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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第5章 香子ちゃん、アルバイトを始める(2016年4月18日月曜)
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23手目 メイド将棋指し、現る

 月曜日の夕方、私は買ったばかりの自転車で、高幡不動たかはたふどうを目指した。入学祝いに、おじいちゃんに買ってもらったものだ。東京だからあんまり使わないんじゃないかな、と思っていたら、交通費がバカにならないのと、意外に歩くことが多いので重宝している。東京出身の子に聞いたら、都会のほうが1日の歩数は多いらしい。車で移動しないから。

 自宅から野猿街道やえんかいどうに入って、そのまま日センのそばを通過。トンネルを抜けると、下りの坂道が続いていた。帰りはちょっと大変かな。ま、元陸上部の香子きょうこちゃんにかかれば、この程度の坂なんて、ちょちょいのちょい……っと、見えてきた。

 【将棋サロン こま】という看板がみえたところで、私は減速した。モノレール駅からは、少し離れた場所だった。自転車で来て、正解だったみたい。

 駐輪場は、建物と併設されていた。どんな道場かな、と思っていたら、3階建てのコンクリビルで、1階はアクセサリーショップ、2階は将棋道場になっていた。ずいぶんと変わった構造。それとも、ビルの所有者が別で、間借りしてるだけなのかしら。3階は、看板が出ていなかった。居住スペースっぽい。2階への階段は……どこ?

 道場の入り口が見当たらなかったので、とりあえず1階に入ってみた。すると、黒髪ロングの、爽やかな店員さんが出て来た。こういうお店だと、アクセサリで着飾ったひとが出て来がち。でも、この店員さんは、前掛けをしているだけで、その下に紺のジーンズがのぞいていた。サンダル履き。20歳くらいかな。さすがに年上だと思う。

「いらっしゃいませ」

「すみません。2階の将棋道場へ上がるには、どうすればいいんでしょうか?」

 お客さんじゃないから、イヤな顔をされるかな、と思いきや、お姉さんは笑って、

「それでしたら、こちらの階段をお上がりください」

 と教えてくれた。まさかの、アクセサリ店から直通。どうりで見つからないわけだ。

 私はお礼を言って、そのまま階段を上がった。高齢者向けなのか、ちゃんと手すりがついていた。上がりきると、右手のほうにドアが見えた。ノブを回して、なかを覗く。明かりのついていない空間が、目の前にひらけた。20人は入れそうなフロアだった。テーブルの上に盤とチェスクロ。出入り口の近くには、受付。壁には、【○段昇段おめでとう】みたいな紙が、たくさん貼られていた。全体として清潔な感じ。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 あれ? だれもいない……ことはなかった。

 奥のほうに、立ったまま背中を向けているひとがいた。メイド服だった。

 女性……よね? 疑問に思った瞬間、そのひとは振り返った。

「どちらさまですか?」

 ショートの、目付きの鋭い子だった。小顔で、前髪が眉間にスッとかかっている。

 年齢は、私と同じくらいに見えた。

「どちらさまですか?」

「え……あ、バイトの応募に来ました」

 私はそう答えて、うっかりしたと思った。だってこれ……メイド喫茶っぽくない?

 土御門つちみかど先輩の性格からして、変なバイト先を紹介された可能性が、なくもなかった。まさか、私もこの子みたいな格好で接客しないといけないとか? お客さんがいないのも、実は営業が夜だからとかで……絶対イヤ。

「すみません、店を間違えた気がします。またあとで……」

 そう言って引っ込もうとしたとき、うしろで足音が聞こえた。

 さっきの店員さんが、お盆にお茶を乗せて、階段を上がっていた。

「あら、どうなさりました?」

「お店を間違えたんじゃないかな、と……」

 店員さんはきょとんとして、

裏見うらみ香子きょうこさんでは、ないのですか? 土御門さんからご紹介いただいた?」

 ちょっと、先輩、なんで勝手に連絡入れてるんですかッ!?

