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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第38章 聖生の濡れ衣?(2016年11月1日火曜)
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231手目 内縁の妻

 将棋サロン『こま』の洗い場。

 コップを洗いながら、私はぼんやりと考えごとをしていた。


 たちばな先輩が朽木くちき先輩に仕えているのは、保険金狙い

  ↓

 ふだん忠実なのは、朽木先輩が不審死しても疑われないようにするため

  ↓

 そろそろ実行に移そうと思っている


 うーん、昼ドラみたいな展開を妄想してもなぁ。

 そもそも、状況証拠すらないのよね。あるのは検索履歴だけ。あんなの証拠でもなんでもない。それに、松平まつだいらがだいじなことを指摘してくれた。それは、太宰だざいくんの自作自演なんじゃないか、ってこと。そっちのほうが保険金殺人よりもよっぽどありそうだ。あの生命保険のパンフレットだって、アパートから持って来たなんて嘘よ。捨てるなら、家のゴミ袋に入れたらいいだけ。大学に持って来る必要がないもの。

 太宰くんは、私たちからなにか情報を引き出したかった?

 それとも……太宰くんが聖生のえる

 ううん、よくわからない。大谷おおたにさんのいうように、もう宗像むなかたくんが本命になってきていると思う。ほかのひとを疑うのは、時間のムダだ。そもそも証拠がない。

裏見うらみさーん?」

 うわッ!? 私はびっくりして、コップを落としてしまった。

 洗い場で、カランという陶器の音がした。私はあわてて確かめる。

 割れては……いないわね。よかった。

 宗像さんはすこしおどろいて、

「あ、すいません、いきなり声をかけてしまいまして」

 と謝った。

 私はコップの水を切って、籠に入れた。

「なんでしょうか?」

「クリスマスシーズンに、シフトを入れていただけますか?」

 あ、うーん……私は返答に迷った。

 断るのは確定なんだけど、理由をどうしましょ。

「すみません、その日はちょっと用事が……」

 私は理由を告げないことにした。

 松平とデートするにせよ、王座戦を観に行くにせよ、宗像さんに伝える必要はない。

 とくに後者は、宗像さんに反応される可能性があった。

 ちょっと失礼かな、と思ったけど、宗像さんはにっこりと笑って、

「そうですよね。空いてないですよね。こちらこそ失礼しました」

 と言い、話はそれっきりになった。


  ○

   。

    .


 というわけで、この件はなかったことに──したかったわけなのですが。

 話をむしかえされたのは、その週の土曜日だった。

 新宿でララさん、火村ほむらさんと遊んで、有縁坂うえんざかでコーヒータイム。

 今回は店の一番奥、窓ぎわのいい席がとれた。

 壁の抽象画を横目に、渋谷の交差点をみおろす。んー、上京してるって感じ。

 火村さんはいつものように、トマトジュースをチューチューしていた。

 グラスのなかの赤い液体が、ストローを通ってくちびるに消えていく。

「毎回おなじもの頼んでない?」

 私の質問に、火村さんは、

「これが一番おいしいのよ」

 と返した。

 ほかのドリンクと比べたことがないのに、一番とは。

 それとも、私の知らないところで、メニューをあらかたチェック済みなのかしら。

 そんなことを考えていると、左どなりのララさんが、

香子きょうこだって、ブレンドコーヒーが多くない?」

 と、つっこみを入れてきた。

 うーん、そう言われると、そうかも。

「オリジナルブレンドって、お店のひとのオススメってことでしょ。味が毎回ちょっとずつ違う気がするし、これでいいかな、って」

 今日は、前回よりもすこしコクがあるような気がした。たぶん。

「へぇ、香子、コーヒーの味のちがいがわかるんだ。やるね。ララはさっぱり」

「地元にある喫茶店が、わりと凝ってたのよ。ララさんは、あんまり飲まないの?」

「ブラジルだと、エスプレッソに砂糖をいっぱい入れて飲むんだよ。だから、香子が飲んでるみたいなやつって、ちょっと苦いかな、とか、ちょっと濃いいかな、とか、そういうことくらいしかわかんない。キライじゃないけどね」

