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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第39章 麻雀荘ディジット(2016年11月23日水曜)
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239手目 優等生の意外な趣味

 その日、私はゼミの粟田あわたさんといっしょに、立川たちかわで遊んでいた。

 用事があって、というわけじゃなかった。ただ、将棋部のメンバーとばっかり行動しているのも、なんだか窮屈かな、と思ったのだ。すこしは交友関係をひろげないとね。粟田さんは上京組じゃないらしく、立川の地理に私よりもくわしかった。

 ショッピングをして、ランチを食べて、それから本屋さんに寄った。例のショッピングモールにある本屋さんだった。粟田さんは、

「私、近所の本屋でアルバイトしてるの」

 と教えてくれた。

 私は、先日の松平まつだいらとの会話を思い出して、ちょっぴりテンションダウン。

 アルバイトを変える──うーん、そうかんたんじゃないわよねえ。

 もちろん、ほかの学生の話を聞いていると、数週間でやめたとか、数日でやめたとか、そういうのもちらほら。でも、私はそういうことが性格的にダメなのと、もうひとつ重要な点があった。

 今ここでやめたら、宗像むなかたさんにかえってあやしまれるんじゃないか、ってこと。

 私は宗像さん=聖生のえる説は、あんまり信じていない。

 だけど、仮にそうだとしたら?

 宗像さんは、私たちの調査に気づいていることになる。

 そこでいきなりバイトをやめたら、かえって逆効果じゃないかしら。

 それとも、私が深読みしすぎなのか──

香子きょうこちゃん、どうしたの? 本がみつからない?」

 私はハッとなった。

 意識が本屋にもどる。

「な、なんでもない……いろんな本があるな、と思って」

 【経済学】というプレートの本棚。

 いろとりどりの背表紙。厚さもバラバラで、軽いタイトルから○○学というアカデミックなものまで、ひととおりそろっていた。

 粟田さんもうなずいて、

「これだけ本があると、ちょっと気が滅入っちゃうかも。まだ教科書くらいしか読めてないし……あ、香子ちゃんは、もっと読んでるかもだけど」

 と言った。

 私は首をふる。

「ううん、私も教科書と、あとは演習本くらいしかできてないわ」

「演習本っていいよね。じっさいに計算してみるのは、だいじだと思う。香子ちゃんは、なにを使ってるの?」

竹熊たけくま先生の『ミクロ経済学演習』」

「有名なやつだね。私は上鳥かみどり先生の『ミクロ経済学のパワー』」

帝大ていだいの若い先生だっけ?」

「そうそう。ゲーム理論で有名なひと」

 こういう本って、どうやって選べばいいのかしら。

 私は大学の生協で、一番多く平積みされていたものにした。

 ようするに、売れ筋で大外れはないでしょ、方式。

 粟田さんはタメ息をついて、

「1日やって1ページも進まないことがあるし、ちょっと不安になる」

 とつぶやいた。

「粟田さんならだいじょうぶよ。GPA、すごくいいんでしょ?」

「でも、GPAはただの数字だし……終わりがみえないまま勉強するのも苦痛……」

 まあ、それはそうよね。

 24時間勉強するわけにはいかないし、そうするために生きているわけでもない。

 粟田さんみたいな優等生でも、やっぱりそうなんだな、と思った。

「息抜きがだいじでしょ。粟田さんは、どういう息抜きをしてるの? 趣味は?」

 粟田さんは、すこしもじもじし始めた。

「じ、じつは、香子ちゃんに告白しないといけないことがあって……」

 なんですか? そのまえふりは?

 粟田さんは、なんだか恥ずかしそうなようすだった。顔が赤い。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………ちょっと待ってッ!

 あなたのことが好きなんです、って流れじゃないでしょうねッ!?

 わ、私は男が好きで、彼氏いるし……いる? 松平は彼氏?

 いや、ともかく、対応をまちがえないようにしないと、ご時世だし──

「わ、私……麻雀が趣味なの……」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………え? 麻雀?

