235手目 ピンチヒッター
というわけで、知り合いを紹介することになったわけですが──
「穂積さん、どう?」
夕方の部室で、私は穂積さんに話しかけた。
雑誌を読んでいた穂積さんは、顔をあげて、
「なにが?」
とたずねた。
さっきから説明してたじゃないですか。
「将棋道場のバイト。私の話、どこから聞いてなかったの?」
「ごめん、あたしを誘うと思ってなかっただけよ。話は聞いてた」
穂積さんは雑誌を閉じた。
表紙に、見なれない絵柄。
麻雀の雑誌っぽい。
穂積さんはそれをカバンにしまいつつ、
「っていうか、あたしでいいの? 将棋道場のバイトとか、したことないけど?」
と確認してきた。
「接客業のバイトはしたことある、って言ってなかった?」
「麻雀サロンのバイトは、ね」
ん、変わったところでバイトしてたのね。
将棋道場に似てるのかしら。行ったことがないから、わからなかった。
ただ、バイト経験があるのは助かる。
「私はそこの道場が初バイトだったし、穂積さんならだいじょうぶだと思うわよ」
「そっか……でも、なんであたしなの? ララに声かけて断られた?」
んー、そういうわけじゃないのよね。
対応力では、ララさんもかなりありそう。
ただ、宗像さんの道場の雰囲気とちょっとちがうかな、と感じる。
ララさんは、渋谷の有縁坂で働いているほうが似合っている。
「穂積さんが最初の声かけ」
「そっか……2週間だっけ?」
「くらい、かな。前任の橘さんがもどってくるまで、っていう条件」
「了解。大学から近いのは助かるし、時給もよさそうだからオッケーしちゃお」
○
。
.
こうして、穂積さんとの二人三脚バイトが始まった。
穂積さんは初日こそ戸惑ってたけど、2回目以降はテキパキしていた。
いつもよりちょっとおとなしいくらいかな、というイメージ。
あれですか、社会人モード?
お客さんは指せるあいてが変わって、ちょっと気分転換になったみたい。その証拠に、いつも来ている小学生たちは、穂積さんと指したがることが多かった。穂積さんもこどもの相手は苦にならないらしく、的確にあしらっていた。
こうして、代理のチョイスは成功──だったはずなんだけど、橘先輩が復帰する、という連絡が入った当日に、そのお客さんはやってきた。
「駒の音は、こちらですか?」
すらりとした好青年。肩まで伸びたうしろがみ。センター分けで、切れ長の目が特徴的なひとだった。年齢は……かなり若い。大学生、あるいはもしかすると高校生。うっすらと男性用の化粧をしている。ただ、アクセサリーのようなものはつけていなくて、服装もいたってふつうだった。ダークグレイのコートに、黒のスニーカー。ズボンは、すそから判断するかぎり、黒のストレッチ。
どこかで会った気がする。都ノの学生? 思い出せない。
宗像さんは、いつもどおりの接客をする。
道場を開けたばかりで、まだほかのお客さんは来ていなかった。
「はい、将棋道場、駒の音です」
「予約はしていないのですが……」
「予約は不要です」
「初心者ですが、インストラクションを受けられますか?」
ん、ちょっとむずかしい流れになってきた。
表情には出さなかったけど、宗像さんもすこし間をおいた。
「……指導対局は、やっていません。ルールはおぼえてらっしゃいますか?」
「駒の動かしかたがわかる程度です」
ほんとに初心者ね。
宗像さんが迷っていると、ふたたび入口のドアがひらいた。
厚着した穂積さんが顔を出す。
「おはようございまーす。すみません、バスが遅れちゃいました」
穂積さんが靴を脱ごうとしたとき、先客の青年と目があった。
穂積さんは数秒ほどみつめて、いきなり大声を出す。
「い、和泉プロ!」
いずみぷろ……?
私は、お客さんをもういちど観察した──ああッ!