 こ、これは帰りにくくなった。名前をごまかして帰ると、ドタキャンになる。

 私はしぶしぶ、道場に入った。

「どうぞ」

「お、おかまいなく」

 椅子に座った私は、お茶をごちそうになった。手をつける前に、確認。

「あの……店員さんは、どちらさまで?」

「あ、自己紹介が遅れました。駒の音サロンの席主せきぬし代理、宗像むなかたふぶきと申します」

 えぇッ! このひとが席主なのッ!?

 や、やっぱりここは、店員が女性ばかりの、いかがわしいお店なのでは。

 どぎまぎする私をよそに、話は進んだ。

「来ていただけて、たいへん光栄です。履歴書などは、お持ちですか?」

「いえ……あの……」

 私は、メイド服の女性を盗み見た。椅子に座らず、窓際に立っていた。

 そして、目が合った。

「私の顔に、なにか?」

 しゃべりかたも怖いなあ……私は、それがスタッフの正装なんですか、と尋ねた。

「ちがいます。これは私の普段着です」

 うっそ……メイド服が普段着とか、ナイでしょ、さすがに。

 私が唖然とするなか、宗像さんはお盆を胸に抱いて、

「こちらも、バイトに応募してくださったかたです」

 と教えてくれた。

「はじめまして、わたくしは、たちばな可憐かれんと申します」

 メイドさんは、そう言って自己紹介した。

 これ、私も自己紹介しないといけないのかしら。

「私は、うら……」

「裏見香子さん、ですね?」

「……なんでご存知なんですか?」

「わたくし、晩稲田おくてだの将棋部におりますもので」

 こ、このひと、大学生なんだ……いや、年齢的にはそうだろうけど……外見が……東京には変なひとがいっぱいいるって聞いてた通り……裏見香子、落ち着け……。

「よ、よろしくお願いします」

 お互いに自己紹介を終えたところで、宗像さんはにっこり微笑んだ。

「形式的には、履歴書を提出していただいてから面接なのですが、橘さんは私もよく存じ上げていますし、裏見さんは土御門さんのご紹介ですので、実質内定ということに……」

「お待ちください」

 橘さんが、いきなり割り込んだ。

「どうか、なさいましたか?」

「ぼっちゃまも、応募致します。応募者は2名ではなく3名です」

 ぼっちゃま? ……だれ? このひと、もしかして本物のメイドさん?

