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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第39章 麻雀荘ディジット(2016年11月23日水曜)
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240手目 ゲノム

「ええ、じつはわけあって、都ノみやこの大学のことを調べているんです」

 え……どうして? もしかして、聖生のえるのまわし者……?

 私はちょっと引いてしまった。

 和泉いずみプロは、私の反応にすこしあわてて、

「あ、すみません。大学に行きたいな、と思ってるんです。お店の経営との兼ねあいで、近いところしか選べないもので……都ノだけが候補ではないのですが……」

 とつけくわえた。

 あ、そうなんだ。私は安心感から、うっかり変な質問をしてしまう。

「和泉プロは高校を卒業したあと、すぐにプロになられたんですか?」

 場の雰囲気が変わる。

 え? なんで?

 和泉プロはもうしわけなさそうな表情で、

「僕は高校を出ていないんです」

 と答えた。

 うわぁ、やらかした。

「す、すみません、知らなかったもので……」

「いえ、お気になさらずに。中卒にコンプレックスを持っているわけではありません」

 そっか……謝ったのは、かえって失礼だったかも。

 二重にやらかしてしまった。

 私が恐縮していると、不破ふわくんが話題をふってくれた。

りょうプロ、どうしていまさら大学なんですか? タイトルホルダーなのに」

あきら、それはちがうよ。僕は就職のために大学へ行きたいわけじゃないんだ」

「じゃあ……純粋にガクモン?」

 和泉プロは「そうだ」と答えた。

 それから、

「煌はどうして高校に通ってる?」

 とたずねかえした。

「むずかしい質問ですね……麻雀プロで一生食えるのか、っていうのはあります」

 和泉プロは痛快そうに笑った。

「それはそうだ。おおよそ堅気かたぎのしごとじゃないからね」

「涼プロも、半分くらいは保険で大学に行きたいんじゃないですか?」

「いや、僕はほんとうに勉強したいんだよ……たとえば、ゲノムってあるよね」

「はい」

「人間のけっこうな部分は遺伝で決まっている、ということが最近分かっているらしい。高校でそういうことも習うのかな? 中学だと、規則性くらいしかやらなかった」

「いえ、さすがに高校でもやらないと思います。俺はまだ1年生ですけど」

 若いなあ……いや、高1を若いと感じてしまうじぶんが情けない。

 不破くんは、もうひとつ質問をした。

「人間の能力は先天的だ、ということに、なにか思うところがあるんですか?」

 すこしだけ間が空いた。

 和泉プロは両手を組んで、しばらく黙った。

 話題のわりに、ちょっとだけ深刻な待ち時間に思えた。

「……そうだね、気にならないといえば、ウソになるかな」

 不破くんは空気を読まないタイプなのか、

「涼プロは顔ヨシ、頭ヨシ、銀行の口座残高ヨシの役満じゃないですか。なにが気になるんです? ギフテッドの仕組みを知りたいとか?」

 とたずねた。

 うーん、あの不破ふわかえでさんの親戚なだけのことはある。

 不破さんもかなり空気読まないし……あ、これも遺伝子ってやつ?

 和泉プロは、淡々と答えた。

「たとえば生物学的な性別は、遺伝子の仕組みで決まるね?」

「えーと、染色体がXXなら女性、XYなら男性ですか」

「そう、しかもこの組み合わせは、必ずしも生殖器の構造とは一致しないらしいんだ……っと、お嬢さんたちのまえで、この話はマズいか。もっとフラットな例にしよう。煌は、男性脳と女性脳っていう言葉を知ってるかな。一時期流行ったけど、じつは擬似科学らしい。でも、それがなぜ疑似科学なのかは、いまの僕の知識じゃわからない」

 不破くんも茶化すつもりはないらしく、納得顔でうなずいた。

南原なんばらさんに訊いてみたらどうですか?」

晩稲田おくてだの政経じゃなかったかい? すくなくとも理系ではなかったように思う」

「あ、そういう意味じゃなくて、入試制度とか……あのひと大卒ですよね?」

 そのときだった。

 裏口のドアがひらき、ひとりの女性が入ってきた。

 スーツにカバンを持った、ちょっと目つきの悪いアラサーの女性。

 私たちはアッとなる。

 和泉プロがまっさきに立ち上がった。

「な、南原プロ、おはようございます」

 南原プロ──私のなかでは、くわえタバコおばさん──は、カバンを置きながら、

「そのあわてぶり、女の子をつれこんでなにかしてたの?」

 とたずねた。

 和泉プロは事情を説明した。

 南原プロは、私のことを思い出したらしく、

「あら、あなた、将棋を指した子じゃない」

 と言った。

 全員の視線が集まる。

 マズいマズい。

「あ、はい、おひさしぶりです……」

 不破くんはポケットに手をつっこんで、

「あれ? 南原プロ、お知り合いですか?」

 とたずねた。

「2回ほど将棋を指してもらったの。ここで3回目のリベンジマッチかしら?」

 かんべんしてください。

 私はやんわりとことわりを入れる。

「私はコーヒーをいただいているだけで……」

「コーヒーを飲みながらでもいいわよ」

 すかさず和泉プロが助け舟を出してくれた。

「南原プロ、今日は研究会ですから、将棋はまたこんどでお願いします」

 あ、研究会で集まってるのか。

 さすがにそういうのは理解できる。将棋のプロも研究会はやっている。

 それからすぐに、4人目のプロが入ってきた。

 派手めのマッシュウルフでキメた、我の強そうな青年だった。

 このひともけっこうかっこいいわね……もしかして、南原さんが男を囲うための会?