「あ、粟田さん、麻雀が趣味なの?」

「う、うん……だから、香子ちゃんと打ってみたいな……って」

「え?」

「え?」

 おたがいに顔を見合わせる。

「香子ちゃん、麻雀打てるんだよね?」

「わ、私、麻雀はできないわよ」

「将棋はできるのに?」

 いや、それ関係ないでしょ。

「粟田さんだって、将棋はできないんじゃないの?」

「うん、だけど……今まで会った子は、将棋ができたらみんな麻雀もできたから……」

 それは単なる経験則じゃないですか。

 相関関係ですらないし。統計学。

 粟田さんはすこしがっかりしたみたいで、

「そっかぁ、香子ちゃん、麻雀できないのかぁ……今からおぼえない?」

 とさそってきた。

 おぼえません。あれだけは、とにかくやらないと決めた。

 おぼえた瞬間、めちゃくちゃ呼び出されそうな気配がするから。

「ごめんなさい、学業と将棋以外は、もう時間が……」

「あ、そうだよね……私も、もうひとつしてって言われたら、むずかしいし……」

 うーん、穂積ほづみさんが麻雀をやってるのはしっくりくるけど、粟田さんが麻雀をやってるのは、なんかイメージとちがった。偏見かしら。

 粟田さんはニガ笑いした。

「残念だなぁ。香子ちゃんが麻雀できたら、このあとディジットで打ちたいな、と思ってたんだけど」

 私はびっくりした。

「粟田さん、ディジットのこと知ってるの?」

「あれ? 香子ちゃんこそ知ってるの? 麻雀できないのに?」

 いかん、口がすべった。

「喫茶店でケーキを食べたの」

「あ、そうなんだ。おいしいよねぇ。今から、どう?」

 私は、本屋の時計を確認した──午後3時。ちょうどいい時間帯になっている。

 ただなあ、あの店はあの店で、なんか不穏なのよね。

 佐田さだ店長のこともあるし……とはいえ、それは言えないから、行くことにした。

 私たちは本屋を出る。のぼりのエスカレーターに乗った。

 飲食店街は、夕食どきまえだから、まだいていた。

 ディジットのほうへ足を運ぶ……ん? 閉まってるっぽい?