 困惑する私をおいて、会話は進んだ。

朽木くちきさんは、いらしていないようですが?」

「ぼっちゃまは、5限に講義が入っているため、まだいらしていません」

「そうでしたか……しかし、裏見さんのほうが早くいらしたので……」

「先着順とは、うかがっておりませんが?」

 うーん、ごねてるごねてる。

 宗像さんは、お盆を抱いたまま、

「困りましたね……内輪の募集でしたから、まさかバッティングするとは……」

 とつぶやいた。

「将棋の強い順から、ではいけませんか?」

 橘さんは、強い順に雇えと言い始めた。これには、私も反応せざるをえない。

「強い順って……指して決めるってことですか?」

「裏見さんは、なにかご不満でも?」

「不満っていうか……時間がかかりませんか? 3すくみになったときとか……」

 橘さんは、小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

「勘違いなさっているようですが、わたくしと裏見さんが指すだけです」

 はぁ? このひと、なに言ってんの。

「クチキって言うひとは? 無勝負で内定ですか? アンフェアですよね?」

「あなたは、ぼっちゃまに勝てない……これが将棋界の真理です」

 なーにが、真理よ。腹立たしいわね。

 ぼっちゃまかじっちゃまか知らないけど、ほんとは彼氏かなんかでしょ。

 H島高校竜王戦優勝の香子ちゃんを、舐めないでくださいな。

「あなた、そう断言できるほど強いんですか?」

「わたくしですか? ……強いですよ」

 ほほぉ、自称強者――これは受けて立たざるをえない。

「あ、あの、橘さん、裏見さん、もうすこし平和に話し合いを……」

「「将棋で決着をつけます」」

「……分かりました」

 私たちは、盤を挟んで座った。夕日が室内に差し込む。

「ルールは?」

「裏見さんの、お好きなように」

 完全に格下扱いね。腹立たしいけど、ここは冷静に考える。はったりでないなら、この子は有段者のはずだ。級位者で、自分が強いということは滅多にない。それに、宗像さんが、彼女のことを知っているのも気になった。

「……15分30秒で」

「無難なチョイスです」

 大事な勝負だから、30分60秒でもいいんだけど、時間がかかり過ぎる。

 それに、一発勝負なら、どのみち水物だ。

「では、わたくしが振り駒を」

 橘さんが振り駒をして、表が4枚。先手を引いた。

 後手番の私は、チェスクロを右に置かせてもらう。

「それでは、宗像さん、立会人をよろしくお願いいたします」

「は、はぁ……」

 橘さんのひとことで、対局が始まった。

「よろしくお願いします」

 私はチェスクロを押す。橘さんは、7六歩と突いた。

「8四歩」


挿絵(By みてみん)


 居飛車を選択。さっきの会話からして、棋風がバレているのかもしれない。

 だったら、得意な戦法へ誘わせてもらう。相手が振り飛車党でも、8四歩が損になることはない。早石田はやいしだなんかの奇襲も封じられる。得だと思った。

 その一手をみて、橘さんは10秒ほど考え、6八銀と上がった。矢倉だ。

 お互いに居飛車党と分かってからは、指し手が速かった。

 3四歩、6六歩、6二銀、5六歩、5四歩、4八銀、4二銀、5八金右。

 早囲いの兆候もないわね。

 3二金、7八金、4一玉、6九玉、7四歩、6七金右、5二金。

 矢倉急戦も一瞬考えたけど、私は放棄した。

 ここまでの指し手、スピード、ためらいのなさに、相手の実力を感じたからだ。

「7七銀」

「3三銀」

 7九角、3一角、3六歩、4四歩。

 24手組は終わって、分岐点に入った。

「なるほど、裏見さんも、なかなかやられるようですね……3七銀です」


挿絵(By みてみん)


 一番オーソドックスな、3七銀。

 どうやらこのメイドさん、がっぷり四つで押し切る自信があるらしい。

 それなら、私も小細工なしで押し切る。

「6四角」

 6八角、4三金右、7九玉、3一玉、8八玉、2二玉。

「1六歩」

 橘さんは、端歩を突いた。突き返すのもありだけど……ここは構想力をみせる。

「8五歩」


挿絵(By みてみん)


「ほぉ……森内流ではないわけですか……2六歩です」

 私は30秒ほど確認してから、7三銀と上がった。

 高校生のときに流行っていた、5三銀からの総矢倉模様を拒否。

 ここで先手は、4六銀と上がるか、4六角と上がるか。

 橘さんは、初めて小考した。

「……4六銀」

 銀上がりを選択。私も、こっちを本線で読んでいた。

 私は7五歩と突いて、同歩に4五歩、3七銀と下がらせてから、8四銀と出た。


挿絵(By みてみん)


「7五銀〜8六歩から、玉頭で総交換ですか。受けて立ちましょう」

 橘さんは、7四歩と伸ばした。私は7五銀とすり込む。

「2五歩」

 ずいぶんと悠長……いや、最善か。他に動かす駒がない。

 私は、1分使って攻め筋を確認。

「8六歩ッ!」

 開戦――同銀、同銀、同歩、同角、同角、同飛。

「8七歩」

「8二飛」

 私がチェスクロを押した途端、橘さんは7四の歩に手を添えた。

「まさか、これを見落としではありませんよね? 7三歩成」

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