230手目 不穏な検索窓
翌日、ランチタイムのキャンパス。
私と松平は、喫茶店の片隅でひそひそ話。
松平は本気で困った表情を浮かべつつ、
「その……クリスマスデートはキャンセル……ってことか?」
と、小声でたずねてきた。
私も小声で返す。
「部で王座戦観戦ならどうしようかしら……ってだけで、お願いはしてないわ」
松平は右腕をテーブルに乗せて、目を閉じた。
「この話題の時点で、お願いになってると思うんだが……」
うーん……それは否定できないのよね。
私は食後のコーヒーを、マドラーで掻き混ぜる。
どう返したものか。悩む。
そもそも、大谷さんに付き合う義理があるのかどうか、そこも分からない。
「……そうね、私の意志があいまいなのに切り出したのは、よくなかったわ。ごめん」
「いや、謝らなくてもいい。部で行くことになった場合、どうするか事前に考えておいたほうがいいな。同伴するにせよ、抜けるにせよ」
たしかに、まだ1ヶ月あるのは、むしろ助かったかも。
とりあえず、ララさんと大谷さんは、行くことが決まっている。
三宅先輩も、部長として偵察する必要があるな、とか言いそう。
穂積兄妹はわからない。星野くんは微妙かな。
風切先輩は……どうだろう、選挙の結果次第な気もする。
会長に選出されたら、行かないといけないんじゃないかなぁ。
私がそんなことを考えていると、スマホの振動音が聞こえた。
テーブルに放ってある、松平のスマホだった。
画面をみた松平は、眉間にしわをよせた。
「太宰から電話……?」
松平は、私のほうを見た。
どうぞ、と私は手で合図する。
「もしもし……ああ、松平だ。今か? まあ、ちょっとなら……」
太宰くんの話を、松平は黙って聞いていた。
だんだん表情が険しくなる。
「聖生が晩稲田に現れた……? ちょっと待て、どういう意味だ?」
○
。
.
夕方、私たちは晩稲田のT山キャンパスに到着した。
太宰くんの電話から5時間後。ふたりとも講義があったのだ。
あたりは暗くなりかけていた。
ゲートから出てくる学生も、すでにまばらになっていた。
敷地内の建物は、コンクリート造りのザ・校舎というイメージ。
正門のところでMINEを入れると、太宰くんはすぐにあらわれた。
いつものハンチング帽に、ベージュのチェスターコート。
下はカーキのテーパードパンツで、ずいぶんおしゃれ。
「ごめんごめん、いきなり呼び出しちゃって」
松平はスマホをしまいながら、
「聖生が晩稲田にあらわれたって、どういうことだ?」
とたずねた。太宰くんは「シーッ」と言って、警備員さんをチラ見した。
「とりあえず、部室へ行こうか」
私たちは、学生会館のエレベーターをのぼり、5階へ。
降りるときに学生とすれちがって、ちょっぴり緊張してしまう。
部室は、右手→右手と進んで、わりと奥まったところにあった。
太宰くんは鍵を開ける。
松平は、
「俺たちが部室に入っていいのか?」
と、心配そうにたずねた。太宰くんは、
「ぜんぜん問題ないよ。王座戦の利害関係もないし」
と言いながら、ドアを開けた。
ごちゃごちゃとした和室が、目のまえにひらけた。
王座戦の準備なのか、それともこれが平常運転なのか、棋譜が散らばっていた。
太宰くんは、いきなり部室の鍵を閉めた。
松平といっしょじゃなかったら、声をあげててもおかしくないシチュエーション。
太宰くんはそのまま、窓ぎわのパソコンに歩み寄った。
エンターキーを押す。スクリーンセイバーが解除された。
ブラウザが立ち上げられていた。
「これなんだけど……」
太宰くんは、デフォルトの検索窓に【事故】と打ち込んだ。
事故死 自殺扱い
事故死 警察 調査
事故死 保険金
事故死 みせかける
……………………
……………………
…………………
………………え、なにこれ。
私はゾクリとしたものを感じた。
いっぽう、太宰くんは冷静に、
「どう思う?」
と、感想を求めてきた。
松平はちょっとイヤそうな顔をして、
「いや、どうって……正直、見なかったことにしたいレベルなんだが……」
と答えた。
ほんとそれ。
だってこれ、保険金殺人について調べてたひとがいるってことでしょ。
どういう意図なのか知らないけど、あんまり触れたくなかった。
それに、内容が衝撃的だったから反応が遅れたけど、これって──
「聖生と関係なくないか?」
松平のひとことに、太宰くんもうなずいた。
「うん、そうだね。これだけじゃあ、単なる晩稲田のちょっと怖い話だ。でも……」
太宰くんは【聖生】と入れた。
聖生 事故死 みせかける
聖生 死亡説
聖生 死亡
聖生 行方不明
……………………
……………………
…………………
………………私は、松平と視線を合わせた。
松平も意味がよくわからなかったらしい。
「これが、どうかしたのか?」
太宰くんは「なにか気づかない?」と質問で返した。
松平はパソコンの画面を凝視する。
「……一番上が、さっきのやつとかぶってるな」
太宰くんはパチリとゆびを鳴らした。