 CLOSEDの札がかけてあって、入り口にはチェーンが張られていた。

 奥のカウンターには、鉄格子タイプのシャッターも降りていた。

 よくみると【定休日】の札もあった。

 ふーん、水曜が定休日なんだ。

 さらに観察していると、もうひとつ張り紙があることに気づいた。

 スタッフの募集だった。

 粟田さんはそれを読みあげた。

「喫茶店フロア、麻雀フロア、随時募集中……か」

「応募するの?」

「ううん、私、麻雀は好きだけど、接客は苦手だから……」

 たしかに、好きなことを仕事にするイコール楽しい、じゃないわよね。

 穂積さんのほうが向いてそう。

 私がそんなことを考えていると、ふいに声をかけられた。

「応募者のかたですか?」

 ふりむくと、和泉いずみプロが立っていた。

 あまりに不意打ちだったから、私のほうはうまく反応できなかった。

 いっぽう、粟田さんは、

「い、和泉いずみりょうプロですか?」

 と、甲高い声でたずねた。

「はい」

「わ、私、大ファンで、ネネネネット対戦でも何回か打っていただいたことが……」

 と言いながら、学生手帳をとりだした。

「さ、サインしていただいても、いいですか?」

「ええ、けっこうですよ」

 和泉プロは、こういうことには慣れっこらしい。

 ちゃんとサインペンを携帯していた。

 すらすらとサインをする。

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます。宝物にします」

都ノみやこのの学生のかたなんですね」

 いかん、学生手帳とか見せるから……和泉プロは、私のほうにも視線をむけた。

「あなたも都ノのかたですか? 将棋道場でお見かけしましたね?」

 うわぁ、顔バレしてる。

 このひと、記憶力がいいタイプか。やっかいだ。

 和泉プロは、営業スマイルとはすこしちがう、やわらかい感じでほほえんだ。

「いかがですか、おふたりとも、雀荘でアルバイト、というのは?」

「すみません、私は麻雀ができないので……」

「当店では、入門講座も設けています。働きながら学べます」

 なんかよくわからないけど、勧誘されてる。

 どう答えたものか迷っていると、こんどはべつの少年があらわれた。

「涼さん、お客さんが困ってますよ」

 紺のジーンズに、白いジャケット。ロゴ入りのスポーツキャップ。

 ちょっと生意気っぽくて、それでいながらクールなまなざし。

 ふ、不破ふわくんだッ! 助かった。年下だけど、ここは助けてもらう。

「不破くん、こんにちは」

 私があいさつすると、和泉プロはすこしおどろいて、不破くんに、

あきら、知り合いなのか?」

 とたずねた。

 不破くんはポケットに手を入れたまま、

「親戚の子の先輩」

 と答えた。

 和泉プロは私のほうに向きなおって、

「そうでしたか。失礼しました。煌をお待ちだったんですね」

 と言って、謝った。

 いや、それはそれで誤解なんだけど。

 さすがに不破くんも、男女関係を疑われるといけないと思ったのか、

「ちがいますよ、待ち合わせてたわけじゃないです」

 と返した。

 和泉プロは、ますます混乱してしまったらしく、

「待ち合わせていない知り合い同士が、僕のお店のまえでばったり……?」

 と、くちびるにゆびをそえて、考え込んでしまった。

 うーん、和泉プロ、もしかしてちょっぴり天然さん?

 それはそれで、なんだかホッとする。

 伝聞のかぎり、機械みたいなひとかと思っていた。

 不破くんも笑って、

「和泉プロ、べつにそんなことで悩まなくていいんですよ。さ、入りましょ」

 と言った。

 どうやら待ち合わせていたのは、不破くんと和泉プロのようだった。

 和泉プロはポケットから鍵をとりだしながら、

「おふたりとも、お引き留めして失礼しました。おわびにコーヒーはいかがですか?」

 と誘ってきた。

 私ひとりなら、ことわるつもりだった。けど、さすがに粟田さんが乗ってしまった。

 正規の出入り口じゃなくて、お店の裏口から通される。

 目のまえに現れた雀荘じゃんそうとやらに、私はなんだか新鮮な感じがした。

 というか……変わってるわね。これが、麻雀専用のテーブル?

 青いプラスチック製のテーブルのうえに、緑色の布が貼ってあった。そこに、いくつかの切れ込みが入っている。中央には、サイコロの入ったケース。ボタンがあれこれ。

 どう使うのか、どう動くのかも見当がつかなかった。

「そちらの待ち合い席へ、どうぞ」

 私と粟田さんは、入り口近くのソファーに腰をおろした。

 和泉プロと不破くん(彼もプロだけど)は、スタッフルームに消えた。

 私がキョロキョロしていると、粟田さんが話しかけてきた。

「香子ちゃーん」

 ふりむくと、粟田さんはメガネの奥から、ジーッとこちらをみている。

「なに?」

「ほんとに麻雀できないの?」

「できないわよ」

「じゃあどうしてプロと面識があるの?」

 ん……疑われてるっぽい? 香子ちゃん、私としたくないからできないって言ってるのかなぁ、みたいな? マズいマズい。女の友情にヒビが。

「不破くんが言ってたように、彼の従姉妹いとこが同郷なの」

「和泉プロは?」

「あのひとは、私のバイト先の道場に、一回来たことがあるのよ」

 粟田さんは納得したらしく、うーんとうなって、

「将棋をすると麻雀プロと会える……将棋っていいかも」

 と言い出した。

 そうそう、どうですか、将棋なども。

 なーんてやりとりをしていると、和泉プロと不破くんがもどってきた。

 ふたりとも、コーヒー皿を両手に持っている。

 私たちはあわてて立ち上がって、

「手伝います」

 と言ったけど、和泉プロは、

「お客様ですから、どうぞ、おくつろぎください」

 と返した。

 コーヒーがテーブルにおかれる。

 私たちは恐縮してしまった。

 和泉プロと不破プロは、私たちの向かいのソファーに腰をおろす。

 私たちが気兼ねしないようにか、和泉プロたちはすぐにコーヒーを飲み始めた。

 まず、和泉プロが、

「おふたりとも、都ノの学生さんですよね?」

 と確認してきた。

 いやぁ……正直に言うしかないわよね。

「はい」

「お名前は?」

 私たちはそれぞれ自己紹介をした。これもごまかせない。

「大学生活は、いかがですか?」

 まあまあです、とお茶をにごしておく。

 和泉プロは、大学生活のことを根掘り葉掘り訊いてきた。

 学部はどこか、とか、どうしてその大学にしたのか、とか、いろいろ。

 私はさすがにちょっと気になって、

「あの……都ノにご関心があるんですか?」

 とたずねた。

 和泉プロは、さわやかな笑顔で答えた。

「ええ、じつはわけあって、都ノ大学のことを調べているんです」

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