 へぇ、そうなんだ。

 そういえば、暑い地域は砂糖をたくさん消費するって聞いたわね。

 どの講義だったかしら。そういう雑学みたいなのは、なんとなく覚えてしまう。

「ララさんはいろいろ頼んでるわよね。なにが一番好き?」

 ララさんは、ホットキャラメルミルクのグラスを持ったまま、

「うーん、ここのお店はなんでもおいしいかなぁ」

 と、あいまいな返事。

「店員さん的な回答?」

「ちがうよぉ。ララはもともと好き嫌いないしぃ」

 ふむ、まあそういうタイプかな、という気はする。

「ちなみに、これって佐田さだ店長がメニューを作ってるの?」

「ううん、工藤くどうさん」

 『白熱列島』で挨拶してたひとか。

 どうも、彼女が仕切ってるっぽいのよね。カウンターにいつも立ってるし。

 私がカウンターのほうを向きかけた瞬間、ララさんがもういちど話しかけてきた。

「ところでさ、香子、今日ちょっと暗くない?」

「え……? そんなことないわよ?」

「ほんと? なんか考えごとしてる気がするんだけど?」

 嘘をついたつもりはなかった。

 例の件は、さっきまですっかり忘れていた。

 ただ、無意識に出ちゃったのかな、という気も。

「ま、学業とか、いろいろね」

 ララさんはグラスをかたむけながら、目を細めて、

「ほんとかなぁ……カミーユは、どう思う?」

 とたずねた。

 対面の火村さんは、窓のそとをみていたらしい。

 ふりかえって、

「ん? なにが?」

 と、たずねかえした。

「香子、ちょっと暗くな〜い? って話」

「あれじゃない、えーと、なんて言うんだっけ……カレピ?」

 ララさんはパチリと指をはじいた。

「それ」

 あのさぁ、このメンバーは他人のプライバシーにあれこれと。

 あきれてしまう。

「香子ぉ、カレピッピの話をするのだぁ」

「はいはい、ララさん、ここはそういうお店じゃないでしょ」

 私が軽くあしらっていると、火村さんが口をはさんだ。

「あたしはだれがだれと付き合ってるとか、興味ないんだけど、橘は気になるのよね」

 私とララさんは、きょとんとなる。

 ララさんは、

「タチバナ……? あ、晩稲田おくてだのメイドさん? カミーユ、lésbicaだったの?」

 と言い、テーブルに身を乗り出した。

 火村さんは右手でララさんを押しとどめる。その目は真剣だった。

「そういう意味じゃなくて、あいつ、朽木とつきあってないの?」

「クチキ? ……香子、クチキってだれだっけ?」

「晩稲田の主将よ。おかっぱ頭で、つぎはぎのあるスーツを着たひと」

「ああ、あのひとか……で、カミーユ、そのふたりがなんで気になるの?」

「あのふたり、同棲してるんでしょ? それでつきあってないって、おかしくない?」

 だから、それは他人のプライバシーなわけで──ん?

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 私はなんとなく、不安な気持ちになった。

 ララさんは、横合いから私の顔をのぞきこむ。

「ほら、やっぱり暗い顔してる。どうしたの?」

「あ、えっと……同棲してるのにつきあってないのって、たしかに変だな、と……」

「そうかな? 男女でルームシェアしてるだけでしょ?」

 それはララさんの感覚だと思う。

 日本だと、同性でルームシェアをすることはあっても、異性では少ない気がする。

 まったく恋愛関係じゃないのにルームシェアをしてる、っていうのは、とくに。

 火村さんも、私とおなじところに引っかかっているらしく、

「同棲してる理由が、ほかにある気がするのよね」

 と言った。

 私はすこし考えを整理しつつ、

「むかしは専属メイドだったから……かしら」

 と答えた。

 ところが、火村さんはまったく納得せずに、

「その時点で変じゃない? メイドってただの契約関係でしょ。契約先が潰れたら、ふつうは乗り換えるわよね。なんでボランティアみたいなことしないといけないの? しかも同居までして? なにか特別な理由があるんじゃない?」

 と、矢継ぎ早に質問をとばしてきた。

 私はコーヒーカップに手をかけ、それからまた離した。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………マズいわね。

 私のなかで、保険金の話が蒸し返されている。

 同棲する理由は? 保険金を受け取るとき、疑われないようにするため。

 サスペンスドラマなら、そういう設定になるだろう。

 でも、さすがに連想ゲームだ。

 私はこの話題を打ち切りたくなった。

 そして、そのタイミングを見計らったかのように、テーブルに影が差した。

 見上げると、メガネをかけた爽やか系の青年──慶長けいちょう児玉こだま先輩が立っていた。

「やあ、3人そろって深刻な顔してるけど、どうしたの?」

 私たちはおたがいに目配せしあった。

 火村さんが対応する。

「女子会に首をつっこむのは、ちょっと失礼なんじゃない?」

「ハハハ、ごめんごめん。でも、朽木くんと橘さんの話をここでするのも、どうなの?」

 これは一本とられた。火村さんも返答に窮する。

 というか、ぜんぶ聞かれてたっぽい。最悪。

 どこに座ってたのかしら。入店したときは気づかなかった。

 火村さんは、すこしツンとして、

「同棲なんてめずらしいわね、って話をしてただけよ」

 と言い、ごまかすようにトマトジュースを飲んだ。

 児玉先輩は、急にしたり顔になった。

「それはアレじゃないかな、保険金の同居要件でしょ……ん? どうしたの?」

 児玉先輩は、私の顔をみた。私は動揺して、

「あ、いえ……急に保険の話になったので……」

 と、うやむやに返した。

 児玉先輩は笑って、先をつづけた。

「ごめん、話が飛躍しちゃったね。生命保険の受取人には、制限があるんだよ。具体的には、配偶者か2親等以内の血族。妻とか両親とか子どもとか、そういうひとしか受取人にはなれないんだ。保険金詐欺の防止が目的。でも例外的に、同居してる異性のパートナーにはかけられる。内縁関係ってやつ。あのふたりのどっちかが生命保険に入って、どっちかが受取人に指定されてるんじゃないか、というのが僕の読み」

 どんぴしゃすぎる。

 児玉先輩の推理力に、私はびっくりしてしまった。

「裏見さん、どうかしたの? 僕の説明、なにかまちがってた?」

「いえ……私は経済学部なので、勉強になるな、と……」

「ハハハ、リップサービスと受け取っておくよ。それじゃ、邪魔して悪かったね」

 児玉先輩はそう言って、カウンターへ移動した。

 工藤さんになにかを注文している。

 先輩がジョークを言ったのか、工藤さんは愛想笑い。

 その談笑風景が、私にはとても不穏なものに感じられた。

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