女友達の家に泊まってたとか、雀荘で徹夜してたとか、そんなのだろ」
私はこっそりと、松平のそでをひいた。
学食に新しいメニューが出たとかいうテキトウな口実で、昼食に連れ出す。
そのまま食堂へ行って、ラーメンを注文したあと、すみっこの席に座った。
どうしようか悩んだ末、松平にだけ昨日のできごとを伝えた。
「麻雀プロといっしょだった?」
松平はびっくりして箸をとめた。
「救急車に乗った、っていうだけ。そのあとは知らないわ」
松平は箸をおいた。
気まずそうな顔をする。
「いや、でも……雰囲気的にヤラれちゃってるだろ」
こらこら、あからさまな言い方をしない。
「そういう品のない勘ぐりはダメでしょ」
「すまん……いずれにせよ、八花の自由じゃないか? もう大学生なんだ」
……たしかに。仮に和泉プロとなにかあっても、それは自己責任……か。
うーん、でもなあ、和泉プロがその手のひとにはみえないんだけど。
ああいう業界って、やっぱりウラオモテがあるのかしら。
松平は食事を再開した。
私も麺が伸びないうちに食べる。
新作の熊本ラーメンとやらで、けっこう美味しかった。
「ところで、クリスマスの件だが……裏見が王座戦に行きたいなら、俺はOKだぞ」
「んー、それって私に丸投げ?」
「まあ……」
私のことになると急に主体性がなくなるわね。
もっとも、私もあんまり強く言える立場じゃない。
「部で行くかどうか迷ってるみたいだし、もうすこし様子見しましょ」
「だな」
そのあとの私たちは、とりとめのないことを話した。
授業によってはそろそろレポート課題が出る。
後期で弛まないように勉強しなきゃ、ね。
ヴィ
おっと、MINEに通知が。
粟田 。o O(和泉プロがケガしたって、ほんと?)
……………………
……………………
…………………
………………なぬ?
あ、粟田さん、どこでそれを?
私は困惑した。松平も、私がきょどっているのを不審に思ったのか、
「どうした? 部室で揉めてるとか?」
とたずねてきた。
「和泉プロが入院したこと、ほかの子も知ってるみたい」
「ほんとに有名人なんだな」
それもそうか。芸能人だって、入院したらすぐに公表されるものね。
ああいうのは、プライバシー侵害だと思うんだけど。
香子 。o O(ケガかどうかはわからないけど、病院に行ったみたい)
粟田 。o O(香子ちゃんがつきそったの?)
……これ、都ノから運ばれたこともバレてるパターン?
だとすると、ウソはつかないほうがいいかも。
香子 。o O(保健センターに連絡しただけ)
粟田 。o O(そっか、どこの病院かはわからない?)
私は「わからない」と返信した。
粟田さんは、お見舞いに行きたがっているらしい。
でもなあ、1度出会ってサインもらっただけだし、ムリな気がするんだけど。
粟田さん、ゼミのときみたいに冷静なキャラになって欲しい。
香子 。o O(病院も病名も不明)
粟田 。o O(そうだよね いきなり質問してごめん)
いえいえ、と、フォローのリプをして、私はラーメンとむきあう。
では、半熟卵、いただきまーす。
○
。
.
というわけで、お蔵入り案件のはずだったのですが──病院に来てしまいました。
しかも、粟田さんといっしょに。
健康センターのひとから、うまく聞き出したらしい。
あんまりよくないと思うんだけどなあ、うーん。
とりあえず意外だったのは、橘先輩のときとおなじ病院だったこと。
この地域の急患は、だいたいここへ運ばれてくるわけか。
私たちは受付で順番待ち。土曜日のお昼だから混んでいた。
10分ほど待って、ようやく順番が回ってくる。
粟田さんにぜんぶ任せることにした。
「今週の木曜日に入院された和泉さんは、まだいらっしゃいますか?」
受付の女性は、私たちの関係をたずねてきた。
「よく通っている喫茶店の店長さんなので、お見舞いに来ました」
粟田さん、しれっとウソを、というわけでもないか。
あのディジットに何回か通ってるみたいだし。
受付の看護師さんは、パソコンをたたいた。
「……そのかたとは面会できません」
え? 面会謝絶?
私たちは動揺した。もしかして、重病?
粟田さんはおろおろして、
「あ、あの……どういうご病気なんですか?」
とたずねた。
「それはお教えできません」
そこがプライバシーなのはわかる。
けど、私も気になってきた。
このまま亡くなられたりすると、寝覚めが悪い。
もしかして穂積さん、和泉プロの容態がよくないのを知っててごまかした?