 いや、そういう勘ぐりは失礼か。

 4人目の青年も私と粟田あわたさんの存在に気づいて、

「新しい女流の子ですか?」

 とたずねた。和泉プロは、

「いや、お客さんだよ……おふたりとも、すみません、今から研究会を始めますので、本日はここまでということで。またお越しください」

 と言い、私たちを店外に案内しようとした。

 すると、粟田さんは、

「あ、あの、サインをいただけますでしょうか?」

 と言い、学生手帳をとりだした。

 粟田さんは、和泉プロ以外からもサインをもらうことに成功した。

 おなじページに合計4人のサインがならぶ。

 私たちはそのあと、すぐにお店を出た。

 粟田さんは学生手帳を抱きしめて、

「うーん、今日ってすごくツイてる」

 とつぶやき、目を閉じてうっとりした。

 さいですか。

 推しとの思い出ができてうれしいんだろうな、というのはわかる。

 エスカレーターで下に降りるとき、粟田さんは、

「そういえば、南原プロと将棋を指したって、どういうこと?」

 とたずねてきた。

 私は新宿将棋大会のことだけを答えた。

 巣鴨すがもの将棋道場で遭遇した件はヒミツ。

「へぇ、南原プロ、将棋してるんだ。雑誌にも載ってない裏情報かも」

 そうかもしれない。

 いずれにせよ、私は今回の遭遇に、あまりいい気がしていなかった。

 つながりがあちこちにありすぎじゃない?

 ただの偶然とは思えないんだけど。

 ともかく、ショッピングモールの1階に到着。

 私は粟田さんとそこで別れた。

「じゃ、粟田さん、また来週のゼミで会いましょ。おつかれさま」

香子きょうこちゃんも、おつかれさま。またね」

 私はモノレールのほうへ移動した。

 改札を通って、ホームへあがる。

 そろそろ帰りのビジネスパーソンも増えてきた。

 私は今日一日のできごとを、順番に思い出す。

 大学生らしいことをしたなぁ、という気持ちが半分。

 もう半分は、聖生のえるの影がちらつくことに対する不安感。

 ま、ただの気のせいでしょ、と思っていたんだけど──

 

 そのアクシデントは、意外と早くおとずれた。

 講義に遅れそうになった私と穂積ほづみさんは、構内の裏道をとおっていた。

 林のあいだを進むと、サークル棟からショートカットできるのだ。

 完全なケモノ道ってわけでもない。地面が踏みしめられて、細い小道ができていた。私は三宅みやけ先輩から教えてもらったけど、そこそこ有名らしい。

「穂積さん、あんまり走ると危ないわよッ!」

「出席回数がギリなのッ!」

 それはふだんのおこないでしょ。

 林を抜けると、理学部棟の裏に出る。ボイラーや室外機が回っていて、そのそばに喫煙所が設けられていた。林から出た瞬間に事務員さんと出会って、気まずいイベントが起こる場所だ。とりま、背に腹は変えられないので……ん?

 みると、喫煙所のベンチにだれかが座っていた。

 白いダウンを着込んで、白いニット帽をかぶっていた。

 タバコを吸っているんだろうな、と思った。

 でも、なんだかようすが変だ。お腹を押さえて背を丸めている。

 私は足をとめて、ベンチのほうへ歩み寄った。

「あの、どうかしましたか……!」

 私は喫驚した──和泉プロだったからだ。

 うつむきかげんなうえにサングラスをかけていたから、気づかなかった。

 和泉プロは目を閉じて、ずっとお腹を押さえている。腹痛?

 穂積さんは大慌てで声をかけた。

「い、和泉プロ、なんでここに……急病ですかッ!?」

「だ、だいじょうぶです……気にしないでください……」

 いやいやいや、気にするでしょ。

 だいじょうぶそうにみえない。声がかなり苦しそうだ。

 私たちは、大学の保健センターへつれて行くと申し出た。

 和泉プロは拒否した。けど、もう本人の意思がどうこうじゃない。

 私は「そこにいてください」と言ってから駆け出した。穂積さんに留守番を任せる。

 さいわいなことに、保健センターは理学部棟のすぐむこうにあった。

 受付のひとに説明すると、すぐに年配の女性のお医者さんが出てきてくれた。

 私は現場に案内する。

 和泉プロの容体は悪くなっていて、穂積さんが肩をさすってあげていた。

 お医者さんも和泉プロのようすをみて、緊急事態だと判断したらしい。

「救急車を呼びましょう……あなたたちの友人?」

 私は「知り合い」という表現を使った。

 名前と、どこに連絡すればいいのかはわかる、とも答えた。

 お医者さんはスマホで救急車を呼び、私はその場で質問を受けた。

 和泉プロの名前と、立川たちかわに職場があること、あとは発見の経緯。

 救急車が到着した。和泉プロが乗せられる。

 すると、救急隊員さんのひとりが、

「どなたか、つきそわれますか?」

 とたずねた。

 穂積さんが名乗りをあげた。

「あたしがつきそいますッ!」

 私はおどろいて、

「え? 穂積さん、講義は?」

 とたずねた。

「麻雀界の一大事だわ。MINEで代返頼んどく」

 いやいや、ダメでしょ。

 それに身内じゃないんだから、出すぎたマネはよくない。

 ちょっと穂積さん……ああ、乗っちゃった。

 救急車は、そのまま走り去ってしまった。

 遠ざかるサイレンに重なって、チャイムが鳴る。

 私は心配になりながらも、教室へと急いだ。

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