「正解。途中で検索ワードを変えるとき、前のやつを消し忘れたんだよ」
「……一応納得のいく解釈だな。この検索履歴は降順か?」
「降順だね。上のほうほど新しい」
松平は画面からはなれて、じっと考え込んだ。
「……つまり、聖生→事故死と検索ワードを変えたわけか。しかし、聖生とどういう関係があるんだ? むしろ検索者は聖生じゃないってことだろ?」
太宰くんもうなずく。
「かもね。ちょっとふたりの推理を聞いてみたいかな、と」
「太宰から披露するのが、筋だと思うがな」
太宰くんは肩をすくめた。
「たしかに……じゃあ、僕から。これって保険金殺人の準備じゃない?」
ズバリ危ない観点から攻めてきた。
太宰くんらしいと言えば、らしいんだけど。
松平はびみょうな顔をする。
「まあ……そう読めなくはないよな」
「聖生が戻ってきたのをいいことに、だれかを殺害して、聖生に濡れ衣を押し付ける。そういうパターンだよね。すくなくとも、一番最初に思い浮かぶシナリオだ」
うーん、考えたくないけど、もっともらしいシナリオだ。
太宰くんは、もういちど私たちにたずねた。
「で、松平くんと裏見さんの推理は?」
松平はしばらく逡巡して、
「リアルでやるために検索してる、ってわけじゃないと思うがな」
と、穏当なことを答えた。
「たしかに、検索ワードで【自殺】を調べたから自殺する予定になってる、ってわけじゃないよね。大学の課題とか、それ以外の調べ物もあるし……裏見さんは?」
「私も松平に同意よ。【聖生】の検索と【事故死】の検索は、関係ないんじゃない?」
太宰くんは黙ってしまった。
ほんとうにそれでいいの?という顔をしている。
ここは飲まれないことが肝心。私は念入りに、
「とりあえず、部外の私たちがどうこういう問題じゃないと思う」
とコメントしておいた。
松平はさらにべつの理由づけをする。
「それに、犯罪の検索を部のパソコンじゃやらないだろ。せめて履歴は消すはずだ」
「あ、そこはちょっと違うんだよね。履歴は消してあったんだ」
松平は眉をひそめた。
「消してあった……? どういう意味だ?」
「そこは理系の松平くんのほうが、詳しいんじゃないかな?」
「……リカバリ用の拡張機能か?」
「ま、そのへんは想像にお任せするよ」
「いや、待て、呼び出しておいてそれは……」
そのときだった。ガチャガチャと、ドアを開けようとする音が聞こえた。
さらに、男の声がする。
「おかしいな……鍵は借り出されていたはずだが……」
朽木先輩だッ!
私と松平はあわてた。ところが、当の太宰くんは冷静で、
「あ、主将、すぐ開けます」
と言って、解錠した。
ドアがひらき、朽木先輩があらわれる。
「どうしたのだ? なにか……ん」
朽木先輩は、私たちの存在に気づいた。
「きみたちは……裏見くんと松平くんか。部になにか用かな?」
太宰くんが、すぐさまフォローを入れた。
「都ノも王座戦に興味があるそうなので、会場とかルートを説明していました」
いや、さすがにその言いわけは苦しくない?
っていうか、パソコンが立ち上がりっぱなしなわけで。
朽木先輩もそれに気づいて、視線を走らせた。
「……路線検索か」
え? 私がふりかえると、パソコンには路線検索サイトが出ていた。
しかも東京−M重間のものが。
あ、あらかじめ準備してあったってこと? さすがすぎるというか、かえって怖い。
朽木先輩は納得したらしく、話題を変えた。
「都ノも来てくれるのなら、関東は応援団がいて助かる」
私はちょっと口ごもって、
「あ、えーとですね……まだ本決まりというわけでは……」
とあいまいに返答した。
決まってないのは事実だし、嘘は言っていない。
「そうか、年末の宿は埋まりやすい。決めるなら早めに……ん」
朽木先輩は、パソコンのキャスターに目をとめた。
そこには、生命保険のパンフレットがあった。
私は心臓が止まりかけた。だれの? まさか犯人の置き忘れ?
「これは……きみたちのものか?」
いいえ、と答えかけた瞬間、太宰くんが、
「あ、僕のです。アパートの郵便受けに入ってたんで、捨てようかな、と」
と答えた。
朽木先輩は腕組みをして、
「そうか。保険選びに絶対の正解はないが、明確に残すあいてがいないなら、生命保険はやめておいてほうがいいだろう。インデックス投資でもしたほうがいい」
と言った。
さすがは証券会社の元おぼっちゃん、という感じのコメント。
太宰くんは、さも感心したようにうなずいた。
「さすがは主将、お詳しいですね。生命保険には入ってらっしゃらない、と」
「いや、僕は入っている」
朽木先輩は、あっさりと答えた。
太宰くんは、「あ、そうなんですか」と言ってから、
「もしかして……橘先輩が受取人だったりします?」
とたずねた。
朽木先輩は、すこし感慨深げに目を閉じた。
「ほんとうは給料を払わないといけないのだが、今はこのありさまだ。出世払いしないまま僕が死んだら、申しわけないと思ってな……可憐にはナイショにしておいてくれ。可憐は、じぶんが受取人だと知らないのだ」