一ファンとして動揺していたのかもしれない。
私たちはいろいろゴネたけど、ダメだった。追い返されてしまう。
待合所のすみで、私たちは立ったまま嘆息した。
「香子ちゃん、どうしよう……和泉プロが亡くなったりしたら……」
粟田さんは、本気で心配しているようだった。
安易にだいじょうぶとも言えないし、返答に困る。
なにか声をかけないと、と思った矢先、ある人物が視界に入った。
自動ドアを、ひとりの青年がくぐった。
黒のジャンパーにジーンズで、サングラスをかけている。
でも、そのマッシュウルフの髪型と顔立ちに、見覚えがあった。
ディジットで出会った4人目のプロだ。
私は、粟田さんに声をかける。
「ねぇ、あのひと、麻雀プロじゃない?」
「え? ……あ、高子プロだ」
「タカネ? 上の名前? 下の名前?」
「名字だよ。下は望だったと思う」
粟田さんは、漢字も教えてくれた。ちょっと変わった名前だ。
高子プロは、受付をしている──もしかして、関係者なら入れるってこと?
私がジロジロみていると、高子プロと目があった。
しまった、と思っても後の祭り。
あちらも私たちのことを覚えていて、こちらに歩いてきた。
「こんにちは、このまえディジットで会ったよね?」
私たちは黙ってうなずく。
「俺は高子っていうんだ。和泉のお見舞い?」
あれ? もしかしてワンチャンきた? いっしょに入れるかも。
私たちはそうだと答えた。ところが、高子プロの返答はそっけなかった。
「そっか、もうしわけないんだけど、和泉のお見舞いは遠慮してもらえないかな。俺たちは芸人みたいなところもあるから、マスコミがうるさいんだよ」
粟田さんは、
「あの……容態のほうは……?」
と、おそるおそるたずねた。
「問題ない。すぐに退院する」
ウソをついているような気配はなかった。
穂積さんの情報とも一致しているし、杞憂だったのかしら。
粟田さんはホッとしたらしく、
「安心しました。教えてくださって、ありがとうございます」
とお礼を言った。
「きみたちがお見舞いに来てたことは、和泉に伝えておくよ……ところでさ」
高子プロは、すこしまじめな顔になった。
「救急車で和泉につきそってくれた子は、きみたち?」
私たちは、いいえ、と答えた。
「じゃあ、だれがつきそったか知らないかな? どこかの女子学生らしいんだけど?」
粟田さんは「知らない」と答えた。
高子プロは私のほうをみる。
私はとっさに、
「いえ、知りません」
と、ウソをついてしまった。
どうしてなのかは、じぶんでもわからない。けど、直感的にイヤな予感がした。
高子プロは、すこしだけ間をおいた。じっと私たちふたりを見比べる。
「……もしわかったら、教えてもらえるとうれしいな。こんどお礼を……」
そのときだった。
入り口に、すこし変わった服装のおじいさんが現れた
紺色の生地で、胸と脇腹にポケットがふたつずつ、それ以外はまったくの無地。
世界史の教科書でみたことがあるような。よく思い出せない。
痩せ型で、メガネをかけている。身長は170センチあるかないか。
髪は白髪で、生え際がすこし後退していた。
おじいさんは待合所を見渡して、こちらに近づいてきた。
高子プロは右手をあげて、気さくにあいさつする。
「劉先生、おはようございます」
「高子くん、おはよう……おや、こちらのお嬢さんがたは、どなたかな?」
リュウと呼ばれたおじいさんは、こちらに笑みをむけてきた。
その視線はやわらかだったけど、どこかヒンヤリとするところがあった。
いっぽう、粟田さんは、
「りゅ、劉衛民プロですか?」
と声をふるわせた。
リュウエイミン? ……あッ! このひとが和泉プロの師匠ッ!?
「ええ、私が劉です……高子くん、こちらのお嬢さんがたは?」
「和泉プロのファンです」
「おお、そうかね、これはこれは、どうも」
劉プロは姿勢をただすと、一礼してきた。
私たちも丁寧にあいさつする。名前は名乗らないでおこう。
粟田さんはなにかを言いかけた。けど、それよりも高子プロが早かった。
「先生、受付を済ませましょう」
「うむ……お嬢さんがた、これからも涼のことを応援してやってください」
ふたりは受付のほうへ移動した。
私は粟田さんをうながして、病院を出る。
これでよかった……のよね。
和泉プロはすぐ退院できるみたいだし、穂積さんの件も濡れ衣だった、と。
私は冬空のした、最寄りの駅へと向かう。
道中の粟田さんとの会話も、自然なものになっていく。
おたがいの誤解がまねいた、ささいなすれちがい。
ところがそれは、新たなストーカー事件の幕開けに過ぎなかった。