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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第39章 麻雀荘ディジット(2016年11月23日水曜)
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238手目 納税者ランキング

「ん〜♪」

 私は鼻歌を歌いながら、窓拭きをする。

 こまの道場は、古いけれど清潔な感じがいい。

 こういうのって、バイトの私もしっかり守っていかないとね。

 テーブルのうえも拭かなきゃ。バケツの水を替える。

 

 ガチャ

 

 入り口のドアがひらいた。

 宗像むなかたさんかな、と思いきや──

「あッ……たちばな先輩、おはようございます」

「おはようございます」

 橘先輩は靴を脱いで、従業員用の靴箱へ入れた。

 それからコートを脱ぐ。

 そこから現れたファッションに、私はあぜんとしてしまった。

 なんというか……ふつうのファッションだったのだ。

 白いセーターに黒のパンツスタイル。ブランド物じゃなさそう……かな。

 とにかく、いつものメイド服じゃなかった。

 私がおどろいていると、橘先輩と目があった。

「どうかなさいましたか?」

「あ、いえ……すごく似合ってるな、と……」

 橘先輩は、すこし恥ずかしそうだった。

「ありがとうございます……雑巾がけをなさっているのですね。手伝いましょう」

 先輩は物置き部屋から雑巾を持ってきて、バケツに入れた。

 テーブルを順番に拭く。

 だれもいない道場にふたりきり。どう会話をしたものか迷った。

 まあ、べつにしなくてもいいというか、橘先輩と日常会話をすることって、あんまりないのよね。だから、黙っててもいいんだけど──そんなことを考えていると、橘先輩のほうから口をひらいた。

「このまえは、お見舞いに来ていただき、ありがとうございました」

「あ、いえ、こちらこそ……無事回復なさって、なによりです」

「これまでわたくしのほうで、裏見うらみさんにいろいろと失礼な態度があったかもしれませんが……謝りますので、よろしければ水に流していただけると助かります」

 ちょっと待って、なに、この豹変ひょうへんぶりは。

 かえって怖いんだけど。

 橘先輩は、まだなにか言いたいことがあるらしかった。

 顔を赤らめて、もじもじしている。

「あの……じつはわたくし、爽太そうたさんと婚約いたしました」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………ハッ! なにか言わなきゃ。

「あ、え、その……お、おめでとうございます」

「ありがとうございます。式と入籍は卒業後という約束なので、まだ気が早いのですが、裏見さんにはいろいろとお世話になりましたので、先に報告させていただきます」

 えぇ、ちょっと待ってぇ。

 このまえのごたごたは、けっきょくなんだったの?

 私と火村ほむらさんのがんばりは? いや、べつにがんばってなかったかもしれないけどさ。

 これはあれ? 夫婦喧嘩は犬も食わないってやつ?

 ハッピーエンドだから、まあいっか。

 私たちはそのあと、テキパキと準備を終えた。

 お茶を淹れたところで、宗像さんが1階のアクセサリー店から上がってくる。

「おはようございます……あら」

 宗像さんも、橘先輩の様変わりに、すこしばかりおどろいていた。

「イメージチェンジされたんですね」

「はい、少々」

 橘先輩は、婚約のことを伝えなかった。

 けど、宗像さんは、なんだか察したような気配だった。

「よくお似合いですよ。では、そろそろ開店の準備を」

 そのあとの道場は、なんというか、いたっていつもどおりだった。

 小・中学生のなかには、「えぇ、今日はメイド服じゃないの?」と、ちょっかいをかけてる子もいたけど、橘さんはうまくあしらっていた。いつもどおりに対局し、いつもどおりに片付けをして終わり。道場を出て階段をおりたときも、特別な感じはしなかった。

 橘先輩は白い息をはきながら、

「それでは、お先に失礼いたします」

 と言い、自転車でその場を去った。

 私は夜空を見あげる。星が綺麗だった。

「婚約か……」

「裏見、俺はいつでも準備がぐほぉ!?」

 いきなり出てくるな。

「なんで松平まつだいらがここにいるの?」

「いてて……迎えに来た」

「頼んでないでしょ」

 松平は両手を腰にあてて、タメ息をついた。

「そう言うなって。ちょっと話したいことがあってな」

「なに?」

 松平は道場の2階を見あげた。まだ灯りがついている。

「ここだと話しにくい。帰りながらにしよう」

 なによ、いきなり思わせぶりで……って、まさか本気で婚約とか言い出すんじゃないでしょうね。ダメダメ。私は先に釘を刺しておく。

「あのね、先走った行動は、高校のときの二の舞に……」

「ちがうちがう、そっち系の話じゃない」

 松平の言い方には、どことなく鬼気迫るものがあった。

「……わかった。アパートまで送ってちょうだい」

 私たちは自転車を押しながら、道場を離れる。

 しばらく進んだところで、松平はうしろをふりむいた。

 だれもいないことを確認してから、こう切り出してきた。

「あのあと、三宅みやけ先輩たちとすこし調べてみた」

「なにを?」

和泉いずみプロと聖生のえるとの関係だ」

 ……あ、言いにくいことって、そういう内容なのか。

 私も気になっていたから、ちょっと食いついてみる。

「で、どうだった?」

穂積ほづみの言うことは、半分は当たってたが、半分はまちがってた。まず、りゅうっていう麻雀プロがいることと、劉プロにまつわる噂話があることは、ほんとうだった。ネットでも有名らしい。匿名掲示板で、穂積と似たような話をしてるやつがいた」

