三和遍の好奇心
※今回は三和さん視点です。
あとかたづけも終わり、フロアは閑散としていた。
八千代ちゃんは会議室のドアを閉めて、鍵をかけた。
ノブをガチャガチャやる。
「会長、施錠完了です」
入江は窓のほうを確認しながら、
「おつかれさま。先に鍵を返しておいて。僕は忘れ物がないかチェックする」
と指示した。
「承知しました」
八千代ちゃんはエレベーターに消えた。
ソファーに座っていた私は、ひとこと、
「おつかれさん……で、けっきょく、なにがしたかったの?」
とたずねた。
入江は、エレベーターそばのゴミ箱をのぞきこみ、
「その質問の意図は?」
と返した。
「あの茶番はなんだったのかな、って」
「臨時役員会を言い出したのは、三和くんだろう」
「もっとまえの段階の話だよ。そもそもさ、今日の臨時役員会で私が、『今すぐここで指名しろ』って言い出したら、どうするつもりだったの?」
「そう言う予定だったのかい?」
「半分くらいは……すくなくとも、今日中に解決するつもりではあった」
入江はゴミ箱のふたを開けた。
透明なふくろをひっぱりだして、縛りあげる。
「手伝おうか?」
「いや、ふたりでやるほどの作業じゃないよ」
ここの公民館って、わりとルールがきびしいんだよね。
ゴミはじぶんたちで処理しないといけない。
家庭ゴミを捨てるひとが出るから、しょうがないか。
「今日中に決めろと言われたら、速水くんを指名するつもりだった」
ほぉん。私はソファーに座ったまま、身を乗り出す。
「もこっちだったんだ」
「あんまり意外そうじゃないね」
「まあね……サッチーって知ってる?」
私のとうとつな質問に、入江は顔をあげた。
「……むかしの航空アテンダントの呼び方?」
「そうだっけ? そっちはよくわかんないや。野村克也は?」
「ノムラカツヤ……人名かな? 知らない」
「むかしの野球選手。まあ知らないか。監督も辞めてるし」
「三和くんは、野球にくわしいのか。初耳だな」
「ちがうよ。伝記本みたいなのでたまたま読んだ」
勝負師列伝みたいなの、わりと好きなんだよね。
野球そのものじゃなくて、人物に関心がある。
「そのノムラという野球選手が、どうかしたのか?」
「奥さんの尻に敷かれてて、球団と揉めてたエピソードを思い出した。奥さんがチームの人事なんかに口出ししてたんだってさ。本人は否定してるけどね」
入江はびみょうな顔で笑った。
「僕が朽木くんを指名しないことへの、あてつけかい?」
「いや、だってそうでしょ。爽太が不適任な理由をあげろって言われたら、そこしかないんだし。けっきょくさ、可憐は爽太の足を引っ張ってるじゃん。専属メイドだったかなんだか知らないけど、爽太もじつは迷惑してるんじゃないの」
入江はもうひとつのゴミ箱を調べながら、
「それはちょっとまちがってるな」
と答えた。
私は、どこがまちがってるのかたずねた。
「ああいう関係は、男性からみるとすこしうらやましいところがある」
私はタメ息をついた。
「そういうジェンダーに逃げる弁明、好きじゃないんだけど」
「ハハハ、冗談だ。三和くんがまちがってるのは、僕の指名理由だよ」
「指名理由? 可憐がトラブルを起こしそうだから、じゃないってこと?」
入江は、「三和くんになら言ってもいいかな」とわざわざ前置きして、
「聖生だよ」
と答えた。
私はすべてを察した。
「……もこっちを会長にして、調査させる気?」
「調査、というのは人聞きが悪いな。聖生が30年ぶりに現れたのなら、対応できそうなひとを会長にしておくのが筋だろう。それだけのことだ」
なるほどね、もこっちは警察とコネがある。
いざとなったら手を回してくれるかもしれない。
でも、私はちょっと疑問に思った。
「だったら最初から、もこっちにしておけばよかったじゃん?」
「……」
返事なし、と。
ここからはじぶんで推理しろってことか。
私はソファーにもたれかかって、腕組みをした。
……………………
……………………
…………………
………………ああ、そういうことか。
隼人のこと疑ってるんだ。
私はすこしぼやかして、
「なるほどね、よく考えたら彼が聖生の第一候補かもしれない」
と告げた。
「彼がだれを指してるのか知らないけど、三和くんのご意見は?」
「……否定も肯定もできないかな」
状況証拠はあいまいだ。聖生が帰ってきた時期と、隼人が大学将棋に参加した時期とは重なっている。それに、風のうわさだと、聖生はやたらと都ノに出没してるらしいじゃないか。これも隼人があやしまれる理由だ。
でも、動機がぜんぜんわからない。そもそも、都ノでなにがあったんだろう。そのへんはさすがに伝わってないんだよね。それとも、もこっちあたりなら知ってるのかな。
私は質問をつづけた。
「で、今回の会長騒動と、彼の嫌疑がどう関係するの?」
「もし聖生が大学将棋界のなにかを狙っているなら、役員になるのがてっとりばやい」
「あ、ふーん、そういうことか……役員になりたがってるメンツに聖生がいる、と」
「どうかな、僕の推理は?」
「私はあんまり納得いかないね。役員になるなら、会長よりも他の役職をねらったほうが簡単でしょ。役員なんて、みんなやりたがらないんだし」
一理ある、と入江は答えた。
ゴミ袋をまとめた入江は、それを持ってエレベーターのボタンを押す。
「ひとつ持とうか?」
「指定されたゴミ捨て場へ持って行くだけだ。三和くんは先に帰ってもいいよ」
エレベーターに乗る。私は1階のボタンを押しながら、
「ずいぶんしゃべったけど、私が聖生かもしれない可能性は、考えなかったの?」
とたずねた。
ドアが閉まる。
入江は笑って、
「どうだろうな。三和くんこそ、僕が聖生だとは考えなかったのかい?」
とたずね返してきた。
閉鎖空間にふたりきりで、なんだかサスペンスみたいだ。
無音の下降が、いつもより長く感じられた。
「……そのときはそのときなんじゃない?」
ドアがひらく。私と入江は、そこで分かれた。
公民館を出ると、植え込みのところに、おっきなツインテールを発見。
筒井順子ちゃんだ。
私が声をかけると、順子ちゃんはスマホから顔をあげた。
順子ちゃんはちょっとイラついてたようで、
「遅いじゃん。なにやってたの?」
と訊いてきた。
「推理ごっこ」
「……診断のこと? 病人でも出た?」
「まあ診断みたいなもんか。ところで、メンツは集まった?」
「晩稲田の連中に声かけたら、2人来れるって」
じゃ、行こうか──雀荘へ。
空はだんだんと暗くなり始めている。街頭には、ひとがあふれていた。
これだけの密度なのに、ぬくもりが感じられない。すべてが作り物みたいだった。
雑踏をかきわけながら、私はひとり、
「わりとだいじだよね、最低限、信頼できそうな知り合いがいるのって」
とつぶやいた。
順子ちゃんは一瞬ポカンとしたあと、
「なにそれ? 皮肉?」
と怒った。
いやいや、本音だよ。
順子ちゃんは私と同郷で、小学生の頃から知っている。
性格的にも聖生はないかな、と思う。
今回の会長選の立候補者に、聖生はいるのかな。
秋の夕暮れに似合わず、私はささやかな好奇心をいだいた。
ほんとにちょっとだけ、ね。