麻雀大会に出場してたひとだッ! 既視感の原因はそれか。
宗像さんだけは事情を知らないから、
「穂積さん、お知り合いですか?」
とたずねた。
「え、えーと、知り合いというわけではなくて……ファンと言いますか……」
と、しどろもどろ。
和泉プロのほうが助け舟を出した。
「すみません、いちおうプライベートなので……インストラクションはなさっていないとのことで、承知しました。では、1回だけ指させてください」
宗像さんは、回数は決まっていないから何局でも、と答えた。
和泉プロは、これを不思議がった。
「規定回数ごとに精算ではないのですか?」
「いえ、そういうシステムではありません」
「そうですか……すこし忙しいので、1回でけっこうです」
「料金は変わらないのですが……」
「問題ありません」
和泉プロは、あっさりと1000円払った。
わりと太っ腹なのね。1回指すだけなのに1000円だなんて。
宗像さんは、私と穂積さんを見比べた。
穂積さんは先制攻撃で、
「あたしが指します」
と挙手。
これは私情が入ってるっぽい。ファンって言ってたし。
まあ、今日で穂積さんも最後だし、宗像さんもそう思ったのか、あっさり許容した。
「では、穂積さん、よろしくお願いします」
そのあと、和泉プロは1局だけ指した。飛車落ちで。
ほんとうに初心者だった。15分くらいで終了。
穂積さんはもうしわけなく思ったのか、それとも麻雀のプロと会話がしたかったのか、ずいぶんと熱心に感想戦をしていた。おかげで私のほうは、あとから来たお客さんのあいてにてんてこまい。約30分におよぶ感想戦が終了し、和泉プロはようやく腰をあげた。
穂積さんが和泉プロを拘束した、ってかたちじゃなければいいんだけど。最終日ということで、穂積さんにもサービスを、かな。そのあと、バイトは無事に終わった。宗像さんの評価も上々で、めでたしめでたし。
そして、翌日のお昼休み──
「香子、いるッ!?」
部室でサンドイッチを食べていたところへ、穂積さんが乱入した。
息を切らしている。ほかのメンバーもびっくり。
私はすこし心配して、
「ど、どうしたの?」
とたずねた。
「これよ、これッ!」
穂積さんはテーブルのうえに、カラフルなちらしをおいた。
「……雀荘ディジット?」
「雀荘。和泉プロのお店よ。次の土曜日、立川にオープンするんだって」
さいですか。私はあんまり関心を示さなかった。
ところが、パソコンで作業をしていた三宅先輩が、
「裏見、ついに麻雀はじめたのか?」
と訊いてきた。
ちがいますぅ。私は事情を説明した。
それを聞き終えた三宅先輩は、
「ん? それって偵察されたんじゃないのか?」
といぶかしんだ。
「偵察?」
「ボードゲーム同士だから、客層がかぶってないか、確認しに来たんじゃないか?」
……………………
……………………
…………………
………………あ、そういうことか。
穂積さんはその可能性に思い至っていたらしく、
「やっぱり先輩もそう思いますか?」
と言って、腕組みをした。ちょっと怒っているっぽい。
「プロとはいえ、許すまじ」
私は意外に思った。ファンだって言ってたのに。
穂積さん、法学部だけあって、正義感が強いのね。
そう思いきや、ぜんぜんちがっていた。
「偵察したなら、招待券くらい置いてってもらわないと」
だぁ、そういうオチか。
私はあきれてしまった。
穂積さんは、「土曜日、タダにしてもらえないかな?」と言い出した。
ムリでしょ、さすがに。
ところが、これに興味を示したひとがいた。
風切先輩だ。
風切先輩は奥のソファーで寝ていたけど、むくりと起き上がった。
「なんだ、新しい雀荘ができたのか?」
穂積さんは、
「ですです……先輩、行きます?」
と誘った。
「んー、初日だと満員御礼で入れないんじゃないか?」
「あッ……たしかに」
「まあいいや……おい、三宅、立川へ飲みにいくついでに、寄ってくか?」
三宅先輩は「いいぞ」と答えた。
だいじょうぶなんですかね、単位のほうは。
風切先輩は指折り数える。
「俺と穂積妹と三宅と……裏見は麻雀できないんだよな?」
「できません」
「松平は?」
「……できるって聞いたことはないです」
風切先輩は、結ったうしろ髪をなおした。
「重信はできないって言ってたな……ララは?」
テーブルに寝そべってスマホをポチポチしていたララさんは、顔もあげずに、
「おじいちゃんとパパはやってたけど、ララはできないよぉ」
と答えた。
風切先輩はタメ息をつく。
「星野と大谷は……ちょっとムリそうだな。将棋部なのに4人集まらないのか?」
麻雀部じゃないので。
とはいえ、将棋関係者って、けっこう麻雀ができるっぽいのよね。
あと大谷さんは、こっそりできてもおかしくない気がする。万能だし。
あんまり巻き込むともうしわけないから、口には出さなかった。
とりあえず、他大のひとに声をかければいいんじゃないですかね。
慶長の三和先輩とか。
私は話題から離脱、と思ったところで、穂積さんに話しかけられた。
「ねぇ、香子も見に行ったほうがいいんじゃない?」
「なにを?」
「ディジット」
「だから麻雀はできないってば」
「そうじゃなくて、見に行ったほうがいいんじゃない? 偵察ってやつ」
ん、どういうこと?
私は意味がわからなかった。
「ごめん、どういう意味?」
「和泉プロに偵察されたんだから、ライバル認定されてる可能性があるでしょ」
「駒の音が? 将棋と麻雀だから、ジャンルがちがうじゃない」
「それはそうだけど、和泉プロはデジタルの貴公子って呼ばれてるくらいだし、本気で客をとりにくるんじゃないかなぁ」
「デジタル……?」
パソコンに強いって意味かしら。
私が首をかしげていると、穂積さんは、
「あ、麻雀やってないと、デジタルって言ってもピンとこないか……合理主義者」
と言い換えた。
えぇ、そんなことあるかしら。
私は半信半疑のまま、サンドイッチを頬張った。
いくらなんでも、将棋道場を潰しにはこない……わよね?