「つまり……裏プロってこと?」

「それもあるし、株で当てたんじゃないか、っていう推測をしているやつもいた」

 なるほど、穂積さんのオリジナル情報ってわけじゃなかったのか。

「じゃあ、まちがってるほうは?」

「劉プロの羽振りがよくなったのは、実際にはバブルのまえなんだ」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………ん? どういうこと?

「つまり、バブル崩壊の空売りで儲けたわけじゃない、ってこと?」

「おそらく。これは重信しげのぶ先輩が見つけてくれたんだが、劉プロは、納税者ランキングに一度だけ載ったことがあるんだ」

「納税者ランキング? そんなの、どうやって調べたの?」

「80年代は個人情報っていう概念がなかったから、新聞に載ってた。しかも、総合ランキングだけじゃなくて、いろいろな基準でな。そのなかに【話題のひと】っていうランキングがあって、りゅう衛民えいみんの名前があった。1987年の納税額だ」

「いくら?」

「5000万」

 たっかッ! しかも当時の金額だから……えーと、わかんないけど、今の額で換算するともっと多いはず。

「ちなみに何位?」

「【話題のひと】ランキングでは4位だ……ただ、【タレント・俳優】ランキングだと、この額じゃ圏外なんだ。10位が6000万近かった」

 私はこの情報の意味を、よくよく考えてみた。

 でも、なかなか見えてこなかった。

「うーん……ようするに、お金持ちにはなれたけど、大金持ちになれたわけじゃない、ってこと? しかも、バブル景気のまえだから、聖生のえるとも関係ない?」

 松平は頭をかいて、

「っていうのが俺たちのほうの推理なんだが、裏見はどう思う?」

 と返してきた。

 私は考え込んでしまう。

「……風切かざぎり先輩には悪いけど、和泉プロは関係ないんじゃないかしら」

「俺も、その考えだ。杞憂きゆうだと思う」

 松平はそう言ったあと、すこし黙った。

 まだなにか言いたそう。

「ねぇ、なにか隠してない?」

「いや、隠してるわけじゃないんだが……ここからは、俺の個人的な意見になる。聖生のえるの行動について、裏見は違和感をおぼえないか?」

「違和感もなにも、最初から犯罪スレスレじゃない。最近はおとなしいけど……」

 松平は「そこだ」と言わんばかりに、ひとさしゆびを立てた。

「なんで急におとなしくなったと思う? 後期になってから、なりをひそめたよな?」

「そんなの、わかりようが……ッ!」

 私は内心で喫驚した。

 松平も、私の直感を察したらしく、先をつづけた。

「俺たちが疑ってる人物のなかに聖生のえるはいて、聖生のえるも俺たちから疑われていることにうすうす感づいている……そう思わないか?」

 私は、松平が道場から離れたがった理由を、ようやく理解した。

「つまり……宗像姉弟?」

「今のところ、俺たちの推理はぜんぶあのふたりを指してる。どっちが聖生のえるなのか、まではわからない。もしかすると、ふたりでひとりなのかもしれない。このまえの麻雀カフェの電話も、弟からだった可能性がある。やりとりがラフだった」

 そこは、私もすこし気になっていた。

 あの電話のあいては、かなり親しいひとだったはず。

 言い方からして、家族か友人。

「ようするに、松平は私のことを心配してくれてる、ってわけね」

 松平は、気まずそうな顔をした。

「まあ……その……ほんとは他人のバイト先に、口を挟むことじゃないと思うんだが……本音をいうと、あそこでバイトをするのはやめて欲しい……と思ってる」

 松平は、じっと私の目を見た。

 すこし申し訳なさそう。でも、ほんとうに心配してくれているようだ。

「……このまえも言ったように、私、宗像さんのほうはあんまり疑ってないのよね」

「そうか……」

「ただ、松平の心配もわかるわ。ちょっと考えてみる」

 松平は、オヤッという顔をした。

 こらこら。

「その顔、私がガンコだから意見変えないと思ってたでしょ?」

「いや、彼女の意志は尊重するつもりだったから、その……」

「あれ? 私と松平って、正式にそういう関係になったんだっけ?」

 私は自転車に飛び乗る。

 あわてて松平も、じぶんの自転車に飛び乗った。

「裏見ぃ、そんな殺生なッ!」

「手順はだいじって言ってるでしょうッ!」

 やんややんやと笑い合いながら、坂道をのぼる。

 橘先輩、朽木くちき先輩と婚約かぁ。

 私も松平との関係、ちょーっとだけ真剣に考えないといけないかな。

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